旧新大橋跡 磐音の金兵衛長屋が近い
- 4.0
- 旅行時期:2012/11(約13年前)
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by traveldogさん(男性)
両国 クチコミ:3件
現地の案内に「元禄6年12月この地先の隅田川に架設起工し52日間で完成し長さ百間幅員三間七寸あり」と書かれ、両国橋に対して新大橋と名づけられたそうです。
当時の新大橋は現在の新大橋よりも南に架かっていました。
芭蕉も施工中に「初雪や かけかかりたる 橋の上」、完成後「ありがたや いただいて踏む はしの霜」と詠んだとのことです。芭蕉庵跡がこの近くにあります。
その日、六間堀跡、猿子橋跡と思しき交差点等を散策しました。『居眠り磐音 江戸双紙』の坂崎磐音が明和9年10月足を引きづるように新大橋を渡り、帰って行った六間堀町の金兵衛長屋は、まさにこの付近の設定です。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 周辺の旧跡を訪ねがてらがお勧めです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 通行人だけです
- 見ごたえ:
- 3.5
- 単なる碑です
クチコミ投稿日:2012/12/14
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