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千住神社

寺・神社・教会

千住神社 施設情報・クチコミに戻る

歴史ある神社だけあり見どころ満載です。

  • 4.0
  • 旅行時期:2023/09(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

北千住・南千住 クチコミ:2件

「千住神社」を訪れまず驚かされたのは、「参道入口左手に「足立郷社千住神社」の看板を見た時です。看板
には、「御鎮座926年足立の歴史とともに…悠久1100年の御神徳」と書かれていました。なんと千年以上の歴史のある由緒ある古刹だということです。そして、「千住神社」の参道を奥に進むにつれて千年の歴史あるモニュメントをたくさん発見しました。「千住神社」には、「鳥居」が「一之鳥居」から「三之鳥居」まであり、参道の両側には奉納灯籠が多く置かれて、地域の人々の信仰の深さと「千住神社」がこの地域の人々の心の支えになったということを感じます。そして参道の両側には、芭蕉の句碑はもちろんのこと沢山見るべきものが所狭しと並んでいます。「手水舎」では龍の吐水口より水が出て身を清める事ができます。
その先には、天高くそびえる2本の銀杏の御神木があり、足立区の指定保存樹として指定されています。そして 現在は夫婦銀杏の間に橋が架かっていて、神橋渡りができる形になっています。特に、パワースポットとして人気があるそうです。私もひそかに願い心に秘めて橋を渡りました。次に、本殿へ行く手前に「神狐像」と「狛犬像」が待ち構えていました。「神狐像」は狐山の頂上に、「狛犬像」は子犬を優しく抱きかかえていました。それぞれ一対の像となっています。参道を進むと正面に「千住神社」の「社殿」が見えてきました。東京大空襲によって「夫婦銀杏」以外の建物は焼失したそうです。もちらん「旧社殿」も例外ではありません。そして、「社殿」は、昭和33年(1958年)に再建されたものです。拝殿前には一対の天水桶があります。なんか由緒ある古めかしい桶ですが、これがなんと、安政5年(1858年)に奉納されたものです。幕末の動乱期だけでなく、東京大空襲にも難をのがれたということですね。
そして、「社殿」の右手奥には「境内社七社」が鎮座しています。この七社の中で特に、興味深かったのが、「願かけ恵比寿像(千住宿千寿七福神)」です。末社恵比寿神社を分霊し「千寿七福神」の恵比寿天として祀られています。とても珍しい「まわる恵比寿様」です。
また、「境内社七社」の隣には、江戸時代中期に信仰が盛んになった「富士塚・千住富士」があり、7月1日の山開きの日のみ登拝可能です。「富士塚・千住富士」を見て出口に向かうと左手に「神輿庫」があります。「神輿庫」の中では「一之宮大神輿」が有名で、5年に一度の9月大祭では、千住の町を一日かけて巡行するそうです。そして最後に他ではなかなか見られない戦争の爪痕を今に伝える「防空壕」がありました。昭和20年(1945年)の東京大空襲が激しくなり、ここに掘られたそうです。とにかく色々なモニュメントがあり、是非、「千住神社」に足を運んでください。周辺にもいろいろな見学スポットも数多くあります。

次に、「千住神社」の歴史を遡ってみたいと思います。「千住神社」は、千住(千寿)に集落が形成され始めた、延長4年(962年)丙戌年に、土地鎮護と五穀豊饒を祈って、「伏見稲荷」より分霊を勧請し、「稲荷神社」を創立しました。永承6年(1051年)に源義家は、奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り、二ッ森(現在の千住神社)に陣営し、神前に戦勝を祈願したと古記録に記載されています。更に、弘安2年己卯年(1279年)に武蔵国の「一の宮氷川神社」の御分霊を勧請し、「氷川神社」を創立しました。このため鎌倉時代より江戸時代には、ここを「二ッ森」と云っており、旧考録には、代々の将軍が「二ッ森」で、鷹狩りを行ったという記事が記録されています。寛永年間には、千住が日光街道の第一宿となり、「千住神社」は、その西方にあるために、「西の森」とも云われました。江戸時代までは、「稲荷神社」と「氷川神社」の二つの神社がありましたが、明治5年(1872年)11月18日に、両社は「村社」と定められ、更に翌明治6年(1873年)6月には、「稲荷神社」を「氷川神社」に合祀し、「西森神社」と名を改めました。明治6年(1873年)7月5日に、足立区内最高唯一の「郷社」と定められ、更に大正4年(1915年)12月15日から「千住神社」と改称しました。昭和20年(1945年)4月に、戦災にあい、全ての建物は焼失してしまいたが、昭和33年(1958年)以降、御社殿、社務所、会館、等が再建され、戦前以上に立派に整備されました。

