ハノイ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 目が覚めると香港の少し手前を飛行している。窓のシェードを開くと。案の定、眼下に重い雲海が広がっている。ハノイに到着するまでこの状態は変わらない。天気予報通り。飛行機が滑走路にさしかかったときに飛行場の奥に戦闘機らしき機体が見える。一般の空港には珍しい。<br /> バケッジクレームで荷物を待つ間、免税店で商品と値段をチェックする。国際空港のわりには店内は暗く、陳列棚には所々空きがある。電機シェーバーや保温器など家庭用電化製品などもならんでいるのが印象的。<br />$60換金。$1=15000ドン 10000ドンにおよそ0.008かけてやると日本円になる。図書館で借りてきた地球の歩き方2004〜5年版と変りがない。市内へはミニバスがある。2ドルで合意するが座席につくと行き先を訪ねられ、ホテル名を告げると5ドルだといわれる。3ドルで交渉成立。後から乗り込んだ隠居中のアメリカン爺さんは16000ドンまで頑張ったようだ。ついでに釣が1000ドン足りないといって必死にくいさがる。横にいた白人の姉ちゃんもチェインジだとなだめるが聞かない。ずっと無視していたドライバーもあきらめて1000ドン返す。バスが市内に入ると東南アジアに関しては随分経験を積んで馴れているつもりだった私しもちょっとしり込みする。バイクの交通量が非常に激しい。すべてカブとスクーターで中・大型のバイクは旅の最後まで見かける事がなかった。ホテルの前は一方通行らしく1分ほど歩いてくれと促される。降りてしばらくすると目的のザンチューホテルの看板は見つけたが、入口がない。1ブロックぐるりと回ってやっと理由が分かる。つぶれているのだ。小雨の中どうしようかとガイドを片手に歩き回る。バイクタクシーの連中がガンガン声をかけてくる。どうにかそこからそれほど遠くない場所にあるホアビンというホテルに到着。40〜50ドルと想定してたが、残っているのは70ドルの部屋だけだといわれる。もう時間も遅いのでチェックインする。部屋は30畳くらいありだだっ広い。シャワーで汗を流して表に出る。ベトナムはこれまで旅してきた東南アジアの街の中では最もエキゾチックな印象だ。家はフランス風。食事は中華。嫁は日本人。これがベトナム人の求める最上の生活だとある本に書いてあった。このフランス風の家を好むという嗜好が確かに街の景観に宿っている。ストローでできた三角帽子を被って、天秤を担いだ行商の女性達を見るのもベトナム特有。アオザイを着る女性は殆どいない。日本で着物を着る女性を見かけることよりは多いといった程度だ。<br /> 2時間ほど歩いた後、一件の大衆食堂に入る。ハノイ名物の揚春巻きと(ひき肉を生春巻きで包んでさらにパン粉で揚げた料理)、蛙と野菜の炒め物、白米、ハノイビールを頼む。料理はどれもうまい。白米はインディカ米だがタイ米のように強い匂いがなくて食べやすい。ハノイビールは淡泊で泡立ちが悪く、独特の匂いがありいまひとつ。タイガービールに切り替える。

ベトナム

5いいね!

2006/04/06 - 2006/04/09

3309位(同エリア4468件中)

0

10

にょにょ丸

にょにょ丸さん

 目が覚めると香港の少し手前を飛行している。窓のシェードを開くと。案の定、眼下に重い雲海が広がっている。ハノイに到着するまでこの状態は変わらない。天気予報通り。飛行機が滑走路にさしかかったときに飛行場の奥に戦闘機らしき機体が見える。一般の空港には珍しい。
 バケッジクレームで荷物を待つ間、免税店で商品と値段をチェックする。国際空港のわりには店内は暗く、陳列棚には所々空きがある。電機シェーバーや保温器など家庭用電化製品などもならんでいるのが印象的。
$60換金。$1=15000ドン 10000ドンにおよそ0.008かけてやると日本円になる。図書館で借りてきた地球の歩き方2004〜5年版と変りがない。市内へはミニバスがある。2ドルで合意するが座席につくと行き先を訪ねられ、ホテル名を告げると5ドルだといわれる。3ドルで交渉成立。後から乗り込んだ隠居中のアメリカン爺さんは16000ドンまで頑張ったようだ。ついでに釣が1000ドン足りないといって必死にくいさがる。横にいた白人の姉ちゃんもチェインジだとなだめるが聞かない。ずっと無視していたドライバーもあきらめて1000ドン返す。バスが市内に入ると東南アジアに関しては随分経験を積んで馴れているつもりだった私しもちょっとしり込みする。バイクの交通量が非常に激しい。すべてカブとスクーターで中・大型のバイクは旅の最後まで見かける事がなかった。ホテルの前は一方通行らしく1分ほど歩いてくれと促される。降りてしばらくすると目的のザンチューホテルの看板は見つけたが、入口がない。1ブロックぐるりと回ってやっと理由が分かる。つぶれているのだ。小雨の中どうしようかとガイドを片手に歩き回る。バイクタクシーの連中がガンガン声をかけてくる。どうにかそこからそれほど遠くない場所にあるホアビンというホテルに到着。40〜50ドルと想定してたが、残っているのは70ドルの部屋だけだといわれる。もう時間も遅いのでチェックインする。部屋は30畳くらいありだだっ広い。シャワーで汗を流して表に出る。ベトナムはこれまで旅してきた東南アジアの街の中では最もエキゾチックな印象だ。家はフランス風。食事は中華。嫁は日本人。これがベトナム人の求める最上の生活だとある本に書いてあった。このフランス風の家を好むという嗜好が確かに街の景観に宿っている。ストローでできた三角帽子を被って、天秤を担いだ行商の女性達を見るのもベトナム特有。アオザイを着る女性は殆どいない。日本で着物を着る女性を見かけることよりは多いといった程度だ。
 2時間ほど歩いた後、一件の大衆食堂に入る。ハノイ名物の揚春巻きと(ひき肉を生春巻きで包んでさらにパン粉で揚げた料理)、蛙と野菜の炒め物、白米、ハノイビールを頼む。料理はどれもうまい。白米はインディカ米だがタイ米のように強い匂いがなくて食べやすい。ハノイビールは淡泊で泡立ちが悪く、独特の匂いがありいまひとつ。タイガービールに切り替える。

