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【行程】 <br />4/28 (土) JL/AZ4017 成田16:30&#8212;22:00MXP  <br />4/30(月) MA415 MXP20:05&#8212;21:45 BUD<br />5/3(木)MA520 BUD 07:50&#8212;09:40FRA<br />    Frankfurt 11:04 --- 13:53 Rothenburg<br />5/5 (土) Rothenburg 8:20&#8212;10:41 Frankfurt<br />JL408 FRA 20:50---16:05+1 成田<br /><br />【費用】<br />?	(AKL&#8212;) NRT ---MXP // FRA---NRT <br />(NRT&#8212;AKL) C:class/RT  @ 5600NZ$<br />?	MXP&#8212;BUD @21000JP\<br />?	BUD&#8212;FRA  @21000JP\<br />? Frankfurt ---Rothenburg 2nd/ RT @ 114DEM<br /><br />【宿泊費】<br />Villa Crespi  @ 650,000 Lit x2<br />InterConti Budapest  @ 430 DEM x3<br />(SixContinentClub特典Danube-viewに upgrade )<br />BURG Hotel  @ 320 DEM x2<br />【為替レート】<br />1Lit= 1/17円  1forint=0.54円  1 DEM=56円 <br /><br />私の母はこの4月25日で79歳になる。 数えで云えば80で、もう大変、おばあさんの年齢だ。喜寿の祝いを迎えようとした時も大袈裟な事は嫌い!<br />まだオバアサンを認めたくないとで、何もせずに来ている。でも 毎週「世界不思議発見」は欠かさずに観て、まだまだ世界への好奇心は衰えていない。<br /><br /><br />しかし 階段の昇り降りは困難で、国内旅行も最近した事がない。ましてや長い時間、飛行機に揺られての海外旅行は、もう無理だという。 <br />母はこれまで欧州5回、オセアニアに2回、北米ハワイ1回、香港3回、そしてハバロフスクからサマルカンドを経てレニングラードまでも横断していて、結構 蛙の親は蛙なのだ。<br /> 昨年は母も心労の多い1年だった。それで ちょとばかり親孝行したくて尋ねてみた、、<br />「 何処か行ってみたいとこ ないの?  」 <br />「兼高かおる がねぇ、、今までたくさん旅をしたけど,又訪ねてみたい都市は案外少ないって、でも、 ドナウの真珠と詠われた、あの街だけは特別だって、、<br />    だから ブタペストを見てみたい  」<br /> <br />池波正太郎に「いい匂いのする一夜」という惚れ惚れするような紀行文がある。働きっぱなしで駆けてきた老作家へのご褒美になった、あのオンゼンの一夜のような愉しい思い出を母にも味合わってほしい。欧州の深い滋味を堪能して、それでいて身体に負担をかけないような旅の計画を私は考え始めた。<br /> <br />ポリシーを挙げると、、 <br />A. 母が疲れないような行程と手段:<br />日程はハイライト三泊を真中にして、日欧間の移動の直後、直前には二泊づつのんびり型滞在を配す。移動手段は老体への負担を極力、軽減する為にCクラス席や、ハイヤー車の利用を必要経費と考える。<br />B. そこに住む人たちこそが愉しんでいて、観光客はお邪魔します、、と腰を低くして入るような街 を訪ねる(萩や津和野のような、、)、<br />C.  大勢の客をとらず、宿のスタッフと等身大で接しられるような旅籠を捜す(俵屋のような)、<br />D. そして、その宿で一番の「眺めのよい部屋」に泊まる事。(階段を避ける、バスタブもゆったり)<br /><br />旅の最初はイタリアから<br />12時間の長旅を経てきた後はなるべく早く宿に着きたい。 それも大都市ではなく、田舎の村に荷を下ろし、、朝 鳥の囀りで目覚め、疲れた体や体内時計の時差などを、爽やかな大気を浴びながら調整して行きたい。 そんな稀有な望みが適えられそうかな? と期待して欧州入りの地をイタリア・ミラノのマルペンサ空港に選んだ。  <br /> <br /><br />アリタリア航空が他の欧州キャリアとの競争で放ったアドバンテージがこの準ファーストクラスであるMagnifica Classの設定である。 他社がF、C、Yという設定に対し、AZはこのF席をC席として売っているのである。JLのミラノ線は現在 AZとのコードシェア便で、機材乗員はAZ主体なので、JL指定の今回のCクラス航空券でも利用する事が出来た。<br />座席はすぐ睡眠できるように、アッパーデッキ(左右2席x3列 合計わずか12席)左奥の2席をアサインした。 シックな座席は、ほぼフルフラットになり、料理、アメニティキットも洗練されていて、 帰路に乗ったJLのファーストクラスと比較しても、遜色のないサービスだった。 <br /><br />Villa Crespi (ヴィラ・クレスピ)<br />イタリア北部の湖水地方は世界のリゾート地の中でも出色の一帯である。美しい湖畔を緑と典雅な別荘(それも欧州王侯達の豪壮な洋館たち)が点在し遥かにアルプスの山々を眺望できる。 加えて食材やワインにも恵まれ、アクセスも便利である。 、、、 しかし、一箇所だけ、公共交通機関でのアクセスがなく、B級トラベラーの私を拒んでいた湖があった。その名はオルタ湖。イタリア語では Lago d,ORTAという。 緑のミシュランの巻頭口絵を飾っているランドマークである。 訊けば独コール前首相や英サッチャー前首相も夏のバカンスはそこで過ごすという。 マルペンサから北西40キロにあり、 小村ながらも、訪れるべき!三ツ星の栄誉に輝いている。<br /><br />次に赤いミシュランを読むと、小さな村なのに赤字で特記されたホテルがある。客室数わずか14室だが、併設のレストランは堂々星付きである。 Fodor,sを読むと決してスノッブな宿でなく、経営者や従業員のもてなしにも好感が持てたので    <br />e-mailで予約してみると、半年も前なのに、すでに希望の部屋は予約済みであった。 そこで 清水から飛び降りる思いで天蓋寝台とジャグジーバス付きというKing Suites 室料650,000リラ という恐るべき0の多い部屋を予約してしまった。<br /> <br />4月28日 夜10:00PM マルペンサ空港の車寄せに Welcome Mr Yashimaのボードを見つけ、送迎のリムジンに乗り込んだ。暗く静まる北イタリアの道を疾走すること45分、途中、高速道路も通って、母がこっくりこっくりしはじめた頃、車は夜空にライトアップされて堂々と建つ Villa Crespiに到着した。 <br /><br /><br />オルタ湖 <br />小鳥たちの囀りが周囲の森から聞こえてくる。もう起きてもいい時刻だろうか? 暗い室内を探って赤いベルベットのカーテンの隙間から首を出すとホテルの森の向こうの朝靄の中に、オルタ・サンジュリオ島が幻想的に浮かんでいた。<br />    <br />(写真:聖なる山からみたオルタ・サンジュリオ)<br /><br />母も起きてきて、ジャグジーに浸かり、疲れた身体をほぐしている。 8時になって朝食に下りる。(私達の部屋は3階、天守閣のような最上階の展望室は6階にある。) 料理宿だけあって、パンや玉子料理にも手が込んでいて、とても、おいしい朝食だった。いい宿を選んだなあと実感するのはこんな時である。前夜 応対してくれた、コンシェルジェのミケーラ嬢がもう出勤している。滞在中の予定について丁寧にアドバイスをしてくれた。 <br /><br />まず サクロモンテ(聖なる山)という信仰所に車で向かう。ここからの眺めは息を呑むようだ。バシリカ内のマドンナ像の静謐さもあって、イタリア人の巡礼の地になっている。そこから急勾配の石畳の坂道を私は歩き、足の不自由な母は信仰所のミニバンに同乗させてもらい、湖畔までおりた。<br /><br /><br />湖畔の中心部には狭い路沿いに様々な店が小粋な店構えで並んでいた。サラミがこの地方の名物らしく店先に暖簾のようにぶら下がっている。 ミケーラ嬢から渡された地図を便りに1軒の酒屋に入った。