格式高い朝倉地域の総社ですよ
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- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by 愛さんさん(女性)
朝倉・甘木・小郡 クチコミ:27件
福岡県のほぼ中央に位置する朝倉市は緑豊かな田園風景が広がる中を流れる筑後川の側にある朝倉は国の指定史跡、日本最古の実働している朝倉の三連水車が、例年6月中旬から10月上旬まで水稲作付期間を潤しています。地域の総社として知られる正式名は「恵蘇八幡宮」ですよ!国道386号線沿いにあり鳥居を潜り石段を上ると境内です。ご神木の楠木は迫力を感じます。こちらの寺院は応神天皇、斉明天皇、天智天皇を、お祀りしています。由緒書によりますと斉明天皇は661年、百済国救援のため筑紫の朝倉橘広庭宮(あさくらたちばな)に下られた。この時に随行の中大兄皇子(後の天智天皇)は国家安泰と戦勝祈願のため、宇佐神宮(大分県)に奉幣使を遣わされた。使いの一行が恵蘇山麓に達した時、天上から白旗が降り、幡に八幡大神の文字が浮かび出たことから、天降八幡なる宮社が創建された。その後、天武天皇白鳳元年(673)に斉明天皇・天智天皇を合祀し、この頃社名を恵蘇八幡宮に定めたといわれている。現在の本殿は安永元年秋9月(1772)の改築であると記されていました。660年に百済は唐・新羅連合軍によって滅ぼされ、当時の朝鮮半島情勢は密かに同盟を結んだ百済・「高句麗」(こうくり)と新羅が対立。唐は新羅を後ろ盾にして朝鮮半島の支配を目論む状況でした。その手始めとして、唐は新羅を従えて百済に武力侵攻。そこには、高句麗への武力侵攻に向けて、障害を除去する狙いがあったのです。百済からの救援要請を受けた倭の斉明天皇は難しい決断を迫られたそうです。江戸時代に改築した本殿の側には狛犬もいますが、怖い顔をしていて睨みをきかせているようです。春と秋季例大祭は地域にとっても大切な例大祭ですね。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/06/28
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