2007/01/05 - 2007/01/05
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kyon2 and ku-さん
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廬山温泉 → 霧社 → 清境農場 → 博望新村 → 埔里
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廬山温泉から霧社まで出て
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霧社で清境農場方面行きのバスを待ちます。
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田舎では警察分局が観光案内所を兼ねることも。
わざわざ日本語を話せる職員の方を呼んでくださいました。 -
モーナ・ルダオ像
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霧社事件で命を落とした九百名あまりの原住民の英霊を祭った莫那魯道紀念碑(抗日紀念碑)
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日治時代の神社
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台湾風の廟に建て替えられていましたが石灯籠はそのまま活用。
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警察分局の前におじさんたちが集まっていて、何かなあと不思議に思っていたら、ゴミ収集車を待ったおられたのでした。
大きな街では夜に廻ってくる収集車も、田舎町ではのんびりと集めにくるようです。 -
ここ数年でクロネコのトラックがほんとうに増えました。
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1時間待ってようやく乗り継ぐバスがやってきました。
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清境農場地区のいちばん奥、博望新村に到着。標高2000mを超えています。
もう少し行くと、武嶺。南投県と花連県の県境です。 -
清境農場地区の歴史は、1962年にビルマ(ミャンマー)から引き揚げてきた國民党軍兵士とその家族が開拓民としてこの地域に送り込まれたことから始まりました。
1949年、雲南省駐留の國民党軍は蒋介石の後を追って台湾に向かおうとしましたが、共産党軍に進路を塞がれ、やむなく迂回ルートを取ってビルマ南部に入りました。大陸奪還の夢をあきらめきれない蒋介石は、ビルマに入った部隊に命じ、拠点を築いて共産党軍が支配する雲南省にゲリラ的攻撃を仕掛けさせました。
台湾から空路による武器弾薬の補給を受けながら戦い続けた雲南救國軍でしたが、しかし、支配を安定させた共産党軍がやがて反攻に出て雲南救國軍はビルマ南部への後退を余儀なくされます。また独立したビルマが国連に提訴したこと、黙認してきたアメリカが軍資金源としてアヘン栽培を行っていたことを問題視して撤退を促すなど情勢は更に不利になっていきました。やがて蒋介石もついにあきらめて1961年、雲南救國軍に空路台湾への撤退を命じました。
このとき部隊の一部は撤退を潔しとせず、更に南下していわゆるゴールデントライアングルに根拠地を移し、アヘン栽培で資金を得て勢力を維持しました。
撤退を選んだ雲南救國軍兵士たちは、現地で結婚した家族同伴でやってきた者も多く、1962年に入国し政府が用意した台湾山間部の開拓地に家族とともに入植して行きました。ここ南投県仁義郷の山奥もそのひとつだったそうです。 -
博望新村は清境地区の入植地の内、夫婦か+子供1人の家族が入居したところだそうで、奥さんたちは雲南およびビルマ各地の様々な少数民族の方だったとのこと。
バスで同乗したおばあちゃん達の話し方や服装にも、何となくそんな異国の雰囲気が感じられました。 -
平屋の家が並んでいます。
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入植から45年たち、今や孫の世代が集落の中心となってきて漢文化の影響は防ぎようもない訳ですが、室内の調度、料理、風習の中にいまも異郷の匂いを強く残しており、そうした異国情緒を売り物にした民宿や雲南料理レストランを開いているお宅も。
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民宿もありました。
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坂の下にも、家が建っています。
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遠くに梨山の山並みが
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各地で撤去されつつある蒋介石像もここでは威風堂々と。
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展望台と思われる物がありました。
近寄ってみると、台湾人のグループが。 -
日本人がこんなところまで!と、公園で休憩しておられた女性グループに珍しがられました。
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1時間の滞在後、折り返してきたバスに乗って
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開拓村から山岳リゾートに進化しつつある清境農場を車窓から見物しながら
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次回は、武嶺にも行ってみたいなぁと思いながら、バスで埔里へ戻りました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mylifeさん 2007/02/22 13:17:57
- いつも勉強させていただいています
- ミャンマー、雲南省、共によく行きました。また知り合いから(台湾人)からも残された軍隊のことを聞いていました。
数奇な歴史に翻弄されてもたくましく生き抜く人々。うーん、考えてしまいますねえ。
こういう歴史は日本人として、ちゃんと高校あたりで教わりたかったものです。我が家の子どもには教えていきます。
これからも写真と旅行記を楽しみにしています。
- kyon2 and ku-さん からの返信 2007/02/22 15:28:30
- 書込み ありがとうございます
- mylifeさま
ビルマ(ミャンマー)には1回しか行ったことがないのですが
台北で利用しています旅行会社に、ヤンゴン出身で移住された華僑の
お嬢さんがおられまして彼女にいろいろとレクチャーを受けました。
近代史を紐解いてみますと・・・
雲南の国民党軍(その一部ではありますが)が精強な軍隊となった遠因は
ビルマに侵攻した日本軍と戦い、これに勝利したことにあるような気が
します。
その意味では、博望新村に暮らす少数民族の方々が輸送機で海を渡って
はるばる台湾の山地までたどり着いたことには、少々こじつけ気味には
なりますが、先の戦争での日本の行動が関わっているのかもしれません。
旅行会社の社長にいわせると「彼らもわれわれ台湾人も蒋介石の妄想の
被害者だ」そうですが。
参考にさせていただいたサイトでは、村の門から集落に降りる坂道の
コンクリート壁に「反共救国」のイラスト入りスローガンが描かれて
いましたが、現在はコンクリートがはがされて村の奥に瓦礫となって
放置されていました。撤退から半世紀近く・・・政権も民進党に移り
清境農場も今や滞在型リゾート観光地でした。
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