実は予め、ひと月位前から、ヴィラ・クレスピのソムリエに希望を伝えて、入手困難なピエモンテ州ランゲ丘陵のワイン達を捜して貰っていたのである。   <br />1997年(イタリアワイン20世紀最高のビンテージと評される)のワインはまだ市場に出始めたばかりで、4月の時点で入手出来る範囲で最良のセレクションをお願いしておいた。<br />イタリアワイン愛好家  垂涎の収穫品<br />1. Barbaressco  GAJA  97 @ 280,000 Lit x3<br />2. Brunello Montalcino 95 @180,000 Lit x 3<br />3. Barolo Borrgogno 90 @160,000 Lit x2 <br />4. Barolo Enrico 97 @85,000 Lit x1<br />5. Barolo Bussia Pronotto 97 80,000 Lit x3<br /><br />以上12本を検めて合計1,665,000リラを支払い、 丁寧に木箱に梱包をしてホテルに届けて貰った。<br />2018年 息子が成人した時 彼と同じ年月を生きて来た、これらのワインの栓を開けるつもりだ。 <br />その時 深い眠りから覚めた円熟のワインを飲んで、息子と私は何を語りあうのだろう?<br /> <br /> 村に数台しかないタクシーで宿まで戻った。 湖畔沿いの路は車が1台やっと通れる狭さなので、対向車が来ると往生する。が、そこは慣れているらしくなんとかスムーズにさばいている。 丹後半島の伊根町も丁度こんな具合である、この地球にはもう1つこんな町があるのだろうかと思った。 宿に帰り、湖を見下ろす広大な庭に出た。 白いサンデッキを緑の芝生に置いて寝転んだ。母がこんなにリラックスするのも珍しかった。突然の夕立に起こされるまで午睡を取った。部屋に戻り母はまたジャグジーに浸かってから、ドレスを着て食堂に下りた。<br /> <br />(ミシュランの星を取ったリストランテの食卓)<br /> 7:30PMではまだ私達が最初だったが、それからどんどん客が入って来て(半分はトリノやミラノ<br />から、 わざわざ、ここに食事に来た人達だそうだ) 東京ではこんな正餐に接する機会も無いので奮発して、いろんな皿を少しずつ味わえるデギュスタシオン(お好み盛り合わせ)を選んでみた。<br /> Gourmet Menu  @ 130,000 Litの献立<br />前菜:ロブスターのキャビア添え アボカドソース<br />1の皿:鳩の胸肉とアスパラガスのリゾット<br />2の皿:マグロのステーキ レモンソース<br />3の皿:子牛の炒め物<br />ピエモンテ州のチーズ<br />果物のソルベ<br />焼き立てアップルパイ 林檎のアイスクリーム添え<br />1つ1つの皿に料理人の細やかな技があり、地元のスプマンテを飲みながら、心ゆくまで、このサボィワ風の食の芸術を堪能した夜だった。<br /><br />翌日 頼んでいた車に乗ってマッタローネ山を越えて向う側のマッジョーレ湖に出かけた。 山頂にはまだ雪が残っていた。 ここは冬はスキー場として賑わうらしい。 ストレーザ側に降りてくる内にマッジョーレ湖のダイナミックな景色が見えてきた。<br /><br /> この湖 私は4度目であるが、自然の中に人の創造物が調和して、つくづく、こんな美しいところはこの地球でもあまりないと思う。北はスイスにまで連なる広大な湖に浮かぶ島々、とりわけイゾラ、ベッラ(美しき島)を訪れてみれば、誰しも同様の感想を持つだろう。 母も「こんな所が地球にはあるのねえ」と感嘆していた。 私達は島巡りを愉しんだ後、湖沿いの道を南下しマルペンサ空港に着いた。黄昏の中、離陸したマレブハンガリー航空機は1時間40分後にフェリヘジ国際空港に着陸した。<br />こうして 母は念願のブダペストに降り立った。<br /><br />空港からエアポートミニバスというワゴンに乗って30分でインターコンチネンタルホテルに着いた。<br />SixContinentsClubという同ホテルのメンバーになっていたので、最上階の会員専用階にアップグレードされていた。「 831号室からはドナウ川と王宮がとても見晴らし良いですよ」とボーイのお愛想に気を良くして部屋に入る。カーテンを開けるとそこには母が一番見たかった眺めが私達を待っていた。<br /> <br /><br />世界遺産 ホッロッケー <br /> Holloko 正確には2つ目のoの上にスラッシュ1つ、3つ目のoにはスラッシュ2つがついて、発音はホッローケーと呼ぶ。ハンガリーに4つある世界遺産でもブタペストの王宮と並んで1987年から文化遺産に指定されている。 しかしアクセスはとても不便なので車をチャーターして行ってみた。<br />やって来たガイドは Turkan Zoltanさんという43歳の大きな体格に柔和な顔の人だった。 ハンガリー人は遠い昔、 我々モンゴロイドと共通のルーツを持った民族で、彼の姓はテゥルカンで名がゾルタンと読む。 なあんだ ゾルタン って、、「ゾルタン・コダーイ」我々が一番知っているハンガリアンの名を出すと、又云われたって感じで、自分から復唱した。 彼のベンツに乗って1時間半でスロバキアとの国境に近い ホッロッケーに到着した。<br />この村はその辺鄙な不便さ故、近代化の波から取り残されて18世紀の素朴な農民の生活様式が残されている。言わばハンガリーの妻籠宿のようなもんと解釈した。 といっても拍子抜けする位の簡素な佇まいである。ごろごろの石畳の道をのんびり歩く事10分でもう終わってしまう。 「えー、たったこれだけ、、」ていうのが大勢の人の率直な感想であろう。<br />たぶんユネスコの世界遺産としてはもっとも面積の小さい指定ではないだろうか? <br /> <br /> 昼食を村一番の店でとった。 母とゾルタンさんは、ハンガリー名物のグヤーシュ(牛肉とジャガイモを煮込んでパプリカで味付けしたスープ)を私は夏の味覚の、さくらんぼの冷製スープを頼んだ。<br />グヤーシュはその土地なりで味付けが違うそうで、ゾルタンさんもここのスープは美味しいと云っていた。主菜のウインナシュニッツェル、それに飲物とと併せ三人で1800円位払った。<br /> <br />アールヌーボーの巧み<br />オーストリア・ハンガリー二重帝国の権勢はこの都にも時代の遊びたる建築を残している。 その最たるものが、レヒネル・エデンが設計した、この工芸美術館だ。 収蔵物はあまり、そそらないのだが、この内装だけは、真っ白いケーキの内側に潜り込んだような幻覚に襲われて、気分は「不思議の国のアリス」なのである。<br /><br />ゲレルト温泉<br /> 私はブタペストは二回目である。 1回目はチェルノブイリ事故の4日後にその事故など全く知らないまま、ドナウの都に入り、一遍で気に入ってしまったのである。 その時、一番のお気に入りがトラムに乗って行った豪壮なゲレルト温泉だった。   <br />母は行かないというので、朝早く起きて、7時の開館と同時に入り、1番風呂を愉しんだ。風呂好きとしてはもう溜まりませんデス。 インターコンチも最高ですが、こっちに泊まると部屋からバスローブのまんまエレベーターで直接ここに来れるので、温泉好きならば迷わず選ぶ名湯旅館だと思います。<br /> <br />貴族の買物 庶民の買物<br />14年前に来た時には、当時の東ドイツ下のドレスデン近郊のマイセンで虎の子を叩いて赤龍の大皿とデミタスカップを手に入れた。その散財でヘレンドを買えなかったのである。今度こそと意気込んでヴァーツィ通りにあるHerendの本店に行く。母も一番楽しみにしていた買物であった。 <br />しかしあまり気に入ったものが見つからなかった。<br />そこからトラムに乗って中央市場に行った。19世紀建築の巧みが面白い、この市場はブダペスト市民の台所として一日中賑わっている。1階が食料品、二階では衣類や工芸品などを売っている。100軒もの店の中で1軒だけ、隣国の磁器を置いている店があり母はそこでレース文様の繊細な細工の磁器を見つけた。 ルーマニア製とかかれた、その絵付け白磁が思いのほか気に入って果物入れに合いそうな大ぶりの皿を2つ買い求めた。 1つ3800円位で値切ったのであるが、同様の細工物をドイツで見つけて値を確かめると6倍もしていたので驚いた。 <br /> <br />グンデルの晩餐       <br /> 28度にも上がった初夏の陽気に疲れて、宿に戻った。SixContinentsClubで喉を潤してから部屋に戻り、母は昼寝をする。