1994/09/09 - 1994/10/13
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1994年7月、無事ロンドンの大学を卒業し、8月はエキジビションの準備でオランダに一週間滞在したり、引っ越し(日本へ!)の準備をしたりで、目まぐるしい日々を過ごしていた。
そんな9月の初め、
《久々にむらやんがロンドンにやって来た!》
5日ほどロンドンに滞在した後、一緒にスペインとポルトガルに行くために。
リスボンの美大と交換留学の制度があり、そこの宿舎に4週間滞在できるよう、学校から手配もしてもらった。 その滞在予定の10日前にロンドンを出て、それまでのあいだ、スペインとポルトガルを回ろうという予定で出発した。
むらやんとの旅行歴は長い。
最初の旅行は学生時代、夏休みにアメリカに一カ月旅行した。 二人とも海外旅行も、飛行機に乗るのも初めてだった。
国内はあげればキリがない。沖縄、神津島、三宅島、大島。冬はスキーに行ったり、もちろん、前回の100日間のヨーロッパ旅行も一緒だ。
そんなわけでお互い気心は知れているし、むらやんと一緒だといつも愉しいハプニングがあったり、エキサイティングな旅となるので、私はとても楽しみにしていた。
なぜそういうことになるかは偶然ばかりでなく、気があうというのか、どちらかの思いつきにすぐ意見がまとまり、乗ってしまい、いつもの自分以上に行動的になれるのだ。
今回のスペイン旅行もそんな愉快な相乗効果で楽しい思い出がたくさんできた。
また、この5週間で、今までのことを整理し、将来を考える上でも貴重な時間となった。
それではこれから今回夢中になって回ったスペイン旅行とポルトガル情報も交えてお話しましょう。
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コースマップです。
-
リスボンからひたすら北へ
リスボン。
ここで一泊したのはユースホステル。太平洋がお庭というふ
れこみに魅かれたからだ。
空港からタクシーでサンタアポロニア駅まで行き、荷物を一
つ預け、海沿いを走る銀色の電車に乗って西に行く。
駅を降りてからは辺鄙な所だし、夜だったこともあって見つ
けるのに手間取った。
ふれこみどおり、目の前は海。都心を避けてここまで来た甲
斐があった。
ただしゆっくりもしていられない。
翌朝、朝食を食べながら海を見て、あらためてポルトガルが、
ヨーロッ パの最西端で、大西洋に顔を向けていることを実感。
再びサンタアポロニア駅に行き、列車の旅が始まった。ヴィ
アナ・ド・カステロまで、一気に北上だ。 -
列車を降りるないなや、ホームに宿の 客引きのおばさんが待
っていた。 なにしろ、まだ宿のことすら考えていな い矢先に、
躍り出てきたので 面食らっていると、地図を出し、宿の場所
を指さし値段を言ってくる。
充分安かったのだが、
「もう少し安くして!」
と頼むと、あっさりOK の返事。
では、本日の宿はおばさんの所に決まり!
歩き出すとおばさんが 「あれをごらん。」 と指さす先には、
ホームのベンチに腰掛けながら、今さっきの私たちのように
女の子ふたり組を熱心に客引きしているまた別のおばさんの
姿がそこにあった。
改札を出ると、今しがた雨が上がったようで、まだ石畳が濡
れていた。
おばさんの宿に着くまで、細い道を幾度も曲がりながらやっ
と到着した。 駅から近いわけではないが、町の中心で便利な
所だ。
着いた先は、ホテルではなく、おばさんの家だった。
つまり、民宿というのか、つい最近思いつきで始めたような
感じがただよっていた。 部屋は女の子向きのかわいいもので
(多分お嫁に行った娘さんが住んでいた部屋では?)清潔だし
気に入った。
荷をほどいていると、賑やかな声が聞こえてきた。おばさん
の友達でも来たのであろう。 私たちもさっそく外に出てみよ
うと準備を整え廊下を出て玄関に向うと、おばさんが、友達
を紹介してくれた。(ちなみに私たちは最初からお互いの言
語で会話しているため、すべてはカンと推理で成り立ってい
る。)その友達は、どこかで見た顔だった。そう、駅のベン
チで客引きをしていた、もう一人のおばさんだった。
陽気なふたりのおばさんに見送られながら、私たちは古い町
に飛び出した。
まずはこの町の中心地、レプブリカ広場に出て、カテドラル
を見学。
リマ川にも出てみる。海に近いこのあたりの川幅は広い。
16世紀からハンザ都市との貿易で栄え、18世紀には金鉱発
掘のブラジルとの交易があった町なのだ。
あたりが薄暗くなってそろそろ夕食の時間となったころ、
おばあちゃんがやっているシブいレストランが美味しそうだ
と目をつけて入ってみた。
まず、前菜の野菜のスープが格別で、メインは白身魚のフラ
イと揚げたポテト。サラダとデザートのメロンが付いて、更
に黙っていてもワインが それぞれにハーフボトル付いて一人、
1350エスクードだった。(1000円位かな)
すっかり満足して、宿に戻ろうと歩いていたら、通りがかった
カフェの客が 私たちを呼んでいる気がしたので、振り返って
見てみれば、わざわざ店の外 にまで出てきてこっちに来いと
手まねきをしているのは、良く見たら、なーんだアミーゴじゃ
ないか! (アミーゴ=友達=さっきの宿のおばさんの
アミーゴ=客引き仲間のおばさん)
もうおばさんの宿まではあと一歩だったが、誘いに乗ってカフ
ェに入ってみれば、私たちの宿のおばさんがニコニコしながら
座っている。
二人はいつのまにかきれいな服に着替えてナイとライフ(と言
っても、カフェでコーヒーを飲みながらテレビを見ながら笑
っているだけ)をエンジョイしていた。 アミーゴは私たちに
コーヒーを奢ってくれた。
うちのおばさんには安い宿代を値切った上、アミーゴにはコー
ヒー代まで出してもらって申し訳ない。 アミーゴは見た目も
男まさりで、積極的である。
私たちの想像によると、最近未亡人になって淋しがりやでお
っとりしたうちのおばさんを誘って、空いている一部屋を貸
してしまおうと、駅に客引きに行き、お小遣いを稼ぎ、今や
陽気にその生活をエンジョイしているたくましいふたりなの
ではないだろうか。 ふたりのおばさんたちはカフェに備え付
けのテレビを見ながら、ガハハハハ!と笑っていた。 -
国境の二つの町 part1
どうもスペインと相性が悪いと思いつつ、縁があったのかいつの間にか各地方に足を伸ばしていた。
今回のコース選びの基準はまだ行ったことがない土地であること。
スペインはいくつかの地方に分けられ、それぞれに特色がある。
オリンピックがあったカタロニア地方や、今もテロが絶えないバスク地方の人々は自分がスペイン人だと思っていない様子で、それぞれに民族意識が強い。言語も違う。
私にとって未知の場所はスペイン西北部の、ガリシア地方だ。
