本堂に到達するまでの長い石階段は修行のつもりで上りましょう!
- 3.5
- 旅行時期:2014/10(約11年前)
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by pontajrさん(男性)
身延 クチコミ:1件
文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。
弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられた。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られている。
日蓮宗の総本山である久遠寺を訪れる客層は若い夫婦・子供連れからシニア夫婦まで幅広く、何よりも鎌倉時代に起こった元寇の変という最大の国難から日本を救った日蓮上人の足跡を記す寺として人気がある。
また併せて次の機会として千葉県小湊誕生寺もお勧めしたい。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.5
- 自家用車で行っても駐車場は至る所にあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2014/10/30
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