夜はレストランには行きたくない、部屋でサンドイッチを作って食べ、ゆっくり過ごしたいという。せっかく予約したのに、と恨めしそうに私が言うが、厭だと云う。もう 旅の疲れもピークに来ている時かと思う。判ったと諦めて<br />私も昼寝をする。 2時間ばかし寝て大分身体も楽になったらしく、そんなに言うのならレストランに行こうと言う。 あー、キャンセルしないで良かったと思いつつも、こういう時、我乍ら結構強引になっているのかなあ、、と自戒する。 <br /> <br />タクシーで10分あまりで黄昏に暮れなずむグンデルの懐かしい玄関に着いた。 14年前 この店で味わった感動は未だに愉しい思い出として残っている。 それで 母にもこの欧州でも指折りの名店に連れてきたかったのである。 7時半では客もまばらで、楽団にも近いL字コーナーの最上席に通された。SixContinentsClubのコンシェルジェに頼んだ時、母の80回目のアニバーサリーである事をグンデルの予約に伝えておいて欲しいと申し沿えていたのが功を奏したみたいだ。 すぐにシャンペンが振舞われてメニューを紐解く。またデギュスタシオンを選んだ、相応しいワインも1杯づつ付くのも嬉しい。 <br />Menu of the new MILLENNIUM の献立@ 14000 forint <br /> <br />(先附け:スプーン一杯のベルーガキャビア)<br /> <br />(前菜:スモークサーモン、旬のアスパラガス添え)     <br /> <br />(生フォアグラのソテー グンデルスタイル)<br /> <br />(クネル入りのコンソメスープ 絶品!)<br /> <br />(子羊の香草焼き 温製野菜添え)<br />この後チーズ少々 ( Brie de Meux, GORGONZOLA )<br /> <br />(メープル・スフレ 木の実タルト マコロン)<br />サーブされたワイン<br />先附: シャンパン ヴーブクリコ<br />前菜: 白ワイン Chardonnay 99 で<br />フォアグラ: 赤ワイン Cabernet Sauvgnon 98で<br />子羊:    赤ワイン Bikaver 97で<br />デザート:  5年物のトカイワインで<br /><br />バイオリン弾きが母の横まで来て、ハンガリーラプソディなどの名曲を奏でてくれる。その粋な演出にも酔いながら、このフルコースを最期の皿までゆっくりと味わった。 高い、高慢と何かと批判もされる老舗ではあるが、この夜のサービスや料理を味わう限りでは ブダペストで最高のレストランとの栄誉を贈りたいと思った。<br /><br />フランクフルト空港駅<br />翌朝 7:50ブダペストを飛び立ったマレブはフランクフルト空港のターミナル2に9:40に到着した。 2日後出発するJL便もこちらのターミナル2なので、空港のBaggage Depositに重たい荷物を預けて、身軽にした。 そこからSkytrainというモノレールでターミナル1に向かう。 そこの地下にフランクフルト空港駅 (Frankfurt-Flughafen Fernbf)がある。 TravelCenterというみどりの窓口でローテンブルグまでの往復切符をVISAカードで求める。 切符は2人、往復が記載された1枚の航空券大の紙である。 行きと帰りの時間を告げると、乗り継ぎ駅の時刻、プラットフォームの番号まで記した旅程表をプリントアウトしてくれる。さすがドイツの国鉄である。<br /><br />ローテンブルグに着きました。<br /> <br />フランクフルトから2回乗り換えて、2時間弱でローテンブルグ・タウバーの駅に着く。この駅は観光地の町からはチョット離れている。観光客から遠ざけて、駅前には去年、地元民の為の二階建ての巨大なスーパーマーケットが出来ていた。 ドイツではレストランにいくよりもハム、ソーセージやチーズ、果物を買って部屋で味わえればと考えていたので、ホテルには食卓の付いている部屋を予約していた。 それで 食料品売り場でハムの煮こごりや、キリッシュ、それにパン、果物、固形スープなどを調達し、私達親子はスーツケースの代わりに、スーパーの袋をぶら下げてロマンチック街道に入った。<br /><br />ブルグホテル <br />凛とした美しさを漂わせたマダムに応対されて、<br />私達は二階のジュニア・スイートに通された。<br />半年前にマダムと相談して決めておいた部屋である。窓の向こうには新緑の中にレンガ色の集落も散見されるタウバー渓谷の雄大な眺めがあった。<br /><br />「イタリアもブダペストも良かったけど、ここも<br />それとまた違う良さがあるねえ、、。」と母も満足の様子である。 よかった、よかった。<br /><br /><br />ドイツは朝飯が美味い。 <br /> ドイツ人は昼食が主餐で、その次が朝飯なのではないか? と思う。29年前にホームスティした家のムッター(お母さん)は陽が暮れるまえに、火も落とし、冷たい食材でひっそりと夕食をスマセテいたものに引き換え、朝食はたっぷりとしていた。<br /> 朝 食堂に入ると、白いテーブルクロスの食卓には一つ、一つ蝋燭が灯されている。 ビュッフェには新鮮な果物、ハム・ソーセージの他鰊やサーモンの燻製、それに独仏のチーズが眼も鮮やかに並び、パンも焼きたてを近所から取り寄せていた。<br />外のテラスで食べると タウバー渓谷の景色が緑色のテーブルクロスになって、ピンク色のサーモンや、フルーツサラダがお花畑のように映えていた。母はそんな風景を前に、ゆっくりと朝食を愉しんだ。<br /><br /><br /><br /><br />聖ヤコブ教会でのオルガンの夕べ<br /> 夜9時からオルガンコンサートがあるので<br />一人で行ってみた。 内容は現代音楽で、冷えた回廊にアバンギャルドな旋律が流れた。教会がこのように実験的演奏にも寛容なのはプロテスタント故かドイツ人故か判らないが、演奏よりもそのリベラリズムに一番感心を覚えた一夜であった。<br /><br /><br />ザンクトハクセンの蚤の市 <br />毎週土曜日の午前中に開かれているフランクフルトの蚤の市に折角だから行ってみようと、早起きして、フランクフルトに戻りました。 市はマイン川沿い ザンクトハクセンと呼ばれる一帯に1kmの長さで露台が並んでいて、たくさんの人々で賑わっていました。 トルコ移民も多いので、シシカバブの露店が香ばしい匂いを漂わせていました。 この辺りは美術館が多く並び、昔、来たイコン美術館も在りました。それからスーパーで煮こごりなどの食料品を調達して早めに空港に向かいました。<br /><br />JALのファーストクラス <br />ゆっくりと寝てかえるだけの帰路でしたが、思わぬ、厚遇を得て、私達はCクラスからFクラスにアップグレードしてもらえました。 <br />そこで、、「あのカーテンの向うの人達は一体どんなモノ食べてるんだろう?」といった いつも抱えていた疑問に答える為、その時 私達が食べた献立を書き留めてみました。<br />JAL408便 5 May 2001 First Classの機内食<br />夕食: 和食を選んだ。 お酒は菊姫の大吟醸で<br />先附 セブルーガ・キャビアとスモークサーモン<br />前菜 烏賊けんちん巻き、筍 土佐造り<br />椀  飛龍頭仕立て <br />向付 鮪 平造り、いずみ鯛 浅月巻き<br />煮物 玉子豆腐 海老と雲丹蒸し添え<br />酢の物 もずく 土佐酢漬け<br />台の物 黒鯛 胡麻豆腐蒸し<br />ご飯 味噌汁 香の物<br />水菓子(叶 匠壽庵製)<br />緑茶<br /><br />間食:下記から選べる<br />お茶漬け うなぎ時雨ごはん 手巻き鮨<br />鰊蕎麦 ラーメン ビーフシチュー 他<br />朝食:<br />納豆 太刀魚塩焼き 厚焼き玉子 明太子 <br />白粥 味噌汁 果物 紅茶<br /><br />無事 帰宅して<br />ワイン16本の入ったスーツケースもオルタ湖の酒屋が用意してくれた頑丈な木箱に守られて、1本も破損せずに届きました。息子への鳩時計も、隣家への胡桃のタルトも、母が骨董店で見つけた1920年代の黒い刺繍のドレス達も、。 そしてモノには換えられない、たくさんの愉しい思い出を心に刻んで、懐かしき我家に帰宅しました。天候にも大方恵まれ、宿も食事も期待以上に素晴らしく、9日間の長旅から無事戻ってくる事が出来ました。 母へのご褒美の旅を応援してくれた方々と旅路の安全を見守ってくれた神様に、感謝を覚えました。<br /><br /><br />

