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阪神大震災で壊れた交通関係が何とか回復をして<br />JRの大阪--神戸間もこれまで通りに通える様に<br />なった年の秋、神戸を出た新快速電車にひとりの<br />外国人が乗っていた。<br />三宮駅で降りるつもりだったのか発車してしまった<br />車内でその男は慌てていたが、誰も目を合わさない風だった。<br />たまたま前に座った私に彼は聞く「今のは三宮ですか?」<br />「ハイ三宮でしたが...あきらめてください。でも、リターン<br />出来ますからね」あれれ日本語だ。<br /><br /><br />これがきっかけで私は出稼ぎのトルコ人Sと友達になった。<br />Sは始め名古屋に3年程居たが、震災復興のための労働力が<br />要るためか神戸に移動することになったのだろう。<br />彼は38歳で、トルコの黒海のそばにオルド−という街があり、<br />そこには妻子がいると言う。<br />その後彼はトルコと日本を出たり入ったりしながら通算8年間<br />日本で働いていたことになる。<br />その間、私の友達も加わって京都や奈良や大阪を遊んだ。<br />時には在日の彼の友達も加わったりして。<br />文化の違いにとまどったり、笑ったり。。。<br />しかし、日本から6時間もの時差を超えた国の民もそんなに<br />大きくは違わない、寧ろ、日本人の既に失った純粋な部分さえ<br />時々見せるトルコ人を育むその大地に私は憧れを募らせていた。<br /><br /><br />国の名前を聞くだけで、目が遠くに行く私は、写真でしか知ら<br />ないその国に限り無く興味を持った。<br />以前、トルコに猿岩石が無銭旅行した収録本を読んだり、女独<br />りで旅した紀行文など。。<br />一方、どんどん不況になって行く我が国にはもう以前のような<br />良い仕事がなく、超3kしかないとsは言う。<br />それでも頑張っていたようだったが、ある日体調が変で調べて<br />もらった結果腎臓癌であることが分かる。<br />外国で癌に罹って入院などと誰しもはどんなに心細い経験だっ<br />たろうか。。私は彼の支えになれたとは言えない。<br />2000年の秋 退院と同時にSは帰国して行った。<br />「一度トルコを見せたい」いつもこう言っていた。<br /><br />2001年5月のGW、私と友達のk子はSの出迎えるオルド−の<br />空港に奇跡的にと言いたい程の行程を経て辿り着いた。<br />直行便は毎日あると思っていた....が。それがない日だった為に、<br /><br />先ずバンコク経由でアテネ--トルコ--そこで国内機乗り換えて<br />トラブゾン空港に。<br />1時間程の国内機が着陸した時は、機内の全員が歓声を上げて<br />拍手した。小さな機内を見渡せば、女達は皆スカーフを冠って<br />いる。「へー素朴な人達の住む方向に来ている」と実感。<br />外では懐かしい彼が元気に空港で待っていた。<br />わー着いた、着いたぁぁ.... しかし、そこが終点では無くまた<br />5時間位のバスの旅が待っていた..<br />思えばタイに着いた時から機外は夜だった。<br />それからどれ程空を駈けて駈けて..バスに乗っている今でもまだ<br />夜なのだ。SFの明けない夜を思い出す。。<br />夜中にも拘わらず、家族皆が歓迎してくれて部屋の中のせいか<br />遠い国に来ていることを私達は忘れていた。<br />ティシュキル.エディルム(ありがとう)... メルハバ...エヴェット<br />(はい)..ハユル...(いいえ)...えーと... わーーー!!<br />そうだ、絵で描こう!!うん。伝わる**<br />皆優しい良い人達ばかり。彼は出稼ぎで貯金して3階建ての大き<br />な家を建て、1Fではミニスーパーをしている。日本で得たコン<br />ビニのノウハウも生かせている所が頼もしい。。。<br /><br /><br />私のクセで、案内していただけるなら観光地ではなく、彼等の<br />住む街の市場や丘の上の地味な遺跡など、トルコの普通の生活<br />を見せて欲しいと頼んでいた。<br />市民の足の乗り物ドルムシュでの移動。これは乗り合いマイク<br />ロバスの様なモノ。過去の政策上鉄道がないトルコでは大型バ<br />スが動脈なら、ドルムシュは静脈とも言える。<br />先ずどんなところでもいっぱい走っているので便利。<br />鉄道は正しく言えば、イスタンブールには市電が出来て新しい。<br />寺院から聞こえるコーランの声。でかい!<br />怪しいCD売りのワゴン。一輪車のパン屋。。物乞い。<br />話に聞いたサバサンドは横付けされた船から手を出して売る。<br />タマネギのスライスを勝手にとって一緒にガブリッ!...うまいっ!...<br />足下にそんなお客の手を洗う商売の少年**なんと水をプラステ<br />ィックの入れ物に入れその下に蛇口をつけただけのもの。1リラ。<br />濡れティッシュの出現に飛んでしまうお仕事かも。。<br /><br />夢のような5日間が過ぎた。<br />毎晩歌を教えあったり、新婚の娘さんの家や彼のお友達や下の<br />お嬢さんの高校を訪ねたり...ヘーゼルナッツ一色の景色や、<br />見悶える程の甘いお菓子等、等、帰りには皆抱き合って泣いて<br />しまった。。。ううう..これってテレビのうるるん滞在記みたい<br />だと心のどこかで思いながら、見えなくなるまで手を振ってくれ<br />る家族達は涙に霞んでしまった。sはイスタンブールまで13時間<br />のバスに乗って送ってくれた。彼の帰りのことを思うと心苦しい。<br /><br />今度は昼ばかりの地球の上空を移動....<br />途中、眼の下に行けども行けども同じ色の大地を駆ける。。。。<br />さーばーくーだぁーーーでも、 この下に今も戦火がある。<br />古い映画の「アラビアのロレンス」はこのどのあたりを縦断した<br />のだろう....僅かに少し青い部分がオアシスか....首がしんどくなる。<br /><br />帰国して、人々は聞く。<br />トルコかぁぁぁ、あのカッパドキアは凄いんでしょ?<br />トロイの遺跡って?どう?それじゃぁ...パムッカレって行ったの?...なに、イスタンブールの市電だけ!?<br />いいのだ。これ以上のいい旅ってないと自信ある。<br /><br /><br />2003年、8月のお盆休みY子も加わって3人で再びトルコに行く<br />為に旅行社に行った。<br />