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  •  旧市街の隣にあるホアンキム湖の脇で止まっていたタクシーに声をかける。2キロほど離れたマッサージ屋に20000ドンで行くように交渉する。運ちゃんの言い値は50000ドン。気分的に譲れなかったので何がなんでも20000ドンにさせる。この運ちゃんかなりお調子者で最初はジャパン・ナンバーワン!なんて叫んでいたが、散々道を間違えたあげくこれは30000じゃないと割に合わないみたいな事を延々毒づく。20000ドン渡してタクシーを降りる。アッカンベー。マッサージはひどかった。乱暴でいたい。おまけに終わった後チップとして10000ドン渡すと少ないと言われる。さすがにチップが少ない事をこれほど露骨に言われたのは初めてだったので思わず吹きだしてしまった。マッサージ師はいたって真顔で真剣そのもの。仕方なくもう10000ドン渡す。アメリカに勝つにはこのくらいたくましくないとだめなんだろう。

     旧市街の隣にあるホアンキム湖の脇で止まっていたタクシーに声をかける。2キロほど離れたマッサージ屋に20000ドンで行くように交渉する。運ちゃんの言い値は50000ドン。気分的に譲れなかったので何がなんでも20000ドンにさせる。この運ちゃんかなりお調子者で最初はジャパン・ナンバーワン!なんて叫んでいたが、散々道を間違えたあげくこれは30000じゃないと割に合わないみたいな事を延々毒づく。20000ドン渡してタクシーを降りる。アッカンベー。マッサージはひどかった。乱暴でいたい。おまけに終わった後チップとして10000ドン渡すと少ないと言われる。さすがにチップが少ない事をこれほど露骨に言われたのは初めてだったので思わず吹きだしてしまった。マッサージ師はいたって真顔で真剣そのもの。仕方なくもう10000ドン渡す。アメリカに勝つにはこのくらいたくましくないとだめなんだろう。

  • 2日目<br />7時に起きてグランドフロアーにあるレストランにいく。昨日は全く存在を感じられなかったが白人や中国系の年配の旅行者が多くの席を埋めている。確かにこれだけ盛況であれば部屋が余ってないのも仕方ないだろう。ビュッフェスタイルの朝食はほとんどがコンチネンタルだったが、唯一ベトナム料理のフォーがある。ホテルをチェックアウトした後、ハロン湾行きのバスが出るキルマーバスターミナルにタクシーで向かう。運転手はここがキルマーだと言って下ろそうとするがバスターミナルはどこにもない。どうやらその通りの名前がキルマーなのだろう。ピンポイントでバスターミナルを地図上で示すと理解したというようにうなずく。<br />到着したのは確かにバスターミナルだ。しかし外国人である私がどう好意的に見ても市バスのターミナルにしか見えない。スタッフにハノイ行きのバスを尋ねるとバカでも見るような目つきをされる。一人の男が33とバスナンバーを紙に書いてよこす。わからない。ハリウッドのベトナム戦争映画なんかをみるとベトナム人はみんな英語を話してたりするが、実際には殆どのベトナム人は英語を理解しない、私も片言のベトナム語も知らないからそれ以上のコミュニケーションはとれない。仕方がないからバス停の表記やバスについている行き先を一つ一つ見ていく。どこにもHa Longの文字は見当たらない。<br /> “あなたハロンに行きたいんでしょ?”“そうだ。”様子を窺っていたのだろう。一人の学生風の女の子が声をかけてきてそこに来たバスに私を引っ張り込む。“わたし学校で日本語勉強してるの”。“私の名前は〜”彼女がしゃべれる日本語はそれだけだ。このガイドブックによるとキルマーからハロン湾行きのバスが出ているはずなんだけど…。私がそのことを告げると彼女は周りにいる人達と相談しだした。どうやら彼女自身もどこからハロン行きのバスが出ているのか分からないようだ。ただ単に日本語を勉強しているからという親近感から私に声を書けてきただけなのだろう。がく然とする。次の停留所で慌てて降り、もと来た方向へ引き返すバスに乗る。キルマーまでたどり着き、そもそもそこが唯一のキルマーバスターミナルかどうか周囲の地理とガイドブックの地図が一致するか確認しよう。もしかしたら別に同名の長距離バスターミナルが近所にあるのかもしれない。キルマー通り沿いに歩いてしばらくすると地図上と同一の場所に金山寺という寺があった。地図は間違ってない。猿の惑星のラストシーンのチャールストン・ヘストンのように金山寺を仰ぎながらたたずむ。見たくないものを見てしまった気分。もうハロンに行くのをあきらめようか?頭をよぎる。どこに行っていいのやら分からないがとりあえずターミナルに戻る。そうだ、もしかしたら…藁にもすがる気持ちでターミナルの奥にある事務所に行ってみる。そしてそこにいる職員にハロンに行きたい旨を伝える。すると別の男を指さし彼に聞きなと促す。はたして会話は成立した。流ちょうな英語で話し始める。“ここからはハロン行きのバスは出ていないよ。ハロン行きにはザンチューステーションにいきな。22番のバスで行けるよ。” 地球の歩き方が間違っているのだ。<br />YOU SAVE MY LIFE! <br />言うと彼はニカッと笑って手を振る。