卒業制作を撮影してくれたカメラマンがたまたまこの地方の出身で、彼はこの近辺はもとより、スペイン全域のお薦めの地を小さなマップに書き込んでくれた。
そこに記されていた国境の町は、ポルトガル側がナレンサ、スペイン側がトゥイというガイドブックなどには書かれていない、小さな町だった。 どちらにもお薦めの印が付いていたが、ごく軽い気持ちでナレンサを選び駅に降り立った。
駅の周辺は静かで緑の林が迫っており、おそらく唯一のホテルにチェックインし、さっそく町の探索を開始した。
何のインフォメーションも持たず、人の気配がする方向へ足を進めると、突然活気を帯びた中心街に出た。静かな駅前とは対照的に車と人の往来が激しくなってきた。こんな田舎町でただごとではない。
人の波、車の列の方向をたどって、はやる気持ちを押さえて更に進んでいくと、古い城塞の一角に出た。車は狭い道に長々と列をつくり、少しづつ動いたり、止まったりを繰り返していた。いったい皆は何処を目指しているのだろうか。
それにしてもこの景観は私の抱いてきたいわゆるイベリア半島の太陽いっぱいの風景とは異なり、スコットランドのネス湖のほとり、ウルクハート城を思い出させる。苔むした緑のじゅうたんとなだらかな丘、もやに煙ってじっとりと湿った重たい空気。 ただし、歩行者にしろ、車に乗って入る人、皆元気一杯だ。その浮かれた様子は観光客のようだ。
この小さな町に人が大挙して押し寄せる魅力があるのだろうか。
くねくねと曲がった道を行くと門のような場所に出て、そのあたりから道の両側に店が見えてきた。城塞の道々で売られているものはありふれた生活用品やレースの製品、大きな大きなぬ いぐるみもあちこちで売られている。
当然旅行者の私たちにとって、興味がそそられるものはなく、焼き栗や豆をつまみながら、人の流れに沿ってそぞろ歩きをしていた。
店の数は相当あり、どうやらみんなのお目当てがショッピングだということがわかった。それも客のほとんどが国境を越えてきたスペイン人で物価の安いポルトガルに買い出しにきた風である。
店が途切れると共に人の数も減り、いつのまにか城塞の小高い丘の上まで来ていて、見晴らしがいい。このショッピングがこの町のハイライトらしいが買物天国のようなお祭り騒ぎで少々興醒めしていた私たちは、もう一つの国境、スペイン側のトゥイという村が気にかかっていた。
やはり隣で景色を見ていた家族連れにトゥイはどこなのかを聞けば、はるか向こうを指さした先に目をやると、そこには谷の向こうにそびえる山の上のてっぺんにバベルの塔のごとき建築物と、その回りにこびりつく家々が見えた。
湿気を含んだ重い空気、山の上は雲の中のごとく神秘に包まれていて、行ってみたいという気持ちが高まった。 歩いて行けるのか聞くと、2キロ(km)の距離だという。 下方には国を分ける河が見える。 そこから見る限りは、この城塞を下り、河を渡り再び上へ上へと頂上を目指して登っていけばよい。
簡単そうだとタカをくくって歩きだしたが、この古い城塞はさすがによく出来ていて、せっかく下ったと思ったら行き止まり、また来た道を登ってやり直し。それを何度か繰り返してなかなか前に進まない。
やっとのことで車道まで出たあとは、一本道で橋のたもとまでつながっていた。 つい数カ月前までは国境のパスポートコントロールの小さな小屋に駐在する役人がいたのだろうが、今は村人の影さえない。 橋は二階建てになっていた。二階はナレンサ(ポルトガル)とトゥイ(スペイン)を結ぶ単線の鉄道が通 り、下は真ん中が車専用。両はしに人が一列になって歩くことができる歩道が付いている。 私たちはトゥイの村が見渡せる橋の右側を歩くことにした。 河の幅はけっこう広い。そこに満々と水をたたえながら、橋のはるか下を水が流れている。
足元は隙間だらけで下がよく見える。高所恐怖症の私はつい足がすくんでしまう。 歩いて国境を渡るという小さな興奮、霧に霞んだ神秘に包まれた村を見てみたいという一心でここまで来たが、なんでこんな恐い橋の上をあるかなければならないのか。錆び付いた橋の頼りない手すり、薄い鉄板だけを並べたこころもとない足元。なかなか足が前に進まない。
私たちはその対策として、歌を歌いながら明るくこの難局を乗りきることにした。この時登場した曲は日本の名曲ばかりだ。なかでもこんなとき元気が出るのが、『手のひらに太陽を』とか『365歩のマーチ』だ。特に恐い部分にさしかかると、音程が乱れるのだが、それをもう一人が歌を続けることでカバーされ、前に前にと足を進めることができた。
あと一息で渡り切るというポイントにさしかかると、足を止めて景色を眺め、写真など撮る余裕が出てきて無事通 過となった。
橋を渡った向こう側にもパスポートコントロールがあったがやはり今はその跡を残すのみだった。 渡った先の山の下の村には、ポルトガル側にあれだけたくさんいたスペイン人が見当たらない。 勘を頼りに曲がりくねった坂道をどんどん登っていくと、だんだん道は狭くなり、古い石畳が敷かれた村に入ってきた。まずは頂上のカテドラルを目指す。 もうすでにその頃は薄暗くなっていたし、小雨も降ってきて石畳が雨で濡れていたせいもあり、町全体がセピアがかったモノトーンの空気に包まれていた。 カテドラルのそばまで来ると、賛美歌のおごそかな響きが厚い石の壁を通して外まで伝わり、あたりは一層荘厳な雰囲気に包まれていた。
ひと休みしようとバルのなかに一歩足を踏み入れた瞬間、音質の良いスピーカーから特大のボリュームでBGMが飛び込んできた。
店内には先客は一組だけ。モダンな感じも決して私好みではなかったが、それでも引き返さずに、部屋の突き当たりの窓辺の席に腰を下ろし、コーヒーを注文した。
窓のはるか下方にさっき渡ってきた河が何も遮るものもなく、大きくひらけて見えた。山の斜面 も河のまわりも、ここがスペインとは疑うばかりの緑。
先ほどのナレンサ側の城塞からこちらを眺めた景色と反対に、今はこちら側よりそれを眺める。外は相変わらず小雨が降っている。この室内のボリューム一杯の音楽と、霧で霞んだその風景は硝子窓を通 して一体となり、ドラマチックに場面を盛り上げていた。
ガリシア地方の緑は濃く、ミーニョ川は満々の水をたたえ静かに流れていた。 ミルクがたっぷり入ったコーヒーも、ポルトガル側のものとは一味違った美味しさだった。
一杯のコーヒーで身も心もリフレッシュした私たちは、また来た道を早足で帰って行った。橋を渡る時は陽もすっかり沈んで、今度は行きとは反対側のナレンサを見ながら渡る歩道を選んだ。
相変わらず恐くて、また明るい歌を声高らかに口ずさみながら、難所を越えた。 -
ポルトガル側から、川を隔ててスペインを望む。TUIの村が見えます。
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国境の橋を渡ります。
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ビスケー湾を目指せ!
