国柱会の奉仕活動をしつつ童話の執筆を行った宮沢賢治旧居跡
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- 旅行時期:2013/02(約13年前)
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by traveldogさん(男性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:2件
法華経の信仰厚かった賢治は、大正9年に国柱会信仰部に入会し、大正10年1月突如花巻から上京し、街頭での布教、下足番など国柱会への奉仕活動を開始した。そのとき国柱会理事の高知尾智耀から法華文学の創作を勧められ、奉仕活動とともに1日300枚の原稿用紙を書き上げるという驚異的な執筆活動を行った。
賢治が間借りした本郷菊坂町75番地の稲垣方の建物の跡地がここである。上道から下道に下る坂の途中にある案内板には、賢治旧居跡は右手建物の中央付近と書かれていた。2階6畳に間借りしたという。
この場所を確かめたく、ちょうど家から出てきた男性に旧居跡の絵葉書を見せて尋ねた。とても懐かしそうに「この電信柱は昔と変わらないです。この坂の向かいの建物がそうです。」と教えてくれた。かつての二階建ての木造家屋は、三階建てのモダンな建築に変わっていた。
同年8月中旬妹トシの発病により、花巻に帰える。その後、賢治は花巻農業高校教諭となり、優れた教育者として、また非凡な文学者として、賢治自ら「愉快で明るい」といわせた充実した4年余の日々を送ることとなる。ただ一つ哀しいことは、翌年の大正11年11月に最愛の妹トシがなくなったことである。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2013/03/08
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