2005/12/31 - 2006/01/01
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tokyoboyさん
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所 在:東京都大田区山王1丁目6番地2号
目 標:JR大森駅北口から大井町駅寄り100m程度のところ。
連絡先:03-3771-1916 日枝神社
社格社名:村社 日枝神社
御祭神:大山咋命、大巳貴命
祭日(旧):例大祭6月15日、社年祭2月17日、新甞祭11月28日
祭日(新):例大祭9月第4土、日曜日
大正12年以前の祭日は9月15日でしたが、社殿改築と共に6月15日に定められ、その後再び変更されました。
由緒:当社は、遠く古のころ、土地の豪族酒井氏により、近江の国比叡山麓にある日吉神社の祭神、山王権現を土地に勧進祭祀されたものです。その後、延宝五年(1677年)円能寺が別当することとなり、明治初年まで同寺の管理下でした。その頃は『山王権現』又は単に『山王さま』と呼ばれてました。
延宝、元禄の頃、既に当地を山王村と称したと記録されてますので、その以前から当神社が鎮守として祭られていたと思われます。また、江戸幕府編纂の他紙『新編武蔵風土記稿の巻42』に山王社として『社地地頭徐地七敏二十歩、大井村の堺によりてあり当社あるを以ってこの辺りを土俗に山王村と呼ぶ、本社九尺四方、弊束を立て、神体とせり拝殿二間半前に石の鳥居を建つ、勧請の年代、詳ならず。稲荷社、本社に向って左にあり。』と記載されてます。
明治元年、神仏混淆の禁令と共に円能寺の手を離れ、日枝神社と名を改めました。御祭神は大山咋命(おおやまきのかみ)、 大巳貴命(おおなむちのかみ)の二柱が合祀されてます。大山咋命は木花咲耶姫の父神で、比叡山の地主神として尊ばれる神様です。大巳貴命は別の名を大国主命といいます。『おおなむち』とは古代語で大地主という意で田畑を神になぞらえたものといわれてます。また仏教の大黒天と混同して、大黒様と呼ばれ庶民に親しまれている神様です。尚、御祭神は書物によりますと必ずしもこれと同じでなく『入新井町誌』(昭和2年)には大巳貴命一柱の祭神と記載してあります。また、大田区文化財シリーズ第7集『大田区の神社』も大巳貴命一柱の祭神となっています。
この神社は古来、安産、子育て、縁結びに霊験あらたかといわれてます。
参考URL
http://www.soc.titech.ac.jp/~nakai/l_seminar/sanno/02-03.html
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【社殿】
現在の社殿は大正10年1月、氏子一同の協議を定め工匠林島作に工事を委託して大正12年5月に竣工しました。同年6月8日に村社に列せられ6月15日に投餅120俵を撒き、桟敷数箇所設け、盛大に祭が行われました。その後、太平洋戦争で米軍の爆撃(昭和20年)で拝殿は消失しましたが氏子一同の努力で昭和32年に社殿の再建しました。 -
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石の鳥居
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【手水鉢】
元は本殿の前方にあったものですが、大正12年に現在の所へ移したものです(平林亀太郎氏談)。刻銘は『奉納文政二巳卯正月寄進』『文化十癸酉正月伊勢参宮連中』。増田粂次郎、平林某、酒井、鈴木、磯部等の名が10名と世話人糀屋市蔵と刻まれています。文化10年(1813年)に伊勢参りをした人々が、6年後に奉納したものですが、文政元年は米が非常によく穫れたと記録にある年なので、豊作のお礼の気持ちで寄進されたものでしょう -
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【天皇陛下即位記念】
祝祭:天皇即位の祝祭(昭和3年)、大東京市に合併時の祝賀祭典(昭和7年)、そして再度の戦争により数多くの出征軍人を送ったのもこの神前でした。
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