★01_《千住神社のお薦め参拝順路》
①:「千住神社」の社号碑と「史跡八幡太郎源義家陣営の地」の石碑」⇒②:「一之鳥居」⇒③:「二之鳥居」⇒④:「手水舎」⇒⑤:「納札所」⇒⑥:「御神木」⇒⑦:「三之鳥居」⇒⑧:「神狐像」⇒⑨:「狛犬像」⇒
⑩:「社殿」⇒⑪:「境内社…経王稲荷神社」⇒⑫:「境内社…末社(火伏せ三社)」⇒⑭:「天満宮」⇒
⑮:「境内社…廻転恵比寿」⇒⑯:「延命稲荷神社」⇒⑰:「富士塚・千住富士」⇒⑱「神輿庫」⇒
⑲:「防空壕」 

★02_《「千住神社」の見どころ》「
⑴ 「千住神社」の社号碑と「史跡八幡太郎源義家陣営の地」の石碑
  参道入口右手に「千住神社」の社号碑、右隣には「史跡八幡太郎源義家陣営の地」の石碑があります。永承6年(1051年)に、源義家(八幡太郎)は奥州征伐の際に、荒川(現在の千住大橋付近)を渡り千住神社に陣営して、神前に戦勝祈願したと伝えられています。
⑵ 千住神社」の由緒の石碑と「千住神社」の解説板及び「千住神社」の保存樹林(足立区指定第25号)
⑶ 「一之鳥居」
「一之鳥居」は、慶応2年(1866年)に建立されたものが現存しています。
 ⑷ 「防空壕」
”平和の大切さを伝える”「防空壕」:昭和20年(1945年)に、空襲が激しくなると、東京中に防空壕が作られました。簡易なものから強固な地下壕までいろいろあり身体を守ってきました。(千住神社歴史保存会より)
 ⑸ 「二之鳥居」
   「二之鳥居」は大正15年(1926年)に建立されたものです。
 ⑹ 「手水舎」
「二之鳥居」潜ると参道の左手に「手水舎」があります。龍の吐水口より水が出て身を清めることができます。
「手水の作法」…手水とは参観前の前儀として心身を清浄にすることをいいます。
① 柄杓を右手で取り、まず左手を濯ぎます
② 柄杓を左手に持ちかえ、右手を濯ぎます。
③ 柄杓を右手に持ちかえ、左手のひらに水を注ぎ、その水で口を濯ぎます。
④ 最後にもう一度左手を濯ぎ、柄杓を立て残りの水にて柄杓の柄部分を洗い流し、元に戻します。
 ⑺ 「納札所」
「納札所」は、「手水舎」の左手奥に「納札所」があります。
「納札所」の解説文…ここはお護り頂いた御守・御札を納めるところです。(格子戸を手前に開きお納めください。) お気持ちは社殿正面の賽銭箱へ納めて下さい。近年お焚き上げの規則が厳しくなっております。ぬいぐるみやプラスティック製品等の環境上燃やせない物、また陶器類、金属等の不燃物はお持ち帰りいただき、お塩、お酒を少量まき、お清めののちご処分頂くようお願い申し上げます。(千住神社社務所)
 ⑻ 「御神木」(足立区指定保存樹)
「御神木」は、天高くそびえる2本の銀杏の大木、この銀杏は、先の戦争にて千住宮元町のほほ全ての建物が焼失した中で、御祭神御守護のもと、焼け残った御神木であります。寄り添う樹木は「夫婦銀杏」として親しまれており、縁結び、夫婦円満、家内安全、子宝安産の象徴となっております。 現在は両銀杏の間に橋が架かっていて、神橋渡りができる形になっています。また、パワースポットとして人気を博しています。
 ⑼ 「三之鳥居」
「三之鳥居」は、「手水舎」の先に「三之鳥居」があります。大正12年(1923年)の関東大震災が起きた年に建立されています。
 ⑽ 「富士塚・千住富士」