眺めのよい部屋 への旅

2いいね!

2001/04/28 - 2001/05/05

2637位(同エリア3205件中)

3

0

bloom3476

bloom3476さん

【行程】 
4/28 (土) JL/AZ4017 成田16:30—22:00MXP
4/30(月) MA415 MXP20:05—21:45 BUD
5/3(木)MA520 BUD 07:50—09:40FRA
    Frankfurt 11:04 --- 13:53 Rothenburg
5/5 (土) Rothenburg 8:20—10:41 Frankfurt
JL408 FRA 20:50---16:05+1 成田

【費用】
? (AKL—) NRT ---MXP // FRA---NRT
(NRT—AKL) C:class/RT @ 5600NZ$
? MXP—BUD @21000JP\
? BUD—FRA @21000JP\
? Frankfurt ---Rothenburg 2nd/ RT @ 114DEM

【宿泊費】
Villa Crespi  @ 650,000 Lit x2
InterConti Budapest @ 430 DEM x3
(SixContinentClub特典Danube-viewに upgrade )
BURG Hotel @ 320 DEM x2
【為替レート】
1Lit= 1/17円 1forint=0.54円 1 DEM=56円 

私の母はこの4月25日で79歳になる。 数えで云えば80で、もう大変、おばあさんの年齢だ。喜寿の祝いを迎えようとした時も大袈裟な事は嫌い!
まだオバアサンを認めたくないとで、何もせずに来ている。でも 毎週「世界不思議発見」は欠かさずに観て、まだまだ世界への好奇心は衰えていない。