トルコに行った

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2001/04/29 - 2001/05/07

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ヒメジォン

ヒメジォンさん

阪神大震災で壊れた交通関係が何とか回復をして
JRの大阪--神戸間もこれまで通りに通える様に
なった年の秋、神戸を出た新快速電車にひとりの
外国人が乗っていた。
三宮駅で降りるつもりだったのか発車してしまった
車内でその男は慌てていたが、誰も目を合わさない風だった。
たまたま前に座った私に彼は聞く「今のは三宮ですか?」
「ハイ三宮でしたが...あきらめてください。でも、リターン
出来ますからね」あれれ日本語だ。


これがきっかけで私は出稼ぎのトルコ人Sと友達になった。
Sは始め名古屋に3年程居たが、震災復興のための労働力が
要るためか神戸に移動することになったのだろう。
彼は38歳で、トルコの黒海のそばにオルド−という街があり、
そこには妻子がいると言う。
その後彼はトルコと日本を出たり入ったりしながら通算8年間
日本で働いていたことになる。
その間、私の友達も加わって京都や奈良や大阪を遊んだ。
時には在日の彼の友達も加わったりして。
文化の違いにとまどったり、笑ったり。。。
しかし、日本から6時間もの時差を超えた国の民もそんなに
大きくは違わない、寧ろ、日本人の既に失った純粋な部分さえ
時々見せるトルコ人を育むその大地に私は憧れを募らせていた。


国の名前を聞くだけで、目が遠くに行く私は、写真でしか知ら
ないその国に限り無く興味を持った。
以前、トルコに猿岩石が無銭旅行した収録本を読んだり、女独
りで旅した紀行文など。。
一方、どんどん不況になって行く我が国にはもう以前のような
良い仕事がなく、超3kしかないとsは言う。
それでも頑張っていたようだったが、ある日体調が変で調べて
もらった結果腎臓癌であることが分かる。
外国で癌に罹って入院などと誰しもはどんなに心細い経験だっ
たろうか。。私は彼の支えになれたとは言えない。
2000年の秋 退院と同時にSは帰国して行った。
「一度トルコを見せたい」いつもこう言っていた。

