2008/08/24 - 2008/08/31
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funasanさん
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午前中にオリンピック発祥の地「オリンピアの遺跡(世界遺産)」を見学し、その後、バスでペロポネソス半島の山岳地帯を横断してミケーネへ。昼食後、ミケーネ遺跡(世界遺産)を見学し、コリントス運河を越えてアテネへもどる。
写真:オリンピアのヘラ神殿。オリンピックの聖火はこの神殿の前で採火される。
私のホームページ『第二の人生を豊かに―ライター舟橋栄二のホームページ―』に旅行記多数あり。
http://www.e-funahashi.jp/
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港町イテアで昼食をとった後、バスで大移動(約210km)し、オリンピアへ向かう。途中、コリンティアコス湾に面した小さな美しいビーチが次々に現れ、車窓見学を楽しむ。写真:オリンピアのホテル「オリンピア・パレス」
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オリンピアはペロポネソス半島の西部、イオニア海に近い場所にあり、スポーツの祭典「オリンピック」の発祥の地である。写真:オリンピアパレスホテルの客室
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現代の華やかなオリンピックのイメージと、今のオリンピアの町とのギャップは大きい。オリンピアは緑多い山あいにある人口1500人ほどの小さな町である。写真:客室のバルコニーからの眺め。ホテルの前に公園がある。
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オリンピアのメインストリート(写真)。この通りの両側に沢山のショップ・レストランが並んでいる。20分も歩けば通り抜けてしまうくらい小さな町である。カフェテリアでティータイムにする。
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パレスホテル周辺の風景(写真)。ギリシャにしては緑が多く、美しい風景が楽しめる。
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本日の夕食はパレスホテルのレストランでのビュッフェ。結構種類が多く、全種類制覇は不可能。とりあえず前菜としてサラダ中心(写真)の一皿を作る。
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メイン料理も肉・魚それぞれ数種類あったが、口に合いそうなものだけピックアップして私のメイン料理(写真)にする。
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最後のフルーツとケーキ(写真)フルーツは甘さが少なく、ケーキは強烈に甘い。日本の繊細な味からすればいずれも不合格であるが、ここはギリシャ。文句は言わない。
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ギリシャ旅行5日目の朝。時差も完全に無くなり旅行生活にもリズムが出来てくる。昨夜はエアコンの効いた快適な客室でよく眠れた。早速、レストランに行く。朝食(写真)はアメリカンのビュッフェで種類が多い。十分満足。
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早くも朝7時45分、ホテルを出発し、歩いてオリンピアの遺跡(写真)へ行く。朝一番の入場。暑い夏のギリシャでも朝は涼しく、すがすがしい。
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オリンピアの遺跡の近くにはクラデオス川が流れ、周辺には緑が多い。神話によれば、この地は古くは「聖なる森アルティスの礼拝地」として、その後は「ゼウスの聖なる巡礼地」として栄えたという。
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古代オリンピックはゼウスを祀る奉納試合として4年に一度行われた。驚くべき事は、紀元前776年からローマ時代の393年まで、約1200年にわたって一度も中止されなかったことである。写真:ゼウス神殿
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オリンピア遺跡の中心となるものがゼウス神殿(写真)で、紀元前470年〜紀元前456年に完成。現在、わずかに柱1本を残して廃墟となっているが、長さ64m、幅27m、ドリア式の柱の高さ10m、アテネのパルテノン神殿に匹敵する壮大な神殿だったという。地震で倒れた柱の一部がそのままになっている。
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ゼウス神殿に並列して小柄なヘラ神殿(写真)がある。ヘラ神殿はゼウスの妻ヘラを祀ったもので、紀元前7世紀(ゼウス神殿より早い)に建造されたドリア様式の神殿である。正面と後面に各6本、側面に16本の円柱が立っていたという。
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ヘラ神殿の前に石で囲まれた小さな場所(写真)がある。ここはオリンピックの「聖火の場所」。近代オリンピックの聖火もこの場所で点火される。2008年3月24日、北京オリンピックの聖火がここで点火された。
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古代オリンピック競技の内容は「短距離走」「格闘技」「レスリング」「円盤投げ」「槍投げ」「競馬」「戦車競争」など。出場者は出身ポリス(都市国家)の名誉をかけて闘い、優勝者は故郷に凱旋したという。現代と同じだ。写真:ヘラ神殿前にある聖火の儀式
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写真はスタジアム(競技場)入り口。直線距離で192mのコースを持つ競技場で、クロニオン山麓に沿って観客席が設けられ、3万人を収容。今もなおスタート・ラインの石板を見ることができる。