    2日目
    7時に起きてグランドフロアーにあるレストランにいく。昨日は全く存在を感じられなかったが白人や中国系の年配の旅行者が多くの席を埋めている。確かにこれだけ盛況であれば部屋が余ってないのも仕方ないだろう。ビュッフェスタイルの朝食はほとんどがコンチネンタルだったが、唯一ベトナム料理のフォーがある。ホテルをチェックアウトした後、ハロン湾行きのバスが出るキルマーバスターミナルにタクシーで向かう。運転手はここがキルマーだと言って下ろそうとするがバスターミナルはどこにもない。どうやらその通りの名前がキルマーなのだろう。ピンポイントでバスターミナルを地図上で示すと理解したというようにうなずく。
    到着したのは確かにバスターミナルだ。しかし外国人である私がどう好意的に見ても市バスのターミナルにしか見えない。スタッフにハノイ行きのバスを尋ねるとバカでも見るような目つきをされる。一人の男が33とバスナンバーを紙に書いてよこす。わからない。ハリウッドのベトナム戦争映画なんかをみるとベトナム人はみんな英語を話してたりするが、実際には殆どのベトナム人は英語を理解しない、私も片言のベトナム語も知らないからそれ以上のコミュニケーションはとれない。仕方がないからバス停の表記やバスについている行き先を一つ一つ見ていく。どこにもHa Longの文字は見当たらない。
     “あなたハロンに行きたいんでしょ?”“そうだ。”様子を窺っていたのだろう。一人の学生風の女の子が声をかけてきてそこに来たバスに私を引っ張り込む。“わたし学校で日本語勉強してるの”。“私の名前は〜”彼女がしゃべれる日本語はそれだけだ。このガイドブックによるとキルマーからハロン湾行きのバスが出ているはずなんだけど…。私がそのことを告げると彼女は周りにいる人達と相談しだした。どうやら彼女自身もどこからハロン行きのバスが出ているのか分からないようだ。ただ単に日本語を勉強しているからという親近感から私に声を書けてきただけなのだろう。がく然とする。次の停留所で慌てて降り、もと来た方向へ引き返すバスに乗る。キルマーまでたどり着き、そもそもそこが唯一のキルマーバスターミナルかどうか周囲の地理とガイドブックの地図が一致するか確認しよう。もしかしたら別に同名の長距離バスターミナルが近所にあるのかもしれない。キルマー通り沿いに歩いてしばらくすると地図上と同一の場所に金山寺という寺があった。地図は間違ってない。猿の惑星のラストシーンのチャールストン・ヘストンのように金山寺を仰ぎながらたたずむ。見たくないものを見てしまった気分。もうハロンに行くのをあきらめようか?頭をよぎる。どこに行っていいのやら分からないがとりあえずターミナルに戻る。そうだ、もしかしたら…藁にもすがる気持ちでターミナルの奥にある事務所に行ってみる。そしてそこにいる職員にハロンに行きたい旨を伝える。すると別の男を指さし彼に聞きなと促す。はたして会話は成立した。流ちょうな英語で話し始める。“ここからはハロン行きのバスは出ていないよ。ハロン行きにはザンチューステーションにいきな。22番のバスで行けるよ。” 地球の歩き方が間違っているのだ。
    YOU SAVE MY LIFE!
    言うと彼はニカッと笑って手を振る。

  •  ザンチューとはどんな意味があるのだろう。つぶれたホテルもザンチューだったし、ターミナルもザンチューだ。なかなか縁がある。翌日、ハロンから帰りのバスに乗るときガイドブックに載っているもう一つの発着ターミナルであるロンビエン駅行きのバスを切符売り場のおばさんに希望するが、そんな便は存在しないと一蹴される。これほど大切なことを大胆に2つもいっぺんに間違えている旅行ガイドはさすがに初めてだ。<br />因にハロン行きのバスターミナルとしてザンチューステーションの名前は一言もない。キルマーバスターミナルの職員がみんなしてあきれ顔をしていたのはきっと私と同様の日本人旅行者が何年にもわたって訪れてきたからだろう。とにかく2時間費やしたのち、どうにかザンチューにてハロン湾行きのバスチケットを手に入れる。<br />バスの中では隣に腰かけた少年が私になついて話しかけてくる。彼は6月にオーストラリアいき、そこで10ヶ月英語の勉強をするために留学するという。その申請と支払のためハノイに来て母親と弟と一緒にハイフォンに帰るのだという。将来はコンピューターのプログラマーを目指すサッカー少年。ドイモイ(刷新=改革開放やペレストロイカと同様の意)の申し子といったところだ。もともとベトナム人は教育熱心だ。70年代にアメリカなどに渡ったボートピープルの子が学校では高い比率でトップレベルの成績を修めていたという話も聞く。識字率は94%ととても高い。国境を接した周辺国の中ではトップだ。中国で84%、次いでカンボジア65%、ラオス57%。日本は戦後奇跡の復興を遂げたと言われるが、短期間で復興した理由は明確だ。戦争では街が焼かれ焦土となり荒廃する。しかし、人は戦争で負けても突然バカになったりはしない。マッカーサーが日本に来たとき靴磨まで新聞を読んでいるのを見て驚いたという話は有名である。ハードは失ってもソフトである人の能力は変わらず残る。経済はボロボロだから通貨は安くなり生産コストも安くなる。輸出が増え国は潤う。もちろん朝鮮やこのベトナムで行われた戦争によって得た特需の影響もあるが、前提としてはこのような明確な素地があったのだ。同様の事は敗戦国である旧西ドイツやイタリアにも言える。ベトナムはアメリカとの戦争に勝った。とは言っても負けなかったというほうが正しい。戦争を語るうえでの原則として最後にその土地を占拠したものが勝者と呼ばれるからだが、ベトナム人の犠牲者は南北合わせて150万人を越え、一説には400万人にものぼるという。一方アメリカ兵の犠牲者は3万人程度だ。アメリカと戦い。圧倒的な犠牲者を出し、勤勉で教育水準が高い国。日本との共通点も多い。歴史的にもアジアの国で台風に救われモンゴルの征服を受けなかった数少ない国でもあるから何となく親近感がある。果たして10年、20年先にこのような少年が社会の担い手になったとき、どのようにこの国が変貌を遂げるのか興味深い。<br />ベトナムのドライバーはかなり運転が粗っぽい。決して狭くない道路の両側はチャリンコやバイクが行き交うので車は中央を走る。前方から対向車が来たときはぎりぎりでよける。まるでチキンレースだ。じっとそれを見ていると恐ろしくてしょうがないから目をそらすようにする。しかし、4日間の旅を通して一度として交通事故やその現場を見ることはなかった。

