2001/04/29 - 2001/05/07
36位(同エリア53件中)
ヒメジォンさん
- ヒメジォンさんTOP
- 旅行記2冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 7,293アクセス
- フォロワー1人
阪神大震災で壊れた交通関係が何とか回復をして
JRの大阪--神戸間もこれまで通りに通える様に
なった年の秋、神戸を出た新快速電車にひとりの
外国人が乗っていた。
三宮駅で降りるつもりだったのか発車してしまった
車内でその男は慌てていたが、誰も目を合わさない風だった。
たまたま前に座った私に彼は聞く「今のは三宮ですか?」
「ハイ三宮でしたが...あきらめてください。でも、リターン
出来ますからね」あれれ日本語だ。
これがきっかけで私は出稼ぎのトルコ人Sと友達になった。
Sは始め名古屋に3年程居たが、震災復興のための労働力が
要るためか神戸に移動することになったのだろう。
彼は38歳で、トルコの黒海のそばにオルド−という街があり、
そこには妻子がいると言う。
その後彼はトルコと日本を出たり入ったりしながら通算8年間
日本で働いていたことになる。
その間、私の友達も加わって京都や奈良や大阪を遊んだ。
時には在日の彼の友達も加わったりして。
文化の違いにとまどったり、笑ったり。。。
しかし、日本から6時間もの時差を超えた国の民もそんなに
大きくは違わない、寧ろ、日本人の既に失った純粋な部分さえ
時々見せるトルコ人を育むその大地に私は憧れを募らせていた。
国の名前を聞くだけで、目が遠くに行く私は、写真でしか知ら
ないその国に限り無く興味を持った。
以前、トルコに猿岩石が無銭旅行した収録本を読んだり、女独
りで旅した紀行文など。。
一方、どんどん不況になって行く我が国にはもう以前のような
良い仕事がなく、超3kしかないとsは言う。
それでも頑張っていたようだったが、ある日体調が変で調べて
もらった結果腎臓癌であることが分かる。
外国で癌に罹って入院などと誰しもはどんなに心細い経験だっ
たろうか。。私は彼の支えになれたとは言えない。
2000年の秋 退院と同時にSは帰国して行った。
「一度トルコを見せたい」いつもこう言っていた。
2001年5月のGW、私と友達のk子はSの出迎えるオルド−の
空港に奇跡的にと言いたい程の行程を経て辿り着いた。
直行便は毎日あると思っていた....が。それがない日だった為に、
先ずバンコク経由でアテネ--トルコ--そこで国内機乗り換えて
トラブゾン空港に。
1時間程の国内機が着陸した時は、機内の全員が歓声を上げて
拍手した。小さな機内を見渡せば、女達は皆スカーフを冠って
いる。「へー素朴な人達の住む方向に来ている」と実感。
外では懐かしい彼が元気に空港で待っていた。
わー着いた、着いたぁぁ.... しかし、そこが終点では無くまた
5時間位のバスの旅が待っていた..
思えばタイに着いた時から機外は夜だった。
それからどれ程空を駈けて駈けて..バスに乗っている今でもまだ
夜なのだ。SFの明けない夜を思い出す。。
夜中にも拘わらず、家族皆が歓迎してくれて部屋の中のせいか
遠い国に来ていることを私達は忘れていた。
ティシュキル.エディルム(ありがとう)... メルハバ...エヴェット
(はい)..ハユル...(いいえ)...えーと... わーーー!!
そうだ、絵で描こう!!うん。伝わる**
皆優しい良い人達ばかり。彼は出稼ぎで貯金して3階建ての大き
な家を建て、1Fではミニスーパーをしている。日本で得たコン
ビニのノウハウも生かせている所が頼もしい。。。
私のクセで、案内していただけるなら観光地ではなく、彼等の
住む街の市場や丘の上の地味な遺跡など、トルコの普通の生活
を見せて欲しいと頼んでいた。
市民の足の乗り物ドルムシュでの移動。これは乗り合いマイク
ロバスの様なモノ。過去の政策上鉄道がないトルコでは大型バ
スが動脈なら、ドルムシュは静脈とも言える。
先ずどんなところでもいっぱい走っているので便利。
鉄道は正しく言えば、イスタンブールには市電が出来て新しい。
寺院から聞こえるコーランの声。でかい!
怪しいCD売りのワゴン。一輪車のパン屋。。物乞い。
話に聞いたサバサンドは横付けされた船から手を出して売る。
タマネギのスライスを勝手にとって一緒にガブリッ!...うまいっ!...
足下にそんなお客の手を洗う商売の少年**なんと水をプラステ
ィックの入れ物に入れその下に蛇口をつけただけのもの。1リラ。
濡れティッシュの出現に飛んでしまうお仕事かも。。
夢のような5日間が過ぎた。
毎晩歌を教えあったり、新婚の娘さんの家や彼のお友達や下の
お嬢さんの高校を訪ねたり...ヘーゼルナッツ一色の景色や、
見悶える程の甘いお菓子等、等、帰りには皆抱き合って泣いて
しまった。。。ううう..これってテレビのうるるん滞在記みたい
だと心のどこかで思いながら、見えなくなるまで手を振ってくれ
る家族達は涙に霞んでしまった。sはイスタンブールまで13時間
のバスに乗って送ってくれた。彼の帰りのことを思うと心苦しい。
今度は昼ばかりの地球の上空を移動....
途中、眼の下に行けども行けども同じ色の大地を駆ける。。。。
さーばーくーだぁーーーでも、 この下に今も戦火がある。
古い映画の「アラビアのロレンス」はこのどのあたりを縦断した
のだろう....僅かに少し青い部分がオアシスか....首がしんどくなる。
帰国して、人々は聞く。
トルコかぁぁぁ、あのカッパドキアは凄いんでしょ?
トロイの遺跡って?どう?それじゃぁ...パムッカレって行ったの?...なに、イスタンブールの市電だけ!?
いいのだ。これ以上のいい旅ってないと自信ある。
2003年、8月のお盆休みY子も加わって3人で再びトルコに行く
為に旅行社に行った。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
4