2005/08/07 - 2005/08/08
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night-train298さん
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8月7日(日)
05:30Fuenterroble de Salvatierra → 15:30 San Pedro de Rozados ( 28,6?)
/ Albergue 泊
朝はぺぺとペドロにくっついて一時間歩く。 誰かと一緒のときは、これがチャンスとばかり、前の日から約束しておいて、一緒に暗いあいだだけ歩いてもらうことにした。 私たちの資料では限界があるからだ。
今日は平地からスタートし、山に登る。現代的な風車が回っている。
その近くには牡牛が放し飼いにされている。 闘牛に出てきそうな曲がった角を持つ牡牛だ。そのイメージだと恐いが、牛はもともと大人しい動物だから、刺激しないようにそっと近くを通 り過ぎた。
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後ろから親子の巡礼三人組がきた。 両親と15歳位の娘。昨日から抜きつ抜かれつ歩いていた。
彼等は小さなリュックしか持っていない。週末だけの巡礼者かもしれなかった。
三回目に彼らを抜く時に、お父さんが話しかけてきた。
三人は毎年少しづつこの道を歩いているのだと言う。子供が小さい頃から来ているらしく、今年は18歳になる息子はとうとうつき合ってくれなかったと嘆いていた。
それでも三人は絶えずおしゃべりをしながら楽しそうに歩いていたのである。
バルセロナから来たということだった。 -
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アスファルトの道に出る。
その隣に歩行者用の土の道がある。土の道は足にやさしいだけじゃない。土があるから花も咲き、木もあるから涼しい木陰もあるのだ。
踏みしめる度にあたたかさを感じる。
そして踏み付けられながらもけなげに咲く草花。 -
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カモミール
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いよいよ今日の目的地 Sanpedro de Bozadosまで1kmの標識が見えてきた。 1kmと書いてあるのは怪しいと思ったけれど、あきらかに1km以上の長さがあった。
スペイン人と日本人の距離感の違いというのがあると思う。
すぐ隣というのはクセモノ。隣どころか歩いて5分以内のところだろうか。
また、私はあと2kmなら、3kmと思っていた方がいい。歩いても歩いても着かないよりは、あれ?思ったより短いじゃないのと思った方が疲れない。でも彼らはあと2kmなら、1kmと思った方が気が楽なのだという。
いつも思う。大きな違いは『今が一番大切な人たち』。これは11年前の旅で大きく感じたことだが、我々日本人は先のことを考えすぎてそのために準備したり、不安に思ったりする。彼らは今が一番大切だから、先のことはその時考えればいいと思っている。どちらがいいとは言えないが、私はスペイン的な考え方に憧れる。
楽しい『今』がづっと続けばそれが一番いいから。 -
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やっと村に着いた。アルベルゲ探しは後にまわし、先にバルに入る。咽が乾いていたからだ。 すると奥にはペドロとペペが食事をしていた。
小さな村や町が多いから、それほどバルの数も多くはない。 それでも私たちが最初に入るバルにはたいてい仲間がいるのだ。
まだ着いたばかりでとりあえず一杯飲みたかった私たちは本格的な食事は後回しにして、ビールとタパスをつまむ。
二人はおいしそうな子豚の丸焼きを食べている。
この地方に来たら、『トストーン』という子豚の丸焼きを食べるのよ!とイサベルから教わっていた。 二人は食べきれないからと言って分けてくれた。
おお!おいしい!!! そこへ女性が話しかけてきた。
よく見たらあの三人ファミリーのお母さんではないか。お父さんと娘もそばにいた。 この村に一軒あるcasa ruralはこの三人で満員になってしまったそうだ。
