2006/10/02 - 2006/10/03
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秘湯マニアさん
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10月2日(月)晴天!
朝、目覚めると天気が心配でまず窓から外を見る。雨は止んで、雲が急速に流れている。今日は良い天気になりそうだ。今日の走行距離は長いので文子にも早めに起きるように言ってある。まず顔を洗うついでにお風呂に行く。昨夜の温泉は10時過ぎでないとオープンしないので、ホテルの中のお風呂。このお風呂は僕たちの部屋から廊下伝いに反対側の一番端だ。廊下を出て少し渡り廊下を通ってお風呂になる。内部は2段に分かれていて、男性が下、女性が上になっている。真っ白な鉄筋作りで宇宙船の中でお風呂に入っているような機械的な感じ。決して不快感はないのだが、こんなお風呂はどこでも味わったことのない不思議なお風呂だった。
朝食を食べて早速チェックアウト。2人で26千円なので、今年の旅行の中では安い方だ。このホテルは外から見ると飛行機の翼のような不思議な形をしているので、それを写真に収める。昨夜のキャンピングカーは水の補給などをやっていた。カーナビをセットして出発準備。行く先は足摺岬だが、途中に四万十川観光船を経由するように設定する。トヨタのレンタカーだと、自分のプラドと同じカーナビだから使い易い。ところが、カーナビは昨日通った道路を戻れ、と指示している。でも197号線の途中から土佐中村方面に行かれる道があるのを地図で確認してあるので、この時はカーナビを無視して197号線を須崎方面に向う。この国道197号は維新の道と言って、明治維新の立役者坂本竜馬が脱藩の時に通ったり、吉村寅太郎の像が建っていたりする。でも、佐田岬方面は悪路で「いくな(197)国道」と呼ばれているらしい。さらに、この国道に交差する国道439号線は、「酷道」と呼ばれているそうだ。徳島と四万十間を結んでいるショートカットコースに見えるのだが、実際は隘路ばかりで大変なので「酷道」と呼ばれているのだそうだ。
ホテルを出てからトンネルをいくつか過ぎると、やがて右に行く道がある。四万十川の上流に沿って走る県道19号線だ。これを右折したあたりから、カーナビもようやくこの道を直進するよう指示するようになってきた。しばらく行くと左側に小さな標識があり、四万十川の源流点の山が見渡せる、と書いてある。四万十川の源流点は四国カルスト台地に続く鶴松森(という名の山)や不入山などの中腹あたりだ。道の直ぐ下を流れる川は、その源流から流れ出たばかりの、四万十川の上流だ。この標識を建てたのはこの辺りの老人会となっているが、本当に小さくて見逃してしまいそうだった。
やがて道は林道のように狭くなる。舗装はされているが樹林の間を通り抜ける雰囲気は林道そのものだ。当然ながら対向車が来たらすれ違うことなどできない。どこか少し広いところまでどちらかがバックしなければならない。ところが良くしたもので、こういう隘路で出会う車はとても少なかった。道路の途中にある部落の中だけ、あるいは、その前後の田畑が広がるあたりだけ片側1車線の道になっているが、そういうところですれ違う車はあっても隘路で対向車と出会い、身動きとれなくなったことは1度もなかった。1度だけ大型トラックに出会ったことがあったが、お互いに譲り合いながら走っていたため難なく通過できた。そんな道を僕はガンガン飛ばしている。こういう狭い道は自分の地元で慣れているし、通る車も少ない。たまに追い着く地元の車は次の対向車線があるところで抜いてしまった。
道はずっと渡川(四万十川をこの辺りでは渡川というらしい)沿いを走っているが、川は護岸工事もしていなくて土の土手だ。その両側には田圃が並び、黄色く実った稲穂が頭を垂れている。その田圃には案山子が立ちバッタが飛び、赤トンボも飛んでいる。こんな風景はどこかで見た記憶がある。そう。昭和30年代の新横浜のあたりが、こんな風景だった。自分の記憶がもう50年近くも昔のことだから、実際にはもう少し違う風景だったかもしれない。でも、僕たちがノスタルジーを感じるほどの風景がここにはあった。四万十川が日本最後の清流、と言われているのは単にダムがないから、とか護岸工事がないから、ということではない。このような農村に暮らす人々がいて、川を日常に用いているからこそ清流が守られているのだろうと思う。こうした田舎の生活を続ける人々がいつの時代まで残るだろうか。
