2005/11/07 - 2005/11/15
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seitani5766さん
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今回の旅は、サウスカロライナ州チャールストンで南北戦争の跡を見ることと、サウスカロライナの諸都市を巡ることであった。でも、行ってみると南北戦争の原因ともなった奴隷の輸入の歴史もあった。Charleston(チャールストン)では、奴隷輸入の約1/3を担っており300万人程度の黒人がアメリカの土地を(強制的に)踏んでいる。このことは、11月9日に参加した”Slavery & Freedom”ツアのなかでもツア案内者からも詳しい説明を受け、また、州都「コロンビア(Columbia)」にある議事堂(the State Capital)にはthe African American History Monumentにも展示されていた。
因みに、1860年は「エイブラハム・リンカーン」が大統領に選出されたが、サウスカロライナ州は奴隷問題で、最初に合衆国(U.S.A.)から脱退し、続いて1861年アラバマ州、フロリダ州、ジョージア州、ルイジアナ州、ミシシッピー州、アーカンサス州、テネシー州、テキサス州、バージニア州が脱退し合計11州でthe Confederate States of America(C.S.A.)を結成した。
私の主観であるが、こうして、南北戦争の原因を考えると「英国人」と絡んでくるように思える。因みに、Charlestonでは、未だに英国人が大好きな「紅茶」を愛飲している。従い、南北戦争そのものは、一つの経済戦争、エイブラハム・リンカーン大統領の北部は工業化され市民運動も盛んであり、もう一つの南部は封建的であり、綿花など農業が主体である。従い、このための労働力を安い賃金で集めるために「奴隷制度」が花開いた。
今回は、チャールストン、州都コロンビア、スパルタンバーグ、グリーンビルのサウスカロライナ州の都市を廻った。
写真は、南北戦争の原因となった”Fort Sumter”要塞である。この要塞は、チャールストン港にある小島であり、最初は北軍にあったが、南軍が占領し、南北戦争が終わるまで南軍が確保していた。現在の、”Fort Sumter”は、米国・内務省の国立公園になっており、正式名称は「Fort Sumter National Monument South Carolina」である。
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「Fort Sumter」, Charleston, SC
南北戦争当時の「旗」
現在の「星条旗」、南北戦争時の北軍(U.S.A.)の「旗」、南軍(C.S.A.)の「旗」、現在の星条旗の右側にあるのがサウスカロライナの「州旗」 -
「Fort Sumter」, Charleston, SC
Park Ranger
“Fort Sumter”は国立公園でありそこに行くと”Park Ranger”の詳しい史跡の説明を受ける。
騒々しい子供たち(アメリカでも団体で来る子供は、よく喋るし、騒々しい)でも黙らせて”史跡”について説明する、権威ある存在である。
”Fort Sumter”は、港を抑えるところにある小島であるが、港湾を守る要所としてFort Sumterとして連邦政府が守っていた。南北戦争の勃発時(1861)はUnion(北)軍にあったが、直ちにConfederate(南)軍に占領されしまい南北戦争終了時(1865)まで、そのままの状態が続いた。このようなCharleston HarborをConfederate(南)軍が北軍の攻撃から守り、いかにしてCharlestonを安全にするかの戦闘を描写した映画「Glory」(主演は、マシュー・ブロデリック、モーガン・フリーマン、デンゼル・ワシントン)にも詳しい。但し、この物語は”Fort Sumter”から少し離れたところにある”Fort Wagner”の捕り合いに関する実話である。 -
「Fort Sumter」, Charleston, SC
“Fort Sumter”は、英軍やフランス軍の海上攻撃からのチャールストンを防衛するものであった、が、南北戦争では北軍(U.S.A.)の攻撃から同じくチャールストンやサウスカロライナ州を防衛した。
“Fort Sumter”には、多大な大砲が常備され、砲兵部隊が置かれていた。 -
チャールストン博物館
世界で最初の”人力推進潜水艇「H.L. Hunley」”の模型
チャールストン博物館で保管されていたものであるが、同じく南部のアラバマ州モービルで建造されたもので。1864年サウスカロライナ州チャールストン港外で同港を封鎖中の北軍木造蒸気帆船フーサトニックを外装水雷によって攻撃、撃沈した。これが戦争中に潜水艦(潜水艇)が敵船を沈めた最初の例である。
潜水艇ハンリーは攻撃から帰還しなかったが、最近になって港外の海底から発見され保存・展示されているもの。 -
Charleston, SC
Fort Sumter Tour Boatsの発着所での小博物館
“Fort Sumter”を往復するための船の発着場にあった小博物館でみたアメリカでの奴隷の年代的分布図。
これからみると、Cotton Belt沿いに奴隷が配置されているのがよく分かる。 -
Charleston, SC
Charleston港沿いの高級住宅街
奴隷を保有していた荘園(plantation)主が住んでいたもの。いまでは、主として経済的な理由にからか持ち主を離れ、市が保有して博物館になったり、マンション(日本のもとは違って巨大な住宅)やホテルになったりしたものもある。
“Historic Charleston”ツアーで我々観光客に見せている。 -
Charleston, SC
チャールストン市内にある奴隷の競売場跡
本日は、”Slavery & Freedom”ツアに行く日であるが、“Fort Sumter”や“Historic Charleston”ツアーでも全て”Slavery(奴隷)”に関している。
Charleston, SCには300万人以上の奴隷がアフリカからアメリカの土地を踏んでおり、奴隷のための競売場なども、Charlestonにありこれらの跡を辿った。
Charleston市内にある「the Original Charleston Walks」会社を尋ね、他のもう一人の米婦人とともにツアを開始した。(但し、少人数ツアのためか質問は自由との打ち合わせがあったが、一生懸命に聴かねばならず、質問をする余裕もなかった) -
Charleston, SC
Old Market付近
チャールストンには、” Old Market”と呼ばれる地域があるが、ここでは多くのレストランや観光客相手の土産物屋がある。街頭で、竹細工をし、売る婦人も居た。 -
Charleston, SC
レストラン”Bubba Gump Shrimp Co.”
