1995/08/20 - 1995/08/20
12626位(同エリア14008件中)
52市村康さん
- 52市村康さんTOP
- 旅行記345冊
- クチコミ3件
- Q&A回答2件
- 478,671アクセス
- フォロワー7人
お盆も過ぎた8月20日、まだ暑い広島の街から外れて元宇品の木陰の海辺の道を走ってみた。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
-
古い建物を綺麗さっぱり整理して、古い橋も新しくしたので、77年に初めて学生時代に遊びに行った頃とは様変わりしている。
-
元宇品の山道を登って行く。この辺だけは木々の緑の木陰の中で、以前と変わらぬ雰囲気だ。
-
灯台の周辺も全然変わっていない。
-
灯台の説明文
-
灯台の根本にある銘文
-
灯台の横の楠も昔と変わらぬ姿で立っていた。
-
元宇品は公園地帯ではあるが、かつては帝国陸軍の船舶部隊の根拠地で、大陸や外地に出て行く兵士や物量を載せた輸送船がひしめき、元宇品の山も要塞化されており、一般市民は立ち入れない場所だったが、今は住宅もあり、小学校も出来ている。
畑を耕す人も居るようだ。 -
畑の上から似島が見える。
似島は陸軍の検疫所があった島で、外地から帰ってくる兵士は全てこの島で検疫を済ませて広島に上陸できる事になっていた。
1945年8月6日の原爆投下直後、被爆した人を乗せたはしけや太田川から流れてきた死者が似島におびただしく流れ着き、まるで橋がかかっているやうだったそうだ。 -
灯台から海岸まで、緑のトンネルをバイクで降りていく。
講義サボって自転車二人乗りで(こらこら)風を切って走り降りた日は遠くなった・・・ -
夜に車やバイクで入り込んで騒ぐ人がかつていたので夜間は立ち入り禁止。(住宅街なんで当然。)
-
小さな町工場や仕舞屋が並ぶ元宇品の街角。
いつもアイスクリームを買っていた店が跡形もなくなっていた・・・ -
海岸に出るあたりから、退避壕を埋めた跡が時々見える。
要塞地帯だったため、敗戦後入ってきた占領軍によって内部は徹底的に破壊され、埋めて蓋をされている。
緑のオアシスに残る戦争の傷跡。 -
元宇品は島なんで、本土と橋でつながっているが、当然周囲は海岸で砂浜や磯があり、釣りや海水浴をしたり広大ヨット部も艇庫を置いていて、広島の街の海遊びの拠点でもある。
-
水質は???だが、広島の街から歩いて泳いだり釣りしたりと、お金をかけずに気楽に遊びに行ける場所だ。
-
宇品港の港口が見える。
松山や能美や江田島や似島などへのフェリーや客船が前を通ると波がざぶんと来る。 -
満潮の時大きい船が通ると道が波を被るほどの場所で、緑の木陰もあり、投げ釣りやチヌ釣りやさびき釣りの人が春や秋のイイ季節の日曜は人が沢山来る。
-
広大ヨット部の艇庫
昼下がりには練習する学生の声がして、海面をディンギーが水澄ましのやうに滑っていた。
広大移転後、どうも閉鎖されたやうだが、95年当時はまだ訓練を続けていた。 -
夏休みも終わりごろ、近くから車で気軽に泳ぎに来る人がいる。
シャワーや脱衣所や売店などは無いが、気楽に海で遊べるのがイイ。リゾート逝ってよし。ブギャ〜〜!! -
また元宇品の細い道を引き返す。
町工場の錆びた屋根に、思わずバイクを止めて見入ってしまう。 -
橋を渡って宇品の線路を越えて海岸通りを北上していく。
かつて広大や県立女子大の学生の住むアパートが沢山あって、今も静かな住宅街だ。
千田町の大学からロードレーサーで走り抜け、行き付けのお好み焼き屋さんや激安ホルモン居酒屋「菊水」などに良く通ったが、もうその場所は今は無い。
元宇品の緑のトンネルを二人乗りで駆け下りた自転車は、大学に置いて行って、どうなったことやら・・・
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
20