     ザンチューとはどんな意味があるのだろう。つぶれたホテルもザンチューだったし、ターミナルもザンチューだ。なかなか縁がある。翌日、ハロンから帰りのバスに乗るときガイドブックに載っているもう一つの発着ターミナルであるロンビエン駅行きのバスを切符売り場のおばさんに希望するが、そんな便は存在しないと一蹴される。これほど大切なことを大胆に2つもいっぺんに間違えている旅行ガイドはさすがに初めてだ。
    因にハロン行きのバスターミナルとしてザンチューステーションの名前は一言もない。キルマーバスターミナルの職員がみんなしてあきれ顔をしていたのはきっと私と同様の日本人旅行者が何年にもわたって訪れてきたからだろう。とにかく2時間費やしたのち、どうにかザンチューにてハロン湾行きのバスチケットを手に入れる。
    バスの中では隣に腰かけた少年が私になついて話しかけてくる。彼は6月にオーストラリアいき、そこで10ヶ月英語の勉強をするために留学するという。その申請と支払のためハノイに来て母親と弟と一緒にハイフォンに帰るのだという。将来はコンピューターのプログラマーを目指すサッカー少年。ドイモイ(刷新=改革開放やペレストロイカと同様の意)の申し子といったところだ。もともとベトナム人は教育熱心だ。70年代にアメリカなどに渡ったボートピープルの子が学校では高い比率でトップレベルの成績を修めていたという話も聞く。識字率は94%ととても高い。国境を接した周辺国の中ではトップだ。中国で84%、次いでカンボジア65%、ラオス57%。日本は戦後奇跡の復興を遂げたと言われるが、短期間で復興した理由は明確だ。戦争では街が焼かれ焦土となり荒廃する。しかし、人は戦争で負けても突然バカになったりはしない。マッカーサーが日本に来たとき靴磨まで新聞を読んでいるのを見て驚いたという話は有名である。ハードは失ってもソフトである人の能力は変わらず残る。経済はボロボロだから通貨は安くなり生産コストも安くなる。輸出が増え国は潤う。もちろん朝鮮やこのベトナムで行われた戦争によって得た特需の影響もあるが、前提としてはこのような明確な素地があったのだ。同様の事は敗戦国である旧西ドイツやイタリアにも言える。ベトナムはアメリカとの戦争に勝った。とは言っても負けなかったというほうが正しい。戦争を語るうえでの原則として最後にその土地を占拠したものが勝者と呼ばれるからだが、ベトナム人の犠牲者は南北合わせて150万人を越え、一説には400万人にものぼるという。一方アメリカ兵の犠牲者は3万人程度だ。アメリカと戦い。圧倒的な犠牲者を出し、勤勉で教育水準が高い国。日本との共通点も多い。歴史的にもアジアの国で台風に救われモンゴルの征服を受けなかった数少ない国でもあるから何となく親近感がある。果たして10年、20年先にこのような少年が社会の担い手になったとき、どのようにこの国が変貌を遂げるのか興味深い。
    ベトナムのドライバーはかなり運転が粗っぽい。決して狭くない道路の両側はチャリンコやバイクが行き交うので車は中央を走る。前方から対向車が来たときはぎりぎりでよける。まるでチキンレースだ。じっとそれを見ていると恐ろしくてしょうがないから目をそらすようにする。しかし、4日間の旅を通して一度として交通事故やその現場を見ることはなかった。

  •  ガイドブックにはインフラが整備されたため2時間30分ほどでハロンに到着すると記してあったが、結局5時間ほどかかった。この点も誤りである。もちろん行き、帰りとも渋滞があったわけでもない。<br /> 海辺の道を歩いてホテルを探す。二件目に立ち寄ったハロングランドホテルは真新しい12階建てのビルディング。プールやその他の施設がまだ工事中だという。案内された部屋は11階のオーシャンビュー。ベランダはないが、おかげで室内からは景色を阻むものは何もなく足下まで海が広がっている。60ドルでチェックイン。シャワーを浴び近くの海鮮料理屋でシャコの炒め物と焼きそばを食べる。焼きそばはインスタントヌードル使用。シャコはスパイシーでまあ無難な味だ。<br />隣のホテルにあるマッサージ店にいく。湿った空気の漂う留置所みたいな窓のない陰気な個室に案内され裸になることを強要される。恥ずかしいのでパンツだけは許してもらう。マッサージ師は若い女の子だがひどく乱暴で天井のパイプにつかまりながら全体重をかけてガンガン背中を踏みにじる。息が出来ないほどくるしい。拷問部屋だ。最後に男根をわしづかみにして“マッサージするか?”何度も尋ねてくる。やっぱり踏みにじるのだろうか?昨日の事もあったので出がけにチップを20000わたす。“すもーるすもーる”間髪入れずに言ってくる。げんなりしてもう10000渡す。“すもーるすもーる!”いったいいくら欲しいんだと訪ねると“ミリオン!”さすがにあきれ返ってそのまま背に罵声を浴びながら出てくる。金を払って拷問部屋で辱めをうけ、暴行されておまけにカツアゲまでされてハンベソ状態だ。ベトナムでは日本人と同じように贈り物をするときに“つまらないものですが”などとつつましい表現の言葉を使うとある本に書いてあったが、少なくともマッサージ師に対しては通用しなそうだ。<br />夜は部屋の明かりを消して窓外の漆黒の海を眺めながらしっぽりとビールをのむ。なにも見えないが間違いなくそこには海の広がりを感じるから不思議だ。やがて眠りの闇に誘われていく…。

