米国、ロサンゼルスのリトル・トーキョー(2006年6月8日)
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- 旅行時期:2006/06(約20年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
ロサンゼルス クチコミ:5件
米国、ロサンゼルスのリトル・トーキョー(2006年6月8日)
米国、ロサンゼルスのリトル・トーキョーは米国で最大の日本人街。
19世紀末、国策によってアフリカ系奴隷に代わる労働力として数万人の日本人が米国、ロサンゼルス周辺に移住した。リトル・トーキョーの地域は19世紀中期はドイツ系移民が数多くリトル・ベルリンと呼ばれていた。リトルトーキョーに住んだ最初の日本人は漁民だった茂田濱之助で日本食レストランを開店したそうだ。1930年代には4万人近くの日本人がリトル・トーキョーに住んだり働いたりしていた。
1941年12月の日米開戦後は日系人は強制収容され、リトル・トーキョーにはアフリカ系アメリカ人が入り「ブロンズヴィル」と呼ばれた。第二次世界大戦後、1945年以降に強制収容所から解放され再びリトル・トーキョー周辺に日本人、日系人が定住した。戦後、多くの邦画映画館が建てられ、米国の寿司ブームを起こしたといわれる寿司カウンターレストランなどが誕生した。現在は、日系人、日本人の多くは南のオレンジ・カウンティ、サウス・ベイ地区などに居住しており、リトルトーキョーには日本人や日系人の数は少なく、韓国系や中国系の商店主が多い。全米日系人博物館(入館料8米ドル)ではアフリカ系奴隷に代わる労働力として人種差別を受けながら辛酸を舐められた移民日本人の苦難の様子が良く解る。
日米文化会館では日本庭園を造り日本文化教室などで日本の紹介を行っており日系人の文化を見ることができる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10073571/
(写真はリトル東京の街並み)
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2007/09/11
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