やがて道は四万十川と別れて県道41号に繋がり、七子峠で国道56号に合流する。この道は快適なドライブロードだ。四万十町に入ったところに「ゆういんぐ四万十」という綺麗なドライブインがあったのでトイレ休憩。ここに到着したのは10時15分。隘路を抜けてきたわりには早い時間だ。ここのトイレは欄の花が沢山飾ってあって綺麗だった。会社に持っていくお土産を買って出発。
窪川というところで国道381号線に入り、四万十川と再び合流する。ここからは四万十川本流を見ながら走ることになる。やがて四万十大正というところで国道439号と交差する。ここにはトイレがあり、そこから河原に下りることができるので行ってみる。河原には平底船が1艘繋留してあったので、写真を撮るのに使わせて貰った。さらにしばらく行くと鯉のぼりの里などを過ぎ、半家沈下橋というのに出会う。沈下橋は岩間の沈下橋が写真に良く出ているが、僕達にはこの橋が最初に出会う沈下橋だった。この橋は道路のかなり下に見えたが、橋を通り過ぎたと思ったあたりに左手に川へ下って行く道がある。その道路を下ると沈下橋を通って向こう岸に渡れた。向こう岸には車を乗り入れられる河原があって、何台かの車が止まっている。僕も適当なところに車を停め写真を沢山撮った。文子を沈下橋の上に行かせて河原からも撮ったし、車が落ちてしまいそうな橋桁のない橋の真ん中でも写真を撮った。この橋の近くでは、地元の人だと思うが投網漁をしている人もいた。沈下橋は四万十川が増水した時に、できるだけ水の抵抗を少なくして橋そのものが流されるのを防ぐためにできたもので、四万十川全域で47もの沈下橋があるそうだ。
車に乗っているとはいえ、このあたりまで走ってくるとさすがにお腹が空いてくる。ガイドブックによるともう少し先に岩城食堂というのがあるらしい。岩城食堂は四万十川産の川エビや鰻を食べさせてくれるらしい。その食堂は四万十川に目黒川が合流する津大橋のたもとにあった。駐車場は4台分くらいしかないが、丁度1台分空いていた。文子は川エビを食べたかったようだが、最近は獲れる量が少ないそうで、出していなかった。そこで鮎定食にする。鮎の大きさで値段が違うそうで1,800円からあったが2,400円の定食にした。注文してから鮎を釣っているのではないかと思うほど待たされたが、天然の鮎はクセもなく大きくて美味しかった。
ここを出て更に国道441号線を下る。国道は江川崎というところで381号線と441号線が合流し、土佐中村までは441号線を走る。少し行ったところで岩間の部落に着き、ここにも沈下橋がある。ここは綺麗な写真が雑誌に載っていたので行ってみたいところの一つだった。さっきの橋と同様沈下橋に車を向けるが、ここはさっきの橋と違い、進入路も狭いし対向車とすれ違う場所もない。それでも何とか向こう岸まで渡ってみたが、今度は駐車する場所もない。幸いトイレが設置されていてそこに何とか車を停めることができた。平日の昼間だからか、僕が駐車して写真を撮りに歩き回っている間、車は1台も来なかった。代わりに四万十川をエンジン付きの平底船が登って行った。雑誌に掲載されていたほどではないが、良い写真が撮れた。
