1995/08/25 - 1995/09/05
219位(同エリア984件中)
がおちんさん
昆明から大理へとやって来ました。
ここは世界中から雲南にきたバックパッカーが集まる街です(でした)。
大理は風光明媚で、洋食や和食メニューが安く食べられ、沈没する旅行者が続出するほどでしたが、今回は何とかその魔力から逃れて先へ進もうと決意しました。
ハイキングなどを楽しみ、10日ほどで大理を出発。続く麗江も魅力的な古都ですが、2日間という短い滞在で中甸(シャングリラ)へと向かうことにしました。
※写真は青碧渓にて
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩 バイク
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1995年8月25日
大理を訪れるのは5年ぶりだ。
昆明のように開発が進んでいなかったのでホッとした。
城内のメイン通りをカポカポと馬車が通り過ぎる
脳内時計がジワーンと遅くなってゆく。 -
後に「洋人街」と呼ばれる護国路も、まだまだローカルムード。
とぐろヘアーの見事な人がいたので、ついショットする。 -
二招(大理市政府第二招待所)は紅山茶賓館と名前が変わっていたが、部屋はそのまま。
窓から見える蒼山を眺めながら、日記を書いたり、これからの旅程を考えたり。
大理は高原の爽やかな気候や、外国人向けのカフェや、ペー族の古い町並みなどが相まって居心地が良く、油断するとすぐに一ヶ月ぐらいが過ぎてしまう。
大理には何ヶ月も滞在する沈没組も多く、中には地元女性(というかカフェで働く娘さん)と恋仲になる旅行者も現れる。結婚する者、騙されて金だけ巻き上げられる者など、運命は様々だ。
誰かが言った。「大理は恋の街なんです」。 -
かく言う私たちも、大理の居心地のよさに抵抗できず、何もせずに4日が過ぎた。
毎晩、53度もある白酒を飲んではヘロヘロになり、脳細胞を大量に破壊させる日々。大理滞在中に「鴨渓窖酒」を二瓶、空けてしまった。
「やっぱり白酒は貴州産に限るぜ」、なんて言ってる場合ではなく、なんとかしないといけない。 -
1995年8月28日
今日はお祭りの日。
街では金文字で書かれた掛け軸や、縁起物の絵などが売られる。
おじさん、達筆! -
壁に吊るされた作品群。
手作りの品ゆえ、一枚一枚、風格が違う。
買物に来た客も、ジッと絵を見つめる。 -
こちらはドンズ(低い椅子)を売る爺さん。
中国の生活を彩る、無くてはならないグッズだ。 -
爺さんたちの井戸端会議。
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大理在住のお札の研究者Kさんに、お札を書いてもらえる場所に連れて行ってもらった。
これからチベットに向かうので、道中の安全をお祈りしていこう。 -
地元の人も大勢祈願に来ていた。
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廟に行ってお札を燃やし、無事にラサに行けるようにお祈りをする。
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お札を持って廟に向かう妻。
隣の子供はオジサンみたいな風格だ。 -
お供え物を持ってきたペー族のおばさん。
帽子の角度がニクイ。 -
お札と共に、ご飯や鶏肉、豚肉などをお供えする。
1989年の「本主祭」の時と同じ光景だ。
http://4travel.jp/travelogue/10500761 -
お供えして、お札燃やして、お祈りをする。
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帰りがけ、とつぜんペー族によるゲリラライブが始まった。
鈴のついたスティックを持ち、演奏に合わせて踊る。
こりゃ、ラッキー。 -
民族衣装のサイズが合わなかったのか、私服で踊るオバサンも。
さすがに楊麗萍とはちょっと違うけど、同じペー族だし、おそらく同年代。
動きはなかなかのものだった。
きっと昔は華麗に踊っていたに違いあるまい。 -
それにしても、なんか民族衣装に違和感を感じたのだが、それはスパッツのせいだと気がついた。
やっぱペー族の民族衣装はパンタロン風であってほしい。 -
野外ライブは続く。
なんかこの写真、ボラギノールの宣伝みたいだ。
踊り子が「わたし、痛いのよ」、「私はサッと塗ったよ」なんて言ってそう。 -
1995年8月29日
体に溜まったアルコール成分を排出すべく、今日は山に登る。
目指すは中腹に見えている中和寺だ。
(写真中央の白いのがそれです) -
