2005/08/27 - 2005/08
22199位(同エリア24494件中)
海空さん
残りあと二つ、鳴海宿と宮宿です。鳴海は町並み保存で面影を偲べるのですが、熱田近辺は面影がなくここが湊だった?という感じです。この辺りでは何人か地図を片手にバックパックを背負って一人歩きされている方に会いました。嬉しくなりますが、うちの子どもを含めて若い世代が歴史はつまらないと思ってしまっているのはとても悲しいことです。広重の版画を見て感心しても、その瞬間は彼にとっては息をしているように現実でした。もちろん創作上の想像はあったかもしれませんが。私が今見ている宿のように、当時は日常の姿でした。私たちの子ども、孫たちがおそらくは将来自分がみるめる風景と今が信じられないと思うのでしょう。
-
いよいよ名古屋市に入ります。これは今川義元が織田信長に敗れた桶狭間古戦場跡になります。画像は今川義元の墓ですが、私の記憶違いでなければ義元の首は信長の元に送られ遺体は駿府に送り返されたはずなので、ここは魂が眠っているお墓です。
-
古戦場跡です。ただ実際の古戦場とは若干ずれがあるとのこと。山岡荘八は「大将ヶ根」としています。
-
「桶狭間」をわかりやすく解説しています。今川義元の墓は他にもいくつかあるようです。
-
古戦場跡公園の前にありました。
-
いよいよ名古屋市緑区になる「鳴海宿」です。その前に絞りで有名な「有松」の街並が続きます。
-
おなじみ広重作「東海道五拾三次之内」の「鳴海」、副題名物有松絞、保永堂版です。
-
同。
-
同。
-
同。
-
平部町の常夜灯。東海道40番目の宿場町鳴海の東入口平部町に建てられたもの。文化三年(1806年)に設置されたもので、旅人の目印だけではなく宿内の安全と火災厄除など様々な祈願がこめられていました。大きく壮麗なもので、道中でも有数と数えられていたそうです。
-
瑞泉寺。織田信長はここより「敵(今川義元)は大将ヶ根にて休息」の知らせを受け、奇襲をかけたとのこと。確かに高台にあり当時はここからどこまで見渡せたのでしょうか。
-
もはや当時を偲ぶよすがもなく。
-
こちらは「丹下町常夜灯。鳴海宿の西の入り口に建てられたものです。
-
同じところには「子安地蔵」もあります。
-
鳴海より宮へ向かう途中にて。ちなみに鳴海より宮(熱田)までは1里半(5.9km)。
-
こんなユーモラスなデザインもあります。
-
笠寺一里塚。
-
笠寺観音です。
-
同。
-
笠寺観音の常夜灯。
-
名古屋市ではこのようなタイルが歩道に嵌めこまれています。
-
これもみかけたもの。
-
いよいよゴール宮地区に入りました。名古屋市内は街並が変っているところがおおく、東海道を辿るのに苦労しました。
-
さりげなく、東海道。
-
「七里の渡し」デザインタイル。
-
この辺りは空襲で焼け野原になったそうですが、鐘は無事で近くの蔵福寺にあります。建物は復元されたもの。
-
ゴールには夕方たどり着きました。堀川と新堀川の合流点で視界が広く、風が渡ります。
-
お疲れです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
28