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 7月6日瀬田川で第59回京都大学・東京大学対校競漕大会を観戦した。<br /><br /> 対校戦の華である男子対校エイトは3200mを両校が競漕する二杯レースである。<br /> レース経過は京大がスタートで先行し2/3艇身リードしていたが約700m周辺(唐橋手前)の地点でラダーに藻がからまり操舵不能となってしまった。コックスが何とか藻を取り外そうと水中に手を突っ込む姿も見られたが、藻は除去できずそのままレースは進行した。<br /> 操舵不能のため明神高速の橋脚にオールが接触、東大艇にも接触、岸壁衝突回避の停止を繰り返しながらも完漕した。結果は30秒差で京大の負けとなった。<br /><br /> 藻が舵に巻きつき操舵不能というアクシデントに見舞われたレースは選手の実力が十分に発揮されたものとは言えず負けた京大クルーには気の毒なレースであった。アクシデントに見舞われながらも最後まで懸命に完漕した漕手の態度は称賛に値しよう。<br /><br /> 京都大学・東京大学対校競漕大会の歴史を京都大学端艇部百年史上巻から引用すると<br /> 以下のように記述されており、この伝統行事の応援に駆けつける両校OB達の若き日を追憶する熱き想いと伝統にいや増す磨きをかけようとする気持ちがよく理解できる。伝統の価値とはそのようなものであろうか。<br /><br />☆一高と三高が最初の対抗レースを行ったのは、大正9年(1920年)4月6日。隅田川で行われた「東京帝国大学主催・第1回全国高等学校対抗競漕」である。この大会には一高、二高、三高、四高、六高の五校が参加して、固定席艇による高校クルー初の栄冠を争った。(170ページ)<br /><br />☆最後の一高・三高戦、22年振りに三高勝つ。昭和23年(1948年)8月1日  隅田川3000m(417ページ)<br /><br />☆東大から、一高・三高戦に替わるジュニア同士の対校戦を打診。<br /><br />   ○この年(昭和25年)、一高・三高、東大・京大のボート関係者の主導により、東大教養学部と京大教養課程間で、一高戦(一高では三高戦)に替わる東大戦(東大では京大戦)を毎年定期対校競漕として実施しようというものであった。<br /><br />   ○この対校戦は、あらかじめ関係者の間で綿密に計画が練られた上で開始されたものではなかった。最後の三高戦に隅田川で敗れた一高側と、敵地で勝って意気揚がる三高側の関係者が、それぞれ東大、京大に進学後、何らかの形でこの決着をつけたいとの思いと、伝統ある一高・三高の対校レースを新学制のもとで復活させたいとの願いが込められていた。  <br /><br />   ○そして、6月下旬、三高から東大に進学し、東大の対校クルーを漕いでいた吉田昭二が東大側の意向を受けて、同じく三高から京大に進学し、京大の対校クルーを漕いでいた常田和義宛ての手紙によってその交渉が始まった。<br /><br />   ○京大とすれば数の上では曲がりなりにも新制一、二回生だけでエイトクルーが編成できる状態にあったので直ちにこの挑戦に応じ、両校当事者間で競漕規則を取り交わした。そして我々はリーグ戦出漕Bクルーを主体に一・二回生だけでジュニアクルーを編成した。 (431ページ)<br /><br />☆第1回ジュニア東大戦、大接戦のすえ京大勝つ。昭和25年(1950年)7月30日 瀬田川・2mile       (433ページ)<br /> <br />筆者の注 第1回戦の東大クルーでは作家の半藤一利氏が5番で漕いでいる。 <br /><br /><br />京大OBの尾城氏がピカサウェブアルバムにアップした東大戦の写真は下記URL参照<br />http://picasaweb.google.co.jp/kobenosakura/20080706<br /><br /><br /><br />動画は同じく尾城氏がアップした下記URLを参照<br />http://jp.youtube.com/watch?v=g7b3IgwFHII<br />

第59回京都大学・東京大学対校競漕大会を観戦

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2008/07/06 - 2008/07/06

347位(同エリア383件中)

