1994/09/15 - 1994/09/15
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さすらいおじさんさん
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三重県には伊勢、鳥羽、賢島、津、松坂、赤目四十八滝、鈴鹿サーキット、伊賀上野など家族旅行、職場旅行などで良く訪問している。
1994年9月には伊賀上野に家族で行った。上野城は30mの高さの石垣があり、映画「影武者」のロケ地にもなっている。伊賀といえば忍者。伊賀流忍者屋敷や忍者科学館もある。昼食に忍者うどんを注文すると、えび天、油揚げ、なるとなどがうどんの下に隠れていた。子供が注文した忍者パフェもアイスクリームの下にサクランボや色とりどりの寒天などが隠されており大喜びだった。
伊賀は松尾 芭蕉(1644−1694年)の出生地でもある。芭蕉は伊賀で農家の次男に生まれ、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠に仕え、北村季吟に師事して俳諧を学んだ。1666年に良忠が歿するとともに仕官を退き1675年には江戸に下っている。芭蕉は伊賀の出身だったため、日本各地を旅して歩いたのも忍者だったからで、情報収集をしたのだ、との説もある。1678年に宗匠となり、1680年に深川に草庵を結ぶ。門人から贈られた芭蕉が見事に茂ったので「芭蕉庵」と名付けたと言われる。
忍者説はあるものの、芭蕉が旅を純粋に愛していたことに疑いは無い。「野ざらし紀行」「笈の小文」「奥の細道」などの素晴らしい紀行文や現代も親しまれているたくさんの俳句を残している。1694年に大坂御堂筋で亡くなったのも旅の途中で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の有名な句を残した。江戸時代には高齢者だったのだろうが、現代の感覚では50歳の若さでの死だった。
遺言により、大津膳所の義仲寺の木曽義仲の墓の隣に葬られているが、死ぬまで旅を続けることができた人生は羨ましい限り。私の憧れの放浪詩人だ。
芭蕉の生家や芭蕉の旅姿を模した俳聖殿や芭蕉翁記念館も訪ねた。俳聖殿前ではたまたまモデル撮影会をしており、芭蕉よりモデルに目が行ってしまったことを覚えている。
(写真は上野城)
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