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某研究会の皆様について、<br />行ってきました墨田の街歩き。<br />いろいろ見どころの多いところですが、<br />幕末の山岡鉄舟、勝海舟に<br />スポットを当てたコースです。<br />

錦糸町両国 お江戸史跡巡り 鉄舟海舟編 

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2013/04/20 - 2013/04/20

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わっくん

わっくんさん

某研究会の皆様について、
行ってきました墨田の街歩き。
いろいろ見どころの多いところですが、
幕末の山岡鉄舟、勝海舟に
スポットを当てたコースです。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
同行者
その他
交通手段
徒歩

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  • 今回参考にさせていただいたのが、<br />墨田区観光協会のマップです<br /><br />ダウンロード<br />http://www.visit-sumida.jp/navigator/download/tabid/172/Default.aspx

    今回参考にさせていただいたのが、
    墨田区観光協会のマップです

    ダウンロード
    http://www.visit-sumida.jp/navigator/download/tabid/172/Default.aspx

  • JR錦糸町南口を出発します。

    JR錦糸町南口を出発します。

  • 早速、駅前広場に石碑<br />「伊藤左千夫牧舎兼住居跡」<br />野菊の墓の作者は、ここで牧場経営をしていました。<br />

    早速、駅前広場に石碑
    「伊藤左千夫牧舎兼住居跡」
    野菊の墓の作者は、ここで牧場経営をしていました。

  • 碑の横にある説明文

    碑の横にある説明文

  • 京葉道路を渡って、両国方面へ。<br />都立両国高校の敷地内に、<br />

    京葉道路を渡って、両国方面へ。
    都立両国高校の敷地内に、

  • 国産マッチ発祥の地。<br />創始者は加賀藩士で、渡仏してマッチの製法を学びました。

    国産マッチ発祥の地。
    創始者は加賀藩士で、渡仏してマッチの製法を学びました。

  • 大横川を渡ります。<br />少し雨模様で肌寒い一日でした。

    大横川を渡ります。
    少し雨模様で肌寒い一日でした。

  • 明暦の大火以降、本所一帯が開発され、<br />そのときに掘られた水路です。<br /><br />うんと昔は、<br />たぶんこの近辺は葦原たったのでしょうね。

    明暦の大火以降、本所一帯が開発され、
    そのときに掘られた水路です。

    うんと昔は、
    たぶんこの近辺は葦原たったのでしょうね。

  • ちょっと南に入って<br />「勝海舟揺籃の地」<br />坂田建設という会社の入り口にありますが、

    ちょっと南に入って
    「勝海舟揺籃の地」
    坂田建設という会社の入り口にありますが、

  • 8歳から23歳を過ごした<br />本所入江町の家は、<br />もうちょっと北の、<br />すみだふれあいセンターのあたりらしいです。<br />緑4丁目35−9

    8歳から23歳を過ごした
    本所入江町の家は、
    もうちょっと北の、
    すみだふれあいセンターのあたりらしいです。
    緑4丁目35−9

  • センター前の案内板。

    センター前の案内板。

  • 区立堅川中学校にある<br />山岡鉄舟住居跡

    区立堅川中学校にある
    山岡鉄舟住居跡

  • 海舟、泥舟と並び、幕末の三舟と言われた人物。<br />でも本当の家は、ここではないらしいのです。<br />同行の皆さんは勉強熱心でものすごく詳しい。<br />とてもとても足下にも及びません。

    海舟、泥舟と並び、幕末の三舟と言われた人物。
    でも本当の家は、ここではないらしいのです。
    同行の皆さんは勉強熱心でものすごく詳しい。
    とてもとても足下にも及びません。

  • 次は三ツ目通りを北上します。<br />三つ目小僧が出たわけじゃありませんよ。<br />堅川にかかる大川(隅田川)から三つ目の橋、<br />三ツ目橋がかかっていた通りなので、三ツ目通りというのです。