ペドロとぺぺはすでにアルベルゲに荷物を下ろしている。食後一緒に連れていってもらった。 そこは小さな学校の裏の小さな小屋だった。 今回の旅で一番ボロい宿だった。 ベッドはなく、マットレスだけあった。それを並べる。おそらくミカさんと私だけなら逃げ出していただろう。
ペドロとぺぺが泊まっている以上、こういうところに泊まらなければ、仲間としての連帯感は生まれない気がした。
去年も一度似た雰囲気のところに泊まったことがある。しかしその時の方がまだましだった。 ここは暑いのと、ハエがうるさいのだった。
一人づつシャワーを浴びる。先に入ったミカさんが、怒って出てきた。何事かと思ったら、シャワーを浴びていたら、窓から村の中学生くらいの子供がシャワー室を覗いていたのだという。
ミカさんは青木さやかばりに『どこ見てんのよ〜〜〜っ!』と怒鳴ったそうである。 しばらくは憤慨していたが、自分でも思い出して、笑っていた。
私はお陰で無事にシャワーを済ませ、もう一度バルにくり出す。困るのは、お昼の時間をのがすと、下手すると夜の9時まで夕食が食べられないのだ。 -
まだ7時ころだったので、ちゃんとした食事は出来ない時間だった。ビールとタパスをつまむ。
帰りに村を見学していたペドロとぺぺに会った。ぺぺは公衆電話でお母さんと話をしていた。
奥さんに電話していたの?と聞くと、独身なのだと言う。 私はそれを聞いて以来、ミカさんに誠実なぺぺをおすすめしておいた。
スペインの夏は夜の9時ころまで明るい。部屋に帰ってからもまだ薄暗い程度。ペドロは盛んに歌を歌っている。なかなかいい声だったし上手だった。しかし止まらない。時々口笛になったりする。
今度は私たちに歌えと言う。ミカさんが子守唄を歌ってくれた。横になりながらそれを聴いて、みんなぐっすり眠った。 -
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8月8日(月)
06:30 San Pedro de Rozados → 14:00 Salamanca ( 23,7?)
/ Albergue 泊
今日は Salamancaである。久々の都会であり観光地である。
ガイドブックの通り歩いてきたらアルベルゲの近くまではこれたものの、入り口は閉まっていた。閉館しているようではなく、メモがあって、2時から4時までは鍵を閉めるとあった。
ほんの30分前に閉まっていたのだった。 きっとペドロ&ぺぺは着いた後だと思われたが、中には自転車が見えるが誰もいないようだ。 -
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仕方がないので4時まで観光しながら待つことにした。
隣には植物園があり、ここにも観光客が足を伸ばすらしく、絶えず人が入ってくる。 カテドラルはすぐそばにあり、アルベルゲのロケーションは最高だった。
カテドラル内で スタンプをもらっていると、ホタテをリュックに付けた男性が歩いていた。彼はあとでアルベルゲで出会うアントニオだった。
カテドラルの天井は空まで突き抜けるように高い。内部を通 り、違う入り口から出てみると、にぎやかな中心に出た。 そこから見えるどの建物も重厚で素晴らしい。
目ぬき通りのバルに入り、大きな大きなビールを注文する。 Salamancaに乾杯!
去年出会ったフェルナンドに、語学留学をするならどこがいいかと聞いたところ、 Salamancaがいいと言っていた。スペイン屈指の古い大学の街だから勉強の環境もいいのだろうが、落ち着いた雰囲気、街全体の趣きがとてもいい。 -
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サラマンカのアルベルゲ
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そうだ!パキに電話をしよう。今までも何度も電話していたが繋がらなかった。今もまだ繋がらない。昨日はメールが入っていたので、とりあえず返事を入れておこう。 今日はパキの誕生日なのだ。『お誕生日おめでとう!』と書いて送っておいた。
4時になったのでアルベルゲに戻った。そこにはとてもやさしそうな中年の女性がいた。オーストリア出身の彼女は『フランス道』を歩き、ここで今は働いていて、スペイン語も上手だった。
アルベルゲの中はとてもきれいで感じもよく、私はここに住みたいと思うほどだった。
さっきカテドラルで会ったアントニオも4時を待って入ってきた。
自己紹介をし、彼は今日から私たちの仲間になった。
シャワーを浴びて服を着ていると、そこにイサベルがやってきた!
