明和・大台旅行記(ブログ) 一覧に戻る
昔天照大神が伊勢の内宮に御鎮座されてから今の伊勢市と松阪市の間に斎宮が出来ました、其の斎宮に都から斎王群行があって其の群行を再現した斎王まつりがありました。<br /><br />今も斎宮という地名がありそこで斎王まつりが行われました。

斎王まつり

8いいね!

2008/06/07 - 2008/06/08

47位(同エリア75件中)

0

71

DHC

DHCさん

昔天照大神が伊勢の内宮に御鎮座されてから今の伊勢市と松阪市の間に斎宮が出来ました、其の斎宮に都から斎王群行があって其の群行を再現した斎王まつりがありました。

今も斎宮という地名がありそこで斎王まつりが行われました。

  • 斎宮とは、天皇が即位するたびに選ばれて伊勢神宮に仕えた斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と彼女に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を指す言葉です、斎王は未婚の内親王や女王から占いで定められ宮中の初斎院や野宮などで足掛け三年間の潔斎生活の後、斎宮へ旅立ちます。群行と呼ばれたこの旅は平安時代には近江から鈴鹿の山々を超え伊勢の国に至る五泊六日の旅でした。七世紀後半に天武天皇により定められたこの斎王制度はおよそ660年間続き斎宮は10〜11世紀にかけて隆盛を極めた後14世紀の半ば南北朝時代の動乱のうちに其の姿を消したのでした。<br />写真をクリックすると画面が変わり、もう一度クリックすると大きくなります、戻す矢印を二回クリックすると元の大きさに戻り、写真を大きくしたまま連続して見る事もできます。

    斎宮とは、天皇が即位するたびに選ばれて伊勢神宮に仕えた斎王(いつきのひめみこ)の宮殿と彼女に仕えた官人たちの役所である斎宮寮を指す言葉です、斎王は未婚の内親王や女王から占いで定められ宮中の初斎院や野宮などで足掛け三年間の潔斎生活の後、斎宮へ旅立ちます。群行と呼ばれたこの旅は平安時代には近江から鈴鹿の山々を超え伊勢の国に至る五泊六日の旅でした。七世紀後半に天武天皇により定められたこの斎王制度はおよそ660年間続き斎宮は10〜11世紀にかけて隆盛を極めた後14世紀の半ば南北朝時代の動乱のうちに其の姿を消したのでした。
    写真をクリックすると画面が変わり、もう一度クリックすると大きくなります、戻す矢印を二回クリックすると元の大きさに戻り、写真を大きくしたまま連続して見る事もできます。

  • 斎王が伊勢神宮に行くのは一年に三回のまつりの時だけで、しかも外宮内宮に一回づつ参加するだけであるつまり斎王はわずか六日の祭祀のために斎宮に滞在していた事になる。

    斎王が伊勢神宮に行くのは一年に三回のまつりの時だけで、しかも外宮内宮に一回づつ参加するだけであるつまり斎王はわずか六日の祭祀のために斎宮に滞在していた事になる。

  • 余談だが其の昔、内宮は宇治が外宮は山田が治めていたが宇治と山田は非常に仲が悪くて争っていた時代があったが後に争いも収まったので宇治山田と言う地名になって今は伊勢市になっていますが其の名残で宇治山田駅があるのかもわかりませんね。

    余談だが其の昔、内宮は宇治が外宮は山田が治めていたが宇治と山田は非常に仲が悪くて争っていた時代があったが後に争いも収まったので宇治山田と言う地名になって今は伊勢市になっていますが其の名残で宇治山田駅があるのかもわかりませんね。

  • 斎王とは・・・天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えしていた女性のことで天皇の娘や姉妹などの中から未婚の女性から選ばれ都から遠く離れた斎宮(現 三重県多気郡明和町斎宮)で暮らしていましたが公務がない時は斎宮で貝合わせや歌詠み、船遊びなどをしながら朝廷の権威を示し優雅な生活を送っていただろうといわれています。

    斎王とは・・・天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えしていた女性のことで天皇の娘や姉妹などの中から未婚の女性から選ばれ都から遠く離れた斎宮(現 三重県多気郡明和町斎宮)で暮らしていましたが公務がない時は斎宮で貝合わせや歌詠み、船遊びなどをしながら朝廷の権威を示し優雅な生活を送っていただろうといわれています。

