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空から見たデリーは、大きな森が多く見られ緑の多さに驚かされる。空港からの道路も道幅も広く、大きな公園が各所にあり、クリケットや散歩をする人々が沢山見られる。しかし、オールドデリーにはスラム街もあり、雑踏のにぎわいは他に遜色しない。<br />

「西インドから北へ」? デリー

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2007/03/24 - 2007/03/25

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カンゲン

カンゲンさん

空から見たデリーは、大きな森が多く見られ緑の多さに驚かされる。空港からの道路も道幅も広く、大きな公園が各所にあり、クリケットや散歩をする人々が沢山見られる。しかし、オールドデリーにはスラム街もあり、雑踏のにぎわいは他に遜色しない。

  • ラクシュミー・ナラヤン寺院<br />1932年に建設されたヒンドゥー教の寺院、インドの財閥ビルラー家が出資したため別名を「ビルラー・テンプル」と呼ばれる。<br />ラクシュミーはお金と美の女神、ナラヤンはヴィシュヌ神の別名、他にも沢山の神々が祀られており、ヒンドゥー教のお祭りの期間で多くの参拝者が訪れていました。

    ラクシュミー・ナラヤン寺院
    1932年に建設されたヒンドゥー教の寺院、インドの財閥ビルラー家が出資したため別名を「ビルラー・テンプル」と呼ばれる。
    ラクシュミーはお金と美の女神、ナラヤンはヴィシュヌ神の別名、他にも沢山の神々が祀られており、ヒンドゥー教のお祭りの期間で多くの参拝者が訪れていました。

  • 現地の参拝者用の荷物預け所<br />外国人用は、寺院の中にあります。

    現地の参拝者用の荷物預け所
    外国人用は、寺院の中にあります。

  • インド門<br />高さ42m、第1次世界大戦で戦死した兵士の慰霊碑、インドがこの大戦に参戦した条件は、戦後イギリスからの独立でしたが、約束が果たされることがなく、独立したのは第2次世界大戦後の1947年8月15日でした。<br />

    インド門
    高さ42m、第1次世界大戦で戦死した兵士の慰霊碑、インドがこの大戦に参戦した条件は、戦後イギリスからの独立でしたが、約束が果たされることがなく、独立したのは第2次世界大戦後の1947年8月15日でした。

  • 広場でクリケットに興じる市民が<br />クリケットのワールドカップが開催中、連日テレビで放送していました。<br />インドチームの成績は芳しくなく、皆ごきげんななめです。

    広場でクリケットに興じる市民が
    クリケットのワールドカップが開催中、連日テレビで放送していました。
    インドチームの成績は芳しくなく、皆ごきげんななめです。

  • クリケットのバット(意外に重い)を振ってくれた少年<br />

    クリケットのバット(意外に重い)を振ってくれた少年

  • インド門から西へ2?、官庁街です。

    インド門から西へ2?、官庁街です。

  • クトゥブミナール前のレモンジュース屋さん<br />

    クトゥブミナール前のレモンジュース屋さん

  • チケット売り場<br />

    チケット売り場

  • 『デリーのクトゥブミナール』(世界遺産:233 1993年)<br />ミナールとは、ミナレットのことで、本来はイスラム教の礼拝の呼びかけを行う場所、この高さ72.5mの塔は、ヒンドゥー教に対するイスラム教の「勝利の塔」です。<br />周囲のモスクも元々ヒンドゥー教寺院だった石材が壊され、使用されているために、偶像崇拝を禁止しているイスラム教ではあり得ない、動物や神々の彫刻が残っております。

    『デリーのクトゥブミナール』(世界遺産:233 1993年)
    ミナールとは、ミナレットのことで、本来はイスラム教の礼拝の呼びかけを行う場所、この高さ72.5mの塔は、ヒンドゥー教に対するイスラム教の「勝利の塔」です。
    周囲のモスクも元々ヒンドゥー教寺院だった石材が壊され、使用されているために、偶像崇拝を禁止しているイスラム教ではあり得ない、動物や神々の彫刻が残っております。

  • モニュメント

    モニュメント

  • アラーイーの塔<br />クトゥブより高い塔を建てようとしたが取り止めになりました。

    アラーイーの塔
    クトゥブより高い塔を建てようとしたが取り止めになりました。

  • ヒンドゥー教寺院の跡<br />

    ヒンドゥー教寺院の跡

  • ターバンを巻いているのはスィク教徒です。

    ターバンを巻いているのはスィク教徒です。

  • 彫刻の顔は壊されています。

    彫刻の顔は壊されています。

  • 南インドから来られた観光客

    南インドから来られた観光客

  • ベンチに座っていたらリスが近づいてきました。<br />

    ベンチに座っていたらリスが近づいてきました。

  • フマユーン廟で<br />POLICE

    フマユーン廟で
    POLICE

  • 『デリーのフマユーン廟』(世界遺産:232 1993年)<br />ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの死後、妃のハージ・ベグムにより建設され7年後の1563年に完成。約100年後のタージ・マハル建設にも大きな影響を与え、尖塔型のアーチの多用やチャハルバーグ(四分庭園)など、インド初期ムガール建築の代表作。1858年、18代皇帝バハードゥール・シャー2世は、この廟内でイギリスに捕らえられムがル帝国は滅亡しました。<br />

    『デリーのフマユーン廟』(世界遺産:232 1993年)
    ムガール帝国の第2代皇帝フマユーンの死後、妃のハージ・ベグムにより建設され7年後の1563年に完成。約100年後のタージ・マハル建設にも大きな影響を与え、尖塔型のアーチの多用やチャハルバーグ(四分庭園)など、インド初期ムガール建築の代表作。1858年、18代皇帝バハードゥール・シャー2世は、この廟内でイギリスに捕らえられムがル帝国は滅亡しました。

  • 入口を入ると両側に庭園があります<br />

    入口を入ると両側に庭園があります

  • モニュメント

    モニュメント

  • 中央のドームの白大理石と、建物の赤色砂岩のコントラストが美しい<br />庭園は、チャハルバーグ(四分庭園)

    中央のドームの白大理石と、建物の赤色砂岩のコントラストが美しい
    庭園は、チャハルバーグ(四分庭園)

  • 基壇の登り口の尖状アーチ

    基壇の登り口の尖状アーチ

  • 廟の中央、一階の白大理石の間にある、模棺(セノターフ)<br />地下7mに正式の墓室があり、フマユーン帝の遺体が安置されている

    廟の中央、一階の白大理石の間にある、模棺(セノターフ)
    地下7mに正式の墓室があり、フマユーン帝の遺体が安置されている

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