必見!! カタルーニア美術館
- 評価なし
- 旅行時期:1998/07(約27年前)
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by フランシスコさん(男性)
バルセロナ クチコミ:4件
タクシーが門前まで上がってくれる。ここからのバルセロナの眺望は素晴らしい。カテドラルもサグラダ・ファミリアも港も一望できる。ビルなどもさほど多くない。街の中央に高く、そして踏ん張っているのはカテドラルだ。
中世の頃、ヨーロッパ中からイベリア半島の西北のはずれ、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう巡礼の列があった。星降る野に見つかったサンティアゴ(聖ヤコブ)の墓に詣でるための列だ。二度と帰らぬ覚悟で家財を引き払って出発をしたものも多かったという。フランスを4本のルートで横切り、ピレネー山脈をシセ峠かソンポルト峠で越え、プエンテ・ラ・レイナで路は1本に合流する。そこから一路サンティアゴ・デ・コンポステーラをめざす。巡礼路には巡礼達を宿し、決意を確かめ、救護し、行き倒れの巡礼を葬るための聖堂、教会、修道院があった。
ここカタルーニャ美術館は各地の朽ち崩れようとする教会、修道院の壁画を剥ぎ取って保存しようとする、特色のある美術館だ。そんな乱暴なことをしていいのかと心配にもなるが、巡礼路の荒廃ぶりや壁画の保存を考えると、こうでもしなければならないだろう。
ここでの圧巻は、なんといってもタウールのサン・クレメンテ教会の「全能者キリスト」と呼ばれる壁画だった。スロープをおりてサン・クレメンテの聖堂を模した空間に出ると、この壁画のある円天井の方へすーっと吸いよせられてしまう。不思議な体験だった。あの青さ。青は空の色で、超自然的なものを表すという。周囲に天使や福音書の作者(4人)や聖母、使徒に囲まれ、大きな眼をして、威厳と栄光に溢れた姿だ。
私はあちらこちらで見せつけられる、干物のような、十字架に架かったキリスト像にいつも当惑していた。これは何もスペインに来てからのことではない。いままでの多くもない教会体験の中で直視できないような気がしていたのだ。キリスト者というのはこういうものを通して神を礼拝する際、いったいどんな心境でいるのだろう、よほど残酷な、あるいはエゴイスティックな心情ではないかと思ってもみたりした。
サン・クレメンテのキリストは、十字架の上で醜く、無残にも歪み、血糊やクギの跡を見せ、土気色をした姿(たとえばグリューネバルトの「キリスト磔刑図」のような)とはまったく違う。サン・クレメンテのは12世紀、グリューネバルトは16世紀だ。
400年の間にキリストは生身の人間の姿に近づけられ、無残極まりない死の〈かたち〉をさらすようになった。犠牲者キリストの犠牲ぶりをこれぐらい醜悪、無残にしなければ絶対的な神の救いや無限の愛を人間は信じられなくなってしまったのだ。人間の方が変わってしまったのだ。
磔刑図(像)について、私が信者のエゴを想像したのも、あながち的外れではなかったかも知れない。
なお、美術館の丘の麓のバルは、ドライブインみたいで、気楽だが、あんまりいただけない。街中へ降りて食べるべし。
- 施設の満足度
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評価なし
クチコミ投稿日:2004/09/30
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