本願寺門徒が大きな勢力だった長島一向一揆(ながしまいっこういっき)跡 - 桑名・長島 のクチコミ
本願寺門徒が大きな勢力だった長島一向一揆(ながしまいっこういっき)跡
- さすらいおじさんさん
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- 旅行時期 : 2011/05(約15年前)
長島一向一揆(ながしまいっこういっき)は、1570?1574年の石山合戦に伴い、伊勢長島(伊勢国と尾張国の境界付近)を中心とした地域で本願寺門徒らが蜂起した一向一揆。織田信長との間で三度に渡る激しい合戦が起こり最後は織田軍の勝利に終わったが善戦だった。
長島という地名はもともと「七島・ななしま」で、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中地帯を指している。付近には数十の寺院があり、本願寺門徒が大きな勢力を持ち尾張国西南部・美濃国南部・伊勢国北部における一大自治勢力だった。
1501年、自治勢力の統制のために本願寺蓮如(れんにょ1415?1499年)の六男・蓮淳(れんじゅん、1464?1550年)を住職として願証寺が創建され、本願寺門徒は地元の国人領主層を取り込み地域を支配し門徒衆約十万人といわれた。
織田氏や斎藤氏、各国領主たちは長島に立ち入ることもできず稲葉山城を追われた斎藤龍興(さいとう たつおき1548?1573年)は長島へ逃げ込んでいる始末。この時代、蓮如を中心に織田信長と対等に渡り合えるほどの本願寺門徒の自治勢力の巨大さが想像できる。
アクセスーーーJR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く
- アクセス :
- 3.0
- JR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く
- 人混みの少なさ :
- 4.0
- 見ごたえ :
- 3.0
- バリアフリー :
- 2.5
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