江戸時代中期の石彫獅子の名工が手掛けたとされる石獅子が配置されている獅子山です!
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- 旅行時期:2020/12(約5年前)
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by hiroさん(男性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:13件
『神田明神 獅子山』は、江戸時代より「江戸総鎮守」として「江戸城」の表鬼門守護の場所に位置する現在の千代田区外神田2丁目に鎮座し、『神田明神』の名称で親しまれている『神田神社』境内の「神殿」に向って右側(東側)の「明神会館」前に位置する一画に親子3体の「石獅子」像が配置されている岩石を積み上げた岩山であり、江戸・東京における巷の出来事を編年体にまとめた地誌の「武江年表」(続編:巻之十一)によると江戸時代末期の徳川幕府第14代将軍「徳川家茂」の時代となる1862年(文久2年)に両替屋仲間により奉納されたことが記されています。
ちなみに親子3体の「石獅子」像は、江戸時代中期の徳川幕府第8代将軍「徳川吉宗」の時代となる享保年間(1716年から1736年)に武州下野(現在の栃木県)の石彫獅子の名工「石切藤兵衛(別名:油屋藤兵衛)」により手掛けたものと伝えられています。
また、『神田明神』のほかに「石切藤兵衛」が手掛けたとされる『獅子山』が「大山不動尊」(神奈川県伊勢原市)および「成田山新勝寺」(千葉県成田市)に奉納されており、この3箇所の『獅子山』をあわせて「坂東三獅子」と称されています。
『神田明神 獅子山』については、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」により崩壊しており、親子3体あった「石獅子」像の中で親獅子2体は無事であったものの子獅子が紛失していました。
1990年(平成2年)になると現在の上皇が平成天皇に即位したことを記念して『獅子山』が再建されるとともに紛失していた子獅子も新たに新調されています。
さらに1991年(平成3年)になると『獅子山』の親獅子2体が千代田区内に現存する数少ない江戸時代の石造物であるとして千代田区の「有形民俗文化財」に指定されています。
今回は、平日の午後に「お茶の水」エリアから徒歩で「御徒町」方面を訪れる機会があり、少し時間に余裕があったので『神田神社』を参拝しに立ち寄りました。
土・日・祝日の『神田神社』境内は、いつも賑わっている印象ですが、立ち寄った際の境内は人もまばらだったので今回は『獅子山』の写真撮影をしてみました。
滝が流れ落ちる岩山の上に2体の親獅子と滝の下から上を見上げる子獅子を配置して「獅子の子落とし」である”獅子は我が子を千尋の谷に落とす”が表現されている『獅子山』は、『神田神社』境内のみどころのひとつと言えます。
機会があれば、江戸時代より「江戸総鎮守」として現在も都内千代田区・中央区(神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など)の108か町会の総氏神として尊崇され、5月に盛大に開催される例大祭の「神田祭」やそのほかにいくつかある年中行事の時期にあわせて『神田神社』を参拝してみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 総武線・丸の内線:御茶ノ水駅、千代田線:新御茶ノ水駅、銀座線:末広駅より各々徒歩5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- いつも参拝者の絶えない人気の神社ですが、今回は平日の午後で参拝者もまばらでした。
- バリアフリー:
- 4.0
- 獅子山の前は平坦です。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 千代田区有形民俗文化財に指定されています。
クチコミ投稿日:2021/07/07
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