小津安二郎誕生の地 江東区深川 小津安二郎生誕110年没後50年 (2013年12月)
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- 旅行時期:2013/12(約12年前)
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by wiz さん(非公開)
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2013年は、小津安二郎生誕110年没後50年の記念年。
小津は、1903年12月12日に生まれ、1963年12月12日、誕生日の日に60歳で亡くなりました。
2013年2月放送のNHKラジオ「まいにちフランス語応用編」の放送の中で、シネマテーク・フランセーズのプログラム・ディレクターのジャン・フランソワ=ロジェ Jean-Francois Rauger が小津映画について語っていました。
ロジェ: 「 小津の映画の力や美とは、泣くことなしにラストを迎えることが難しいということだ。 ・・la force, la beaute du cinema d'OZU, c'est qu'il est difficile de sortir d'un de ses films sans pleurer a la fin. 小津の映画は、そのラストで感情が爆発する装置だ。 ・・c'est presque une machine au service d'une emotion qui eclate a la fin quand meme. 」
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小津安二郎誕生の地 (深川1-8-8)
江東区の生んだ世界的映画監督小津安二郎は、明治36(1903)年12月12日、この地に生をうけました。 生家は、「湯浅屋」という屋号の肥料問屋でした。 安二郎が10歳のとき、三重県松坂町に転居、中学校卒業後、尋常小学校の代用教員を1年間勤めた後、大正12(1923)年再び上京、深川和倉町に住み、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社しました。
昭和2(1927)年監督に昇進、処女作時代劇「懺悔の刃」を監督しました。
その後の小津安二郎監督作品は、「出来ごころ」に代表されるような、下町特有の情緒や人情味が描かれ、またローアングルによる撮影スタイルなどによって、家族の触れ合いや日常生活を端的に描く独特の作風を作り上げていきました。
昭和37(1962)年、「秋刀魚の味」を発表、映画人としては、初の芸術院会員となりました。 この作品が小津安二郎の遺作となり、翌昭和38(1963)年60歳で死去しました。
その作品の価値は死後内外共にいよいよ高まり、世界最高の映像作家として評価されています。
平成7年3月 江東区教育委員会
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※小津安二郎 墓参
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/kanagawa/kamakura/kamakura/tips/10936911/
- 施設の満足度
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4.0
クチコミ投稿日:2013/12/17
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