知りたい歴史
- 4.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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by Lillyさん(女性)
両国 クチコミ:21件
関東大震災の惨状を知った中国仏教徒の方々により寄贈された鐘です。
中国でも杭州西湖の招賢寺や上海麦根路の玉仏寺で念仏法要が行われたそうです。
時代が時代であり日本との関係は良好とは言えなかったと思いますが、その中で寄贈されました。
国と国との問題を超えて慰霊のために。
ここに安置されたのは慰霊堂と同じく昭和5年。
その後、東京大空襲もあったし木造なので鐘楼の屋根瓦や柱は何度か修復されているでしょう。
慰霊堂、復興記念館、鐘楼ともにそのあたりの説明がありません。
鐘楼に関しては太平洋戦争末期に兵器の材料として日本軍に没収されたお寺がたくさんあります。
戦争が終わって戻ってきた鐘は市ヶ谷・四ッ谷・早稲田あたりにもあります。
戻ってこなかった鐘の方が多かった事でしょう。
この幽冥鐘はどうだったのかも気になります。
説明がないのをそのまま解釈するならば、横網町公園内は東京大空襲で何の被害も受けなかったという事になります。
それならば本当に奇跡の場所です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2022/11/23
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