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早島 潮

早島 潮さん

7月6日瀬田川で第59回京都大学・東京大学対校競漕大会を観戦した。

対校戦の華である男子対校エイトは3200mを両校が競漕する二杯レースである。
レース経過は京大がスタートで先行し2/3艇身リードしていたが約700m周辺(唐橋手前)の地点でラダーに藻がからまり操舵不能となってしまった。コックスが何とか藻を取り外そうと水中に手を突っ込む姿も見られたが、藻は除去できずそのままレースは進行した。
操舵不能のため明神高速の橋脚にオールが接触、東大艇にも接触、岸壁衝突回避の停止を繰り返しながらも完漕した。結果は30秒差で京大の負けとなった。

藻が舵に巻きつき操舵不能というアクシデントに見舞われたレースは選手の実力が十分に発揮されたものとは言えず負けた京大クルーには気の毒なレースであった。アクシデントに見舞われながらも最後まで懸命に完漕した漕手の態度は称賛に値しよう。

京都大学・東京大学対校競漕大会の歴史を京都大学端艇部百年史上巻から引用すると
以下のように記述されており、この伝統行事の応援に駆けつける両校OB達の若き日を追憶する熱き想いと伝統にいや増す磨きをかけようとする気持ちがよく理解できる。伝統の価値とはそのようなものであろうか。

☆一高と三高が最初の対抗レースを行ったのは、大正9年(1920年)4月6日。隅田川で行われた「東京帝国大学主催・第1回全国高等学校対抗競漕」である。この大会には一高、二高、三高、四高、六高の五校が参加して、固定席艇による高校クルー初の栄冠を争った。(170ページ)

☆最後の一高・三高戦、22年振りに三高勝つ。昭和23年(1948年)8月1日 隅田川3000m(417ページ)

☆東大から、一高・三高戦に替わるジュニア同士の対校戦を打診。

○この年(昭和25年)、一高・三高、東大・京大のボート関係者の主導により、東大教養学部と京大教養課程間で、一高戦(一高では三高戦)に替わる東大戦(東大では京大戦)を毎年定期対校競漕として実施しようというものであった。

○この対校戦は、あらかじめ関係者の間で綿密に計画が練られた上で開始されたものではなかった。最後の三高戦に隅田川で敗れた一高側と、敵地で勝って意気揚がる三高側の関係者が、それぞれ東大、京大に進学後、何らかの形でこの決着をつけたいとの思いと、伝統ある一高・三高の対校レースを新学制のもとで復活させたいとの願いが込められていた。

○そして、6月下旬、三高から東大に進学し、東大の対校クルーを漕いでいた吉田昭二が東大側の意向を受けて、同じく三高から京大に進学し、京大の対校クルーを漕いでいた常田和義宛ての手紙によってその交渉が始まった。

○京大とすれば数の上では曲がりなりにも新制一、二回生だけでエイトクルーが編成できる状態にあったので直ちにこの挑戦に応じ、両校当事者間で競漕規則を取り交わした。そして我々はリーグ戦出漕Bクルーを主体に一・二回生だけでジュニアクルーを編成した。 (431ページ)

☆第1回ジュニア東大戦、大接戦のすえ京大勝つ。昭和25年(1950年)7月30日 瀬田川・2mile (433ページ)

筆者の注 第1回戦の東大クルーでは作家の半藤一利氏が5番で漕いでいる。


京大OBの尾城氏がピカサウェブアルバムにアップした東大戦の写真は下記URL参照
http://picasaweb.google.co.jp/kobenosakura/20080706



動画は同じく尾城氏がアップした下記URLを参照
http://jp.youtube.com/watch?v=g7b3IgwFHII

  • 舵に藻が絡みつき操舵不能になった京大艇。舵手が橋脚に衝突するのを回避しようとして右手を水中に差し込み激しい水しぶきが吹き上がっている。

    舵に藻が絡みつき操舵不能になった京大艇。舵手が橋脚に衝突するのを回避しようとして右手を水中に差し込み激しい水しぶきが吹き上がっている。

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