翌朝は再びあの橋を今度は列車で渡った。
橋の上にさしかかると、列車はスピードをゆるめ、そして止まった。 乗客達は立ち上がり、東側のトゥイの村が見える窓に寄ってカメラを構えだした。これが粋なはからいの撮影タイムであったのか、安全のためなのかは定かではない。
ここからビスケー湾に面するラ・コルーニャを目指して列車は進むが、途中のカトリックの聖地、サンチァゴ・デ・コンポステーラに立ち寄ることにした。 信者は国内外から歩いて巡礼をする。私たちは時間が限られていたので、駅に荷物を預け、とにかく丘の上のカテドラルに向って歩き出す。
まず、その大きさに圧倒される。ロマネスク洋式の建築物で、その堅固な表情は、ポルトガルのマヌエル洋式に代表されるような、繊細さや、今にもとろけだしそうな(または崩れ落ちそうな)あやふやな魅力やもろさはない。ここを目指して集まってきた信者の圧倒的な熱意が発散されている。
いつか時間とお金に余裕がが出来たときに、フランス国境からここまでの巡礼の道をたどることが、私の現在の夢である。
その時に迎えいれるファザードは全く別の顔を見せてくれるのではないだろうか。
足早に坂を下って駅に戻る途中にバルに立ち寄り、ワインとチーズで軽いおやつにしたが、どちらも格別 においしかった! -
北の最果ての街、ラ・コルーニャは以外にも都会であった。 道行く人もセンスの良い都会風のファッションで、皆、忙しそうに歩いている。
だからと言って私たちを失望させるようなことはなかった。
その理由のひとつが、食べ物が美味しいことと。私たちは可能な限り、食を探求した。 ここは海に面しているので魚介類が豊富で、プリプリした小海老のサラダや蛸の料理(茹でてパプリカをふっただけ、でもおいしい)などなど。そして白ワインの美味しいこと!(私は赤ワイン党であるが)味はさっぱりとしたフルーティーなのにこくがあって、とろっとした舌触りだ。一つのバルでは地酒のように樽から出して、日本の酒杯に似た高台が付いた白い陶器の器で出された。 また、生ハムとチーズ専門のバルもあり、ここの程よい塩加減と柔らかさのハム(生ハム)の美味しさは忘れられない。 デザートのプリンがこれまた美味しくて、私たちはもうフラフラになるほど堪能していた。
こういったバルのハシゴはスペイン旅行の大きな楽しみの一つである。
話は前後するが、港に面したこの街の中心の通りには、ビル一面が硝子窓におおわれていて、新しいビルから古いビルまで立ち並ぶ様は壮観である。
また港とは逆に五分も歩けば今度はそこに砂浜が広がっている。潮の香りが充ち満ちた街である。
今回初めて訪れたスペインのガリシア地方へ行って驚いたことは、緑の深さだ。 これは一年じゅう雨が降っているためであろうが、いわゆるおなじみのスペイン的なイメージ風景とは異なって、その気候風土は人間の性格や生き方にも影響を及ぼす。
そんな新たな発見を通して、つくづくスペインの大きさ、幅広さ、奥の深さを感じた。 -
ビル一面にガラス窓が・・・。
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アビラ
次の目的地は歴史的モニュメントが控える、アビラとセゴビアである。 どちらもマドリッドから列車で2時間ほどの内陸に位 置する。
ラ・コルーニャから夜行列車に乗りアビラに向う。
まだ暗い朝の6時半、前夜から私たちが下車することを知らせてあった車掌さんが起しにきてくれた。 手早く荷物をまとめ、通路で列車が止まるまで、私たちと共に待っていてくれた。
そして高台に大きく町を囲んでそびえる城壁が外側からオレンジ色の照明で映し出された幻想的な風景が目に飛び込んできた。そこがこれから私たちが訪ねるアビラだと教えてくれた。
列車の中から見たアビラの町は砂漠に忽然と現れた巨大な空想上のお城のようであった。
駅で荷物を預けているあいだに陽は昇りつつあった。 1kmほど歩いて列車から見たあの城壁の町に入る。
城壁の門は巨大で、外部から隔離された壁の中は中世の頃そのままで、まるで映画のセットの中とか、テーマパークのようであった。 -
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巨大な城壁で囲まれたアビラ。
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セゴビアへはマドリッドに列車で戻り、そこからバスを利用した。
ここは、ヨーロッパ各地に点在するローマ時代の遺跡、水道橋がもっとも原形に近い形で残っていることで有名だ。
町の広場を囲む商店は古々しくていい感じ。小さい町ながら見どころはたくさんあるし、ただあてもなく散策するだけで楽しい。
まずは石畳の小道を下り町外れに出ると、大きくりっぱな水道橋が見えてきた。石の積み方、形は彫刻のように美しい。しばらく下から見上げたあと、橋の横の丘に登り、上から再び水道橋を眺めると、アーチの間から遠景に美しい緑のグラデーションが見えた。
翌朝、夜明けと共に起き出して、昨日見残したお城、アルカサールまで行ってみた。もう一日滞在を伸ばしたいくらいだったが翌日はRCAの同級生だったエドちゃんとマドリッドで待ちあわせしていたので、あきらめざるをえなかったが、アビラにせよ、セゴビアにせよ、たまたまガイドブックの小さな見出しを見つけて訪ねただけの地であったが、どちらも見ごたえがあり、他のスペインの町とはまた違った魅力もあり、再びスペインの奥深さと大きさを感じた。
私たちがたびたび感心したことは、スペイン人に道を尋ねると、それはそれは丁寧に答えてくれるということ。こちらは道を尋ねるくらいのスペイン語はわかるので、道すがら手近なひとをつかまえて尋ねるわけだが、私たちが見慣れぬ 旅の東洋人だからといって、人見知りをしたり逃げたりはしない。5分でも10分でもひたすら一人でしゃべっている。右に曲がるとか左に行くとかは勘でわかるが、80パーセントはわからない。こちらの相槌が上手なのか、気にせずめげずに話し続けてくれる。 -
エドちゃんとマドリッド
エドちゃんはロンドンでフラットシェアしていた仲間である。
彼の出身地はカナリア諸島(スペイン)で、現在はお父さんがそこに住んでいて、お母さんはマドリッドで暮らしている。
私と共にその2カ月前に卒業した彼はロンドンを引き払い、就職が決まるまでお母さんの住むマドリッドに身を寄せていた。(その時は結果 待ちの状態であったアウディにデザイナーとして現在に至るまで働いている。)
マドリッド、アトーチャ駅までエドちゃんが迎えに来てくれた。
それから10分後、仕事を午前中で終えたお母さんが車に乗って登場。その日に夜行に乗るまでの半日間のマドリッド観光の始まりだ。
アトーチャ駅からマヨール広場まで伸びる大通りには大きな門のような形のビルが道の両側から二つ、それぞれ道の中央にむかって建設中であった。お昼の時間帯だったので、食事に行く人たちの車で混雑していた。 そんな渋滞でも退屈しないように(?) ユーモラスなボッティーロの彫刻が道の脇に並んでいて、さながら野外彫刻館のようだ。 私たちは車のなかからそれらを鑑賞した。
そして、まずはバルへと繰り出す。
お目当ての歴史あるバルは残念ながら長期の夏休みをとって休業中。外壁は華やかな絵が施されたタイルで覆われ、内装の美しさは想像に委ねられるのみであるが、残念である。
結局、お腹が空いて機嫌が悪くなってきたエドちゃんをなだめてふたたび車に乗ってバルと呼ぶには高級すぎるレストランに入った。ここでは典型的なスペイン料理が出され、チャーミングなお母さんが下手な英語でごめんなさいと言いながらも、一生懸命マドリッドの生活について語ってくれた。 最後に飲んだピーチのリキュールがとてもおいしかったが、その頃には皆、いい気持ちになっていた。
そのあと、マヨール広場や王宮といった典型的な観光も取り入れて、下町の街角やお店ものぞき、古いカフェでコーヒーも飲んで盛りだくさんの一日だった。 そして夕日が沈む頃になると、丘の上に連れて行ってくれ、真っ赤な日没を鑑賞した。
最後に巨大スーパー、ジャンボでお買い物の後、お母さんのマンションに案内され、ミルクコーヒーやお菓子をご馳走になった。 今日は忙しくて掃除をしていないのよと言うけれど、きれいに片付けられた趣味の良い部屋だった。マドリッドという都会で、これだけのスペースに一人暮らしができるなんて優雅である。部屋には二人の息子の写 真がたくさん並べられていた。
今まで、わたしにとってマドリッドと言えば、プラド美術館くらいしか見るものがないと決め込み、何度となく乗り換えで来ていても、興味のない場所であった。大都市だったらバルセロナやセビリアの方がいいと思っていた。 でも、エドちゃんに言わせると、マドリッドはゴージャスな所だという。 確かにその日見たマドリッドはゴージャスであった。他のどの都市にも負けない風格があった。 -
エドちゃんとお母さん。
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マドリード。
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国境の二つの村 part2
エドちゃんたちと別れ、アトーチャ駅から夜行に乗る。
明日の朝は振りだし点のリスボンに到着予定だ。もう寝台券も手に入れた。あとは眠っているうちにポルトガルだ。
スペインとの惜別を目前にして急に名残惜しくなってきた。スペインにもう少し、せめて半日、バルで食事する時間だけでもいい、伸ばしたいのだ。
問題はRCA(学校)からの交換留学先(4週間の短期滞在)のリスボンに入る日が明日になるよう手続きをしてあったのだから、諦めるしかないのだが、念のため路線図をながめ、どのルートを通 っていくか調べてみた。いくつかの耳にに憶えのある都市の名前。深夜にそれらを通 りすぎるだけなのか。たとえ下車するとしても夜中の2時屋3時ではどうすることもできない。
では、ポルトガルとの国境に着くのは何時なのか?