     ガイドブックにはインフラが整備されたため2時間30分ほどでハロンに到着すると記してあったが、結局5時間ほどかかった。この点も誤りである。もちろん行き、帰りとも渋滞があったわけでもない。
     海辺の道を歩いてホテルを探す。二件目に立ち寄ったハロングランドホテルは真新しい12階建てのビルディング。プールやその他の施設がまだ工事中だという。案内された部屋は11階のオーシャンビュー。ベランダはないが、おかげで室内からは景色を阻むものは何もなく足下まで海が広がっている。60ドルでチェックイン。シャワーを浴び近くの海鮮料理屋でシャコの炒め物と焼きそばを食べる。焼きそばはインスタントヌードル使用。シャコはスパイシーでまあ無難な味だ。
    隣のホテルにあるマッサージ店にいく。湿った空気の漂う留置所みたいな窓のない陰気な個室に案内され裸になることを強要される。恥ずかしいのでパンツだけは許してもらう。マッサージ師は若い女の子だがひどく乱暴で天井のパイプにつかまりながら全体重をかけてガンガン背中を踏みにじる。息が出来ないほどくるしい。拷問部屋だ。最後に男根をわしづかみにして“マッサージするか?”何度も尋ねてくる。やっぱり踏みにじるのだろうか?昨日の事もあったので出がけにチップを20000わたす。“すもーるすもーる”間髪入れずに言ってくる。げんなりしてもう10000渡す。“すもーるすもーる!”いったいいくら欲しいんだと訪ねると“ミリオン!”さすがにあきれ返ってそのまま背に罵声を浴びながら出てくる。金を払って拷問部屋で辱めをうけ、暴行されておまけにカツアゲまでされてハンベソ状態だ。ベトナムでは日本人と同じように贈り物をするときに“つまらないものですが”などとつつましい表現の言葉を使うとある本に書いてあったが、少なくともマッサージ師に対しては通用しなそうだ。
    夜は部屋の明かりを消して窓外の漆黒の海を眺めながらしっぽりとビールをのむ。なにも見えないが間違いなくそこには海の広がりを感じるから不思議だ。やがて眠りの闇に誘われていく…。

  • 3日目<br />7時に目を覚ます。眼下にはどんよりとした霧に包まれた奇岩が連なり、上空には指先でつまんで引っ張ったらそこに溜まっていたものが弾けて濁流のように落ちてきそうな分厚い雲が広がっている。<br />ホテルのレストランの席は殆ど白人の老人たちで占められている。そして彼ら向けのコンチネンタル料理のビュッフェ。唯一の地元料理であるお粥とフォーボーだけ選んで席につく。お粥には佃煮のような小魚とエビ、高菜みたいなトッピングがある。まるで日本の朝食。<br />フロントで波止場まで送迎してくれないかと話しかけるがそんなサービスはないと断られる。チェックアウト時にミニバーと衣類のクリーニング、電話代を含めると1500円近い金額を請求される。外に出るといきなりスコール。屋台の軒下で15分ほど時間をつぶす。行き交うタクシーに手を振るがことごとく通過。小降りになってきたときにバイクタクシーが声をかけてくるのでハロン湾クルーズのチケットが買えるベンタウズーリックまでいくらだと訪ねる。“1ドル”だという。多分トリプルチャージだが面倒くさいから交渉しないで後ろに乗る。時間があれば延々交渉してこちらの言い値まで下げさせるのだが、4日間の旅行である。数十円で消耗したくない。すぐにまた雨が強くなる。ご馳走するから喫茶店に入って時間を潰そうと提案する。ベトナムコーヒーはまったりと甘くて濃厚な味だ。ドライバーの男はコーヒー代だと小銭を私に渡そうとするが断る。彼らはプライドが高く、決して豊かではないが乞食のように人からほどこしを受けるような事を嫌うというが、さすがに円高なんだからこのくらいのサービスは受けてもらってもいいと感じた。それにしてもこんな雨の中、船は出航するのだろうか?

    3日目
    7時に目を覚ます。眼下にはどんよりとした霧に包まれた奇岩が連なり、上空には指先でつまんで引っ張ったらそこに溜まっていたものが弾けて濁流のように落ちてきそうな分厚い雲が広がっている。
    ホテルのレストランの席は殆ど白人の老人たちで占められている。そして彼ら向けのコンチネンタル料理のビュッフェ。唯一の地元料理であるお粥とフォーボーだけ選んで席につく。お粥には佃煮のような小魚とエビ、高菜みたいなトッピングがある。まるで日本の朝食。
    フロントで波止場まで送迎してくれないかと話しかけるがそんなサービスはないと断られる。チェックアウト時にミニバーと衣類のクリーニング、電話代を含めると1500円近い金額を請求される。外に出るといきなりスコール。屋台の軒下で15分ほど時間をつぶす。行き交うタクシーに手を振るがことごとく通過。小降りになってきたときにバイクタクシーが声をかけてくるのでハロン湾クルーズのチケットが買えるベンタウズーリックまでいくらだと訪ねる。“1ドル”だという。多分トリプルチャージだが面倒くさいから交渉しないで後ろに乗る。時間があれば延々交渉してこちらの言い値まで下げさせるのだが、4日間の旅行である。数十円で消耗したくない。すぐにまた雨が強くなる。ご馳走するから喫茶店に入って時間を潰そうと提案する。ベトナムコーヒーはまったりと甘くて濃厚な味だ。ドライバーの男はコーヒー代だと小銭を私に渡そうとするが断る。彼らはプライドが高く、決して豊かではないが乞食のように人からほどこしを受けるような事を嫌うというが、さすがに円高なんだからこのくらいのサービスは受けてもらってもいいと感じた。それにしてもこんな雨の中、船は出航するのだろうか?