しかし 階段の昇り降りは困難で、国内旅行も最近した事がない。ましてや長い時間、飛行機に揺られての海外旅行は、もう無理だという。 
母はこれまで欧州5回、オセアニアに2回、北米ハワイ1回、香港3回、そしてハバロフスクからサマルカンドを経てレニングラードまでも横断していて、結構 蛙の親は蛙なのだ。
 昨年は母も心労の多い1年だった。それで ちょとばかり親孝行したくて尋ねてみた、、
「 何処か行ってみたいとこ ないの?  」 
「兼高かおる がねぇ、、今までたくさん旅をしたけど,又訪ねてみたい都市は案外少ないって、でも、 ドナウの真珠と詠われた、あの街だけは特別だって、、
    だから ブタペストを見てみたい  」
 
池波正太郎に「いい匂いのする一夜」という惚れ惚れするような紀行文がある。働きっぱなしで駆けてきた老作家へのご褒美になった、あのオンゼンの一夜のような愉しい思い出を母にも味合わってほしい。欧州の深い滋味を堪能して、それでいて身体に負担をかけないような旅の計画を私は考え始めた。
 
ポリシーを挙げると、、 
A. 母が疲れないような行程と手段:
日程はハイライト三泊を真中にして、日欧間の移動の直後、直前には二泊づつのんびり型滞在を配す。移動手段は老体への負担を極力、軽減する為にCクラス席や、ハイヤー車の利用を必要経費と考える。
B. そこに住む人たちこそが愉しんでいて、観光客はお邪魔します、、と腰を低くして入るような街 を訪ねる(萩や津和野のような、、)、
C.  大勢の客をとらず、宿のスタッフと等身大で接しられるような旅籠を捜す(俵屋のような)、
D. そして、その宿で一番の「眺めのよい部屋」に泊まる事。(階段を避ける、バスタブもゆったり)

旅の最初はイタリアから
12時間の長旅を経てきた後はなるべく早く宿に着きたい。 それも大都市ではなく、田舎の村に荷を下ろし、、朝 鳥の囀りで目覚め、疲れた体や体内時計の時差などを、爽やかな大気を浴びながら調整して行きたい。 そんな稀有な望みが適えられそうかな? と期待して欧州入りの地をイタリア・ミラノのマルペンサ空港に選んだ。  


アリタリア航空が他の欧州キャリアとの競争で放ったアドバンテージがこの準ファーストクラスであるMagnifica Classの設定である。 他社がF、C、Yという設定に対し、AZはこのF席をC席として売っているのである。JLのミラノ線は現在 AZとのコードシェア便で、機材乗員はAZ主体なので、JL指定の今回のCクラス航空券でも利用する事が出来た。
座席はすぐ睡眠できるように、アッパーデッキ(左右2席x3列 合計わずか12席)左奥の2席をアサインした。 シックな座席は、ほぼフルフラットになり、料理、アメニティキットも洗練されていて、 帰路に乗ったJLのファーストクラスと比較しても、遜色のないサービスだった。 

Villa Crespi (ヴィラ・クレスピ)
イタリア北部の湖水地方は世界のリゾート地の中でも出色の一帯である。美しい湖畔を緑と典雅な別荘(それも欧州王侯達の豪壮な洋館たち)が点在し遥かにアルプスの山々を眺望できる。 加えて食材やワインにも恵まれ、アクセスも便利である。 、、、 しかし、一箇所だけ、公共交通機関でのアクセスがなく、B級トラベラーの私を拒んでいた湖があった。その名はオルタ湖。イタリア語では Lago d,ORTAという。 緑のミシュランの巻頭口絵を飾っているランドマークである。 訊けば独コール前首相や英サッチャー前首相も夏のバカンスはそこで過ごすという。 マルペンサから北西40キロにあり、 小村ながらも、訪れるべき!三ツ星の栄誉に輝いている。

次に赤いミシュランを読むと、小さな村なのに赤字で特記されたホテルがある。客室数わずか14室だが、併設のレストランは堂々星付きである。 Fodor,sを読むと決してスノッブな宿でなく、経営者や従業員のもてなしにも好感が持てたので    
e-mailで予約してみると、半年も前なのに、すでに希望の部屋は予約済みであった。 そこで 清水から飛び降りる思いで天蓋寝台とジャグジーバス付きというKing Suites 室料650,000リラ という恐るべき0の多い部屋を予約してしまった。
 
4月28日 夜10:00PM マルペンサ空港の車寄せに Welcome Mr Yashimaのボードを見つけ、送迎のリムジンに乗り込んだ。暗く静まる北イタリアの道を疾走すること45分、途中、高速道路も通って、母がこっくりこっくりしはじめた頃、車は夜空にライトアップされて堂々と建つ Villa Crespiに到着した。


オルタ湖 
小鳥たちの囀りが周囲の森から聞こえてくる。もう起きてもいい時刻だろうか? 暗い室内を探って赤いベルベットのカーテンの隙間から首を出すとホテルの森の向こうの朝靄の中に、オルタ・サンジュリオ島が幻想的に浮かんでいた。
   
(写真:聖なる山からみたオルタ・サンジュリオ)

母も起きてきて、ジャグジーに浸かり、疲れた身体をほぐしている。 8時になって朝食に下りる。(私達の部屋は3階、天守閣のような最上階の展望室は6階にある。) 料理宿だけあって、パンや玉子料理にも手が込んでいて、とても、おいしい朝食だった。いい宿を選んだなあと実感するのはこんな時である。前夜 応対してくれた、コンシェルジェのミケーラ嬢がもう出勤している。滞在中の予定について丁寧にアドバイスをしてくれた。 

まず サクロモンテ(聖なる山)という信仰所に車で向かう。ここからの眺めは息を呑むようだ。バシリカ内のマドンナ像の静謐さもあって、イタリア人の巡礼の地になっている。そこから急勾配の石畳の坂道を私は歩き、足の不自由な母は信仰所のミニバンに同乗させてもらい、湖畔までおりた。


湖畔の中心部には狭い路沿いに様々な店が小粋な店構えで並んでいた。サラミがこの地方の名物らしく店先に暖簾のようにぶら下がっている。 ミケーラ嬢から渡された地図を便りに1軒の酒屋に入った。実は予め、ひと月位前から、ヴィラ・クレスピのソムリエに希望を伝えて、入手困難なピエモンテ州ランゲ丘陵のワイン達を捜して貰っていたのである。   
1997年(イタリアワイン20世紀最高のビンテージと評される)のワインはまだ市場に出始めたばかりで、4月の時点で入手出来る範囲で最良のセレクションをお願いしておいた。
イタリアワイン愛好家  垂涎の収穫品
1. Barbaressco GAJA 97 @ 280,000 Lit x3
2. Brunello Montalcino 95 @180,000 Lit x 3
3. Barolo Borrgogno 90 @160,000 Lit x2 
4. Barolo Enrico 97 @85,000 Lit x1
5. Barolo Bussia Pronotto 97 80,000 Lit x3

以上12本を検めて合計1,665,000リラを支払い、 丁寧に木箱に梱包をしてホテルに届けて貰った。
2018年 息子が成人した時 彼と同じ年月を生きて来た、これらのワインの栓を開けるつもりだ。 
その時 深い眠りから覚めた円熟のワインを飲んで、息子と私は何を語りあうのだろう?
 
