1999/03/07 - 1999/03/07
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52市村康さん
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豊島産廃不法投棄事件は地元香川県内でも90年代まで事件の概要が全く知られておらず、公害調停が始まるまで世間は無関心であり、全ての責任が豊島住民にあるかのやうな事を云う人までおり、豊島の中学生が修学旅行で行った先のお土産屋のオヤヂから「ゴミの島からきたんか?」とか心無い言葉を云はれたりもした。知事選当選直後の知事からは「金が欲しいからやってるんでしょ。」などとまで云われた。
そこでとにかく香川県内で公民館などを借りて豊島問題の説明会を県内百箇所を目標に座談会を続けて行った。そして99年3月7日、ついに百回目の座談会を玉藻城被雲閣で開催し、約300人もの人たちが参加して開催した。
50万?以上の産廃を税金を使って処理するにあたり、やはり県民の理解と支援無しでは出来ないし、とにかく世の中の人たちに豊島事件の真相を知ってもらう為に暑さ寒さの中を豊島の人たちは県内を歩いて訴え続けて、ついに百回目となった。
この日からさらに1年以上経ってやっと公害調停が成立するが、この日は一つの歴史の一里塚であった筈だ。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 船 徒歩
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99年3月7日朝、豊島住民が豊島交流センターに集まってきた。
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チャーターしたフェリー「めおん」に住民が乗り込む。
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宣伝カーも一緒に積んでいく。
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船室は満員まで住民が座った。
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高松港に着いて、住民が下船を始めた。
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県営桟橋から降りて「豊島の心を百万県民に!」の横断幕を掲げ、秩序正しく進んでいく。
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築港から町へ出て住民が進んでいく。
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丸亀町と兵庫町・片原町の交点のドームに達した。
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通行人にマイクで座談会がある事を伝え、チラシも手渡す。
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分担して市内各地区へと別れ、チラシ配布と座談会のあることを口頭で知らせた。
丸亀町のアーケードの真ん中あたりでチラシを配っている。 -
瓦町駅前でもチラシを配った。
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雨はずっと降り続き、チラシ配りの終わった住民達が被雲閣に集合し、会場設営を急ピッチで進めた。
開会5分前。 -
豊島住民会議議長(当時)の安岐登志一議長の挨拶。
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豊島住民の発言。
和やかな、しかし緊張もある座談会が進む。 -
電話掛けをしたり歩いて座談会を開催する県内の各地区でチラシを配ったり、時には労いの言葉をかけられ時には罵声も浴びせられ、大変な労苦を続けてきたけど、豊島住民の顔は晴れ晴れとしていた。
弁護団や各地の支援者達の発言もあり、マスコミの報道もすごかったが、世論を味方に付け、2000年6月6日公害調停成立までの道程はさらに続くが、夕方に豊島住民は最後の勝利を確信してまた「めおん」に乗って帰っていった。
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