朝の5時15分である。
そこで下車して、小さくてもバルのある近くの町まで引き返せばいい。国境の駅に着いたときもし疲れていたり起きられなかったら、そのまま眠ってリスボンまで行くとしよう。リスボンの学校には電話すればよい。
いつしかそんなふうに決めて眠りに着いた。 朝5時、目覚しが私たちを起こした。
私たちの緊急会議が始まった。
二人の意見は下車することで一致、さっそく支度を整え預けていた切符を取りに車掌さんの部屋にいく。車掌さんもすぐにわかってくれ、準備が整った。
まだ暗いホームに着いた時、列車に乗ったのも降りた者も私たちの他にはいなかった。車掌さんも不思議そうに見ていたし、ホームで出迎えた駅員さんもいったいどうしたの?という表情で、
「ここには何も見るものがないよ。」
と何度も心配そうに繰り返すので
「メグスタエスパニア!」(スペインが好きだから!)
と一言返すと、すべてわかったという顔でうれしそうに頷きながら納得して去っていった。 -
行動を起こすにしてもまだ暗いし眠たいので、待合室のベンチでもう一眠りすることにした。部屋は暖かいし誰も入ってこない、安全な場所だ。後でわかったことだが、この駅の回りには農家が二軒ほどしかなく、怪しい人がうろつくようなところではない。 昨日までの疲れも溜まっていて、8時まで眠ってしまった。
私たちとしてはこの駅に重い荷物を預けて列車が来たら乗り込んで駅前にバルぐらいある小さくても食事のできる場所まで行って、そこで最後のスペインを味わって半日遅れの夕方の列車でリスボンに入ればいいだろうと考えていた。
しかし、少々誤算があった。マドリッド?リスボン間は24時間のうち、昼と夜行の2本しかないことは以前から周知であったが、まさかローカル線もないとは思っていなかった。つまり、この駅を通 る列車は朝私たちが乗ってきたものと、夕方のもの。そして逆方向の計4本だけなよう。
とりあえず荷物を預ける場所を探したが見つからないので駅長室に行くと、この部屋で良かったら置いてもいいと言ってくれた。
駅長さんは真面目そうな人だった。そして、ここから3Km行けば村があり、そこにはレストランもホテルも銀行もあると教えてくれた。
私たちは顔を見合わせて考ええた。
3k歩くのは少々きついがおもしろそうだ。 それならいっそ荷物も持って一泊してみようと相成ったのである。
村までの道順を何度も確かめ、掃除のおばさんまで出てきて、駅員総出で見送ってくれた。
しかし、いくら片田舎の駅でも、ここは元国境駅(今でも国境に違いないが)である。つい1〜2年前までは重要な場所で、入国審査官や警官が待機し、麻薬犬も2〜3匹いたはずである。それなのに駅前には店らしい店もなければ人もいない。バルの看板らしきものは残っていたが、店はとっくに閉鎖されているようであった。
駅を出ればあとは典型的なスペインの乾いた牧草地帯である。
道を突き当たりまで出れば、左に行けばカセレス、右に行けばバレンシア・デ・アルカンタラとポルトガル方向という標識がある。
そこを右に曲がったらあとはひたすら道なりに行けば良いと聞いている。
この道はおそらく国と国を結ぶ重要な路線で道幅も広いしきれいに鋪装されているのだが、まわりの風景はのどかな牧場とオリーブ畑だ。
しばらく行くと、コルクの木の皮がたくさん積まれている、コルク工場があった。村で退屈したらここに見学に来ようねと話した。 そのうち教会の塔が見えてきて村の全貌が徐々に姿を現してきた。期待できそうだ。 -
ポルトガルとスペイン分かれ道。
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ようやく村に入ると、道は村の中心の広場につながっていた。
そこにはタクシーも何台か止まっており、賑やかな社交場になっていた。 タクシーの運転手さんにホテルの場所を教えてもらい、広場から3分ほどの、階下がバルになっている、小さなホテルに落ち着く。
前払いでホテル代を払ったら、残りが二人合わせても1000ペセタしかない。
予定外のスペイン滞在が延期になったので、充分なお金を残していなかった。 スペインの田舎なら1000ペセタあれば一食くらいはなんとかしのげても、3食食べることになったのでこれでは少し足りない。
次の日からはポルトガルなのでお金を残したくはないので、わずか1000円だけ両替することに決め、銀行に向った。
どうも長期の旅行にでるとやたらとケチになる。お金の単位が小さくなるのはその国の物価に合わせて生活するからだ。円高日本の感覚で豪勢に楽しむのも一つのやり方だが、その国の物価に合わせて生活するのが一番いい気がする。 ムラやんも日本では高給取りだったので、最初は何を見ても『安い!安い!』の連発だったが、この頃になってくると、すっかり順応して、かなりお安いものに対しても、『高い!』 なんて言うようになっていた。
私たちは1000円札を握りしめ、銀行の重いドアを押した。
銀行員のファッションはこの辺境の村にしては垢抜けている。
しかし、日本円をまのあたりにするのは初めてのような顔で、奥から分厚い百科事典のような、各国のお札が縮尺されて印刷してある本を持ってきて、照合している。 照合により、この1000円札が、1200ペセタになることが判明したのだが、その手数料に500ペセタ取られるので、700ペセタにしかならない。
それでは心細いし両替する半分が手数料でなくなるなんてばかばかしい。(10000円換えても手数料は変わらないと思うが)
作戦の立て直し(?)に歩いて2分のホテルまで戻ることにした。 私の方はそれまで英ポンドを使って両替してきたが、ちょうど1000円札もあったので、二人で2000円分換えて手数料も半分にすれば悪くない。すぐにもう一度銀行に行ってみると、今度は閉店時間を過ぎていた。 -
←むらやん
むらやんの細腕繁盛記
ここで私たちはかなりのショックを受けた。
うっかりのんびりこんな対策を練っていたせいで困ったことになってしまった。そもそもスペインを延期した大きな理由の一つがバルでの食事である。決して豪華な食事は望んでいたわけではないが、これでは最低限の飢えををしのぐことは出来てもわびしいではないか。
私たちは肩を落としながらもホテルに戻る道すがら、対策を話し合ったとき、私の頭の中に自然と浮かんできたのは、海外旅行中航空券やパスポートと共にスーツケースごと盗まれた人が残っていたカメラやウオークマンを売ってどうにか旅行を続けたという記事だった。そんな話をすると、むらやんは、
「それはいい!私たちも要らない洋服を売って商売しよう!!」 こんな時むらやんはいつでもすごい行動力が出てくるのだ。
こんな例えばの話が私たち二人となると、それが現実になってしまう。
ホテルに戻り値札を付けようということで話がまとまり、むらやんは商売人の顔つきになってきた。
まずは手際良く商品をたたんで値札をつける。それを袋に押し込んでいよいよ外に繰り出す。
露天商とは言え、生まれて初めての店を構えるのである。
村の中心の広場に行ってみると、人影が全くない。
太陽は真上に上がり、みんなお昼寝の時間なのだ。
どこの商店も夕方まで店を閉め、さっきまでの賑わいはウソのよう。
しかし商売初心者の我々にとっては好都合であった。白昼に恥ずかしい思いもなく店を開店出来るのだ。そして一番厄介な警察さえもこの時間なら彼らもどこかで涼をとっているので安心だ。
ということはお客もいないのだがまたそれもいい。 -
商品はあくまでもたまたま隣に置いただけという風に遠慮がちにベンチに並べた。
こうして私たちの店は万事控えめにスタートした。
スペインと言えどもこの時間帯は静かだ。
人はと言えば、数メートル先の小さな小屋でアイスクリームを売るおじさんしかいない。 ハレーションを起こしそうなまっ白いほどの風景。音はと言えば、太陽が照りつけるときに出すうなりのみ。
車も通らず虫さえも身を潜めているうような午後だった。
むらやんはにわかにバンダナを頭に巻いて本格的に身繕いをはじめた。
そのうち一人おじさんがフラフラと現れた。そして商品を買いたそうにじっと見ている。おじさんはむらやんが持っていたボールペンとノートを取り上げると商品の値段をゆっくりと一つ一つそこに書き始めた。