ここからは中村目指して走るだけ。川はだんだん流れも穏やかになって、それに連れて川幅も広くなる。そういう辺りに来てようやく川下りの屋形船乗り場なんかが出て来る。屋形船にも乗りたいが最低でも1時間くらい掛かるので時間のない旅の時には難しい。更に行くと今度はカヌーの練習場まである。これも通過して中村市街に近付いた頃、これも有名な佐田の沈下橋が出てくるが、ここは通過。中村市はこれまで走ってきたのが山の中ばかりだったのでとても大きな町に感じる。道路も同じでここを通る国道56号線は、これまでとは全然違って2車線の国道。急激な変化に頭の切り替えができていなかったのか、足摺岬の方へ曲がらずに宿毛方面に行ってしまいユーターンした。足摺岬に向う道は国道56号から別れて321号線になる。この道には足摺サニーロードと名付けられている。この道に入っても、しばらくは四万十川と並行して走る。このあたりは、もう海に近く四万十川は川幅も広い。それでも四万十川大橋のあたりでも水は綺麗だった。ここを出発してここへ帰ってくる大型の観光船発着場もあるのだが、予約がないと難しい。それよりも今日はもう時間がない。これから足摺岬まで走って、今日のうちに観光したいからだ。
サニーロードは四万十川上流の悪路は何だったのか、と思うほど快適なドライブコースだ。四万十川から分かれたあとも順調に走る。途中、大鼓海岸という広大な白い砂浜を見ることができるが通過する。その海岸近くから竜串へ行く林道に入る。林道とは言ってもきちんと舗装された片側1車線づつある道路で、朝通った県道よりも立派である。見残し海岸に行ってみたかったのだが、竜串の観光協会の人に聞くと船着場から船で渡るか、駐車場に車を停めて1.5キロ歩くかしかないという。折角竜串まで来たのに残念だが、そのまま足摺岬に向う。もう時間は3時半を回っていて見残し海岸と足摺岬の両方を見る余裕がないからだ。竜串から足摺岬へは宿毛からのサニーロードが続いている。足摺岬の尾根上を通る道は椿の道というそうだが、ここの山道に入ったところで観光バスに追い着いてしまった。狭い道で追い越し禁止にもなっていて、なかなか抜けなかったが途中でようやく追い抜くことができた。バスの前には車が1台もいなくて足摺テルメのところに出る。ここから岬にかけて大きな旅館が結構建っていてちょっとガッカリ。もう少し鄙びた感じを受けていただけに、足摺岬はそんなに観光地なのか、と意外な感じを持った。実際には、この岬のすぐ近くに金剛福寺という四国霊場88箇所の第38番札所があり、そこへの巡礼者の人が多いようだ。
足摺岬にはジョン万次郎の銅像が建っている。その脇に車を停め歩き出す。万次郎の銅像は写真を撮るには逆光でうまく撮れなかった。そこから狭い通路が岬の先端まで続いている。途中に展望台があったりお茶屋さんがあったりする。灯台は意外と小さい。それに周りに柵がしてあって近くまでは行かれない。それでも海の青さと白い灯台は綺麗だった。春先に行った潮岬も台風で有名なところだが、足摺岬も台風で有名なところだ。どちらも晴天の時に来ることができて良かった。
この日の宿みさきホテルは、駐車場からちょっと戻ったところの右手の高台にあった。ここも5階建ての大きなホテル。その割りに宿泊者が少ないようだ。僕たちの部屋は502号だった。部屋は8畳で綺麗にはなっていたが、西日が正面から差し込み、今日のような日は暑くて大変。ベランダ代わりの広縁部分の障子を閉めてようやくエアコンが効くくらいだ。お風呂は1階まで降りる。男性用のお風呂は内部に機械室があり浴槽が小さい。畳で言えば四畳半程度しかない小さな浴槽。それでいて洗い場は20くらいある。この時は誰もいなくて僕一人だったから良かったけれど、混んでいたらシャワーだけで終りになってしまうような狭さだった。このホテルの5階からは海が見えて展望が良いのだから
5階を全フロア、展望風呂にするべきだ。客室が少しくらい減ったって客室回転数が良ければ十分に採算が取れる。こういう昔からの考えを捨てきれない旅館は遠からず休業になってしまうだろう。食後、もう一度お風呂に行ったらお遍路さんが4人入っていた。僕が入るともう一杯。幸い先客は順次出て行ってくれたけど、5人で一杯というのは旅館としては考え物なのではないか。
夕食は部屋食。ジャランで予約した豪華お造りと豪快黒潮焼きというコースだったが、テーブルに並べきらないくらい一杯に出て来る。船盛りが出て来るのでそれがお造りかと思ったら、小鉢がたくさん並べられていた。お造りはテーブルの反対側に大きなお皿で出て来る。土佐なので鰹は当然だが、ウツボのお刺身もあった。でも、聞いてなければ分からないくらいさっぱりして美味しかった。黒潮焼きの方は貝に野菜、お肉を陶板で焼く。これも美味しかった。これほどの量を食べきれないのではないか、と思うほどテーブルに乗っていたが1時間もかけて全部食べてしまった。
