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 前回は、公の道整備のはじめとして、その丹比邑までの<難波大道>を辿った。難波大道は現在の大和川を越え、大泉緑地の西側を通って金岡神社に行き当たる。そこから難波大道は東に向きを変え、後に<丹比道>と名を変えて二上山を目指します。<br /> 峠を越えれば「たたなづく青垣山隠れる」と歌われた大和国。その入り口、二上山の北側を越えて南下する大津道と交わる長尾神社まで巡った。辿る道は、江戸時代ごろには名称を変え、現代広く喧伝されて一般的になった<竹内街道>である。<br /> 難波大道から続く道として、金岡神社から始めた。あと、見所としては、羽曳野の野中寺、2万年前の石器作りの跡が見つかった翠鳥園遺跡公園、日本武尊白鳥稜、河内源氏発祥の地では通法寺跡と源氏三代の墓が見れる。又、源氏三代を祀る壺井八幡宮、太子町の竹内街道歴史資料館、孝徳天皇稜、二上山山麓に造られた鹿谷寺(ろくたんじ)跡、竹内集落の綿弓塚、最後に長尾神社に詣でた。町歩きとしては古市の町並み、飛鳥の町並みを歩いたが、あまり古の風情は感じられない。この近辺は御陵の多い地区でもある。

日本最古の国道をゆく?

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2008/02/23 - 2008/02/23

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ひま人

ひま人さん

 前回は、公の道整備のはじめとして、その丹比邑までの<難波大道>を辿った。難波大道は現在の大和川を越え、大泉緑地の西側を通って金岡神社に行き当たる。そこから難波大道は東に向きを変え、後に<丹比道>と名を変えて二上山を目指します。
 峠を越えれば「たたなづく青垣山隠れる」と歌われた大和国。その入り口、二上山の北側を越えて南下する大津道と交わる長尾神社まで巡った。辿る道は、江戸時代ごろには名称を変え、現代広く喧伝されて一般的になった<竹内街道>である。
 難波大道から続く道として、金岡神社から始めた。あと、見所としては、羽曳野の野中寺、2万年前の石器作りの跡が見つかった翠鳥園遺跡公園、日本武尊白鳥稜、河内源氏発祥の地では通法寺跡と源氏三代の墓が見れる。又、源氏三代を祀る壺井八幡宮、太子町の竹内街道歴史資料館、孝徳天皇稜、二上山山麓に造られた鹿谷寺(ろくたんじ)跡、竹内集落の綿弓塚、最後に長尾神社に詣でた。町歩きとしては古市の町並み、飛鳥の町並みを歩いたが、あまり古の風情は感じられない。この近辺は御陵の多い地区でもある。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス 私鉄
  •  金岡神社鳥居、本殿、境内地の南側が竹内街道。神社由緒によると、平安時代初期仁和年間(885〜888年)安全と五穀豊穣を祈願するため住民が住吉大神をお祀りして創建された。その後、一条天皇(986〜1011年)の勅命により画家の巨勢金岡卿を合祀し、金岡神社と名を賜った。

    金岡神社鳥居、本殿、境内地の南側が竹内街道。神社由緒によると、平安時代初期仁和年間(885〜888年)安全と五穀豊穣を祈願するため住民が住吉大神をお祀りして創建された。その後、一条天皇(986〜1011年)の勅命により画家の巨勢金岡卿を合祀し、金岡神社と名を賜った。

  •  野中寺(やちゅうじ)本堂、1360年程前、聖徳太子の命により蘇我馬子が造営したもの。昔は竹内街道の中程にあって、法隆寺式配置の伽藍が甍を並べその偉容を誇示していた。宝物として、金銅弥勒菩薩(重文)毎月18日拝観日、地蔵菩薩像(重文)一木立像などが見られる。

     野中寺(やちゅうじ)本堂、1360年程前、聖徳太子の命により蘇我馬子が造営したもの。昔は竹内街道の中程にあって、法隆寺式配置の伽藍が甍を並べその偉容を誇示していた。宝物として、金銅弥勒菩薩(重文)毎月18日拝観日、地蔵菩薩像(重文)一木立像などが見られる。

  •  野中寺、庭の山茶花、天然記念物、樹齢4百数十年。大阪天王寺屋の庭にあった山茶花を移植したといわれ、お染にまつわる「縁結び山茶花」で、庭園は江戸初期の造園である。

     野中寺、庭の山茶花、天然記念物、樹齢4百数十年。大阪天王寺屋の庭にあった山茶花を移植したといわれ、お染にまつわる「縁結び山茶花」で、庭園は江戸初期の造園である。

  •  羽曳野市翠鳥園(すいちょうえん)遺跡公園、約2万年前の石器作りの跡が、当時のまま30か所以上も発見された。石器の材料の石は、二上山の麓でとれるサヌカイトで、するどく割れるサヌカイトの特徴を生かし、先の尖ったナイフ形石器が主に作られていた。

     羽曳野市翠鳥園(すいちょうえん)遺跡公園、約2万年前の石器作りの跡が、当時のまま30か所以上も発見された。石器の材料の石は、二上山の麓でとれるサヌカイトで、するどく割れるサヌカイトの特徴を生かし、先の尖ったナイフ形石器が主に作られていた。

  •  日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥稜。日本武尊は東国征伐を遂げて帰国する途中、伊吹山の神を討ちに行き、氷雨に曝され失神した。居醒水により正気を取り戻したが、能煩野(三重県亀山)で亡くなった。そして、魂が白鳥に姿を変えて懐かしい故郷へ向かって飛んで行き、最後に飛来した場所がここ白鳥稜と言われている。

     日本武尊(やまとたけるのみこと)白鳥稜。日本武尊は東国征伐を遂げて帰国する途中、伊吹山の神を討ちに行き、氷雨に曝され失神した。居醒水により正気を取り戻したが、能煩野(三重県亀山)で亡くなった。そして、魂が白鳥に姿を変えて懐かしい故郷へ向かって飛んで行き、最後に飛来した場所がここ白鳥稜と言われている。

  •  羽曳野市、現代の竹内街道。

     羽曳野市、現代の竹内街道。

  •  白鳥神社、祭神は日本武尊ほか、1596年慶弔大地震で倒壊、寛永末期、現代地に移され古市の氏神として現代に至っている。

     白鳥神社、祭神は日本武尊ほか、1596年慶弔大地震で倒壊、寛永末期、現代地に移され古市の氏神として現代に至っている。

  •  源寄頼義墓、河内源氏三代の墓の一つ、あと源頼信、源義家の墓が近くにある。

     源寄頼義墓、河内源氏三代の墓の一つ、あと源頼信、源義家の墓が近くにある。

  •  壺井八幡宮、河内源氏三代を祀る。

     壺井八幡宮、河内源氏三代を祀る。

  •  孝徳天皇稜、第36代天皇(596〜654年)

     孝徳天皇稜、第36代天皇(596〜654年)

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