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久米島への旅…ある島人の物語<br /><br />沖縄がようやく日本に復帰してまだ十年もたたない頃だったと思います。<br />沖縄フリークの友人から、<br />沖縄戦の頃の、いかにも沖縄らしい、<br />とても悲しくて美しい話を聞きました。<br /><br />ぼくはその話を元に、<br />その頃ちょっとその気になっていたシナリオ創作に挑戦してみようと思い、那覇を経て久米島に飛びました。<br /><br /><br />ふらりと沖縄を訪れるのが最大の楽しみ、<br />というその友人の話はこうでした…。<br /><br />沖縄本島の西に浮かぶ久米島で彼は、<br />おかみさんと二十歳前後の娘さんが二人で切り盛りしている一軒の民宿に滞在しました。<br /><br />ぼくがその話を聞いた頃から見てさらに数年前の話になりますから、まだ沖縄が日本に復帰するかしないかという時代です。<br /><br />客はずっと彼一人で、何日か滞在するうちに、お客さんもいっしょに食事しませんか、ということになり、<br />それからはおかみさんと女の子と、家族のように三人で食事をし、とても親しくなったそうです。<br /><br />そして、何がきっかけだったか、ある晩、おかみさんが戦争中の話を始めました。<br /><br />……<br />幸いなことに、この島では実戦はなかったんです。<br />でも近くのケラマ島では激戦がありました。<br />そしてたくさんの兵隊さんがけがをして、<br />流木なんかにつかまってこの近くの浜に流れ着きました。<br /><br />その兵隊さんたちを私たち島の女がみんなで助けて、<br />そして裏山の洞窟にかくまいました。<br />というのは、島には、ほんの数人でしたが日本の通信隊がいて、<br />その隊長というのがとても残酷な人だったんです。<br />だからそんな兵隊さんを見つけて逃亡兵とみなしたら、<br />何をするかわからなかったんです。<br /><br />私もそんな兵隊さんの一人のお世話をしました。<br />毎日洞窟に食べ物を運んで、けがの手当てもしました。<br />終戦間際のことです…<br /><br />淡々とした語りでした。<br />でも、<br />そこまで聞いて友人はふとある思いにとらわれました。<br />もしかして……<br /><br />おかみさんはなおも淡々と語り続け、<br />そしてほんとにさりげない口調で、言いました。<br />「そうなんですよ。この子は……」<br />とその女の子のほうを見て、<br />そして続けました。<br />「この子は、その兵隊さんの子です」<br />……<br /><br />語り終わるとおかみさんはほっとしたようにくつろいだ表情になり、ね、そうだよね、というように、娘さんの顔をのぞき込みました。<br />「あ、あれだよ、母さん」<br />と、ちょっと照れたように笑いながら、娘は母親にサンシン(三線)を手渡しました。<br />おかみさんの歌う琉歌が流れて、<br />それから夜遅くまで、三人の酒宴が続いたそうです。<br /><br /><br />と、ぼくがその友人から聞いたのはざっとそんな話でした。<br />ぼくはすぐにこの話は何とかしようと思いました。<br /><br />初めに断っておきますが、<br />その話は結果的にはべつに何ともなりませんでした。<br />まあドジで非力なぼくの、またしまらない話なのだけれども。<br /><br /><br />ぼくが久米島に行ったのはその話を聞いた翌年でした。<br />ぼくは島の役所を訪ねて、<br />そのときのことを知っている人に話を聞きたいのだと申し入れました。<br />すぐに老人が四人ほど集まってくれ、いろいろと話を聞かせてくれました。<br /><br />そのうち、その中の一人がちょっとためらいながら言いました。<br />「その人はね、わたし、知ってるよ」<br />ほかの人も知っているようでした。<br />でも直接会うのだけはおやめなさいと、老人たちは言いました。<br />そのときはそういうシチュエーションで、<br />親しくなった泊り客に打ち明ける気になったのだろうけれども、<br />そんなふうに突然やって来たヤマトンチュに話したくはないはずだと、<br />彼らは静かにそう言いました。<br />そしてぼくも納得しました。<br /><br />ぼくは、自分もまた、<br />沖縄の人たちの犠牲の上に生き長らえたヤマトンチュの一人なのだと思いました。<br /><br />それから彼らは、久米島で起きたもう一つの出来事を教えてくれました。<br /><br />終戦の年の六月、沖縄本島の日本軍が敗北したあと、<br />米軍が島出身の日本兵捕虜に案内させて久米島に上陸することになりました。<br />その日本兵は、島には数人の通信兵がいるだけで軍備はないことを米軍に伝え、<br />島を攻撃しないよう米軍を説得したそうです。<br />米軍は彼の話を聞き入れてくれて平和的に上陸し、<br />島人は一人も傷つかずにすみました。<br /><br />でもなんとその日本兵は殺されたのです。<br />殺したのは島にいた日本の通信隊。<br />理由は米軍に通じたスパイ容疑だったそうです。<br />家ごと焼き払われたというからすさまじいものです。<br />のちに「久米島の虐殺」として知られる戦争末期の悲劇です。<br /><br /><br />シナリオは書きました。書きましたが、我ながら出来はイマイチで、いくつかのテレビ局を持ち歩きましたが、ものになりませんでした。<br />やっぱりその人から直接取材できなかったのが痛かった、と言いたいところですが、<br />実のところは自分の創作力の足りなさを思い知ったのでした。<br /><br /><br />そういえばあのとき、<br />「久米島の虐殺」について語ってくれた老人が言ったことを今も覚えています。<br />「久米島で実戦がなかったのは、久米島に軍備がなかったからです。丸腰の人間に銃を向ける者はやっぱりおらんのですよ」