なぜそうするのか、今もってわからないが、推測すれば、私たちの書いた数字がスペインの書き方と若干違っていたためか、私たちに何かを教育しようと試みたのか、もしかして頭がちょっとおかしかったのかわからなかったが、私たちにとって初めてのお客さんだし、純情そうに見えたので、私たちも一緒になって愛好を崩して一つ一つの文字に頷いた。
それが一段落すると、私がギリシャのミコノス島でだいぶ前に購入したT-シャツを気に入り、試着することになった。
おじさんは着ていた物のいいT-シャツを脱ぎ、少々きつめなのもおかまいなしに袖を通 した。
むらやんと私でホメちぎって、150ペセタで買ってくれた。
幸先の良いスタートである。
一枚T-シャツが売れたことは想像以上の喜びがあったがあのT-シャツは、ロンドンのジムで汗を流す時にいつも着用していたもので、確か最後に使用してから洗う暇がなく、旅先で洗濯しようと持ち歩いていたのであった。
おじさんごめんなさい。
今回この旅行中1から10000までの数字をスペイン語で言えるようにした。これがことのほか役立って便利だった。数字というのは日常、あるいは旅行中案外煩雑に使われるもので、物の値段、時刻、列車のホームの番号、距離、など書けば済むことだが、とっさに言えたり理解できたりすると面 倒がなく、悪い人にボラれないで済む。しかも数字を声に出しただけでグーンと語学が上手くなったという錯覚に酔うことができる。
例えば、ミル・クアトロ・ノベンタ・イ・ドス(1492)などと言っているとなかなか盛り上がる。(と思っているのは私だけかもしれないが)
ここで私たちの売り物を紹介しよう。一番の売れ筋のT-シャツは二人合わせて5〜6枚ある。
ジーンズの足の部分を切断したもの。ベストやもんぺ(むらやんが小平で仕入れた)ひざ掛けなどの主力商品の他、航空会社のプラスチックのカップ、スリッパ、文庫本や壊れた真珠のネックレス(偽物)など、雑貨もある。
このおじさんが去ったあとは再び閑古鳥が鳴きはじめた。
なにしろ誰も通らないし、照りつける太陽の中、旅をしてきた疲れが出て、私は店から少し離れたベンチで商売に早くも見切りをつけ、あきらめてうたた寝をはじめた。
むらやんはあと一時間だけやってみると、粘ってくれた。
ほんの短いひととき、気持ちの良い惰眠をむさぼって目が覚めたとき、遠目で例の店に目をやれば、むらやんが熱心に商売している。
ちょうどその時はポルトガルから車で通りがかった旅行者に、日本から持ってきた文庫本を売りつている最中であった。
私がさぼっている間に商売は軌道に乗りはじめていた。
早速私もあわてて駆け寄り助手に加わった。
それを手にしているのは、インテリそうな青年で、
「日本に興味があって読めないけど文字を見たいので。」
と言ってペセタのかわりにポルトガル通貨のエスクードで気前よくお金を払ってくれた。その本とは、椎名誠の『ロシアにおけるニタリノフの便座について』 という代物であった。
その後、ワカモノ集団(15才前後)もやってきて、むらやんはお兄さん達の体に無理やり(?!) T-シャツをあてがって、
「似合うよ、150ペセタよ!」
水を得た魚のように楽しそう。 -
どこからか、イチジク顔(いちじくに似た顔)のおじさんもやって来て、いろいろ話しかけてくるが全くわからない。
私たちが調子良く頷くせいか、おしゃべりにますます拍車がかかる。
そのうち、さっきのおじさんがミコノスのT-シャツを着たまま再び登場!また何か買いたそうにして商品をニコニコしながら見ている。そして今度手を伸ばしたものは私のベルトだった。
ジーンズをはいたおじさんがミコノスのT-シャツ着てベルトまでしたら、まるで私の兄妹のようになってしまうではないか。さすがにそれは止めてもらいたかった。だがあいにくベルトはのサイズが小さくて諦めてくれた。
ここでおじさんは次の行動に出た。それはまたむらやんからペンを取り、片っ端から値段を口で言いながら紙にも書く作業だ。
私たちは再びそれに付き合った。
今度はイチジクおじさんがアイマスクを買うと言う。これはスリッパとセットで100ペセタなのだが、スリッパはいらないけど100ペセタくれるというので、50ペセタで売っていたノートをおまけにあげた。
プラスチック製のカップも2つで50ペセタで売れた。
さらにいちじくおじさんは孫のために真珠のネックレスが欲しいと言う。これは壊れているから止めたほうがいいとしきりに言っても、どうしてもと言うことで100ペセタで売った。(ヘンな店だ!)
私たちは露天商の楽しさを味わってヤミツキになりそうであったが、回りを見回せば、少しづつではあるが、人々が戻って来た!普通 はこれからが商売どきなのだが、日向者(スペインの場合は逆に、日中暑くてみんながいない時間を見計らってこっそり商売する我々のような者を日向者と呼ぶ)の我々はそろそろ店を畳んだ方が良いだろうという判断で売り物をしまい込んだ。
こんなことで、地元の人と話すきっかけも出来たし、楽しい数時間(約2時間) を過ごせて大満足だった。 -
農場パーティ
私たちが広場から出ようとすると、ちょっと前から腕組みをしながら怪訝そうな顔でこちらを睨みつけていたおじさんグループの一人、とりわけ人相の悪い人が声をかけてきた。
「さっきからそこで何やっていたんだい?」
と言うので、
「お金がなくてレストランに行けないから持ち物を売っていたの」
と、ありのまま話すと、
「それなら今夜の僕たちのディナーパーティーに来ない?」
と、申し出てくれた。 突然のご招待に躊躇していると、人相の悪いおじさんは顔で鳥の表情を真似て手で羽の格好をしてバタバタさせたり、『ドンキー、ドンキー』と言い始めた。
その仲間で、流暢な英語を話す仙人風のおじさんが
「今日は私の農場で食事を作りますからいらっしゃいませんか?」 と、横からはいってくれた。
仙人は名をクリストフと言い、父親がポーランド人、母親がドイツ人。今はこの近くで農場を営んでいるという。物静かで思慮深そうな態度にすっかり安心して、私たちは誘いに応じることにした。
ホテルに戻って荷物を置き、待ち合わせの広場に出ると、さっきの場所には仙人と犬だけが居て、ほかの人は食料を持って後からやって来ると言う。
仙人の農場までは5キロ。
もうこれ以上辺鄙な所はないというぐらいの片田舎である。
途中までおんぼろ車で行き、途中で更におんぼろ車に乗り換える。窓硝子一つ残っておらず、座席もない。(前部はかろうじて残っている)
そこは すでに仙人の土地だ。
景色は荒々しく、遠くにごつい岩山が見える。車は60度くらいの傾斜を転がっていく。
着いた所で3匹の犬のお迎えがあった。羊は3頭、ドンキーもいた。 さっそく仙人は家の中を案内してくれた。
昔から農場だった所を買い、そのままの家に普段はお母さんと暮らしているが、今はお母さんはドイツに里帰りして留守だという。
ここに電気は届いていないので、太陽エネルギーを利用。冷蔵庫はガスボンベから。水は近くの川から長い長いホースで引いている。夏の渇水時には大変なのだそうだ。
そして山羊のミルクを冷蔵庫から出してご馳走してくれた。冷たく冷えていて、くせがあるが、新鮮でおいしい。
仙人は私たちを外に連れ出し、庭に落ちていたいちじくをお皿に並べて出してくれた。ちょっと羊の毛もからんでいたが、洗うわけにもいかず、思い切って食べた。スペインでは樹になっているものより、実が熟れて、その強烈な太陽によって半分乾燥したものが好まれたりする。確かに栄養価も高く、甘味も強いが、私たちとしてはジューシーな実を食べたいところであるが、仙人の大切な食料なので、ぐっとこらえる。
仙人は奥へ奥へと案内してくれるが、そこで私たちは鈴なりのラズベリーを発見した。
これが美味しくて夢中で食べた。仙人が『こっちの実の方が大きいよ』と言うので場所を移動した。その場所から動かずに両手を使って夢中で食べた。仙人は私たちの食べっぷりに心配して、
「あまり一度にたくさん食べると、酸が強いので胃をこわすよ。」 と、アドバイスをしてくれた。仙人も前はよく食べたが、今は少しづつにしていると言う。ラズベリーの方は100人の友達が来てもたべきれないほどあった。
小さな畑もあって、もぎたてのトマトもその場で食べた。格別の美味しさ!
