2006/07/25 - 2006/07/25
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目黒警部さん
大阪の夏祭りといえば、華やかな花火で知られる天神祭。
1000年以上の歴史があるこの祭りは、人々の無病息災を願う祈りが込められた伝統の祭りでもある。
951(天暦5)年より始まったとされている、古式ゆかしい大阪天満宮の天神祭。
大川(旧淀川)より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設け、その祭場で禊(みそぎ)を行うという祭事と、その祭場に船で奉迎したことが、祭りの起源といわれる。
祭りのハイライトは25日の本宮。夕刻に催太鼓(もよおしだいこ)を先頭に陸渡御(りくとぎょ)列が天満宮表門をスタート。午後6時ごろには船渡御(ふなとぎょ)列が大川を進みはじめ、学問の神様・菅原道真公の御神霊を乗せた船が、100艘(そう)もの船とともに大川を行き交う。
祭りの最後をしめくくるのが「天神祭奉納花火」で、約4000発の花火が大川から打ち上げられ、船渡御を華やかに演出してくれる。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
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陸渡御
天満宮の御鳳れんや御羽車に移して3000人の大行列が出発する。
神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。
陸渡御列の中心は、 神霊を奉安する御鳳輦(ごほうれん=御守護神様が御乗りになられた御車)ですが、この前後を催太鼓や神輿(みこし)、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。
かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びましたが、安永九年(1780年)には八十四輌もの地車が宮入りした記録があります。現在では、一輌だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。 -
西天満連合神鉾講
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7月25日、天神祭り本宮。
今年は、大阪に夏が来るのは遅れていた。
梅雨の合間に大阪の夏祭りいや日本の三大祭である天神祭りは行われた。 -
天満宮より老松通りを通り陸渡御の行列が、晴れの舞台である、御堂筋に出てきた。
御堂筋の北の入口、アメリカ領事館前にて私は、待ち受けた。 -
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天神祭りは1000年以上の歴史をもっています。天神祭りの始まりは、 天満宮ご鎮座の翌々年、天暦5年(951年)に社頭の浜から神鉾を流し、 その流れ着いた浜辺に斎場を設け、ご心霊を移して”みそぎ祓い”を行っ たのが始まりとされています。
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その後、秀吉が大阪城を築いた頃、天神祭りは今のような形になりました。 江戸時代には、大阪は天下の台所として栄え、商人の財力を背景に祭りも ますます豪華になりました。享保年間には、米屋、酒屋などの同業者や地 縁関係により、祭りのさまざまな役割を演じる「講社」が組織され、天神 祭りの担い手となりました。
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その後、第2次世界大戦で船渡御が10年以上も中止になったり、74年 のオイルショックで船渡御が中止になったりしたが、ギャル御輿の登場や 前夜祭などさまざまな催しが加わるなど、年々華やかになり、百万人以上 の見物客でにぎわっています。
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市場・地車講
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だんじりが、いきよいよく走ってきた。
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目の前をあっと言う間に駆け抜けていった。
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北新地・なんとなく優雅で艶っぽい。
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美女軍団現われる!(笑)
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可愛い!
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御神酒講
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牛さんもご苦労様。
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花傘講
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総奉行
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大阪府知事(名代ですね)
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大阪市市長(名代ですね)
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神講
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北信友の講
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氏子総代
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鳳神講
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漬物部青年会
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玉神講
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