久米島・ある島人の物語…

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KAUBE

KAUBEさん

久米島への旅…ある島人の物語

沖縄がようやく日本に復帰してまだ十年もたたない頃だったと思います。
沖縄フリークの友人から、
沖縄戦の頃の、いかにも沖縄らしい、
とても悲しくて美しい話を聞きました。

ぼくはその話を元に、
その頃ちょっとその気になっていたシナリオ創作に挑戦してみようと思い、那覇を経て久米島に飛びました。


ふらりと沖縄を訪れるのが最大の楽しみ、
というその友人の話はこうでした…。

沖縄本島の西に浮かぶ久米島で彼は、
おかみさんと二十歳前後の娘さんが二人で切り盛りしている一軒の民宿に滞在しました。

ぼくがその話を聞いた頃から見てさらに数年前の話になりますから、まだ沖縄が日本に復帰するかしないかという時代です。

客はずっと彼一人で、何日か滞在するうちに、お客さんもいっしょに食事しませんか、ということになり、
それからはおかみさんと女の子と、家族のように三人で食事をし、とても親しくなったそうです。

そして、何がきっかけだったか、ある晩、おかみさんが戦争中の話を始めました。

……
幸いなことに、この島では実戦はなかったんです。
でも近くのケラマ島では激戦がありました。
そしてたくさんの兵隊さんがけがをして、
流木なんかにつかまってこの近くの浜に流れ着きました。

その兵隊さんたちを私たち島の女がみんなで助けて、
そして裏山の洞窟にかくまいました。
というのは、島には、ほんの数人でしたが日本の通信隊がいて、
その隊長というのがとても残酷な人だったんです。
だからそんな兵隊さんを見つけて逃亡兵とみなしたら、
何をするかわからなかったんです。

私もそんな兵隊さんの一人のお世話をしました。
毎日洞窟に食べ物を運んで、けがの手当てもしました。
終戦間際のことです…

淡々とした語りでした。
でも、
そこまで聞いて友人はふとある思いにとらわれました。
もしかして……

おかみさんはなおも淡々と語り続け、
そしてほんとにさりげない口調で、言いました。
「そうなんですよ。この子は……」
とその女の子のほうを見て、
そして続けました。
「この子は、その兵隊さんの子です」
……

語り終わるとおかみさんはほっとしたようにくつろいだ表情になり、ね、そうだよね、というように、娘さんの顔をのぞき込みました。
「あ、あれだよ、母さん」
と、ちょっと照れたように笑いながら、娘は母親にサンシン(三線)を手渡しました。
おかみさんの歌う琉歌が流れて、
それから夜遅くまで、三人の酒宴が続いたそうです。