  • 斎王は、飛鳥・奈良時代から約660年間、鎌倉時代の頃まで存在して672年の壬申の乱の後、天皇となった天武天皇が勝利のお礼に伊勢へ仕わせた自分の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が最初の斎王と言われています。

    斎王は、飛鳥・奈良時代から約660年間、鎌倉時代の頃まで存在して672年の壬申の乱の後、天皇となった天武天皇が勝利のお礼に伊勢へ仕わせた自分の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が最初の斎王と言われています。

  • 八月の末日斎王は尾野湊に行き海で身を清め、そして九月十五日に離宮院に行き十六日に外宮、十七日に内宮のまつりに参加した、このまつりを神嘗祭と言う、秋の収穫のまつりで外宮、内宮それぞれ二日行われるが斎王は二日目だけに参加した。<br /><br />また余談だが明治五年に新暦の九月一七日に神嘗祭の奉納が行われる様になったがそれでは収穫に間に合わないので明治一二年からは新暦の十月に変更されたが実際新米が食べられる様になるのは新嘗祭の後であった。

    八月の末日斎王は尾野湊に行き海で身を清め、そして九月十五日に離宮院に行き十六日に外宮、十七日に内宮のまつりに参加した、このまつりを神嘗祭と言う、秋の収穫のまつりで外宮、内宮それぞれ二日行われるが斎王は二日目だけに参加した。

    また余談だが明治五年に新暦の九月一七日に神嘗祭の奉納が行われる様になったがそれでは収穫に間に合わないので明治一二年からは新暦の十月に変更されたが実際新米が食べられる様になるのは新嘗祭の後であった。

  • 伝説時代の記録では初代の斎王が崇神天皇と垂仁天皇の時代に豊鍬入姫がなって、なんと天照大神の御鎮座する場所を探した倭姫は二代目の斎王になっていますが天武天皇の娘の大来皇女が最初の斎王と言う、言い伝えと二つあると言う事ですかね?私にはよく分かりません。

    伝説時代の記録では初代の斎王が崇神天皇と垂仁天皇の時代に豊鍬入姫がなって、なんと天照大神の御鎮座する場所を探した倭姫は二代目の斎王になっていますが天武天皇の娘の大来皇女が最初の斎王と言う、言い伝えと二つあると言う事ですかね?私にはよく分かりません。

  • 平安時代になると仁子(よしこ809年〜823年)とか子の付く名前ばかりになって50代くらい続きました、昭和風の名前だったのですね。

    平安時代になると仁子(よしこ809年〜823年)とか子の付く名前ばかりになって50代くらい続きました、昭和風の名前だったのですね。

  • 記録に残っている最後の斎王は後醍醐天皇に仕えた 祥子(さちこ1333年〜?)までですが漢字は違うけど同じ読み方の斎王が何人もいました。

    記録に残っている最後の斎王は後醍醐天皇に仕えた 祥子(さちこ1333年〜?)までですが漢字は違うけど同じ読み方の斎王が何人もいました。

  • 660年間の間に60人以上存在したと言われている斎王の中には2〜3歳で選ばれた人や結婚を考えていたのに結婚できなかった人、斎宮で叶わぬ恋をして愛しい人を港から見送った人や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした人など、さまざまな斎王がいたと伝えられています。

    660年間の間に60人以上存在したと言われている斎王の中には2〜3歳で選ばれた人や結婚を考えていたのに結婚できなかった人、斎宮で叶わぬ恋をして愛しい人を港から見送った人や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした人など、さまざまな斎王がいたと伝えられています。

  • 昔の群行はしんどかったみたいで馬も使ってたみたいですね。

    昔の群行はしんどかったみたいで馬も使ってたみたいですね。

  • 今年はこの綺麗な女性が斎王役でしたが以前柔道の柔(やわら)ちゃんが斎王役をこなしてた事もあったみたいです。

    今年はこの綺麗な女性が斎王役でしたが以前柔道の柔(やわら)ちゃんが斎王役をこなしてた事もあったみたいです。

  • 表紙に使った写真をここにも添付します。

    表紙に使った写真をここにも添付します。

この旅行記のタグ

8いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP