2008/02/25 - 2008/02/25
544位(同エリア605件中)
早島 潮さん
平成20年2月25日(月)
クラウンプラザ・ホテルがペトラ遺跡入り口のすぐ近くなので、今日はバスは利用せずに終日徒歩での観光である。このペトラ遺跡は筆者にとっては二度目の訪問になるので見覚えのある懐かしい光景が展開している。
http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10058471/
ペトラの歴史は以下の四期に分けて見ることが出来る。
1.先史時代〜エドム人(BC7000年〜BC6世紀)
紀元前7000年頃ペトラの北ベイダに人が定住して果物や木の実を採取して生活していた。
紀元前13世紀頃ペトラ地域にはエドム人が勢力を張っており、旧約聖書にも出エジプトしてきたイスラエルの民達の通行を許さなかった様子が記載されている。またユダの王アマジャはエドム人の都セラを攻めエドム人の捕虜1万人を殺して一時期この地方を治めたとも記されている。
2.ナバテヤ時代(紀元前6世紀〜紀元1世紀)
ナバテア人は紀元前6世紀頃アラビア半島から移住してきており、ペトラの岩山を掘り都市を建設した。ナバテア人は隊商貿易で大いに栄え文化的にはギリシャの影響を受けて発展した。
そして紀元前3世紀にはペトラ王国が成立。紀元前312年セレウコス朝のアンテイグヌスはペトラを襲い住民を殺し略奪した。暫く内乱が続いたがやがてペトラ王国はセレウコス朝の支配下で自治を許されシリア交易を広げて富を蓄えた。
3.ローマ時代(1世紀から4世紀)
紀元106年ローマ軍は首都ペトラを占領し町には列柱道路や浴場が建てられローマ化した。北のパルミラが隊商都市として栄え始めるとペトラは衰退した。
4.ビザンチン・イスラム時代(4世紀〜13世紀)
ビザンチン時代になるとペトラはキリスト教主教区に組み入れられて、ナバテア人の建物はクリスチャンによって建て替えられた。7世紀のイスラム進入以降次第に衰退し、12世紀の十字軍遠征時代に交易拠点として要塞が築かれ、一時の繁栄は取り戻したものの、やがて少数のベドウイン人が住む寂れた村落に変貌した。
1812年スイスの探検家ジョン・ブルクハットに発見されるまで砂の中に忘れられていた。
ペトラ遺跡ではダジーン・ブロック、ナバテイア人のダム、シーク、エル・カズネ、ローマ劇場、壷型墳墓、シルク墳墓、コリント式墳墓、宮殿墳墓、列柱通り、エド・デイル等を見学した。
エド・デイルに至る急峻な階段も汗かきながら登りつめ更に南西に聳えるホル山が遥かに見えると教えられた箇所まで辿りついた。そこにはモーゼの兄アロンの墓所があり遠くに光って見える筈だということであったが残念ながら目撃できなかった。
再び急峻な階段を下り列柱通りにさしかかった時、俄か雨に見舞われた。たちまち道路に水が溢れ急な流れの小川が出現したのには驚いた。ニンファエウム(泉)の近くの大きな立ち木の下は雨宿りする観光客で一杯であったがその中へ混じり込んで小止みになるのを待った。
観光用の馬車が今こそ稼ぎ時とばかりに何台も傍若無人に疾駆していた。馬車を避けながら水が奔流している中をホテルへ急いだ。
今朝入場した箇所に辿りつきホテルを探したが見つからない。うろうろしていると、朝の騎乗姿の写真を無断で撮影した男が寄ってきて、道を教えるからお前の写真を買えと言う。再び断るといやな雰囲気が漂った。逃げるように元の道を引き返すと観光客の婦人が歩いているのを見つけたので同じホテルに行くものと勝手に判断してついていくが、我々のホテルとは異なっていた。ポリスを掴まえて尋ねると見覚えのあるホテルの建物の見えるところまで連れて行ってくれた。婦人の後を追った場所を右手に折れた所に我々のホテルがあった。
夕食まで時間があったので同室の旅の畏友橋田さんと三局打ったが全敗してしまった。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ペトラ遺跡のロケーション
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シークの入り口まで馬に乗るH氏
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シークの入り口まで馬で移動する同行者達
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馬を降りてシークの入り口へ到着
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シークの中を歩く。やがて感激のシーンが待っている。
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シークの中の彫刻。駱駝の足と人の足が破壊されずに残っている。
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シークをくぐり抜けると忽然として目に飛び込んでくるエル・ハズネ(王の宝庫)。エル・カズネとも発音される。
紀元前25年ナバティア王アレタス4世によって建設された。 -
野外劇場。ローマの影響。
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コリント式墳墓
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シルク墳墓・左とコリント式墳墓・右
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エド・ディルに至る道中の階段。
エド・ディルまでは急峻な階段を登らなければならない。一息ついて振り返ると岩の間に先程までいたペトラ遺跡が展望できる。
あいにくの曇りで見通しがよくない。 -
エド・ディル(修道院)と通称されている。
ドウシャラ神の祭場であったのが後年修道院に転用されたと推定されている。 -
ワディムーサのモーゼの泉の建物
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モーゼの泉
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