村に数台しかないタクシーで宿まで戻った。 湖畔沿いの路は車が1台やっと通れる狭さなので、対向車が来ると往生する。が、そこは慣れているらしくなんとかスムーズにさばいている。 丹後半島の伊根町も丁度こんな具合である、この地球にはもう1つこんな町があるのだろうかと思った。 宿に帰り、湖を見下ろす広大な庭に出た。 白いサンデッキを緑の芝生に置いて寝転んだ。母がこんなにリラックスするのも珍しかった。突然の夕立に起こされるまで午睡を取った。部屋に戻り母はまたジャグジーに浸かってから、ドレスを着て食堂に下りた。

(ミシュランの星を取ったリストランテの食卓)
 7:30PMではまだ私達が最初だったが、それからどんどん客が入って来て(半分はトリノやミラノ
から、 わざわざ、ここに食事に来た人達だそうだ) 東京ではこんな正餐に接する機会も無いので奮発して、いろんな皿を少しずつ味わえるデギュスタシオン(お好み盛り合わせ)を選んでみた。
 Gourmet Menu @ 130,000 Litの献立
前菜:ロブスターのキャビア添え アボカドソース
1の皿:鳩の胸肉とアスパラガスのリゾット
2の皿:マグロのステーキ レモンソース
3の皿:子牛の炒め物
ピエモンテ州のチーズ
果物のソルベ
焼き立てアップルパイ 林檎のアイスクリーム添え
1つ1つの皿に料理人の細やかな技があり、地元のスプマンテを飲みながら、心ゆくまで、このサボィワ風の食の芸術を堪能した夜だった。

翌日 頼んでいた車に乗ってマッタローネ山を越えて向う側のマッジョーレ湖に出かけた。 山頂にはまだ雪が残っていた。 ここは冬はスキー場として賑わうらしい。 ストレーザ側に降りてくる内にマッジョーレ湖のダイナミックな景色が見えてきた。

この湖 私は4度目であるが、自然の中に人の創造物が調和して、つくづく、こんな美しいところはこの地球でもあまりないと思う。北はスイスにまで連なる広大な湖に浮かぶ島々、とりわけイゾラ、ベッラ(美しき島)を訪れてみれば、誰しも同様の感想を持つだろう。 母も「こんな所が地球にはあるのねえ」と感嘆していた。 私達は島巡りを愉しんだ後、湖沿いの道を南下しマルペンサ空港に着いた。黄昏の中、離陸したマレブハンガリー航空機は1時間40分後にフェリヘジ国際空港に着陸した。
こうして 母は念願のブダペストに降り立った。

空港からエアポートミニバスというワゴンに乗って30分でインターコンチネンタルホテルに着いた。
SixContinentsClubという同ホテルのメンバーになっていたので、最上階の会員専用階にアップグレードされていた。「 831号室からはドナウ川と王宮がとても見晴らし良いですよ」とボーイのお愛想に気を良くして部屋に入る。カーテンを開けるとそこには母が一番見たかった眺めが私達を待っていた。


世界遺産 ホッロッケー 
 Holloko 正確には2つ目のoの上にスラッシュ1つ、3つ目のoにはスラッシュ2つがついて、発音はホッローケーと呼ぶ。ハンガリーに4つある世界遺産でもブタペストの王宮と並んで1987年から文化遺産に指定されている。 しかしアクセスはとても不便なので車をチャーターして行ってみた。
やって来たガイドは Turkan Zoltanさんという43歳の大きな体格に柔和な顔の人だった。 ハンガリー人は遠い昔、 我々モンゴロイドと共通のルーツを持った民族で、彼の姓はテゥルカンで名がゾルタンと読む。 なあんだ ゾルタン って、、「ゾルタン・コダーイ」我々が一番知っているハンガリアンの名を出すと、又云われたって感じで、自分から復唱した。 彼のベンツに乗って1時間半でスロバキアとの国境に近い ホッロッケーに到着した。
この村はその辺鄙な不便さ故、近代化の波から取り残されて18世紀の素朴な農民の生活様式が残されている。言わばハンガリーの妻籠宿のようなもんと解釈した。 といっても拍子抜けする位の簡素な佇まいである。ごろごろの石畳の道をのんびり歩く事10分でもう終わってしまう。 「えー、たったこれだけ、、」ていうのが大勢の人の率直な感想であろう。
たぶんユネスコの世界遺産としてはもっとも面積の小さい指定ではないだろうか? 

 昼食を村一番の店でとった。 母とゾルタンさんは、ハンガリー名物のグヤーシュ(牛肉とジャガイモを煮込んでパプリカで味付けしたスープ)を私は夏の味覚の、さくらんぼの冷製スープを頼んだ。
グヤーシュはその土地なりで味付けが違うそうで、ゾルタンさんもここのスープは美味しいと云っていた。主菜のウインナシュニッツェル、それに飲物とと併せ三人で1800円位払った。

アールヌーボーの巧み
オーストリア・ハンガリー二重帝国の権勢はこの都にも時代の遊びたる建築を残している。 その最たるものが、レヒネル・エデンが設計した、この工芸美術館だ。 収蔵物はあまり、そそらないのだが、この内装だけは、真っ白いケーキの内側に潜り込んだような幻覚に襲われて、気分は「不思議の国のアリス」なのである。

ゲレルト温泉
 私はブタペストは二回目である。 1回目はチェルノブイリ事故の4日後にその事故など全く知らないまま、ドナウの都に入り、一遍で気に入ってしまったのである。 その時、一番のお気に入りがトラムに乗って行った豪壮なゲレルト温泉だった。   
母は行かないというので、朝早く起きて、7時の開館と同時に入り、1番風呂を愉しんだ。風呂好きとしてはもう溜まりませんデス。 インターコンチも最高ですが、こっちに泊まると部屋からバスローブのまんまエレベーターで直接ここに来れるので、温泉好きならば迷わず選ぶ名湯旅館だと思います。

貴族の買物 庶民の買物
14年前に来た時には、当時の東ドイツ下のドレスデン近郊のマイセンで虎の子を叩いて赤龍の大皿とデミタスカップを手に入れた。その散財でヘレンドを買えなかったのである。今度こそと意気込んでヴァーツィ通りにあるHerendの本店に行く。母も一番楽しみにしていた買物であった。 
しかしあまり気に入ったものが見つからなかった。
そこからトラムに乗って中央市場に行った。19世紀建築の巧みが面白い、この市場はブダペスト市民の台所として一日中賑わっている。1階が食料品、二階では衣類や工芸品などを売っている。100軒もの店の中で1軒だけ、隣国の磁器を置いている店があり母はそこでレース文様の繊細な細工の磁器を見つけた。 ルーマニア製とかかれた、その絵付け白磁が思いのほか気に入って果物入れに合いそうな大ぶりの皿を2つ買い求めた。 1つ3800円位で値切ったのであるが、同様の細工物をドイツで見つけて値を確かめると6倍もしていたので驚いた。 

