百済末期の石塔 王宮里寺址五層石塔
- 4.0
- 旅行時期:2008/06(約16年前)
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by あなもりやさん(男性)
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全羅北道益山から市内バスで金馬で下車、タクシーかバス、歩いても行ける距離にある。2008年に訪ねたときは発掘調査中であった。石塔の近くには周辺から出土した瓦等を集めた資料館がある。
百済の武王の離宮か、あるいは武王が一時期都を扶余からこの地に移したのではないかとの説もある。発掘調査では出土した礎石の配置が従来の寺院址とは異なる配置をしている事が判明した。五層石塔は百済末期から統一新羅初期にかけてと見る意見と、10世紀の高麗初まで下るという見方など、その製作年代は確定されていない。周囲からは「官宮寺」銘の瓦なども出土していることから、大官寺に当てる見方もされており、遺跡中の建造物は武王代の創建と考えられている。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 2.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2012/12/17
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