「朝鮮の土となった日本人」
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
-
-
by Keiichi Fukudaさん(男性)
清里・八ヶ岳 クチコミ:1件
浅川伯教・巧兄弟は、大正~昭和初期、日本統治時代の朝鮮にあって、朝鮮の陶磁器などの技術、美しさを認め、そこから、ともすれば、遅れているとされていた朝鮮の文化を認めていこうとした兄弟です。民芸運動の柳宗悦とも親交があり、ソウルに朝鮮民族美術館を設立しました。とりわけ弟の巧は、1931年に朝鮮で病気で亡くなり、墓は今もソウルの郊外にあります。さまざまにねじれた日韓(朝)関係の中で、そのかけはしとなった兄弟。2人がここ北杜市(旧高根町、五丁田)出身ということで、北杜市の高根生涯学習センター内にこの資料館がつくられました。2人の人となりや業績を表す資料や、見いだした陶磁器などが展示されています。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
クチコミ投稿日:2017/09/10
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する