彼女がサラマンカに二泊することは知っていた。二人の友人が彼女に会うためにかけつけて、三人で過ごすという。だから、もしかしたら会えるだろうと期待していたのだ。 彼女もだいたいの私たちの予定を知っていたので、わかっていたのだろう。
再会に固く抱き合った。
さっそくイサベルがいない間に仲間になったペドロとぺぺを紹介した。ぺぺはイサベルと同じ日に去年フランス道を歩きはじめたと説明すると、すぐに二人は打ち解けていた。そしてイサベルでさえ、ぺぺの早足ぶりに驚いていた。
今夜は友人と食事をするが、夜には戻ってくるからと言い、私たちはペドロとぺぺと8時に夕食を食べるためにここで待ち合わせをした。
ここには他にもイタリア人のお兄さんがボランティアとして働いていて、日本が大好きだそうで、乾燥した梅干しを分けてくれたりした。 -
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そしてミカさんと二人でまた街へ出て行く。
この街にもプチ・トランがある。今日はこれに乗ろうと決めた。 発車時間を待っているとイワンがやってきた!またこんなところで会えるなんて。今夜はコンサートに行き、朝まで騒ぐという。ホアンペも少し離れたところにいるではないか。
ちょうどプチ・トランが来たのでそこでお別れをした。 -
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そしてミカさんと二人でまた街へ出て行く。
この街にもプチ・トランがある。今日はこれに乗ろうと決めた。 発車時間を待っているとイワンがやってきた!またこんなところで会えるなんて。今夜はコンサートに行き、朝まで騒ぐという。ホアンペも少し離れたところにいるではないか。
ちょうどプチ・トランが来たのでそこでお別れをした。 -
ホタテがいっぱいくっついた家
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夕食にはペドロ&ぺぺとアントニオも来た。
少し歩くと、イサベルが道ばたで横になっている。友達二人もそばにいて、後で聞いた話によると、街中で急にめまいがして倒れてしまったのだという。彼女も疲れているようだった。
教えてもらったレストランに行ってみるが、一軒目はガリシア地方のレストラン。巡礼には関係が深いがせっかく Salamancaにいるのだから、郷土料理の店に行くことになった。 ここにはおいしそうなレストランや個性的なバルがたくさんあってうれしい。
足の調子は良かったのだが、マメが治りかけている最中で、金属片のように固くなった肌の切れ端が、指の間のまだ生まれたての柔肌に当たってものすごく痛い。
マメでも筋肉痛でも炎症でもないのだが、これがかなりの痛みで、歩いているうちにひどくなってきた。 この固い皮をなんとかすればいいのだが・・・。
レストランに入りそれぞれ注文する。どれもとても美味しかったのだが、足の痛みの方が気になった。
アントニオは毎年一週間くらいだけ『銀の道』を歩いている人で、sevilla から三回目。それでも今回も途中までしか行けないようだった。来年あたりはSantiagoに到着する予定らしい。 15歳の娘がいると言っていた。
足の痛みは座っていてもつらく、一刻も早く部屋に戻って治療したかった。
しかし、私が二皿目をおおかた食べ終わった頃、おしゃべりのペドロはやっと食べはじめるところだった。
そして肉は小さく切り、時間をかけてゆっくり食べる。
早く食べてよ〜〜〜!と内心祈る。
今日は珍しく門限もあるのだ。10時までだと厳しく言われているのに、もうすぐその10時になる。 デザートも食べなきゃならないというのに!!! 門限に間に合わないよ〜と言っても気にしない。
この時から私はペドロが嫌いになった。(心が狭い!)
ぺぺとアントニオだって待っている。
でも、食事を急かすなんて、おそらくスペインではやってはいけないことなのだろう。静かに待っている。
アルベルゲまで急いで戻るが、10時半を過ぎていた。門はもちろん閉められていたが、 ガラスのドアから内部が見える。イサベルも見えた。
ホスピタレイロはすぐにはドアを開けてはくれない。
パニッシュメントが必要なのだろう。
ペドロはひざまずいてお願いする。 苦笑いしながらドアを開けてくれた。
融通の効くスペインのこと、どうにかなるものだけど優しい人で良かった!
お礼を言いベッドへ向かう。
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