2006/01/22 - 2006/01/22
1位(同エリア9件中)
obaqさん
タイズの高台にあるホテルの部屋からの風景
きのう観光したアルカハラ宮殿跡がよく見えます
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ホテルの部屋から
タイズの町。 -
窓の外側は鏡になっていました。
女性が外から見えないようにするイエメンの習慣がここでも生かされているのでしょうか。 -
第6日目1月20日(金) 晴れ 20〜29度 蒸し暑い
タイズ→アデン 180km
08:30 ホテル発
最初から最後まで私を乗せてくれた2号車の運転手。
優しいおじさんです。 -
09:00〜09:45
ディムナにて金曜バザールの見学(出発より33km) -
・やはり動物スークです。
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羊・山羊・牛・駱駝など
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ここではその場で動物を捌いて肉を売っていました。
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子供も一人前の仕事をします
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ラクダは売り物ではないようです。
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ラクダの持ち主のおじさん
女性陣はチップを払って乗せて貰い、記念写真。
立ち上がるときに振り落とされそうになっていました。 -
商売成立。
沢山の人混みの中で堂々とお金の勘定をしていました。 -
動物スークから離れます。
この満艦飾をご覧ください。
黒装束アパーヤの下では、誰もがこういう派手なものを着飾っているそうです。
外側が黒ばかりの反動でしょうか。 -
ひょうたんの種類でしょう。
フタがカップを兼ねています。 -
BC11世紀頃の昔からイスラエルやエジプトの宗教儀式に不可欠の乳香です。
シバ王国時代は南アラビアでは香料の道の宿場町として大繁栄しました。 -
野菜スークです。
にんじんや大根は小振りですが、生のままかじっても甘みが多く大変美味しいものです。
にんじん一本ぐらいは、すぐに食べられます。 -
私たちの周りには何十にも人垣が出来てしまいます・
抜け出して外から撮りました。 -
食べ物スークの見学。
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さて、アデンに向けて出発
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低い山が何重にも墨絵のように重なっていました。
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南北イエメンに別れていた時代の、旧南北国境の街ラヒダを通過
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旧南北国境線
この小高い山から先は旧南イエメンの領土でした。 -
10:30〜10:50
温泉(出発より74km)へ立ち寄ることにしました。 -
温泉と言ってものんびりしたものです。
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ちょろちょろ流れる温泉の川や池、それに乗るとふわふわで柔らかく暖かい地面があちこちにあります。
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温泉の施設
プールのようになっていて誰でもただで入れます。 -
10分ほど足湯につかい、軽い足取りで再出発。
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11:23
もう初日から数えると十数回目の検問(出発より119km)
非常に多いです -
途中 アデンまで半砂漠の景色が続きます
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11:50〜12:00
運転手カートを買う(出発より151km) -
インド洋の半島に位置するアデンに入ります。
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遠浅の海にはフラミンゴがいました。
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12:25〜12:30
写真ストップ(出発より176km)
・フラミンゴの写真 -
海上道路(コーズ・ウェー)の途中
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アデンの町に入ったところで昼食です。
久しぶりの海鮮料理 -
それとパスタでした
モロヘイヤ、エビフライがおいしい シシカバブもありました -
昼食後、四駆の運転手と一時別れます。
3台の四駆はそのままムカッラヘ夜通しで走り続ける事になります。 -
明日は私たちは空路ムカッラヘ向かい、空港で待ち受ける運転手たちと再会の予定です。
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・スーツケースは、4WDに積み込む 1泊分のお泊まりセットを用意
小さめのバスに乗り換え、市内観光へ
先ずは漁港の小さな市場へ -
名前の知らない魚が見られました。
・アデンの人口80万人 -
昔から世界的国際港であったため、色々な人種(インド・中国・マレーシア・インドネシア・ジプチ)が住み、開放的な雰囲気があります
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これは誰が見ても鮫ですね。
・1837年にイギリスが最初にシエラ島へ上陸した
1939年から1967年までイギリスはアデンを植民地にします -