    次は三ツ目通りを北上します。
    三つ目小僧が出たわけじゃありませんよ。
    堅川にかかる大川(隅田川)から三つ目の橋、
    三ツ目橋がかかっていた通りなので、三ツ目通りというのです。

  • 石原4丁目1−1の<br />「新徴組屋敷跡」。<br />幕末、江戸市中の取り締まりに当たった浪士隊の組屋敷。<br />碑は特になくて、セブンイレブンになっています。

    石原4丁目1−1の
    「新徴組屋敷跡」。
    幕末、江戸市中の取り締まりに当たった浪士隊の組屋敷。
    碑は特になくて、セブンイレブンになっています。

  • 石原3丁目18−2<br />「栗本鋤雲(じょうん)旧居跡」<br />幕末に横須賀造船所を設立し、<br />軍艦奉行、外国奉行を歴任、<br />陸軍にフランス式の訓練を行ったそうです。

    石原3丁目18−2
    「栗本鋤雲(じょうん)旧居跡」
    幕末に横須賀造船所を設立し、
    軍艦奉行、外国奉行を歴任、
    陸軍にフランス式の訓練を行ったそうです。

  • 亀沢3丁目20<br />「初代三遊亭円朝旧居跡」。<br />人情噺や怪談を創作した明治の落語家。<br />鉄舟に禅の師事をあおぎました。<br />割下水から水を引いて池を作った邸宅であったとか。<br />ただしここも<br />もうワンブロック西だったのではという説が。<br />

    亀沢3丁目20
    「初代三遊亭円朝旧居跡」。
    人情噺や怪談を創作した明治の落語家。
    鉄舟に禅の師事をあおぎました。
    割下水から水を引いて池を作った邸宅であったとか。
    ただしここも
    もうワンブロック西だったのではという説が。

  • 北斎通りに出て、亀沢2−15<br />葛飾北斎生誕の地。<br />これも諸説あるらしい。

    北斎通りに出て、亀沢2−15
    葛飾北斎生誕の地。
    これも諸説あるらしい。

  • 南に渡って亀沢2−8−10<br />野見宿禰(のみのすくね)神社。<br />

    南に渡って亀沢2−8−10
    野見宿禰(のみのすくね)神社。

  • もとは津軽家上屋敷にありました。

    もとは津軽家上屋敷にありました。

  • いろいろ案内板が立っております。

    いろいろ案内板が立っております。

  • お相撲の神様で

    お相撲の神様で

  • 横綱に昇進した力士は<br />最初の東京の本場所前に<br />土俵入りを奉納する習わしがありますが、

    横綱に昇進した力士は
    最初の東京の本場所前に
    土俵入りを奉納する習わしがありますが、

  • コンパクトなどこで土俵入りをするのでしょうか。

    コンパクトなどこで土俵入りをするのでしょうか。

  • 緑公園です。

    緑公園です。

  • 本所南割下水とはこのあたり。

    本所南割下水とはこのあたり。

  • 総武線の線路の向こうに緑図書館が。<br />向こう側まで全部津軽家上屋敷だったとか。

    総武線の線路の向こうに緑図書館が。
    向こう側まで全部津軽家上屋敷だったとか。

  • 公園の脇、亀沢1丁目3<br />江川太郎左右衛門屋敷跡。<br />伊豆韮山代官、名前が世襲制ですが、<br />幕末の36代英龍が有名。<br />西洋砲術の塾を開き、佐久間象山や榎本武揚も学びました。<br />ジョン万次郎も住んでいたとか。

    公園の脇、亀沢1丁目3
    江川太郎左右衛門屋敷跡。
    伊豆韮山代官、名前が世襲制ですが、
    幕末の36代英龍が有名。
    西洋砲術の塾を開き、佐久間象山や榎本武揚も学びました。
    ジョン万次郎も住んでいたとか。

  • ちょっと寄り道して日大一中一高前、<br />おいてけ堀の立て看板<br /><br />南割下水では魚を捕ってはいけなかったそうで、<br />禁止の意味も含めてお化けの話ができたのかも<br />しれないとのこと。