  •  1時間もそうしていたのだろうか。小雨になったのでバイクに乗り込む。彼の背にはじっとりとした汗の匂いが漂う。数分後にとある食堂の前でバイクは止まる。どうしたんだろう?店のオヤジに運ちゃんが交渉を始める。それが終わるとオヤジは船を見てくれと私を案内する。“この船だ。この船で1時間ハロン湾を周遊できるぞ!貸し切りだ。値段?う〜ん20ドル。何?ガイドブックには7ドルで1時間クルーズだって?いやいや7ドル1時間のクルーズ船はもうとっくに出航しちゃったよ。後はもう4時間クルーズしか残ってないんだ。何?ベンタウズーリックに行きたいだって?ここはベンタウズーリックだよ。ここがベンタウズーリックなんだ”見え見えの嘘だ。あきれたし、腹が立った。運転手を叱って先に行けと命令しようと思ったが、次の瞬間、7歳くらいの男の子がニコニコと私の顔を見ながら船の陸付けを手伝い始めた。私は刹那に彼の里親にでもなったような気持ちになってしまった。年端もいかない子供が親の手伝いをしているけなげな姿を見て私は感傷的になって、なんの交渉もないまま20ドルの支払に応じてしまった。運ちゃんには横っ面をひっぱたいてやりたい気持ちで一杯だったが我慢した。もちろん彼らには子供をダシに使っていかがわしい商売をしている気持ちなんてないはずだ。ただ、金持ちの日本人から多少なりとも多くの金をせしめてやろうという気持ちで嘘八百を並べ立てているだけなのだ。それにチャーターでプラス13ドルだったら少なくともボッタクリではない。もちろんこちらの立場としてはチャーターである必要もないのだが…。運ちゃんはおいらも乗せてくれよとせがむ。断る理由もない。ただ、彼には憤りを感じずにはいられなかった。珈琲おごってやったのに…。喫茶店で時間をつぶすあいだ、吸いたくもないタバコ買ってわけあたえたのに…。つけ込みやがって。せこくて。おんぎせがましい気持ちで一杯なる。しかし、一番腹の立つのは自分のお人よしぶりだ。<br /> 1時間のクルーズは私にとっては十分なものだった。多分、4時間も乗っていたらさすがに飽きてしまうだろう。ホテルに行って預けていた荷物をピックアップしてバスターミナルに行き、ハノイ行きの40000ドンのバスチケットを買う。申し訳ないほどベトナムのバスは安い。300円程度だ。因に市バスは一律3000ドン。

     1時間もそうしていたのだろうか。小雨になったのでバイクに乗り込む。彼の背にはじっとりとした汗の匂いが漂う。数分後にとある食堂の前でバイクは止まる。どうしたんだろう?店のオヤジに運ちゃんが交渉を始める。それが終わるとオヤジは船を見てくれと私を案内する。“この船だ。この船で1時間ハロン湾を周遊できるぞ!貸し切りだ。値段?う〜ん20ドル。何?ガイドブックには7ドルで1時間クルーズだって?いやいや7ドル1時間のクルーズ船はもうとっくに出航しちゃったよ。後はもう4時間クルーズしか残ってないんだ。何?ベンタウズーリックに行きたいだって?ここはベンタウズーリックだよ。ここがベンタウズーリックなんだ”見え見えの嘘だ。あきれたし、腹が立った。運転手を叱って先に行けと命令しようと思ったが、次の瞬間、7歳くらいの男の子がニコニコと私の顔を見ながら船の陸付けを手伝い始めた。私は刹那に彼の里親にでもなったような気持ちになってしまった。年端もいかない子供が親の手伝いをしているけなげな姿を見て私は感傷的になって、なんの交渉もないまま20ドルの支払に応じてしまった。運ちゃんには横っ面をひっぱたいてやりたい気持ちで一杯だったが我慢した。もちろん彼らには子供をダシに使っていかがわしい商売をしている気持ちなんてないはずだ。ただ、金持ちの日本人から多少なりとも多くの金をせしめてやろうという気持ちで嘘八百を並べ立てているだけなのだ。それにチャーターでプラス13ドルだったら少なくともボッタクリではない。もちろんこちらの立場としてはチャーターである必要もないのだが…。運ちゃんはおいらも乗せてくれよとせがむ。断る理由もない。ただ、彼には憤りを感じずにはいられなかった。珈琲おごってやったのに…。喫茶店で時間をつぶすあいだ、吸いたくもないタバコ買ってわけあたえたのに…。つけ込みやがって。せこくて。おんぎせがましい気持ちで一杯なる。しかし、一番腹の立つのは自分のお人よしぶりだ。
     1時間のクルーズは私にとっては十分なものだった。多分、4時間も乗っていたらさすがに飽きてしまうだろう。ホテルに行って預けていた荷物をピックアップしてバスターミナルに行き、ハノイ行きの40000ドンのバスチケットを買う。申し訳ないほどベトナムのバスは安い。300円程度だ。因に市バスは一律3000ドン。

  • 夕方になってゴールデンキーホテルに到着。街中にありながら大通りから少し奥まったロケーションにあるので、夜は静かに眠れそうだったのが選んだ理由。翌日の夜11時30分のフライトだから7時頃まで荷物を預けてもらえるか確認した後チェックイン。<br /> 市場や旧市街を歩き回った後、一軒のベトナムレストランに立ち寄る。生春巻き、ハノイ名物タニシ。それから孵化寸前のアヒルのゆで卵ホビロンを頼む。3日目の夜にして初めて生春巻きを食べる。とにかくライスペーパーが素晴らしい。薄きこと紙のごとし。景徳鎮窯の器の様に繊細にして滑らか。タニシは廬山人の好物だが彼は半生を好み、ジストマにやられて死んだと伝えられている。まさにこの料理が半生っぽかったので食欲が萎えた。彼の著書の中で世の中で最も旨いものは、海のものなら河豚、山のものならワラビだと紹介していたことを思いだした。理由はどちらも味が無いからだという。そして、この世の最後の食卓で口にしたこのタニシも非常に淡泊だ。殆ど味が無く、ソースをつけないとコリコリとした筋肉質の部分と肝のぬるぬるとした触感だけしかない。ホビロンはもっそりした味の濃いゆで卵と行った感じ。エイリアンの卵みたいなのを箸で割ると幼いドナルド君が口をぱっかり開いて顔をのぞかせる。“さすがにアフラック!”とは叫ばない。<br />ホアンキム湖の脇にあるビルにマッサージ屋を発見。灯台下暗し。若い女の子のマッサージ師だが上手に丁寧に指圧してくれる。出がけに40000チップを渡す。そんなに支払う必要はないのだろうが気持ちとして昨日の拷問マッサージよりも少ないなんて許されない。もちろん彼女も少ないなんて言わない。<br /> 眠りにつくにはほんのちょっと早かったので、ホテルの近くで一軒だけ明りの灯るバーに立ち寄る。店の作りはどう見ても普通のバーなのだが。中に入ると若い女の子が各テーブルの男達の相手をしている。ベトナムのキャバクラといったところだろうか。頼んだジントニックをもってきてくれた女の子がベトナムに何しに来たの?と訪ねてくる。“君に会いに来たんだ。この国で一番美しい。世界遺産のハロン湾に行ってきたけど、君の方がはるかに美しい。君こそ世界遺産だ。すばらしい。そ〜ふぁびゅら〜す。ふぁびゅら〜す。ふぁんたすてぃっく”<br />くすくす笑ってくれる。<br /> 実際彼女はとっても奇麗だったし、楽しかった。ほめちぎったお返しなのかその後、3杯のドラフトビールを飲み干し、店を出るまで彼女はずっと相手をしてくれた。