フカヒレの干したものは中国に輸出だそうです。
1967年に南イエメンとして独立します。 -
セミエビ
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クレーターと呼ばれる旧市街観光
犬や猫ではなく山羊がうろついていました。 -
14:14〜14:30
モスクの見学
・アブダッラー・アイドルース・モスク -
ハドラマウト出身のアブダッラーが、メッカ巡礼の帰りに立ち寄る
ここにもお姫様ドレスに裸足の少女が・・・
そして自家用車に乗り込みました。 -
結局ここに住み着き、神秘主義を広めました
1488年モスクを建設
1508年ここで亡くなる
モスクは見られないが、アブダッラーや家族の墓を見学 -
・ミナレットはインドネシア様式
・何回も破壊と修復を繰り返し、最近では1994年の内戦の際にも一部破壊されたそうです -
14:35〜15:03
アデン・タンクの見学 -
1854年イギリスによって発見される
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岩山の斜面を利用して17の貯水池が作られる
11が現存 -
ヒムルヤ王国時代の紀元後3世紀頃に作られたものだそうです→確証はないとのこと
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アデンタンクからの旧市街
クレーターと呼ばれる -
15:10〜15:20
アデンゲートの見学
・15世紀後オスマン・トルコによって城壁とゲートが建設されました
イギリス時代に修復 -
車窓から
途中 ロシア、イギリス、イエメン様式など色々な様式の建物が並んでいました。
ムスリム初の共産圏になったりイギリス統治下におかれたり、色々な時代を経てきたことが忍ばれます。 -
15:30〜15:55
旧アデン客船港の見学 -
・スチーマー・ポイント(タワーヒー)
植民地風の入国検査場 -
・1869年のスエズ開通から1967年の南イエメン独立まで、世界有数の自由貿易港として栄えた
夏目漱石・森鴎外もここに立ち寄ったそうです
回りには旧免税店の看板が並びます -
港の船ではもう瘤取り兄さんたちが横たわってカートの陶酔?に浸っています。
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これは最高だよ!
って言ったかどうか。 -
エリザベス女王が1950年頃?新婚旅行で訪れた折りRegencyに宿泊→時間を聞いたがわからなかった。
そのため小ビックベンを建てた→そうですが・・・ -
ホテルへ向かう途中海岸沿いを走りました。
16:00〜16:05
写真ストップ -
男女一緒に裸になれません。
少ないが女性専用のビーチもあるそうですが。
ひやー!ここでは黒い服で泳いでいます -
男女一緒だとこういう形になるんですね〜
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象の鼻と言われるところにホテルがあります。
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リゾートホテル到着
海岸ぞばのロッジが私たちの部屋
早速表へ -
明日は空路ムカッラヘ向かっら
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この旅行記へのコメント (4)
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- fkさん 2006/02/21 18:02:31
- セミエビ
- obaqさん,
セミエビって美味しいのでしょうか?
ともかくこのページ一票です。
- obaqさん からの返信 2006/02/21 21:00:12
- RE: セミエビ
- 残念ながら、市場で見ただけで食べなかったのです。
海の生物だから生臭さはないと思います。
エビと大して変わらないのでは・・・
といっても伊勢エビと他のエビは大きな差がありますよね・
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- ginさん 2006/02/16 23:35:10
- またまたお邪魔です.
- 北と南では少し雰囲気が違って来ますね,北は閉鎖的で南にいくほど開放的に見えますが...海の せいだけでは無さそうですね.しかしアラブの世界は何処へ行っても男性社会ですね,でも家庭の中ではけっこう女性の方が強かったりして...(笑).女性がかむって居る黒装束はアパーヤというのですか,ブアカとはまた違う物なのですね.それにしても隠されたきらびやかさは一種の神秘的な雰囲気が漂っていますね.私の邪心でしようか(笑) Gin
- obaqさん からの返信 2006/02/17 07:36:40
- RE: またまたお邪魔です.
- Ginさん、いつもコメントを有り難うございます。
南北に別れていたときに、南はイギリスの統治下にあったり、ムスリム初の共産圏に属したりしたので、そういった影響が沢山残っているようです。
それになによりアデンの町は、昔、香料の道の輸出入拠点でもあり、その後ユーラシアとヨーロッパ、アフリカを結ぶ、世界有数の貿易拠点でもあったのですね。
今のドバイのような感じだったのかも知れません。
泊ったリゾート地の海岸では、女子大生は皆顔を見せていました。
色々な面で開放的な部分が見られました。
表面は男性社会のように見えますが、私にはやっぱり女性が家族の主体になっているような気がします。
色々な男性有利な習慣も、態度の中に女性が自分から誇りと威厳を持ってやっているのだというオーラがあふれていたのを強く感じましたから。
アパーヤについてはワンピースとトゥーピースがあって、名前が違うようでしたが、よく分らないので「アパーヤ」で統一してしまいました。
イランではチャドルといったり国によって違った呼び方をしていますよね。
次回のムカッラのスーク散策では女性の下着をお見せできると思います。
凄いですよ〜〜(笑
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