「富士塚・千住富士」は、大正12年(1923年)に富士塚と浅間神社が建立されました。現在の富士塚は昭和11年(1936年)に再築されたものです。千住富士と呼ばれ富士講より崇敬を集めました。「千住富士(御祭神は木花咲耶比売命[このはなさくやひめのみこと])で、7月1日の山開きの日のみ登拝可能です。江戸中期に富士信仰が盛んになり「江戸八百八町講中八万人」と言われ、江戸を中心に多くの富士講が生まれ、各地に富士塚が作られました。宿場町として栄えた千住には、多くの富士講があり、活気溢れる土地柄もあり、当社にも富士塚がつくられ、富士信仰の文化が、脈々と受け継がれていました。現在の富士塚は昭和11年(1936年)に再築されたものです。」
⑾ 「神狐像」:
「神狐像」は、参道を進むと途中に一対の神狐像があります。よく見ると獅子山ならぬ狐山があり、狐が山の山頂にいます。「千住神社」は稲荷様と氷川様が合祀された神社であるため、稲荷信仰の神使である狐が参道を守っています。神狐像は昭和3年(1928)年9月に、御大典記念として造立されました
 ⑿ 「狛犬像」
「狛犬像」は、江戸末期(文政13年5月)に、氏子有志によって献納されたものですが、その狛犬の姿が“子供を抱える”、“子を護る”とても珍しい姿です。これは御祭神の御神徳、家内安全、商売繁昌、子孫繁栄(良縁)、無病息災(厄除)のお恵みが、特にあらたかであったことによることが理由の一つとされています。
 ⒀ 「社殿」
「社殿」は、参道を進むと正面に「千住神社」の「社殿」があります。東京大空襲によって「旧社殿」は焼失しました。 戦後の昭和33年(1958年)に再建されたものです。鉄筋コンクリート造で朱色の社殿は、状態もよく整備されています。拝殿前には一対の天水桶があり、安政5年(1858年)に奉納されたものです。幕末の動乱期の幕開けである安政の大獄が始まった頃の天水桶が現存しています。
 ⒁ 「境内社は社地の北側に七社」
① 番左手から「経王稲荷神社」(宇迦之御魂命)
② 「幸福神社(大国主命・事代主命)・八幡神社(品陀別命)・三峯神社(伊邪那岐命・伊邪那美命・倭建命)」の合殿。恵比寿神社の扁額が掲げられているが、おそらくは大国主命を合祀して幸福神社と改号したいわれています。
③ 「天満宮」(菅原道真)は片葉天神社とも称されています。
④ 廻転恵比寿は「末社恵比寿神社」を分霊し、千寿七福神の恵比寿天として祀られました。とても珍しい「まわる恵比寿様」です。願掛けの作法が決まっており、男願掛け方法の方法は、①実際に恵比寿様をお触りいただきながら男性は左へ三回まわし、女性は右へ三回まわしてください。②祈願箇所をハンカチで、それぞれ願いの言葉を三回念じながら三回なでる。③恵比寿様をなでたハンカチはご自宅へお持ち帰りいただき一日三回、なでた場所と同じ部位にあたる自分の身体をなでます。白いハンカチは持参してもよいが、持っていない場合は社務所で初穂料100円にて頂くことができます。
⑤ もう一社の稲荷は、「延命稲荷神社」です。こちらの祭神も宇迦之御魂命です。
⒂ 「神輿庫」
《一之宮大神輿》
文久3年(1863年)製作。「江戸神輿」としては、都内有数の大きさの神輿で、過去『江戸神輿博覧会』において、都内江戸神輿十基の一つに選出された神輿です。五年に一度の九月大祭にて、千住の町を一日巡行渡御致します。
《一之宮大神輿》
明治18年(1885年)製作。毎年の千住神社例祭において渡御を致します。祭礼日は、9月の第2週土曜、日曜となっております。