大勢の人が映画「フォレスト・ガンプ(Forrest Gump)」を見たことと思いますが、その名を採用したレストラン”Bubba Gump Shrimp Co.”で海老を食べた。
「Bubba」とは、ベトナム戦争の時にできたフォレスト・ガンプの唯一の友人”Bubba Blue”の将来の夢がお金を貯めて、海老取り船の船長になることだったが、ベトナム戦争で死んでしまい、かわりにフォレスト・ガンプが海老取り船の船長になり苦労の結果、成功し、後は、その時の脚を失ったダン(Dan)小隊長に仕事を譲る、そんな経緯の中でのレストラン名「Bubba Gump Shrimp Co.」である。
籠一杯の塩揚げにした”海老”を唯食べるのみの簡単なレストランであるが、有名な映画のためか結構、流行っていた。 -
首都Columbia, SC
州都コロンビアの”State Capitol” -
首都Columbia, SC
“the African American History Monument”
the State Capitalには「the African American History Monument」には奴隷の来歴が外部に展示されていた。歴史の勉強のためか、小学生も先生とともに見学をしていた。
このなかには、奴隷船での輸送状況や南北戦争当時や、その後、奴隷の開放化が進み、自立してゆく姿がブロンズ像に説明されていた。 -
首都Columbia, SC
“the African American History Monument”
Monumentの地上にあったものであるが、数百人の奴隷を輸送船の甲板上に整列させて寝させ、それを複数階に重ねた様子を表したものであるが、将に、病気(疾病)との関連で到着時の歩留まりが、もっと楽をさせて送ったほうが良いとか、もっと詰め込んで送ったほうが良い、など話題を呼び起こしたものである。
当時から、輸送の最適化の議論を呼び起こしたものだそうである。 -
首都Columbia, SC
”Trinity Episcopal Cathedral”
State Capitalに隣接した”Trinity Episcopal Cathedral”を訪問した。ここは、サウスカロライナ州にある最初の教会である。ここには、南北戦争当時の将軍の墓や、その他の、無名戦士の墓などもあった。
牧師か?案内者が付いてくれ、教会内を案内してくれた。お別れに、献金をしようとしたが、無理をするな、との気持ちかで断られた。 -
首都Columbia, SC
Woodrow Wilson Family Home
第28代米国大統領”ウッドロー・ウィルソン”の生れた家 -
首都Columbia, SC
“Veterans’Day”の行進(ネイティブ・アメリカンも行進をしていた)
今日は、Veterans’Dayであり法定休日であった。軍隊、軍関係のサービス機関や高校生などが威儀をただして音楽にあわせて行進をしていた。南部諸州では、鉱工業、商業、IT業よりも軍隊関連が盛んであるのか?そんな感じがした。
併せて、TVでは、Veterans’Day & War on Terrorismということで、ブッシュ大統領中心の連邦政府の行事が行われていた。
こんなところで、イラク戦争に反対したところで何になるのかなどと想ったりもした。 -
Spartanburg, SC
Denny’sの統合本社
Spartanburg SCはなにも無い街。その昔、Toledo社のSpartanburg工場があったところであるが今は無かった。
大きなビルとして、世界的な投資会社”BB&T”が所属するものがあった。そこには、世界的に廉価レストランを展開する”Denny’s”の統合本社もあった。
でも、South Carolina州には、殆ど、”Denny’s”は見かけなかった。 -
Spartanburg, SC
酒を飲ませる店
その時は、休業中であったが「酒」と「和食」を食べさせるレストランもあった。 -
Greenville, SC
Pettigru Historic District
Greenvilleは紅葉の沢山ある街。また、教会によく行く街でもある。
どこに行っても、赤や黄色の落ち葉で街が美しい。 -
Greenville, SC
”16th SC Volunteers Museum of Confederate History”博物館
”Fort Sumter”の項で先述したが、映画「Glory」のマシュー・ブロデリックが扮する大佐は北軍連隊長で全て黒人部隊であった。しかも”Fort Wagner”の戦いで全滅してしまった。一方、こちらの、”16th SC Volunteers Museum of Confederate”は南軍で全て白人から構成されていた。
数々の展示している実物があったが、なかでも戦争時に使用したライフル銃やピストル(兎に角、重い)などを持たせてもらい、撃つまねなどもした。この時期では、鉄砲では丸い弾丸が発射されるものから、エンフィールド銃(発射された弾丸が回転しながら正確に命中する)に変わったときである。大砲では、Charlestonの海岸にMonumentとして置かれていたが丸い弾丸が発射されるものが殆ど。今のように、先端の尖ったものになり発射された弾丸が回転するものになるのは、まだ、先のことか。室内は、写真は禁止であった。
規模は小さいが、個人保有の博物館としてはよく出来ていた。入場料は不要であったが、寄付は大歓迎であった。 -
Greenville, SC
Downtown
Greenvilleのdowntownである。どこでも、木が多く落ち葉の里であった。
ここで、食事をレストラン”Sticky Fingers”でしたが、南部によくあるものでMemphis styleのRibで有名なところ。
以 上
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