2001年5月のGW、私と友達のk子はSの出迎えるオルド−の
空港に奇跡的にと言いたい程の行程を経て辿り着いた。
直行便は毎日あると思っていた....が。それがない日だった為に、

先ずバンコク経由でアテネ--トルコ--そこで国内機乗り換えて
トラブゾン空港に。
1時間程の国内機が着陸した時は、機内の全員が歓声を上げて
拍手した。小さな機内を見渡せば、女達は皆スカーフを冠って
いる。「へー素朴な人達の住む方向に来ている」と実感。
外では懐かしい彼が元気に空港で待っていた。
わー着いた、着いたぁぁ.... しかし、そこが終点では無くまた
5時間位のバスの旅が待っていた..
思えばタイに着いた時から機外は夜だった。
それからどれ程空を駈けて駈けて..バスに乗っている今でもまだ
夜なのだ。SFの明けない夜を思い出す。。
夜中にも拘わらず、家族皆が歓迎してくれて部屋の中のせいか
遠い国に来ていることを私達は忘れていた。
ティシュキル.エディルム(ありがとう)... メルハバ...エヴェット
(はい)..ハユル...(いいえ)...えーと... わーーー!!
そうだ、絵で描こう!!うん。伝わる**
皆優しい良い人達ばかり。彼は出稼ぎで貯金して3階建ての大き
な家を建て、1Fではミニスーパーをしている。日本で得たコン
ビニのノウハウも生かせている所が頼もしい。。。


私のクセで、案内していただけるなら観光地ではなく、彼等の
住む街の市場や丘の上の地味な遺跡など、トルコの普通の生活
を見せて欲しいと頼んでいた。
市民の足の乗り物ドルムシュでの移動。これは乗り合いマイク
ロバスの様なモノ。過去の政策上鉄道がないトルコでは大型バ
スが動脈なら、ドルムシュは静脈とも言える。
先ずどんなところでもいっぱい走っているので便利。
鉄道は正しく言えば、イスタンブールには市電が出来て新しい。
寺院から聞こえるコーランの声。でかい!
怪しいCD売りのワゴン。一輪車のパン屋。。物乞い。
話に聞いたサバサンドは横付けされた船から手を出して売る。
タマネギのスライスを勝手にとって一緒にガブリッ!...うまいっ!...
足下にそんなお客の手を洗う商売の少年**なんと水をプラステ
ィックの入れ物に入れその下に蛇口をつけただけのもの。1リラ。
濡れティッシュの出現に飛んでしまうお仕事かも。。

夢のような5日間が過ぎた。
毎晩歌を教えあったり、新婚の娘さんの家や彼のお友達や下の
お嬢さんの高校を訪ねたり...ヘーゼルナッツ一色の景色や、
見悶える程の甘いお菓子等、等、帰りには皆抱き合って泣いて
しまった。。。ううう..これってテレビのうるるん滞在記みたい
だと心のどこかで思いながら、見えなくなるまで手を振ってくれ
る家族達は涙に霞んでしまった。sはイスタンブールまで13時間
のバスに乗って送ってくれた。彼の帰りのことを思うと心苦しい。

今度は昼ばかりの地球の上空を移動....
途中、眼の下に行けども行けども同じ色の大地を駆ける。。。。
さーばーくーだぁーーーでも、 この下に今も戦火がある。
古い映画の「アラビアのロレンス」はこのどのあたりを縦断した
のだろう....僅かに少し青い部分がオアシスか....首がしんどくなる。

帰国して、人々は聞く。
トルコかぁぁぁ、あのカッパドキアは凄いんでしょ?
トロイの遺跡って?どう?それじゃぁ...パムッカレって行ったの?...なに、イスタンブールの市電だけ!?
いいのだ。これ以上のいい旅ってないと自信ある。


2003年、8月のお盆休みY子も加わって3人で再びトルコに行く
為に旅行社に行った。

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  • 丘の上から

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  • 古い家

    古い家

  • トルコバザール

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