    夕方になってゴールデンキーホテルに到着。街中にありながら大通りから少し奥まったロケーションにあるので、夜は静かに眠れそうだったのが選んだ理由。翌日の夜11時30分のフライトだから7時頃まで荷物を預けてもらえるか確認した後チェックイン。
     市場や旧市街を歩き回った後、一軒のベトナムレストランに立ち寄る。生春巻き、ハノイ名物タニシ。それから孵化寸前のアヒルのゆで卵ホビロンを頼む。3日目の夜にして初めて生春巻きを食べる。とにかくライスペーパーが素晴らしい。薄きこと紙のごとし。景徳鎮窯の器の様に繊細にして滑らか。タニシは廬山人の好物だが彼は半生を好み、ジストマにやられて死んだと伝えられている。まさにこの料理が半生っぽかったので食欲が萎えた。彼の著書の中で世の中で最も旨いものは、海のものなら河豚、山のものならワラビだと紹介していたことを思いだした。理由はどちらも味が無いからだという。そして、この世の最後の食卓で口にしたこのタニシも非常に淡泊だ。殆ど味が無く、ソースをつけないとコリコリとした筋肉質の部分と肝のぬるぬるとした触感だけしかない。ホビロンはもっそりした味の濃いゆで卵と行った感じ。エイリアンの卵みたいなのを箸で割ると幼いドナルド君が口をぱっかり開いて顔をのぞかせる。“さすがにアフラック!”とは叫ばない。
    ホアンキム湖の脇にあるビルにマッサージ屋を発見。灯台下暗し。若い女の子のマッサージ師だが上手に丁寧に指圧してくれる。出がけに40000チップを渡す。そんなに支払う必要はないのだろうが気持ちとして昨日の拷問マッサージよりも少ないなんて許されない。もちろん彼女も少ないなんて言わない。
     眠りにつくにはほんのちょっと早かったので、ホテルの近くで一軒だけ明りの灯るバーに立ち寄る。店の作りはどう見ても普通のバーなのだが。中に入ると若い女の子が各テーブルの男達の相手をしている。ベトナムのキャバクラといったところだろうか。頼んだジントニックをもってきてくれた女の子がベトナムに何しに来たの?と訪ねてくる。“君に会いに来たんだ。この国で一番美しい。世界遺産のハロン湾に行ってきたけど、君の方がはるかに美しい。君こそ世界遺産だ。すばらしい。そ〜ふぁびゅら〜す。ふぁびゅら〜す。ふぁんたすてぃっく”
    くすくす笑ってくれる。
     実際彼女はとっても奇麗だったし、楽しかった。ほめちぎったお返しなのかその後、3杯のドラフトビールを飲み干し、店を出るまで彼女はずっと相手をしてくれた。

  • 4日目<br /> 最終日は市内をくまなく歩くことにする。初めての街を歩くと地図を見ていないとすぐに自分がどこにいるのか分からなくなる。興味の向くままに歩き続けると思ってもいなかったものに出会う。旅の醍醐味だ。まずはホテルから歩いてたったのワンブロック先にあるホアロー収容所。フランス人がベトナムを統治していた時に政治犯を収容するために作られた施設であり。ベトナム戦争の北爆の時には撃墜されたB52のパイロットを留置した捕虜収容所でもある。どちらにしても歴史の暗部なのだろうが、フランス人がここで行ったことは如何に残忍で非道かということをギロチン台や拷問器具などでおどろおどろしく説明しているが、自分たちがアメリカ人のパイロットに対してはいかにも人道的な扱いをしたように表現されている。兵士達が囚人服を着ながらもインタビューを受けている姿、ビールを片手に乾杯していたり、教会に連れていかれて説教を受けていたり、台所で芋の皮むきしていたりする写真などが展示されている。<br /> 朝食にブン ボーという汁の少ないビーフン麺を出す店に入る。店内では中国製の歴史ドラマが放送されていて嫌な予感がする。案の定、日本兵士が大量虐殺をするシーンが出る。<br /> 外に出てベトナム風サンドウィッチを一つ買って歩きながら食べる。フランスパンにレバーペーストを挟んでチリソースをかけたものだが思っていた通り旨い。フランスパンの表面がパリッとして、軽やかでそれほど堅くないのがなによりもいい。パリジャンでもバケットでも日本でこのてのパンにかぶりつくと、気をつけないと口の中が血まみれになる。

