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 近江は全国的にみても渡来系氏族の多い地域として知られる。彼らの使っていた土器は、4世記以後朝鮮半島で焼かれた「硬質土器」と呼ばれ、日本の須恵器の源流になった。<br /> 近江高島は安曇川流域の穀倉地帯を擁し、海津を通って敦賀に又、安曇川沿いに朽木を経て若狭にも出られる交通の要衝である。<br /> 高島には継体天皇の別荘があったと言われ、三尾氏と呼ばれる古代氏族がいて、鴨稲荷山古墳は族長の古墳だと言われている。継体天皇の父、彦主人主命(ひこうしのみこと)の墳墓だというう御陵もある。<br /> 又、近江は鉄の生産地と知られ、マキノに製鉄遺跡が発見されている。<br /> 近世の近江高島には信長の甥、織田信澄が天正6年(1578年)大溝城を築城。大溝は琵琶湖の良港で、物資の集積場で軍事上でも有利な位置にあった。信澄は明智光秀の娘を妻としていたため、本能寺の変の際、大坂城で織田信孝、丹羽長秀に謀殺された。元和5年(1619年)分部光信が伊賀上野から移封され、2万石の大溝藩が成立。以後高島は城下町として栄えた。<br /> 高島郡内には式内社が34座あり、有名な白髭神社他、規模が小さいが歴史的に見所が多い。

継体天皇伝承地・湖西を歩く

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2007/07/08 - 2007/07/08

223位(同エリア250件中)

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ひま人

ひま人さん

 近江は全国的にみても渡来系氏族の多い地域として知られる。彼らの使っていた土器は、4世記以後朝鮮半島で焼かれた「硬質土器」と呼ばれ、日本の須恵器の源流になった。
 近江高島は安曇川流域の穀倉地帯を擁し、海津を通って敦賀に又、安曇川沿いに朽木を経て若狭にも出られる交通の要衝である。
 高島には継体天皇の別荘があったと言われ、三尾氏と呼ばれる古代氏族がいて、鴨稲荷山古墳は族長の古墳だと言われている。継体天皇の父、彦主人主命(ひこうしのみこと)の墳墓だというう御陵もある。
 又、近江は鉄の生産地と知られ、マキノに製鉄遺跡が発見されている。
 近世の近江高島には信長の甥、織田信澄が天正6年(1578年)大溝城を築城。大溝は琵琶湖の良港で、物資の集積場で軍事上でも有利な位置にあった。信澄は明智光秀の娘を妻としていたため、本能寺の変の際、大坂城で織田信孝、丹羽長秀に謀殺された。元和5年(1619年)分部光信が伊賀上野から移封され、2万石の大溝藩が成立。以後高島は城下町として栄えた。
 高島郡内には式内社が34座あり、有名な白髭神社他、規模が小さいが歴史的に見所が多い。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス

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  •  白髭神社鳥居。国道161号線をはさみ朱塗りの鳥居が湖中に建ち、安芸の「厳島神社」をほうふつさせる。

     白髭神社鳥居。国道161号線をはさみ朱塗りの鳥居が湖中に建ち、安芸の「厳島神社」をほうふつさせる。

  •  白髭神社本殿。一名「比良大明神」ともいい猿田彦命を祀る。「白髭さん」「明神さん」の名で広く親しまれており、社名から延命長寿、長生きの神様として知られている。<br /> 近江最古の社で垂仁天皇25年皇女倭姫命により創建、皇室の崇敬も厚く、近江国の地主神とされが、広く信仰されるようになり、勧請、分祀が各地で行われるよになった。

     白髭神社本殿。一名「比良大明神」ともいい猿田彦命を祀る。「白髭さん」「明神さん」の名で広く親しまれており、社名から延命長寿、長生きの神様として知られている。
     近江最古の社で垂仁天皇25年皇女倭姫命により創建、皇室の崇敬も厚く、近江国の地主神とされが、広く信仰されるようになり、勧請、分祀が各地で行われるよになった。

