2006/03/04 - 2006/03/04
60位(同エリア62件中)
ダイサクさん
『25日目 Nos vemos Patagonia!』
この日記は3月6日の朝9時45分に書いている。Buenos Airesのアエロ・パルケ空港内のcafeで。石橋は家にtellしに行っている。私も先ほど家にtellした。チリでtellしたが、コイン不足または家族が不在でつながらなかった。先ほどようやくつながった!「ブルブルブルブル」「もしもし」聞き覚えのある母さんの声だ。「Hello!」「・・・だいさく?!」「うん」3週間振りに息子の声が聞けてすごく嬉しがっていた。やっぱり、家族はかけがえのない存在だ。母といろいろ話し、父に代わってもらって少し話し、旭硝子の配属通知について詳細を聞いた。京浜工場だとはわかっていたが、6月1日まで技能研修があるみたいだ。事務系の一部は技術系の研修を受けるのだ。(※私の研修は4月末までで、その後京浜工場に配属になった。)何でも学んでやろうと思う。今は会社で思いっきり働くだけの気力、英気が体中に充満している。人より一年だけ遠回りはしたけれども、こうしてスタートラインにたてること、まだ日本に帰ってないし、第一卒業していればの話しだが、この一年は自分にとって大きな収穫の年だった。社会に入る前に真剣に仕事について悩み、インド・ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチンを旅し、強いて言えばアフリカとヨーロッパ、ロシアなどにも行っておきたかったが。より多くの国に行って、そこで現地の人々と触れ合い、多様な考え方を直に吸収する。それが直に自分を成長させるわけではないだろう。だが、いろいろなものを見て、いろいろなことを感じて、考えて、見識を培うことで、日本で生活していても日々の生活の中で世界を意識して時を過ごせるだろう。それはすごく有意なことだと私は思うのだ。
さて、話を戻す。この日は朝9時30分に起床してcheck out。空港行きのバスがホテルに午後の15時30分に来ることになっていたので、そのホテルで待たせてもらう。前日(3月3日)から、ここのベル・ボーイのミゲルとスペイン語、英語でしゃべっていた。大学で2年間(再履修含むと3年間)スペ語やっていたのもあって、こちらに来てから参考書で勉強していたのもあって、彼といろいろしゃべれて面白かった。ミゲルは30才ですごく面白く、いい奴。うちら2人に紅茶を出してくれたり、check outしているのにinternetを自由に使わせてくれる。彼や彼の後輩のサンチアゴ(18才のイケメン)とかと色々な話をして盛り上がる。こちらでは、日本へは相当のお金がないと行けないと言っていた。 学生であるのにこちらに来れることがいかに恵まれているのか。インドの子ども達。そういう客観的な視点を忘れることなく、今後の人生を歩んでいきたいと思う。 ミゲルと写真を撮り、メアド交換してお別れ。 サンチアゴ行きの飛行機は16時50分に飛ぶ予定だったが、少し雨が降っており、また風も強かったためか飛行機は遅延。夜の21時30分にようやく飛び立った!それまでは航空会社が用意してくれたクーポン券でハンバーガーやコーラ、コーヒーなどを食しながら待機。
案の定、飛行機は大いに揺れた。怖かった。やはり飛行機はあまり好きではないな。スチワーデスに敬意と好意(?)。金髪のスチワーデスはかわいくてセクシーだ。
サンチアゴに着く前に、プエルト・モンで乗り継ぎして、ようやくサンチアゴに着いたのは深夜2時を過ぎていた。航空会社が用意してくれたタクシーで、前に泊まったホステルへ。インターネットと会社、家にtellしたが繋がらなく、シャワーを浴びようとしたら4Fの階段で外人がやってたいた。気持ちはわからないではないけど、、、こっちが気まづくなったからネ。「Sorry」とか反射的に言っちゃったから笑。寝たのは4時30分を回った頃だった。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 航空会社
- ラタム チリ
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
5