そして、仙人のお気に入りの場所に連れて行ってくれた。そこにはポルトガルとを境にする小さな川が流れていて、木が多く、薄暗いのだが、木漏れ日がキラキラして、水は透明度が高く、神秘的な雰囲気があった。
私たちはしばらく高い木を眺めていたり、変った形の木の実を拾ったり、水の流れを見てそこに座っていたが、そろそろ戻ろうという事になり、家までの道すがら、これからバーベキューで使う大きな薪になる木を拾って途中まで足を進めると、ちょうど4人組の若者グループが到着したところで、その人達も初めてだったのか、再び仙人のお気に入りの地、川のところまで戻った。
そこで、一人づつ紹介してくれた。
それぞれあだ名で呼ばれている。郵便局員のパター(ゴルフのパター)、画家のピントー(代々画家の家系=ペインター)、陶芸家のミニート(minute=分)、そしてマドリッドから遊びにきていたマヌエルだ。
皆、物静かな感じの人達で、切り株に座って話し込んだ。 -
仙人(クリストファー)と一緒に。 -
国境(スペイン、ポルトガルの川)
-
ドンキー。
-
揃って家に戻ると、おじさん4人チームもやってきた。 手にはじゃがいも、卵、チョリソーや肉をぶら下げて。
時間は7時を回ってうす暗くなった頃、料理作りがスタートした。 まずはトルティーヤ(じゃがいもが入ったスペインオムレツ)作りから。
じゃがいもを手分けして皮をむき、薄切りにする。大量なので大変なのだがみんな慣れた手付きで器用にこなしてゆく。
燃料を外に持ち出してきて、たっぷりのオリーブオイルでじゃがいもを炒める。
向こうの大きい炉の方では、バーベキューの準備も始まった。
片手間にサラダも作りはじめる。九割がた準備がととのった頃、真っ暗だった庭に一つの電球が灯されて拍手が巻き起こった。
そこへ仙人が山羊を連れてきてミルクを搾りはじめた。山羊が大好きなむらやんは乳搾りの手伝いをした。
いよいよトルティーヤも出来て、バーベキューの回りに全員集まった。 魚焼きのような網に挟んで豚の皮付き肉を焼く。
焼く前にそれを見たときにはこんなコワイ物は食べられない・・・と思っていたが、焼ける頃には油も落ちて試してみたくなり、小さい切れ端を食べてみたら、これがとても美味しくて、もう一つと思って手を出したときには、皿にはもう何も残っていなかった。
次は血がたっぷり入ったチョリソーだ。これも滴りそうな血が恐かったが、焼けるとまた試してみようという気になり、口に入れるとこれまた美味しくて倒れそうだった。
みんな焼き上がるそばからハイエナのごとく食べてしまうので、うかうかしてられない。そしてトルティーヤもサラダもとびきり美味しかった!
おじさんチームは4人。肉や卵、チョリソー(スペイン風のスパイシーなソーセージ)を持ってきてくれたのが、肉屋を営むかたわら農場も経営しているルカ。 じゃがいもやトマトを持ってきてくれたのが野菜畑を営むジョー。そして私たちをここに誘ってくれたナチョー。
ナチョーはとても人相が悪いのだが、気のいい人でバル(居酒屋)を経営していると言う。先程広場で私たちを誘ってくれた時、バルを開けなければならないので、夜の九時には戻らなくてはならないと言う。その頃すでに九時に近かったので、私の方が心配して、時間はだいじょうぶなのか尋ねると、
「食べるのが先。」
そして・・・・・・
「人生は短いから、長くするよう楽しまなくちゃ!」
と言って帰るのをとりやめにしたらしかった。
なるほど。
もうひとりは三人の友達でマドリッドから来たおじさん。
食べ物がなくなると家の中にみんな集まってきた。仙人がコーヒーを作りはじめ、そこにスプーン三杯の砂糖を入れ、そこにたっぷりと透明のリキュールを入れて飲む。
ここから飲めや歌えやの大宴会になっていった。
照明はロウソク。
仙人はギターも持ち出した。おじさんチームは古い応援歌みたいな歌を歌い、若者チームは乗りの良いロックを歌う。実はこのメンバーはバンドを作って演奏する仲間だった。仙人はギターでしっとりとしたカントリーを歌う。みんなそれぞれ味があって上手い。
私たちにもマイクが回ってきて(実際マイクはなかったが)二人で『北の宿から』を歌った。仙人からスキヤキソング(上を向いて歩こう)の原曲の意味を聞かれたので、説明すると感激して、ギターをつま弾きながら英語で歌いだした。
肉屋のルカは部屋の隅の床に座り、ゴーゴーといびきをかいて寝てしまったが、誰もおかまいなしにみんなで大きな声で歌って踊りだした。むらやんも誘われてナチョーと踊りだし、こうして深夜2時半まで楽しんだ頃、若者グループが帰ることになり、それを潮に私たちも村まで送ってもらうことになった。
車が止めてある場所まで歩いていくと、遠くに山があって、そこの頂上にあるお城を照らす光が輝いていて美しかった。 村に戻るとバルに行こうと誘われ、では一杯だけ(その晩は私たちは一切アルコールを口にしていなかった)お付き合いしようということにし、
《バレンサの月》という名のバルに入った。お付き合いもキリがないので私たちは先に帰ることにした。
そこからホテルまではゆっくり歩いても5分だ。 -
みんなの持ち寄りでバーべキュー、サラダ、トルティーヤ(デ・パタタ)。
-
←肉屋のルカの店で。
もう一つの農場
翌朝はバルでたっぷり食事をし、村の散策をすることにした。
村役場の広場はまた別の場所にあり、外から覗いていたら、中に入って下さいと言われ階段を昇った。がらんとしていたが、天井が高くて立派だった。
外に出てあてもなく村を歩いていると教会に出た。とても古そうで今は使われていないのだろうか、中には入れなかった。
ぐるっと一周してまたあの広場に出ると、そこで白衣を着て小型トラックから荷物を下ろしているのは、肉屋のルカではないか。
私たちの姿を見つけると、すぐ近くの自分が経営する店に来ないかと言うので、ついていった。清潔に片付いた店内を案内してくれ、お客に対しても丁寧で親切、 一生懸命誇りを持って働いている。店内に売られているチョリソーはみなルカが作り、遠くはバルセロナまで送っているという。もちろん昨夜のチョリソーも新鮮な手作りだ。
写真を撮りたいと言うと、写りを良くするために下段にあったチョリソーを急いで上段に並び替えてくれた。
店員の女性にシャッターを押すのを頼んで、三人並んでまさにシャッターを押したその時、ルカが急に外にでて、何やら叫んでいる。何事かと思ったら、おじさんチームの三人がボロボロのトラックに乗って通 りがかったのだ。
あいさつもそこそこにみんなに車に乗るよう促され、ルカはあとで会おうと言って店に戻って行った。 -
車はこれから農場に行くと言う。
また5キロほどの距離をおんぼろトラックで行き着いた先は田舎の村だった。
仙人の農場よりは人の手が入ったいわゆる農家というイメージだ。車のそばにいたら、なんと郵便配達のパターが仕事(配達)をしているではないか。ついきのう別 れたばかりだが、懐かしげに立ち話をした後、また仕事をしにどこかへ消えて行った。
若者グループはあれからどのくらいバルにいたのだろうか。おじさんチームだって、あれからルカが起きるまで待っていたと言うし、あんなに夜更かしをしていたので、今日は仕事がないのかと思っていたら、みんなそれぞれしっかり働いていた。
この農家は六十才くらいのおじさんとおばさんで経営している。まず馬小屋に行くと、このあたりで一番キレイだと言うご自慢の馬がいて、しばらくそこで話し込む。そのうち農耕具が登場して三人は玄関先の敷石を撤去する作業を始めた。
私たちは邪魔なので、まわりの家を散策し始めた。100メートルも足を進めると、いちじくの木を発見。手が届く位 置で採れるのは2〜3コ。
もう少し先には別の木があり木の下からのぞいていたら、そこの家のおばさんが出てきて、
「庭の中に入って採りなさい。」
というありがたいお言葉。さっそく中に入るとおばさんは洗濯物を干していた。 いちじくの実はこちらからの方が採り易いし、実の数も多い。
私たちは採っては食べ、を繰り返した。