  •  鵜川四十八体石仏。高さ1.6mの石仏群で、天文22年(1553年)観音寺城(安土)城主佐々木六角義賢が亡き母呉服御前の追善のため、対岸の地に(高島鵜川)に48体の阿弥陀如来座像を建立したと言われている。室町時代の作風で花崗岩質で個性溢れる表情をしており、48体のうち13体が大津市坂本の慈眼堂に移され、2体が行方不明となっており、33体がここに残っている。

     鵜川四十八体石仏。高さ1.6mの石仏群で、天文22年(1553年)観音寺城(安土)城主佐々木六角義賢が亡き母呉服御前の追善のため、対岸の地に(高島鵜川)に48体の阿弥陀如来座像を建立したと言われている。室町時代の作風で花崗岩質で個性溢れる表情をしており、48体のうち13体が大津市坂本の慈眼堂に移され、2体が行方不明となっており、33体がここに残っている。

  •  水尾(みお)神社。天平神護元年(765年)創建の古社。官幣大社。祭神は猿田彦命、天鈿女命の2神

     水尾(みお)神社。天平神護元年(765年)創建の古社。官幣大社。祭神は猿田彦命、天鈿女命の2神

  •  水尾神社庭園。境内より出た約2000個の石を組み合わせた純和風庭園で、信者の寄進によるものである。

     水尾神社庭園。境内より出た約2000個の石を組み合わせた純和風庭園で、信者の寄進によるものである。

  •  玉泉寺本堂。行基が天平年間に開いたと伝えられている。天台宗町内最古の寺院。

     玉泉寺本堂。行基が天平年間に開いたと伝えられている。天台宗町内最古の寺院。

  •  玉泉寺石仏。本堂前に静かにたたずむ5体の石仏「五智如来」室町時代の作と言われ、高さが1・4mから1・6mの仏像。

     玉泉寺石仏。本堂前に静かにたたずむ5体の石仏「五智如来」室町時代の作と言われ、高さが1・4mから1・6mの仏像。

  •  彦主人王御陵(ひこうしおうごりょう)。継体天皇の父、彦主人王の墓と伝える宮内庁管轄の陵墓。直径58mの二段築成の帆立貝式古墳であるが、もともとは円墳だったとの説もある。築造は5世紀後半と推定されている。

     彦主人王御陵(ひこうしおうごりょう)。継体天皇の父、彦主人王の墓と伝える宮内庁管轄の陵墓。直径58mの二段築成の帆立貝式古墳であるが、もともとは円墳だったとの説もある。築造は5世紀後半と推定されている。

  •  鴨稲荷山古墳。明治35年(1902年)県道改修工事の際、発見された未盗掘墳。全長60mの周濠を有する前方後円墳。後円部には横穴式石室が構築され大きな家形石棺が納められていた。副葬品には金銅製宝冠、金製耳飾、金銅装太刀等の遺物が収められていた。被葬者は6世紀の貴人で継体天皇を擁立した近江三尾氏の族長と推定されている。

     鴨稲荷山古墳。明治35年(1902年)県道改修工事の際、発見された未盗掘墳。全長60mの周濠を有する前方後円墳。後円部には横穴式石室が構築され大きな家形石棺が納められていた。副葬品には金銅製宝冠、金製耳飾、金銅装太刀等の遺物が収められていた。被葬者は6世紀の貴人で継体天皇を擁立した近江三尾氏の族長と推定されている。

  •  海津天神社本殿。主祭神は菅原道真。1191年の勧請と伝えられている。<br /> 昔からの勅願所で130石を受けており、元亀2年(1571年)織田信長の兵火にあったが、天正4年に再興された。

     海津天神社本殿。主祭神は菅原道真。1191年の勧請と伝えられている。
     昔からの勅願所で130石を受けており、元亀2年(1571年)織田信長の兵火にあったが、天正4年に再興された。

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