    ちょっと寄り道して日大一中一高前、
    おいてけ堀の立て看板

    南割下水では魚を捕ってはいけなかったそうで、
    禁止の意味も含めてお化けの話ができたのかも
    しれないとのこと。

  • 清澄通りを南に。<br />両国4丁目34、<br />JRの線路を越えたところの<br />榛(はんのき)稲荷。

    清澄通りを南に。
    両国4丁目34、
    JRの線路を越えたところの
    榛(はんのき)稲荷。

  • 葛飾北斎が近所に住んでいたそうな。

    葛飾北斎が近所に住んでいたそうな。

  • 90年の生涯に93回引っ越しをしたそうです。<br />お掃除するの嫌いだったのかな。

    90年の生涯に93回引っ越しをしたそうです。
    お掃除するの嫌いだったのかな。

  • 南へ、京葉道路を渡って<br />両国4丁目26−6<br /><br />両国小学校敷地内「芥川龍之介碑」。<br />13歳から18歳までこの近辺で暮らしました。

    南へ、京葉道路を渡って
    両国4丁目26−6

    両国小学校敷地内「芥川龍之介碑」。
    13歳から18歳までこの近辺で暮らしました。

  • 隣の碇は駆逐艦「不知火」の碇。<br />軍艦の解体工事で出たものが寄贈されました。<br />

    隣の碇は駆逐艦「不知火」の碇。
    軍艦の解体工事で出たものが寄贈されました。

  • 両国4丁目25 両国公園

    両国4丁目25 両国公園

  • 「勝海舟生誕の地」

    「勝海舟生誕の地」

  • 男谷家の屋敷がありました。

    男谷家の屋敷がありました。

  • 両国3丁目13−9<br />本所松坂町吉良邸跡。<br />吉良様のお屋敷があった頃は、<br />武家屋敷ですから「松坂町」ではなかったですが。<br />やっぱり流れで「本所松坂町」になってしまいますね。<br />区の公園になっています。<br />本物はこの80倍の広さ。

    両国3丁目13−9
    本所松坂町吉良邸跡。
    吉良様のお屋敷があった頃は、
    武家屋敷ですから「松坂町」ではなかったですが。
    やっぱり流れで「本所松坂町」になってしまいますね。
    区の公園になっています。
    本物はこの80倍の広さ。

  • 回向院や両国橋近辺の名所を見て、<br />両国駅前を北上、横網1丁目2−4<br />百本杭の跡。<br />

    回向院や両国橋近辺の名所を見て、
    両国駅前を北上、横網1丁目2−4
    百本杭の跡。

  • 横網1丁目2−15<br />水上バス乗り場あたり。<br />御蔵橋跡。<br /><br />ともにうら寂しい人通りのない場所で、<br />時代小説では土左衛門が浮かんだり、<br />辻斬りが出たりしますね。

    横網1丁目2−15
    水上バス乗り場あたり。
    御蔵橋跡。

    ともにうら寂しい人通りのない場所で、
    時代小説では土左衛門が浮かんだり、
    辻斬りが出たりしますね。

  • 本日のメインイベント、<br />山岡鉄舟生誕の地はこのあたり。<br /><br />御米蔵跡。

    本日のメインイベント、
    山岡鉄舟生誕の地はこのあたり。

    御米蔵跡。

  • 鉄舟の父親は御蔵奉行で、<br />本所川端四件屋敷があったのがこのあたりなので。

    鉄舟の父親は御蔵奉行で、
    本所川端四件屋敷があったのがこのあたりなので。

  • 両国国技館のはしっこですね。<br /><br />散策はここで終了。<br />みんなでちゃんこをいただいて打ち上げしました。<br />所要時間3時間あまり。<br />詳しいお話が次々伺えて、<br />研究会のみなさま、ありがとうございました。

    両国国技館のはしっこですね。

    散策はここで終了。
    みんなでちゃんこをいただいて打ち上げしました。
    所要時間3時間あまり。
    詳しいお話が次々伺えて、
    研究会のみなさま、ありがとうございました。

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