そのみずみずしくて甘いこと。一気にいちじくファンになってしまった私たちは、また新たないちじくの木を探してさすらいの旅に出た。
この村の風景もなかなか素晴らしい。岩山が迫っていて壁のように村を囲んでいる。村で一軒のカフェ兼よろずやでコーヒーを飲み、またさらに奥地へ歩いて行くと、またいちじくの木を発見。
10メートルほど先で3人のおじさんが立ち話しているので、躊躇していたら、その中のおじさんが、こちらを見て、
「採っていいよ〜。」
と叫んでくれた。(と、私たちは解釈した)ボディランゲージで、敷地内に入っていいと言う。
この村の人達は親切だ。 しかし、こんな田舎町で〈絶対〉という言葉を使ってもいいほど、日本人を見るのは初めての人ばかりだと思うが、誰も恐がらないし、恥ずかしがらないし、ジロジロ好奇の眼差しで見られることない。
その上勘がいいから、こちらのしたいことを察してくれる。そして気前よく分け与えてくれる。だから居心地が良いのだろう。
私たちはお言葉に甘えて一生分のいちじくを口にした。 すっかりお腹いっぱいになってナチョー達の仕事場に戻るが、車はそのままあるが、誰もいない。
私たちは村に帰って旅支度をし、その日の夕方の列車の乗らなければならない。そろそろここを出なくてはいけない時間である。 農家の家に近づくと、さっき会ったこの家のおばさんが出てきて家の中に入れと言う。
そこには昼食を食べているナチョーたち、おじさん三人組がいた。私たちも豚肉やチーズをつまんだ。
丸いテーブルの上にパンの切れ端がころがり、手作りのチーズが無造作に置かれ、使い込まれた分厚い硝子のコップに水が注がれている。何百年も前と変らぬ 、いかにも農家の粗野な食事風景は中世の静物画を見ているようだった。
デザートのスイカも出てきて、私は恐る恐るナチョーに村へ帰らねばならぬ事を告げると、
「それはだいじょうぶ、僕たちは仕事があって送ってあげられないけど、この家の息子が村に用事があって、一緒に乗せていってあげるから。」
これを聞いて安心してスイカにかじりついた。 スペイン人というのは不思議だ。もしかしたらすごく賢いのかもしれない。 例えば、昨日の料理を作る時も役割分担が自然に出来ていた。
誰かが何かを始めると自分の仕事を探して足りない部分を補いあっている。誰か一人が働きすぎるということはなさそうだし、たとえ一人が何もやらずに座っていたとしても、文句も言わないのではないだろうか。自分たちはそれぞれ好きなことや、自分の性格に合った仕事を探しているから。そんな一見無秩序で無計画でいい加減なやり方なのに、最後はつじつまが合ってうまくまとまる。
《成り行きまかせ》
というのも大切なキーワードだろう。例えばルカは朝私たちと別れる時にはお昼を一緒に食べようって言っていたけど、一向にそういう事態にはならなかった。それをルカは残念に思うことがあっても気にしないだろう。きちんと約束したわけではないし、私たちの気が変わって(又は事情があって)どこかで食べているのだろうと思う程度なのであろう。
我々日本人はあらかじめいろいろな事を決めすぎる。窮屈でいけない。そしてコトが思うように運ばないと、必要以上に失望したりする。どうもあれこれ先の事を算段しすぎると、幸運を掴みにくいのかもしれない。
それから彼らの勘の良さは脱帽ものだ。このバレンシア・デ・アルカンタラの駅を降りてから英語で話をしたのは仙人とナチョーだけである。ナチョーは片言の英語に身振り手振りがはいる。あとの皆はスペイン語しか話さないから、私の片言のスペイン語とそして得意の日本語でこの村で二日間通 してきたのだ。
あとで考えるとけっこう込み入った話まで伝わっている。勘の良さもあるが、お互い何かを伝えあいたいという熱意も大切かもしれない。 -
私たちを送ってくれた農家のおじさんは村に入ると私たちのホテルに行く途中、少々回り道して、村の名所、旧跡を案内してくれた。今朝行った古い教会の前では車を止めて写 真まで撮らせてくれた。 村に戻ると大都会に来たみたいだった。
ルカの店に行ってはみたが、昼休みでドアが開くことはなかった。 私たちは広場でアイスクリームを買った。
一休みして、むらやんがルカにお礼の手紙を書いて再び店に持っていった。手紙はむらやんのイラストで綴った楽しいものだった。
結局ご馳走になったり、いちじくをお腹いっぱい食べたりして、お金を使うヒマがなく、余ってしまった! 今はお腹もすいていないし時間もないのでスーパーで食料を買ってペセタを使い切ろうということになり、ショッピングを始めた。スーパーに行く途中、昨日のイチジクおじさんに再会した。おじさんはまた相変わらずおしゃべりだった。
スーパーに入り、暗算しながら水やヨーグルト、お菓子、パン、生ハム、チーズなどを買い込んで清算すると、惜しい事に5ペセタ(4円)足りない。商品を戻そうかと思っていたら、これでいいと言う。
本当におおざっぱはいい!(逆に5ペセタくらいだと、おつりがでないかもしれないが、その時はこちらも太っ腹になろう)
スーパーから出ると、今度は絵描きのピントーみ会った。ピントーと別れの挨拶をした後、イチジクおじさんが再び登場して、
「あんな奴とかかわっちゃダメだよ。」
と、いかにも胡散臭そうに言っていた。 あとはホテルに戻り荷物を持って、3キロの、昨日歩いてきた道を駅まで帰るのだ。
私たちの最後のはかない望みは、誰かが車で通りがかり、荷物もろとも駅まで私たちを運んではくれないだろうかということ。
イチジクおじさんやピントーは車を持っていないだろう。
実はむらやんは肉屋のルカにわずかな望みをかけて手紙を持っていったと告白した。
残念ながらナチョー達もまだ仕事が終る様子でもなかったから、歩くしかないだろう。
ホテルに戻ると小学生の男の子が掃除の手伝いをしていた。
ホテルの皆さんに別れを告げ、広場を越え、まだ〈車で駅まで〉という希望は捨てなかったが、村の出口までとうとう来てしまった。この村は確かに小さいが、思いつきの物売りを通 して、なんだか村じゅうの人と知りあいになった気がした。
列車の発車時刻まであと45分、荷物を持った足だとのんびりもしていられない。
坂を下りはじめてこれで村が見えなくなった所まで来た時、なんと見覚えのあるバンが止まり、肉屋のルカが出てきた。
ルカはちょっと血生臭い車内に荷物と私たちを詰め込んだ。
駅長さん達に村から無事戻ったことを報告してやれやれ列車に乗り込んだ。
ここでこの話は終る予定だった。
しかし世の中はそうはうまくいかないもの。
列車に乗って検札にきた車掌とトラブル。
途中下車した切符がそのまま使えるはずなのに、数千円要求されることになった。ペセタはもちろん使い切ってないので、ポルトガルのエスクードでもいいと言うが、さらに不利な取り引きで、向こうはかなり威張っている。『お金がないなら次の駅で降りろ』とも。一日にたった2本しかない便である。
それでも、もはや時間にも予定にもこだわらなくなった私たちは、次の駅で降りることにした。
車掌はその時青い顔になったが、お互い言い出したのだから後には引けない。
次の駅はポルトガル側の国境の駅だった。
車掌はそこにいた駅員に私たちの事を説明と弁解をしていた。
列車が発車するまでなんかとげとげしい気持ちがあったが、のんきな駅員さんたちとホームに取り残されて、穏やかな気持ちになっていった。
距離にして7キロ。隣の駅とはまた違う。
こちらはさらに気楽な雰囲気だ。
さっそくここの駅長さんは、私たちについておいでと促した。
そこはホームのはずれの花壇であった。私たちも何か手伝いをするのかなと思ったがそうでもない。二人の駅員さんが花に水をやるのを見ていればよい。
花の方が終ると桃の木のそばに行き、落ちている実を拾う。それは私たちも協力した。そして甘そうなところを2〜3個づつ分けてくれた。堅かったけど、しっかりした味だった。
仕事が一段落すると、私たちを歩いて3分の場所から始まるメインストリートに案内してくれた。 レストランの前でお別れして、私たちは教えてもらったホテルに泊まった。
