源義朝最期の地
- 5.0
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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by bluejaysさん(男性)
美浜 クチコミ:7件
平治の乱に敗れた源義朝は、鎌田政清、平賀四郎義宣、渋谷金王丸、鷲栖玄光とともに、政清の舅長田忠致の屋敷へと落ち延びた。だが長田父子は落ちぶれた義朝一行を見て、いずれ平氏に討たれる運命なら、自分が手にかけて恩賞にあずかろうと考えた。
平治物語によると、義朝郎党には酒を勧め、義朝を湯屋へ案内した。金王丸は義朝の背を流していたが、浴衣が用意されてなかったため湯屋の外へ出た。この隙に長田家の郎党橘七五郎・弥七兵衛・濱田三郎の三人が湯屋に入り、裸の義朝に七五郎が組み付き、左右から弥七と濱田が脇下を突き刺したという。
なお長田屋敷跡と湯殿跡は、700メートルも離れている。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/17
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