グンデルの晩餐
 28度にも上がった初夏の陽気に疲れて、宿に戻った。SixContinentsClubで喉を潤してから部屋に戻り、母は昼寝をする。夜はレストランには行きたくない、部屋でサンドイッチを作って食べ、ゆっくり過ごしたいという。せっかく予約したのに、と恨めしそうに私が言うが、厭だと云う。もう 旅の疲れもピークに来ている時かと思う。判ったと諦めて
私も昼寝をする。 2時間ばかし寝て大分身体も楽になったらしく、そんなに言うのならレストランに行こうと言う。 あー、キャンセルしないで良かったと思いつつも、こういう時、我乍ら結構強引になっているのかなあ、、と自戒する。 
 
タクシーで10分あまりで黄昏に暮れなずむグンデルの懐かしい玄関に着いた。 14年前 この店で味わった感動は未だに愉しい思い出として残っている。 それで 母にもこの欧州でも指折りの名店に連れてきたかったのである。 7時半では客もまばらで、楽団にも近いL字コーナーの最上席に通された。SixContinentsClubのコンシェルジェに頼んだ時、母の80回目のアニバーサリーである事をグンデルの予約に伝えておいて欲しいと申し沿えていたのが功を奏したみたいだ。 すぐにシャンペンが振舞われてメニューを紐解く。またデギュスタシオンを選んだ、相応しいワインも1杯づつ付くのも嬉しい。 
Menu of the new MILLENNIUM の献立@ 14000 forint

(先附け:スプーン一杯のベルーガキャビア)

(前菜:スモークサーモン、旬のアスパラガス添え)    

(生フォアグラのソテー グンデルスタイル)

(クネル入りのコンソメスープ 絶品!)

(子羊の香草焼き 温製野菜添え)
この後チーズ少々 ( Brie de Meux, GORGONZOLA )

(メープル・スフレ 木の実タルト マコロン)
サーブされたワイン
先附: シャンパン ヴーブクリコ
前菜: 白ワイン Chardonnay 99 で
フォアグラ: 赤ワイン Cabernet Sauvgnon 98で
子羊:    赤ワイン Bikaver 97で
デザート:  5年物のトカイワインで

バイオリン弾きが母の横まで来て、ハンガリーラプソディなどの名曲を奏でてくれる。その粋な演出にも酔いながら、このフルコースを最期の皿までゆっくりと味わった。 高い、高慢と何かと批判もされる老舗ではあるが、この夜のサービスや料理を味わう限りでは ブダペストで最高のレストランとの栄誉を贈りたいと思った。

フランクフルト空港駅
翌朝 7:50ブダペストを飛び立ったマレブはフランクフルト空港のターミナル2に9:40に到着した。 2日後出発するJL便もこちらのターミナル2なので、空港のBaggage Depositに重たい荷物を預けて、身軽にした。 そこからSkytrainというモノレールでターミナル1に向かう。 そこの地下にフランクフルト空港駅 (Frankfurt-Flughafen Fernbf)がある。 TravelCenterというみどりの窓口でローテンブルグまでの往復切符をVISAカードで求める。 切符は2人、往復が記載された1枚の航空券大の紙である。 行きと帰りの時間を告げると、乗り継ぎ駅の時刻、プラットフォームの番号まで記した旅程表をプリントアウトしてくれる。さすがドイツの国鉄である。

ローテンブルグに着きました。

フランクフルトから2回乗り換えて、2時間弱でローテンブルグ・タウバーの駅に着く。この駅は観光地の町からはチョット離れている。観光客から遠ざけて、駅前には去年、地元民の為の二階建ての巨大なスーパーマーケットが出来ていた。 ドイツではレストランにいくよりもハム、ソーセージやチーズ、果物を買って部屋で味わえればと考えていたので、ホテルには食卓の付いている部屋を予約していた。 それで 食料品売り場でハムの煮こごりや、キリッシュ、それにパン、果物、固形スープなどを調達し、私達親子はスーツケースの代わりに、スーパーの袋をぶら下げてロマンチック街道に入った。

ブルグホテル 
凛とした美しさを漂わせたマダムに応対されて、
私達は二階のジュニア・スイートに通された。
半年前にマダムと相談して決めておいた部屋である。窓の向こうには新緑の中にレンガ色の集落も散見されるタウバー渓谷の雄大な眺めがあった。

「イタリアもブダペストも良かったけど、ここも
それとまた違う良さがあるねえ、、。」と母も満足の様子である。 よかった、よかった。


ドイツは朝飯が美味い。 
 ドイツ人は昼食が主餐で、その次が朝飯なのではないか? と思う。29年前にホームスティした家のムッター(お母さん)は陽が暮れるまえに、火も落とし、冷たい食材でひっそりと夕食をスマセテいたものに引き換え、朝食はたっぷりとしていた。
 朝 食堂に入ると、白いテーブルクロスの食卓には一つ、一つ蝋燭が灯されている。 ビュッフェには新鮮な果物、ハム・ソーセージの他鰊やサーモンの燻製、それに独仏のチーズが眼も鮮やかに並び、パンも焼きたてを近所から取り寄せていた。
外のテラスで食べると タウバー渓谷の景色が緑色のテーブルクロスになって、ピンク色のサーモンや、フルーツサラダがお花畑のように映えていた。母はそんな風景を前に、ゆっくりと朝食を愉しんだ。




聖ヤコブ教会でのオルガンの夕べ
 夜9時からオルガンコンサートがあるので
一人で行ってみた。 内容は現代音楽で、冷えた回廊にアバンギャルドな旋律が流れた。教会がこのように実験的演奏にも寛容なのはプロテスタント故かドイツ人故か判らないが、演奏よりもそのリベラリズムに一番感心を覚えた一夜であった。


ザンクトハクセンの蚤の市 
毎週土曜日の午前中に開かれているフランクフルトの蚤の市に折角だから行ってみようと、早起きして、フランクフルトに戻りました。 市はマイン川沿い ザンクトハクセンと呼ばれる一帯に1kmの長さで露台が並んでいて、たくさんの人々で賑わっていました。 トルコ移民も多いので、シシカバブの露店が香ばしい匂いを漂わせていました。 この辺りは美術館が多く並び、昔、来たイコン美術館も在りました。それからスーパーで煮こごりなどの食料品を調達して早めに空港に向かいました。

