北限の椿にまつわる伝説など - 白神山地 のクチコミ
北限の椿にまつわる伝説など
- ANZdrifterさん
- 男性 / 白神山地のクチコミ : 1件
- 旅行時期 : 2011/07(約15年前)
椿が自生する北限の地
15・6才の美しさを保ちながら800年も生きたという「八百比丘尼」の伝説は、若狭の寺に源があり、その寺には椿の小枝を手にもつ比丘尼の木像があるという。この若狭の地から、八百比丘尼と椿はひと組の伝承として、鎌倉・室町期に対馬暖流にのって能登や佐渡、寺泊、会津までの北緯38度よりも南にだけ広まった。これらの地では椿は女人が運んで植えている。
一方、北緯39度をこえると「北限の椿」がある秋田・青森では、八百比丘尼が説話から消えており、地元女性の求めに応じて船乗りの男が椿を運んでいる。八百比丘尼伝説は安東水軍の勢力圏には入れなかったのかも・・・・・。
以下はおもに、森崎和江「海路残照」と簾内敬司「菅江真澄 みちのく漂流」の抜粋だが、男鹿半島の椿浦(国指定天然記念物)から海岸を北上すると、秋田県八森町に椿台、五能線を北上すると岩館、岩崎の線路際の斜面の椿の群落、青森県深浦町へなし崎に椿山、青森市の夏泊半島の椿山(国指定天然記念物)と、椿の自生地があり、これらはいずれも、赤い半開のヤブツバキである。
興味ふかいのは、深浦町から北上した鯵ヶ沢町に「胸肩神社」があり、青森市の善知鳥(うとう)神社とともに海神の宗像三女神を祀る神社がこの地にあることで、海運と椿の分布とのあいだに関係があることを思わせる。
1795年3月、菅江真澄は夏泊半島の椿明神に参拝して、この地に残された伝説を記録している。真澄によれば、むかし材木を西国に運んでいた船頭に、なじみの女が“都の女は椿油を用いるので髪が美しいと聞く。来年来るときに椿の実をもってきてくれ”と頼んだ。一年後、船頭はこなかった。三年後、ようやく船頭が来たときには、女は船頭が心変わりしたとおもい入水して塚に葬られていた。船頭は塚に後悔のことばを告げ、約束の椿の実を播いて去った。やがて椿は林となったが、花の咲いた枝を折ると美しい女が現れて恨み言をいうので、里人は神として祀ったという。
緯度からいえば、北緯41度のこの夏泊半島が北限であろうが自生地と言えるかどうか。
別項の旅行記「菅江真澄の「男鹿」をたずねて」に記したが、男鹿半島の椿浦に自生するヤブツバキについては、菅江真澄が椿の葉が細いことを書きとめており、たしか柳葉と書いていたように記憶する。
南国の原産を思わせるつやつやとした濃緑の葉に、隠れるように咲く雪国のヤブツバキに託され、懸けられた想いが、かなしい伝承を生み、神を生んできたようである。
- アクセス :
- 3.0
- 景観 :
- 4.0
- 人混みの少なさ :
- 4.0
- バリアフリー :
- 1.5
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