何もない静かな土地に降りて、その生活をほんの少しだけ共有できたことは忘れえぬ思い出となった。 -
翌々日、二日前に乗ってきたものと同じ列車に乗り込む。
まわってきた車掌さんは私たちの切符を見ても何も言わずに一銭も取らずに行ってしまった。
ホテル代を払ってもあの駅に降りて良かった。
今度こそリスボンに向う。
もう途中下車はしない。 -
おわりに
ここまでの旅を終え、私の頭の中はすっかり空っぽになって白紙の状態に戻った。
夢中になって小さな冒険をしていくうちに、霧が次第に晴れて遠くの方にもうっすらと視界が開けてきた。
次から次へと追い立てられるように課題をこなした5年間。陰謀と戦略が渦巻く(!?)イギリスでの勉強。
すっかり人間の本質、自己の本質を見失いそうになっていた私は、むらやんと、この支離滅裂な旅を続けるうちになんとか糸口が見つかりそうな感触があった。
この五年間で学んだ勉強のことはもちろん、それ以外のことまですべてを噛み砕き整理して、これから先は本当の意味で生かしていかなければならない。
こうして頭の中を空っぽにした後の作業は考えること。
幸いこの作業は、この後に続くリスボンの滞在で、世界中のアーティストの作品を見たり、複数の地元のアーティストとの交流のなかで、少しづつそれを進める作業が始まった。
そして日本やロンドンを離れてリスボンという場所で考えたことは良いチャンスだった。
それと言うのは、ロンドンに住んでいると、どうしてもロンドンやイギリスがいつの間にか世界の中心に思えてしまう。そういう目を通 して物を見たり、批評したりしはじめる。
確かにロンドンは大都会の一つだし、ヨーロッパの中では多方面の文化を集積しているし、活気もある。住むにはなかなか刺激的な面 もある。
だからと言って、ここが世界の中心ではない。
もちろん、ニューヨークだってパリだって東京だって中心にはなりえない。中心とか頂点は一箇所にあるものではなく、あちこちにあるうようなのだ。インドにもあれば、中国にもあり、アフリカにももちろんある。 -
リスボンは今回で4回目だが、初めてじっくり美術館やギャラリーを見学する機会を得た。どこの都市でも美術館、博物館の類は他の観光を削ってでも必ず足を伸ばしてきたが、ポルトガルにおいては、実は何も見るべきものはないだろうと決め込み、後回しにしていた。
国立古代美術館、グルベンキャン美術館は内容、展示の方法館内の装飾 の豪華さは他国のものにひけをとらないし、新しく建設されたベレンの文化センターは外壁に美しいピンクがかった石を用い、新しいのに周囲の風景、ジェロニモス修道院やテージョ河、ベレンの塔と調和している。
館内では様々な文化の催しものがあるが、彫刻や絵画、建築などの企画展は常時五〜六種類あり、今回私が見たものは、 《DEPOIS DE AMANHA》(THE DAY AFTER TOMORROW) という、ファインアート展は、国内外二十三名の出品者の作品で構成されていて、一人の作家の作品を置くスペースがとびきり大きい。天井も、普通 の二〜三倍ある部分もあるし、作品の内容により、活かせるスペースをうまくふりわけている。
これだけの空間があれば、作者も表現が自由に膨らむに違いない。
こんな空間は今世界にどれだけあるのか。
大都市でこれだけのスペースを確保するのはちょっと不可能なことではないだろうか。
また、私が出会ったジュエリーデザイナー達はジュエリーを哲学的にとらえ、体に身に付けることに留まらず、その空間までも考えていた。
こんなふうに、今世界中各地で動きつつある現象は、無視できないものとなっている。
17thMarch,1995 -
リスボン対岸の町に4週間滞在をしました。
ちらっと見えるのが、クリスト・レイです。 -
リスボン対岸の町。
-
古い建物のファサードだけを残し、新たに建築する。
-
カフェ・ブラジレイラ(リスボン)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 続・魔女ランダさん 2005/05/25 05:22:07
- 日向モノ。
- スペインで露天商とは楽しい経験!
むらやんさんって、スゴイ行動力!
私もこんな楽しい経験したかったなー。
それにしてもNight−trainさんって、とても素晴らしい文才に恵まれていますねー。なかなか楽しい。ご本にしてご出版なさってみたら???私は即買いですー。
さっきの、モロッコのカサブランカのハッサンさんはその後またお会いできたんですねー。自分のことのように嬉しかったです♥
魔女ランダ
- night-train298さん からの返信 2005/05/25 13:32:26
- はじめまして!魔女ランダさん
モロッコという国は、謎めいているといいますか、初めて行った時は、迷子になったら売られてしまいそう・・・・
などという偏見に怯えていたのですが、あたりまえですが、我々と全く同じ人間なんですよねー。
根底の文化や宗教の違いがあるので、富める人が、貧しい人を助けるという構図なのでしょうね。
もちろん私はビンボーの代表なのですが、日本人であり、うろうろ旅行などしているものですから、そう思われても仕方ないですね。
だから、あのガイドさんたちも、悪人というわけではないのでしょうが、なかなか悩ましいものです。
あの数年後にハッサンの家を訪ねたことがあるんですね。
ただ、住所は持っていても、地図はさっぱりわからない。そばにいた男性と女性(二人は他人同士)は、私たちを連れて、1時間歩いて連れていってくれました。
あのハッサンの住んでいた地域は、カサブランカでも旧市街のようで、
とてもいい感じなんです。
それでね、その家を訪ねたら、まずお母さんが出てきたのです。
わたしと友達は、「あ〜、お母さん!」と、親しげに抱きつかんばかりなのに、
お母さんはむげにも「こんな人たち、知らない」って言うんですよ〜。
えええぇ〜〜〜〜っ?めったに来ない日本人を、お忘れですかー?
しかし、「知らない」の一点張りなので、あきらめてその集落の出口を出て、
帰ろうとしたら、見覚えのある、ハッサンの妹サミエルと、結婚したばかりのだんなさんが
追いかけてきたんです。
そして二人の新居にあらためて招待してくれたのです。
翌日はあのお母さんが、やけに親しげになっていて(?)大量のクスクスを(写真がそれです)作ってくれたんですよ。
残念ながらハッサンは、タンジェで仕事をしていて、お留守でした。
オスロで会った日本人ね・・・
いやぁ〜、ちゃんと言ってあげるのが、本当の優しさだと思いますよ。
私なんて、?と思いながらも、こうして20年後まで語り継いでいるなんて、ヒドイですよね。
うんうん、ほんと、おっしゃる通り、彼みたいなタイプには、興味が持てないですよね。
そうそう、こういうのに限って『もうヨーロッパは充分みた』とか言うんですよねー。
でも、何かのきっかけで、人間変わることもあると思うので、ちょっぴり期待したいですね!
日向者の旅行記、実は私の一番お気に入りといいますか、大切な旅行の思い出なんですよ。
それを読んでくださったとのこと、感激です。
これをやったのは、11年前のこと、すでにそんなに若くなかったので、10年後の今も、またやれるかもしれない私です。(変なヤツなんです)
ちなみに兄夫婦が、レンタカーでスペインポルトガルを旅した時に、寄ってもらったんですよ。
肉屋さんのルカだけは、たま〜に不思議なクリスマスカード(クリスマスに届かないのですが)
を送ってくれるんです。 残念ですが、ルカはちょうど留守で、お父さんに会ったとか。
ここはド田舎なんですね、何も観光するものもない、交通の便もひどい地なのですが、
また行ってみたいんですね。今年スペインに行くので、機会があれば寄ってみたいのです。
魔女ランダさん、ぜひまた遊びにいらしてくださいね!
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