5年ぶりの中和寺。
寂れてはいるものの、山門が修復されていた。
いずれここにロープウェーが建つらしいけど、ゴミが増えて山が汚れるんだろうな。 -
中和寺から山道を歩いて風眼洞、龍眼洞と、七龍女池に行く。
私は途中の岩場でずっこけて、肘を強打。
「痛えーっ」という叫びが蒼山に木霊した。 -
龍眼洞は崖に建っており、すごい高度感だ。
足を滑らしたら谷に真っ逆さまだが、安全策などはもちろん皆無。
高尾山を歩いていたはずが、いきなり表妙義のやせ尾根に立っていたくらいのギャップがある。軽装でフラッと観光に来る場所じゃなかった。
おまけに山中で獣道に迷ってしまい、非常に怖い思いもした。
山をなめたらいけない。 -
1995年8月30日
山登りで筋肉痛が発生し、今日はオフ。
「渇望コーラ」を飲んでスッキリ爽やか。
「渇望」とは私達が留学中に大ヒットしたテレビドラマで、毛阿敏が歌う主題歌があちこちで流れていたものだ。
ついにコーラの商品名にもなったんだな。 -
1995年8月31日
今日は蒼山の渓谷にある青碧渓を目指してハイキング。
七里橋までバスで行って、川沿いに上り始める。
途中で放牧された牛やロバと会ったり、きれいな川で涼んだりしながら歩く。 -
青碧渓までは結構遠く、ほとんど山登りの感覚。
標高差は500メートルくらいあるそうだ。
振り返ると、彼方に洱海が見えた。 -
麓から3時間かかって青碧渓に到着。
滝の上からヤッホー。 -
滝の上に登ると、泉が湧いていた。
飲んでみたら、美味しい〜。
真夏なのに、水が冷たくて足をつけていられないほど。 -
青碧渓の全景。
左下が滝になっています。
なんか、仙人でも出てきそうな雰囲気。 -
青碧渓から、中和寺に続く山道に出た。
せっかくなので、しばらく散策する。
大きな岩に「馬龍峰」や、「秀」などと描いてあった。 -
1995年9月4日
朝の米線を食べて、麗江に向かう。
さらば恋の街、大理。 -
ミニバスに揺られること5時間、麗江に到着。
まずは四方街へ。
麗江の魅力は、古い町並みがそのまま残っていることと、そこに地元民のナシ族が普通に暮らしていることだ。 -
生活感、あります。
-
四方街は訪れるたびに洗練されているけど、この頃まではのどかだった。
2年後に世界遺産に登録されて以降、麗江は観光化と引き換えに魅力を失うことになる。 -
四方街の花鳥店。
ナシ族はセンスが良い。 -
四方街の画廊。
お婆さんがトンパ文字の書や画を売っていた。
素敵な店。 -
四方街の美容室。
「妹妹髪廊」と屋号がいかにも怪しげだが、健全です。 -
四方街の酒屋さん。
ずらりと並んだチープリカー。 -
四方街の靴屋さん。
この食事スタイルは漢族だな。 -
食事中の馬。
-
ちょっと奥に入ると、街はさらに渋さを増す。
ここはナシ族の仕立て屋さん。 -
足ふみミシンに旧式のアイロン、手には裁ちバサミ。
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軒先で小鳥を鳴かしている。
優雅だなー。 -
街には玉龍雪山の雪解け水が流れており、生活用水になっている。
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「こんな町に住んでみたい」と小一時間の散歩。
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ぺんぺん草が生えた橋。
だが、それがいい。 -
必殺、ジャガイモ売り。
炭火焼きで、火傷寸前のホクホクさと、劇辛のタレが自慢。
ヒーヒー言いながらも病みつきになる味だ。
しかし私は訳があって自重した。
実は1990年に雲南に留学中、及びその後も雲南で辛いものばかり食べてたことが災いして痔瘻を発症、東京で手術するはめになったのである。雲南料理の辛さはガチでやばい。
ちなみに、偶然にも私より1年遅く雲南民族学院にしたという人が、同じく痔瘻で入院していたので驚いた。
※あの時、多摩肛門科でお会いしたSさん。これを読んだら連絡を下さい。また懐かしい雲南話をしましょう。 -
ナシ族のお婆さんたち。
ご飯を蒸すときの蓋?を売っていた。 -
四方街を出て、黒龍譚公園に行くことにする。
なんと麗江のバイクタクシーはサイドカーなのだ。
しかもライダーは全員女性。 -
トラック野郎ならぬ、バイク姉さんに頼んで、黒龍譚公園まで乗せてもらう。
中国製ビックバイクは、エンジンが壊れるんじゃないかと思うほどの振動をさせて発進した。 -
黒龍譚公園から玉龍雪山を眺める。
いい山だなー。 -
玉龍雪山にちなんでか、「玉峰」というタバコの看板があった。
キッチュなデザインが好(ハオ)!