と、ぼくがその友人から聞いたのはざっとそんな話でした。
ぼくはすぐにこの話は何とかしようと思いました。

初めに断っておきますが、
その話は結果的にはべつに何ともなりませんでした。
まあドジで非力なぼくの、またしまらない話なのだけれども。


ぼくが久米島に行ったのはその話を聞いた翌年でした。
ぼくは島の役所を訪ねて、
そのときのことを知っている人に話を聞きたいのだと申し入れました。
すぐに老人が四人ほど集まってくれ、いろいろと話を聞かせてくれました。

そのうち、その中の一人がちょっとためらいながら言いました。
「その人はね、わたし、知ってるよ」
ほかの人も知っているようでした。
でも直接会うのだけはおやめなさいと、老人たちは言いました。
そのときはそういうシチュエーションで、
親しくなった泊り客に打ち明ける気になったのだろうけれども、
そんなふうに突然やって来たヤマトンチュに話したくはないはずだと、
彼らは静かにそう言いました。
そしてぼくも納得しました。

ぼくは、自分もまた、
沖縄の人たちの犠牲の上に生き長らえたヤマトンチュの一人なのだと思いました。

それから彼らは、久米島で起きたもう一つの出来事を教えてくれました。

終戦の年の六月、沖縄本島の日本軍が敗北したあと、
米軍が島出身の日本兵捕虜に案内させて久米島に上陸することになりました。
その日本兵は、島には数人の通信兵がいるだけで軍備はないことを米軍に伝え、
島を攻撃しないよう米軍を説得したそうです。
米軍は彼の話を聞き入れてくれて平和的に上陸し、
島人は一人も傷つかずにすみました。

でもなんとその日本兵は殺されたのです。
殺したのは島にいた日本の通信隊。
理由は米軍に通じたスパイ容疑だったそうです。
家ごと焼き払われたというからすさまじいものです。
のちに「久米島の虐殺」として知られる戦争末期の悲劇です。


シナリオは書きました。書きましたが、我ながら出来はイマイチで、いくつかのテレビ局を持ち歩きましたが、ものになりませんでした。
やっぱりその人から直接取材できなかったのが痛かった、と言いたいところですが、
実のところは自分の創作力の足りなさを思い知ったのでした。


そういえばあのとき、
「久米島の虐殺」について語ってくれた老人が言ったことを今も覚えています。
「久米島で実戦がなかったのは、久米島に軍備がなかったからです。丸腰の人間に銃を向ける者はやっぱりおらんのですよ」

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この旅行記へのコメント (2)

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  • kioさん 2006/05/23 22:34:56
    久米島・ある島人の物語…を読んで、、
    >でも直接会うのだけはおやめなさいと、老人たちは言いました。
    そのときはそういうシチュエーションで、
    親しくなった泊り客に打ち明ける気になったのだろうけれども、
    そんなふうに突然やって来たヤマトンチュに話したくはないはずだと、
    彼らは静かにそう言いました。

    人には誰もが触れられたくない過去も有るだろうし
    或いは過去を引き摺って生きているんですね

    島の老人達の人間の機微に通じた深い洞察と心遣いに感服しました。


    KAUBE

    KAUBEさん からの返信 2006/05/24 21:33:59
    RE: kioさん、こんにちは
    久米島を早速読んでくださって、ありがとうございました。
    私のホームページの「歌」のサイトにあった小編をコピーしてみたものです。

    ところでkioさんの旅行記にはほとんど国内モノはないようですが、
    子供時代の松本一人旅の話がありますよね。
    最初はおずおずと、でも次第に肝がすわってきて、
    結構冷静に大人を批判し始めたりするあたり、おもしろいですね。
    五年生の子が、そういうことを自分から言い出したというのは、
    やっぱり旅好きの素質なんだろうと思います。

    私の場合はその年齢ではまだ戦争中で旅行どころではない時代。
    でも、実は私もその年齢で、
    将来の旅好きにつながるような体験をしています。
    これはいくらなんでも
    「旅のクチコミサイト」にはふさわしくないと思って遠慮していましたが、
    kioさんの文章があまりにも生々しく私の体験を思い出させてくれたので、
    やっぱり読んでもらうことにしました。
    これからそれを投稿します。


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