    4日目
     最終日は市内をくまなく歩くことにする。初めての街を歩くと地図を見ていないとすぐに自分がどこにいるのか分からなくなる。興味の向くままに歩き続けると思ってもいなかったものに出会う。旅の醍醐味だ。まずはホテルから歩いてたったのワンブロック先にあるホアロー収容所。フランス人がベトナムを統治していた時に政治犯を収容するために作られた施設であり。ベトナム戦争の北爆の時には撃墜されたB52のパイロットを留置した捕虜収容所でもある。どちらにしても歴史の暗部なのだろうが、フランス人がここで行ったことは如何に残忍で非道かということをギロチン台や拷問器具などでおどろおどろしく説明しているが、自分たちがアメリカ人のパイロットに対してはいかにも人道的な扱いをしたように表現されている。兵士達が囚人服を着ながらもインタビューを受けている姿、ビールを片手に乾杯していたり、教会に連れていかれて説教を受けていたり、台所で芋の皮むきしていたりする写真などが展示されている。
     朝食にブン ボーという汁の少ないビーフン麺を出す店に入る。店内では中国製の歴史ドラマが放送されていて嫌な予感がする。案の定、日本兵士が大量虐殺をするシーンが出る。
     外に出てベトナム風サンドウィッチを一つ買って歩きながら食べる。フランスパンにレバーペーストを挟んでチリソースをかけたものだが思っていた通り旨い。フランスパンの表面がパリッとして、軽やかでそれほど堅くないのがなによりもいい。パリジャンでもバケットでも日本でこのてのパンにかぶりつくと、気をつけないと口の中が血まみれになる。

  •  ドンスアンは街の北側に位置するハノイでは最大規模の市場だ。食器、衣類、食品等あらゆるものがならんでいる。ベトナムでは米の種類がとても多い。最近、飲食店でジャポニカ米以外の様々な米を出す店が東京でも増えてきたが、案外ここから輸出されているのかもしれない。河童橋で買ったら2500円くらいするシェーカーを500円で一つ買う。裏にはMade in Japanと刻印されている。いったいどんな流通システムでここに来てるのだろう。それにしても、ものの値段とは分からないものだ。<br /> 旧市街から少しはなれるとビアホイというビアガーデンが所々にある。この類いの店のドラフトビールは随分ライトな味だが、きりりと冷えて散歩の途中で汗をかいているときに飲むには最高だ。ベトナム人はこのような店を含め、街の至るところで朝からビールを楽しむ。

     ドンスアンは街の北側に位置するハノイでは最大規模の市場だ。食器、衣類、食品等あらゆるものがならんでいる。ベトナムでは米の種類がとても多い。最近、飲食店でジャポニカ米以外の様々な米を出す店が東京でも増えてきたが、案外ここから輸出されているのかもしれない。河童橋で買ったら2500円くらいするシェーカーを500円で一つ買う。裏にはMade in Japanと刻印されている。いったいどんな流通システムでここに来てるのだろう。それにしても、ものの値段とは分からないものだ。
     旧市街から少しはなれるとビアホイというビアガーデンが所々にある。この類いの店のドラフトビールは随分ライトな味だが、きりりと冷えて散歩の途中で汗をかいているときに飲むには最高だ。ベトナム人はこのような店を含め、街の至るところで朝からビールを楽しむ。

  •  ホーチミン廟の次に孔子廟を訪れる。私しが通う会社の近所にも孔子廟があるが、東京のコンクリートにペンキで着色された建物に比べると、こちらのがはるかに風格があって立派。当然、訪れる人の数も比例する。多くの欧米人を中心とした観光客が境内を行き交う。辺りが暗くなりだした頃、昨日夕食をとった旧市街にあるレストランに行く。食は広東にありの邸永漢氏は旅先でここぞと思う店があったら続けて行くべきだという。俄然、店側は腕に縒りをかけてもてなしてくれるのがその理由だ。Hang Bo通り沿いにあるこの店は明らかに外国人観光客をターゲットにした店だ。正直なところ地元民の行くような店に行きたいのだが、どこでどんな料理が出されるのかさっぱり分からない。ベトナムなんだから生春巻きくらいどこの店にもあるだろうと思うが、実際のところどこの店でもあるというわけではない。日本料理を代表する寿司がどこのレストランにもあるわけではないのと一緒だ。しかし、この店では例えメニューにないものでも頼めば作ってくれる。多様性があるから時間のない観光客のニーズにもちゃんと応えてくれるのだ。もちろん、なんでも出来るというのは何も専門的ではないという反面をもつという功罪がある事を忘れてはいけない。<br /> 海鮮スープと野菜炒め、メインに淡水魚の揚物を頼む。どれも昨日とはうって変わって量が多い。とても食べきれない。入れ替わり立ち替わりやって来て用事もないのに話しかけてくる気さくな店員たちに良かったら一緒に食べてくれないかと訪ねるが断られる。<br />食事を終えて外に出ると外はすっかり暗闇。残りわずかな時間を惜しみながら、今しばらくこの迷宮のように広がるハノイの商店街を彷徨う。

     ホーチミン廟の次に孔子廟を訪れる。私しが通う会社の近所にも孔子廟があるが、東京のコンクリートにペンキで着色された建物に比べると、こちらのがはるかに風格があって立派。当然、訪れる人の数も比例する。多くの欧米人を中心とした観光客が境内を行き交う。辺りが暗くなりだした頃、昨日夕食をとった旧市街にあるレストランに行く。食は広東にありの邸永漢氏は旅先でここぞと思う店があったら続けて行くべきだという。俄然、店側は腕に縒りをかけてもてなしてくれるのがその理由だ。Hang Bo通り沿いにあるこの店は明らかに外国人観光客をターゲットにした店だ。正直なところ地元民の行くような店に行きたいのだが、どこでどんな料理が出されるのかさっぱり分からない。ベトナムなんだから生春巻きくらいどこの店にもあるだろうと思うが、実際のところどこの店でもあるというわけではない。日本料理を代表する寿司がどこのレストランにもあるわけではないのと一緒だ。しかし、この店では例えメニューにないものでも頼めば作ってくれる。多様性があるから時間のない観光客のニーズにもちゃんと応えてくれるのだ。もちろん、なんでも出来るというのは何も専門的ではないという反面をもつという功罪がある事を忘れてはいけない。
     海鮮スープと野菜炒め、メインに淡水魚の揚物を頼む。どれも昨日とはうって変わって量が多い。とても食べきれない。入れ替わり立ち替わりやって来て用事もないのに話しかけてくる気さくな店員たちに良かったら一緒に食べてくれないかと訪ねるが断られる。
    食事を終えて外に出ると外はすっかり暗闇。残りわずかな時間を惜しみながら、今しばらくこの迷宮のように広がるハノイの商店街を彷徨う。

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