雲南は「紅塔山」のような名品もあるけど、まずい煙草も多かった。
総じて味わいは重く、ハイライトが吸えなきゃ雲南タバコは無理。
両切りの春城(緑)から雲煙や玉渓まで、雲南のタバコは100倍以上の価格差がある。ニセモノも多い。一度、昆明から貴陽に向かう列車内で買ったタバコは、封を切ったら藁が入っていた。
私は紅塔山が好き。もう20年ぐらいタバコを吸っていないけど、たまにあの味わいを思い出して吸いたくなることがある。 -
1995年9月5日
今日は「一日遊」で高原牧場(雲杉坪)やお花畑に向かう。
ミニバスに乗った途端、妻の首がカクンと倒れた。
なんと座席は低いのに、カバーのみがロングタイプなのだ。
背もたれはダミーだったのである。
なお中甸(シャングリラ)からラサに至るまでは未開放なので、中国人に扮するべく服や靴を購入した。 -
お花畑に到着。
昔はタダだったのに、いつの間にか入域料を取るようになっていた。 -
高原牧場に向かう途中、涼山彝族の娘たちに呼ばれた。
曰く、「私たちと踊りましょう」。
まあ時間もあるし、付き合うかと私たち。
一曲歌って踊って、「はい、2元です」だと。
なんだよ、有料かよ。 -
ロープウェーで一気に高度をかせいで雲杉坪へ。
残念ながら玉龍雪山の頂はガスって見えなかったが、ここには以前からぜひ来てみたかった。
その理由は、雲杉坪はナシ族の情死が行なわれた場所と伝えられているからだ。
その昔、恋愛関係になっても結婚が認められなかった男女らは、ここに来て数日間を楽しく過ごしたのちに、首を吊ったり毒を飲んだりして自殺したという。
悲しい物語だ。あの世で幸せになったことだろう。 -
バスは最後に白沙村へ。
大宝積宮にある、明代の壁画を見学する。
今日はずっと中国人のふりをした。
誰も疑わない。 -
お坊さんと一緒に記念撮影。
4年ぶりにハーブ医のホー先生のとこにも寄ってハーブ茶を処方してもらおうと思ったが、時間が無いので今回はパス。
また次でいいやと軽く考えたものの、白沙村を再訪するのは16年後になってしまった。
やっぱ、思い立ったが吉日。すぐに行動したほうがいい。 -
麗江に戻ってカンフー映画を観る。
面白かったのは、観客がラストシーンまで観ずに、全員席を立って出て行ってしまったこと。話のオチが見えたってことかなあ?
エンディングまで観たのは私たちだけだった。
中国人って普段は急がないのに、映画館だといつもせっかちなんだよな。 -
今回、麗江に滞在したのは、たった2日間のみ。
ここから先は洋食にありつけないので、アリババレストランでステーキを食べる。
明日は中甸(シャングリラ)へと出発だ。
アジア旅行記1995〜1997(その3)へ続く
http://4travel.jp/travelogue/10866850
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この旅行記へのコメント (2)
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- のんほさん 2014/03/16 01:45:50
- 懐かしい!
- ご無沙汰しています。
久々に懐かしい大理と麗江の風景を堪能しました。
わたしが訪れてからすでに10年近く経っていたころですが、まだあまり変わっていなかったようです。沈没組がいたことも変わっていないです。
麗江の地震があったのは確かこの直後ではないでしょうか。
昔の写真はおろか、最近の写真さえも整理がおぼつかなくなっていますが、こういう旅行記を見ると、自分もちょっとがんばってみようかと思います。
次回作にも期待しています。
- がおちんさん からの返信 2014/03/16 11:33:00
- RE: 懐かしい!
- のんほさん
こんにちは。
麗江地震は翌96年の2月でした。あの古い街なみが失われてしまったのはとても残念です。古城の再現には成功しても、商売目当ての漢族人口のほうが多くなってしまったのですから、地震以後の麗江は少数民族の街でもなんでもないです。
「もし地震が起きなかったら」とも考えましたが、その後の大理や西双版納のエゲツナイ観光化を見ますと、麗江のテーマパーク化は地震があっても無くても避けられなかったのだと思います。雲南が輝いていたのはギリギリこの頃まででしたね。80年代半ばに行かれたのんほさんが羨ましいです。
気楽にデジカメやスマホでバチバチ撮る現在の旅行よりも、フィルム数を気にしながら、ここぞというところでシャッターを切っていた頃の旅行のほうが、思い入れがあるんですよね。
のんほさんもぜひ、押入れに眠っている写真をスキャンして、当時のエピソードと共に甦らせて下さい。
楽しみにしています。
がおちん
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