JALのファーストクラス 
ゆっくりと寝てかえるだけの帰路でしたが、思わぬ、厚遇を得て、私達はCクラスからFクラスにアップグレードしてもらえました。 
そこで、、「あのカーテンの向うの人達は一体どんなモノ食べてるんだろう?」といった いつも抱えていた疑問に答える為、その時 私達が食べた献立を書き留めてみました。
JAL408便 5 May 2001 First Classの機内食
夕食: 和食を選んだ。 お酒は菊姫の大吟醸で
先附 セブルーガ・キャビアとスモークサーモン
前菜 烏賊けんちん巻き、筍 土佐造り
椀  飛龍頭仕立て 
向付 鮪 平造り、いずみ鯛 浅月巻き
煮物 玉子豆腐 海老と雲丹蒸し添え
酢の物 もずく 土佐酢漬け
台の物 黒鯛 胡麻豆腐蒸し
ご飯 味噌汁 香の物
水菓子(叶 匠壽庵製)
緑茶

間食:下記から選べる
お茶漬け うなぎ時雨ごはん 手巻き鮨
鰊蕎麦 ラーメン ビーフシチュー 他
朝食:
納豆 太刀魚塩焼き 厚焼き玉子 明太子 
白粥 味噌汁 果物 紅茶

無事 帰宅して
ワイン16本の入ったスーツケースもオルタ湖の酒屋が用意してくれた頑丈な木箱に守られて、1本も破損せずに届きました。息子への鳩時計も、隣家への胡桃のタルトも、母が骨董店で見つけた1920年代の黒い刺繍のドレス達も、。 そしてモノには換えられない、たくさんの愉しい思い出を心に刻んで、懐かしき我家に帰宅しました。天候にも大方恵まれ、宿も食事も期待以上に素晴らしく、9日間の長旅から無事戻ってくる事が出来ました。 母へのご褒美の旅を応援してくれた方々と旅路の安全を見守ってくれた神様に、感謝を覚えました。


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この旅行記へのコメント (3)

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  • フルリーナさん 2011/12/21 14:14:46
    お久しぶりです
    bloomさん
    お久しぶりです。

    crespiの検索できました。
    偶然にも!私も来年の母の80歳記念の旅行の初日に、Crespiを予約しました。レストランもお高いので迷っているのですが、せっかくお食事の有名ホテルですから夕食も予約しようかなあと思っています。

    私たち、あまりちゃんとした正装の服を持っていかないのですが、普通の洋服では浮いてしまいますかねえ・・・。

    いずれにせよ楽しみです。
    またいろいろ教えてください♪


    bloom3476

    bloom3476さん からの返信 2011/12/21 15:12:05
    RE: お久しぶりです
    フルリーナさん 大変に、お久しぶりです。

    最近は一人旅志向で辺境地が多いので、4Tra 覗いてなかったので
    憧れのフルリーナさんの旅行記にも拝読してなくて浦島太郎でした。

    さてお母様 80歳のお誕生日 張り切って考えてみました。
    (※ 近頃 この辺には行ってないので、昔の記憶ですが、、)

    ヴィラクレスピ 実は、あまりお薦めではないのです。
    というのも ノイシュヴァンシュタイン城のようで、外観は凄いですが内側は居住性が悪く、内装も陰鬱です。 そしてオルタ湖も遥か遠くです。 オルタを朝、眼前に眺めるのなら湖畔の宿をお薦めします。

    湖水地方は 世界一のリゾートなので、凄い宿が群雄割拠です。

    それぞれの湖に思い出深い宿があるのですが、もし、居心地と美食と眺めの総合点で考えると私の記憶の中で一番、輝いているのが、以下です。

    Il Sole di Ranco
    http://www.relaischateaux.com/soleranco

    私が訪れたのは、もう25年以上も前なので、代替わりしていますが、ガルトロマルケーシが新イタリア料理の騎手だった頃
    もう一人のリーダーとしてイタリア料理を引っ張っていたのが先代でした。 

    私は、伝統料理の方が好きなのですが、ここで出された料理には、一つずつ、ワクワクしながら頂いた記憶があります。
    日本のガイドブックにはあまり載りませんが、日本のイタリア料理界では、修行の聖地でした。

    まあ、今はどうなってるかわかりませんが、小さなボートで、小さな島に着き、そこで静かな中、湖畔の庭でアペリティフを飲んでから室内に向かう 夢のようなひとときでした。

    お母様との誕生日を 気軽に、それでいて品良く、ドレスコードも煩くなく,美味しい料理を頂くのに、(※ 私の記憶の中では、、) 一番、お薦めした宿です。

    クレスピのドレスコードでのお問い合わせなのに、余計な事を申しました、、 ただ、私の旅行記ではいいとこだけ書いて、悪いとこは書かないので、こういう落とし穴があります。

    オルタに寄った時に、昼食だけ訪れるという価値があるかも知れませんが、お母様とゆっくりと移動されるなら、イルソレディランコや ガルドーネ・リヴィエラにあるGrand Hotel Fasano が私は推薦します。

    ご参考になれば幸いです。

    フルリーナ

    フルリーナさん からの返信 2011/12/21 16:44:01
    RE: お久しぶりです
    Bloomさん

    ありがとうございます。

    実は予約してしまって・・・。
    母と母の友人が一目ぼれ状態で(笑)。


    一度イタリアのサクラモンティに行ってみたくて、着いた日に飛行場から行けるサクラモンティのあるオルタにしようと思いました。
    オルタと、カンノビオのあとは、ヴェルザスカとスイスに入り、小さな村の小さな宿を回るので、バスタブ付きのお部屋にしばらく泊まれないので、ジャグジーがあるのも魅力だなあと・・。

    Rncoは、いいなあ…と思っていたのですが、日程でどうしても組み込めなくてあきらめました。
    まだキャンセルが効くので考えてみます。
    行くにしても、はずれかも〜との覚悟をもって(笑)。

    Roncoのホテルはやはり素晴らしかったのですね。
    ひっそりと、とっても上品で居心地のよさそうな雰囲気♪
    いつか行ってみたいです。

    ありがとうございました。

    それから、アトスの旅行記、感動いたしました。
    ゆっくりと、祈りの時間に身を置く日々・・。
    わたしもいつか一人で、そんな旅がしてみたいです。
    アトス山は女性なので無理ですが・・・。
    でもbloomさんの旅行記から、その厳しく深い詩の李の空間を、このアドヴェントの時に、感じることができてうれしかったです。
    一昨年、Vernaの修道院に泊まってきましたが、参加したミサと晩祷、フランチェスコが祈った空間での祈りの時は、とても恵みに満ちた時間でした。
    修道院は、やはり観光気分では行けない特別な場所ですよね・・。

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