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家族3人でスタートラインに並び、よーいドン!誰もいないスタジアムを娘は駆け抜け、妻と私はトボトボと走る。実際に走ってみると192mの距離は長い。ひと汗かいてしまった。写真:ゴールラインからスタート地点を見る
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キリスト教の国教化で知られるテオドシウス1世が異教徒を禁じたため、オリンピア祭は終了。さらに、426年の異教徒の神殿破壊令によってオリンピア聖域は破壊され、6世紀中頃の大地震により地中に埋没した。あー無惨!(発掘は1875年)
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2時間ほどオリンピアの遺跡を見学した後、バスでペロポネソス半島の山岳地帯を越えてミケーネ(距離約230km)へ向かう。途中、ミケーネに近い場所で昼食。立派なレストラン(写真)に驚く。
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レストラン横にある白亜の柱列(写真)。観光客向けに神殿をイメージしたオブジェ?ギリシャのイメージにぴったりの演出ですごくいい。
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このレストラン(写真)が気に入ったのでもう1枚。昼頃になると夏の太陽が強烈に照りだし、まぶしくてしょうがない。サングラスが必携。遠くにミケーネ遺跡が眠るイリアス山、ザラ山が見える。
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このレストランの名前は「コリゼラス(KOLIZERAS)」。どうやら、ミケーネ遺跡に来る観光客専用のレストランのようである。
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広いレストランの店内(写真)は団体客でかなり埋まっている。他の日本人団体ツアー客も食事をしていた。
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前菜は「スタッフドトマト」(写真)大きなトマトの中に米などを詰めて煮たものでギリシャ料理の1つ。
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メインはギリシャの名物料理「スティファド」(写真)スティファドは肉をたっぷりの玉ねぎで煮込んだギリシャ風シチューで日本人の口によく合う。付け合わせはポテトとレタス。
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ギリシャの国旗が刺してあるデザート(写真)はアップルパイとアイスクリーム。とてもおいしかった。ギリシャ国旗の青は海を、白は空を、十字はギリシャ正教への信仰を表すという。
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ミケーネ遺跡訪問の前に「トロイ戦争」と「シュリーマン」の勉強をする必要がある。トロイ戦争は紀元前13世紀後半、スパルタの絶世の美女である王妃ヘレネがトロイの王パリスに誘惑されたのが原因。ミケーネ王アガメムノンはスパルタ王の弟のために総大将としてギリシャの大軍を率いてトロイに攻め込み、10年の歳月をかけてトロイを陥落させる。写真:ミケーネ遺跡入り口
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トロイ戦争にまつわる壮大な歴史ロマンは「ホメロスの叙事詩」と共に、後生に語り伝えられた。この詩の英雄たちに憧れ、神話の世界ではなく事実だと信じたシュリーマンは私費を投じて発掘調査をし、1876年ミケーネ遺跡を発見した。写真:ミケーネ遺跡の入り口にある獅子の門
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しかし、「幼少の頃にホメロスの叙事詩に感動して、トロイ発掘を志した」というのは功名心の強いシュリーマンの創作であることが近年の研究で分かってきた。写真:円形墓地A。ホメロスの詩に伝えられた伝説は、この墓の発見によって史実としてよみがえった。
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また、「ホメロスの神話ではなくトロイは実在する」というシュリーマンのトロイ実在説も当時既に知られており、発掘調査も行われていたという。実際の発掘においてはオリンピア調査隊も協力した。シュリーマンをあまり英雄視するのも疑問?写真:王宮跡。王宮は丘の頂きにあり、アルゴス平野が一望できる。
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ミケーネ遺跡とは少し離れた場所に「アトレウスの宝庫」または「アガメムノンの墓」(写真)がある。紀元前1250年頃の建造で、通路の長さは36m、幅6m、墓の中は上部にいくにつれて狭まっている円錐形になっている。トロイ戦争の英雄「アガメムノン」を想像する。
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ミケーネ遺跡見学の後、コリントス運河(写真)をバスで渡ってアテネへ向かう。コリントスはギリシャ本土とペロポネソス半島のつなぎ目にあたり、東側にサロニコス湾、西側にコリンティアコス湾が広がる。
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ドライブインでバスを降り、歩いて運河にかかる橋を渡る。コリントス運河は、高さ80m、幅23m、長さ6343m。橋の上から運河をのぞいてみると、結構迫力がある。トイレ休憩の後、バスは一路アテネへ向かう。
明日はいよいよ「エーゲ海クルーズ」である。
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