東京の池上にある日蓮聖人が祀られたお寺です、歴史的な建造物が並び荘厳な雰囲気が漂います
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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by かつのすけさん(男性)
馬込・池上 クチコミ:8件
東京都大田区の池上にある池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282年)10月に、61歳で臨終した霊跡です。
日蓮聖人の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられています。
日蓮聖人は、弘安5年に病気療養のため、身延山から常陸の湯に向かう途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなりました。
当初は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けた「長栄山本門寺」と呼ばれていました。その後大檀越の池上宗仲公により、お寺の礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれています。
主な建造物としては、元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立と伝えられている、お寺の入り口にあたる見事な「総門」が出迎えてくれます。
池上本門寺の表参道96段の石段の「此経難持坂石段」は、慶長年間に加藤清正が寄進したものです。法華経宝塔品の偈文の96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としたものです。96段ですので、かなりの段数を登らなければなりません。
大堂正面に建つ二重門の仁王門は、空襲で焼失しましたが、変遷を経て仏師原田佳美作の仁王像が平成13年(2001年)10月に開眼供養が行われ建立されたものです。
仁王門手前の石段の脇に立つ日蓮像は、昭和58年(1983年)日蓮聖人の700回忌に建立された彫刻家の北村西望の作によるものです。
日朝堂には、身延山11世の日朝が祀られています。日朝は61歳の時に失明しましたが後に視力を回復したことから、眼病平癒、学業成就の利益があると信仰されています。
大堂は、日蓮上人を祀っていることから「祖師堂」とも呼ばれています。元々は、加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したものですが、その後江戸時代の焼失、戦災等幾多の変遷を経て、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、昭和39年(1964年)に現在の大堂が再建されました。現在の大堂は、鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。高さ27メートルの大建築です。
五重塔は、高さ31.8メートルで、空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つです。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局の発願により、慶長13年(1608年)に建立されました。全面赤色塗料塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きでてきています。
宝塔は、境内西方で、日蓮聖人の荼毘所と伝えられる場所に建っています。この地にはかつては2間に3間の灰堂があり、日蓮の遺灰を中に盛って埋葬したという場所です。現在の宝塔は文政11年(1828年)日蓮聖人の550遠忌を記念し、犬山城主・成瀬氏らにより再建されたものです。
本殿は、本師(釈尊)を祀る殿堂です。昭和44年(1969年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したものです。戦後に建てられた近代仏堂建築として高い評価を受けています。本尊の釈迦如来像の胎内には、インドのネルー首相が寄贈した釈迦の舎利骨が納められています。その他には、四菩薩立像(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)が安置されています。一際目立つ本殿は、池上本門寺のシンボルです。
松涛園は、本殿裏、朗峰会館北側にあります。明治元年(1868年)4月、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をしたことで有名な場所です。園内には「根庵」「鈍庵」「松月亭」「浄庵」の茶室があります。
重要文化財としては、池上本門寺五重塔、池上本門寺宝塔、木造日蓮聖人坐像、兄弟抄 日蓮筆が指定されています。
池上本門寺で例年行われる行事として知られているのが、ゴールデンウィーク期間の植木市、10月11日〜13日 お会式です。12日夜の万灯練り供養では、大勢の参拝者で賑わい、深夜まで万灯が灯っています。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東急、池上駅より徒歩7分
- 景観:
- 4.0
- 歴史価値のある建造物や庭園が見所です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 境内は広い敷地ですので気にな
- バリアフリー:
- 2.5
- 参道の階段、段差がかなり勾配があります
クチコミ投稿日:2014/12/20
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