★03_《「千住神社」その周辺紹介》
⑴ 「千住市場(やっちゃ場)」
千住河原町はかつて「やっちゃ場」とよばれた青物市場で、戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。千住河原町稲荷神社境内には明治39年(1906年)建設の「千住青物市場創立三百三十年祭記念碑」が立っています。これによれば市場開設は天正4年(1576年)になりますが、史料によれば、公的に市場の形をなしたのは享保20年(1735年)でした。青物市場は神田・駒込と並び江戸の三大市場に数えられ、幕府の御用市場でもあったのです。戦前には旧日光街道沿いに多くの青物問屋が軒を連ね、活気あふれる問屋街でした。「やっちゃ、やっちゃ」とは市場の競りのかけ声であったと言われています。
⑵「千住宿奥の細道プチテラス」
千住大橋脇の「東京都卸売市場足立市場」の入口にあるのが、「千住宿奥の細道プチテラス」です。千住循環バス「はるかぜ」の待合所を兼ねたおシャレな作りです。「千住宿奥の細道プチテラス」内には、奥州や北陸など「奥の細道」へここから旅立った高さ1・5メートルの白御影石製の松尾芭蕉像と、「日光道中 千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道 千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがある。
⑶ 「奥の細道矢立初めの地」
奥の細道矢立初めの地 千住大橋の足立側に、奥の細道矢立初めの地の碑があります。俳人松尾芭蕉が奥の細道での紀行最初の一句を詠んだのがこの地なのです。松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所(矢立初めの地)に建てられた記念碑で、千住大橋公園内にあります。松尾芭蕉は1689年(元禄2)年3月に弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。芭蕉の俳文紀行「奥の細道」には、「千じゆと云所にて船をあがれば前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と旅立ちの地である千住の情景が記されています。
⑷ 「石洞(せきどう)美術館」
石洞美術館は、美術工藝を通しての国際間の文化交流、相互理解の促進、我が国文化の向上を図るため、2006年4月に公益財団法人美術工芸振興佐藤基金によって設立されました。所蔵品は、佐藤千壽(せんじゅ)の収集したコレクションを核としており、美術館の名称は佐藤の雅号「石洞」からきています。
 ⑸ 茶館「妙好」(1F隣接)
茶館「妙好(みょうこう)」は石洞美術館に隣接し、石洞美術館の入り口右手にある六角形の建物です。足立区の障がい者団体「友愛会」が運営をし、障がい者の方々の自立訓練および社会参加の場となっているそうです。美味しい手作りのケーキもあり一休みすることができます。
⑹ 「千住大橋」
「千住大橋」は、隅田川の東京都区部にかかる橋で、国道4号が通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目で、「旧橋」(下り方向)と新橋(上り方向)の二橋で構成されています。
⑺ 「千住宿歴史プチテラス」
 「千住宿歴史プチテラス」は、江戸時代の蔵を改装した歴史資料館で、純和風の前庭と奥庭を配し、ツツジ、楓、ウメモドキなど四季折々の彩が美しいプチテラスです。千住四丁目の元地漉紙問屋・横山家の内蔵(土蔵)を平成5年(1993年)に移築したものです。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
3.5
京成本線「千住大橋駅」を利用して「千住神社」へ徒歩9分700m
人混みの少なさ:
3.0
女性の参拝客の比率が多い神社です。
見ごたえ:
4.0
堂宇はもちろんのこと、石碑、悲しい歴を今に残す防空壕もあります。

クチコミ投稿日:2023/09/07

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