江戸時代初期に架けられた上水を流す木製の懸樋が名前の由来です!
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- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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by hiroさん(男性)
水道橋 クチコミ:4件
『水道橋』は、千代田区「平川門交差点」から文京区「千石駅前交差点」までの都内を南北に通る「白山通り(東京都道301号白山祝田田町線)」の千代田区と文京区の区境を流れる「神田川」に架かる橋で、右岸側(南側)にJR中央線総武線各駅停車「水道橋駅」東口改札があります。
『水道橋』の名前は、江戸時代初期に「徳川幕府」の命により江戸城を中心に江戸市街地を整備するにあたり生活用水(飲料水)を確保するための「上水道(神田上水)」の整備が行われ、「神田川」左岸側から右岸側に跨いで「上水道」を神田・日本橋方面へ供給するため「神田川」上空に木製の「懸樋(かけひ)」(上水を流す水路)を橋の如く渡したことが由来とされ、江戸時代初期である徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代である寛永年間(1624年から1645年)に江戸市街地および近郊の景観を画題とした「江戸図屏風」(右隻第6扇の中ほどから上部)に「神田川」に架かる橋を渡る3名の人物ととともに『水道橋』の由来となった「懸樋」が描かれています。
「上水道」の整備については、「徳川家康」が1590年(天正18年)に江戸入府した当時の江戸城南側に「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がる地形であり、井戸を掘っても生活用水に適さない塩分が混入した水が湧いて出る状況で、江戸市街地を整備するうえで生活用水を確保するための塩分が混入していない「上水道」が必要とされていました。
日本最古の都市水道とされる「神田上水」は、武蔵野台地の湧き水を水源とする「井の頭池」から発する「神田川」の流れに「善福寺池」および「妙正寺池」からの流れをあわせ「関口村」(現在の文京区立江戸川公園がある大滝橋付近)に「大洗堰(おおあらいのせき)」(上水取水口)を築いて取水した後に「水戸藩邸(現在の小石川後楽園)」まで開削水路で導水し、「神田川」上空を横断する木製の「懸樋」を渡していますが、現在の橋より100メートルほど下流にあった当時の橋の一帯を江戸時代の人々は『水道橋』と称しています。
今回は、JR「水道橋駅」のある南側から「後楽園」のある北側までの『水道橋』を徒歩で渡りました。
「白山通り」の拡幅に伴い1988年(昭和63年)に架け替えられた現在の『水道橋』は、「白山通り」の自動車の交通量とJR「水道橋駅」を利用する人々の往来が多く、周囲の景観を見渡しても江戸時代初期から世界有数の大都市にまで巨大化した江戸と幕末後の東京となってからも生活用水を供給し続けた「神田上水」が1901年(明治34年)に完全停止するまでの長期間にわたる歴史を感じられませんが、橋の欄干に名前の由来となった「懸樋」を題材にしたレリーフが設置されています。
機会があれば、神田上水取水口である「大洗堰跡」から江戸時代当時の『水道橋』のあった「神田上水懸樋跡」などの史跡を巡り歴史散策をしてみたいと思います・・・
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR中央線総武線各駅停車・水道橋駅の東口改札を出たところです。
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 白山通りの交通量およびJR水道橋駅を利用する人々の往来が多いです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 段差はありません。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 橋の欄干に 名前の由来となった懸樋を題材にしたレリーフがあります。
クチコミ投稿日:2020/04/25
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