この宿にはお遍路さんの団体も泊まるそうで、今日は夜7時くらいにバスで到着していた。四国には霊場88箇所があり、それを巡るお遍路さんが独特の衣装で歩いているが、松山から四万十まではあまり気が付かなかった。それが足摺岬方面に入ってからとても目に付くようになった。歩く場合は1ヶ月半から2ヶ月も掛かるそうだ。
10月3日(火)晴れ
もう旅の最終日になってしまった。天気は今日も晴天だ。今日は少々急ぐ旅。飛行機が16時高知空港発になっているから、それまでに高知に着かなければならない。そのために足摺岬の観光も昨日のうちに行ったのだ。飛行機に乗る時間、というのが一番のプレッシャーになる。僕の性格上、乗れなかったら乗れなかったで良いや、という気持ちには絶対になれない。しかも海軍式に5分前精神だから、コース設定にはできるだけ余裕を持つようにしている。それでも予測できないのが昨日のような隘路とか、工事とか渋滞である。今日は高知まで3時間を見て8時半にホテルを出発する。
ホテルの仲居さんが、椿の道で山を越えなくても海岸沿いに行かれます、と言っていたのでその道を行く。ジョン万次郎の銅像の先からは昨日の県道以上の隘路になる。対向車がいないのが救いだ。窪津崎という岬のあたりは少し道路が広くなっているので小休止。ところが、その先で県道347号線が分岐しており、そっちの方が広い道。サニーロードに出るには民家に入って行くような感じで、今までよりももっと狭い道に入って行かなければならない。さすがの僕も、ここで対向車が来たらバックさえもできない、と思うような崖っぷちや急角度のコーナーなどが何箇所かあったが、何とか抜けることができた。
サニーロードに出てしばらく行くと、昨日来る時に見た大鼓海岸が右手に見えてくる。海岸まで行く道路がありそうなので適当に右折して行ってみる。その道の突き当たりが小さな駐車場になっていてサーファーが何人か支度をしていた。この海岸は太平洋に面した広い砂浜で海亀の産卵地になっているそうだ。もうシーズンも終り、海岸にはサーファーが何人かいるだけだった。ここも写真に収めて出発。
四万十大橋までは昨日通ったサニーロードを引き返す。土佐中村の市街を避けて県道から国道56号に抜ける。この道は土佐くろしお鉄道という電車と並行して走っている。やがて土佐白浜などという駅があって、伊豆や南紀のほかに高知にも白浜という地名があることを知る。この道はトラックもいるが結構快適に走ることができる。遅い車もいるが適当に抜く場所もあるからだ。足摺のサニーロードから、この国道56号に掛けてお遍路さんを随分見た。歩いている人がこんなに沢山いるのか、と感じる。文子も同じ感想を持ったらしいが、どんなことがあったらこうして歩く気持ちになるのか、と思う。
やがて窪川に出るとここから七子峠までは、再び昨日通った道となる。昨日立ち寄ったドライブインに今日も寄ってトイレタイム。少し走るとJR四国の土讃線影野駅があるので寄り道。丁度このときJRの急行かなんかが通ったのであわてて写真を撮ったが後ろ姿しか撮れなかった。影野駅は無人駅。電車も1時間に1本程度しかない。それでも駅前に車や自転車が停めてあり、ここから通勤したり通学したりしている人がいるようだ。
須坂という街はかわうその里、となっているがかわうそは未だ生存しているのだろうか。この須坂からは横浪黒潮ラインという海岸沿いを走る道と高速道路を使う、という選択肢がある。結局、ここへ着いた時間がもう予定時間をオーバーして11時を回っていたので高速に乗ることにした。高速に乗ってもすぐ次で降りるのだが、時間的には早いと思う。土佐インターで降りて仁淀川を渡り桂浜花街道という通行量も少なく快適に走れる道を通って桂浜に着いたのは12時を回っていた。車の中で文子がお昼に行きたいお店を探しておいたので、車をそこに着ける。富久美味という料理旅館。でもそこは桂浜の大駐車場のすぐ近くだったので、車を停めてから歩く。旅館の受付で予約がない旨を言うと、それでも大丈夫ということで2階に案内される。2階は料理旅館らしく個室になっていて雰囲気が良い。僕たちが通されたのは四畳半程度の小さな部屋だが、手洗いも付いている。
