1975/01/08 - 1975/01/08
650位(同エリア743件中)
片瀬貴文さん
リヴィングストンはインドのボンベイ(現在ムンバイ)を経由して、1866年1月ザンジバル(現タンザニア)に到着。
ルブーマ川の河口から内陸部へ入っていったが、当初のポーター36人から脱落者が続出、四〜五人しか残らないほどの過酷な旅程だった。
マラウィ湖を経由、タンガニーカ湖の南岸目指して北北東へ進み続けながら、行く先々で奴隷商人の妨害に遭う。
彼らに買収されたポーターたちは、リヴィングストンは暗殺されたとうそをつきながら、リヴィングストンの医療道具一式が入っている鞄を盗む。
1867年には苦難の果てにタンガニーカ湖にたどり着き、翌1868年バングウェル湖を発見したが、飢餓と体調の悪化に苦しみ、一旦タンガニーカ湖畔ウジジへと戻る。
1869年から1871年にかけては、静養しながら、ウジジ近辺の探索と、宣教や説教を頻繁に行いながら、ルアラバ河の岸辺で、1,500人もの奴隷が虐殺される場に偶然立ち会った。
これは彼が目撃した中での最悪の事態であり、奴隷解放のために立ち上がろうとしたものの、その力は残っておらず、ウジジでの静養を余儀なくされた。
この間、イギリス国内では消息を絶ち、死亡説まで流れているリヴィングストンを探索する動きが出ていたが、過酷な旅に加えて現地での妨害もあり、失敗続きであった。
1869年、ニューヨーク・タイムズ経営者ジェームズ・ゴードン・ベネット・ジュニアは、特派員の一人スタンレーに、莫大な資金提供と、発見が成功した際の報奨金を約束し、リヴィングストン捜索を依頼。
スタンレーは承諾し、ただちに出発。
他の取材のためパレスチナ、エジプト、インドなどを訪れ、ウジジにたどり着いたのは1971年11月。
スタンレーは、ウジジ近辺で偶然出会ったリヴィングストンの従者に導かれ、本人と対面。
骸骨のようにやせ衰えた姿を見て、スタンレーが発した「リヴィングストン博士でいらっしゃいますか」のセリフは、イギリスで思いがけず人と対面した時の挨拶として使われるようになるほど、劇的なエピソードとして伝えられる。
2人はタンガニーカの北端までの探検を行うなど、4ヶ月をともに過ごした。
スタンレーはリヴィングストンに帰国を強く勧めたが、リヴィングストンはナイルの水源を突き止めるため、探検の続行を希望。
スタンレーは1872年3月、イギリスへ向けて旅立ち、5ヵ月後リヴィングストンの許に、57人の従者と十分な物資を送る。
その後リヴィングストンはバングウェル湖へ向け出発、1873年4月、バングウェル湖南側の村、チタンポへたどり着く。
しかし、探検記録を書く余力もないまま、5月1日、マラリア複合症により死亡。
リヴィングストンの残した資料と日記は、彼の友人により『ディヴィッド・リヴィングストンの中央アフリカでの最後の日記』として出版。
リヴィングストンのアフリカ大陸での移動は数万キロに及び、その生涯で赤道からケープタウンまで、インド洋から大西洋までを旅した。
彼が果たせなかったナイルの水源の探求は、意思を継いだスタンレーによって、ルウェンゾリ山脈にある水源が発見され、19世紀の論争にはほぼ決着が付いた。
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