ここを選んだ理由は伊勢海老が食べれること。メニューを見ると富久美味会席という高い料理から姿煮定食まである。姿煮定食は3,500円だが、その上のコースとは鰹の刺身が付くか付かないかの違い程度なので、姿煮定食にする。運ばれてきた定食にはかなり大きい伊勢海老が1匹、半分に切って煮てある。仲居さんが食べ方を教えてくれたが、ほとんど蟹の食べ方と一緒。エビの足も蟹と同様に半分のところから折って身を引き出して食べる。胴の方も蟹と同じで殻を割って全部食べることができる。沖縄の那覇ではエビの三郎という有名店で伊勢海老を食べたし、伊豆の下田では何度も食べている。でもこんな食べ方はしなかった。ここの海老は大きかったし、頭から足まで全部食べれたし、最高に満足できた。たった一つ、手がベトベトになり匂いが取れないことを除いては。この部屋には洗面所が付いているので、手をよく洗ったが匂いは空港に着いても抜けなかった。
駐車場の脇のお土産店が並ぶ中を通り抜け、坂本龍馬の銅像へ行く。有名な像だが、あんなに大きくてしかも砂浜よりも一段高い丘の上に建っているのは知らなかった。坂本龍馬も高杉晋作も江戸時代に生まれ明治という近代国家を作った功労者だがいずれも30歳そこそこで亡くなっている。それだけ若い力を必要としたのだろうし、若くなければ古い文化を破壊する力はなかったのだろう。銅像の前の階段を降りて砂浜に行く。砂浜にもコンクリートの遊歩道が設けられている。さすがに砂浜は綺麗。少し岩があったりして写真のポイントには良いが海水浴向きではないようだ。砂浜の反対側は龍王岬と言って緑の松などが何本かあり赤い建築物が建っている。桂浜は月の名所で、ここに掛かる月を砂浜の方から見るのが良いそうだ。帰りがけに文子を写真に撮っているとアイスクリーム売りのおばさんが二人並んでいるところを撮ってくれた。お礼に買ったアイスクリームは昔風の味がした。
最後に立ち寄ったのは坂本龍馬記念館。生誕150年を記念して作られたそうだが、見学するにはちょっと時間が少なかった。でも、坂本龍馬の研究書は何冊も読んでいるので生い立ちも江戸での経緯も神戸海軍操練所時代も海援隊のことも知っている。ただ、寺田屋との関係や刺客に襲われたときの血糊が残った屏風などが目を引いた。坂本龍馬が理想とした国家は実際の明治政府とは違うような気がする。伊藤博文や山県有朋という2流の人物が龍馬や高杉の土台に乗っただけで、彼らが生きていれば、軍部横暴を許さないようなしっかりした政体になったような気がする。そんなことを思うだけでも坂本龍馬の生誕地、高知まで来た甲斐があるというものだ。
ここから高知龍馬空港までは瀬戸大橋を渡ってすぐだ。途中でガソリンを満タンにして行く。トヨタレンタカーは福岡と同じように空港のすぐ近くだった。空港到着は15時。飛行機の出発が16時だとばかり思っていたからだが、実際は16時40分発で少し時間が余ってしまった。それでもお土産ものなどを見て時間が過ぎる。飛行機は来た時と同じボーイング737-300。今日の席は6列目なので前の方だった。羽田で荷物を車に入れたあと、夕食を食べて帰る。夕食は銀座アカシヤの特製ビーフシチューだった。
初めて足を踏み入れた四国。初日は雨だったが由緒ある道後温泉は思い出に残る。四万十川は昭和のノスタルジーを感じながらいつまでも残してもらいたい自然遺産だと思った。足摺岬は台風が来るたびに思い出すのだろう。そして桂浜では坂本龍馬に思いを馳せた。しかし、今回の旅はどの日も昼食が良かった。限定ランチ、天然鮎、そして伊勢海老。もう一度四国に来るとしたら、可能かどうか分からないが、車で本四架橋のどれかを通ってみたいものだ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ
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