2011/11/23 - 2011/11/23
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captainfutureさん
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2011年11月23日(水)イスファハーン4日目
迷路のようなバザールを巡りながら、かつて砂漠の道しるべとして隊商の命綱の役割をしていた高い塔を持つメナーレ・マスジェデ・アリー(11世紀のモスク)、この街で一番古い8世紀創建のマスジェデ・ジャーメ(モスク)を訪れました。途中で偶然、エスファハン名物ベリヤーニの一番歴史がある店(一つ240円!)を見つけたり、駄菓子店でこれまた名物デザートのフェレーニを体験できました。
日程
D1 11/19(土) 成田1405-モスクワ1925 (SU582)、モスクワ2340-テヘラン0310(SU515)、
D2 11/20(日) イスファハンへ(バス6H)、
D3 11/21(月) イスファハン【葬式、エマーム広場、街歩き】
D4 11/22(火) イスファハン【エマーム広場、昼食招待、街歩き】
★D5 11/23(水) イスファハン【バザール巡り、マスジェデ・ジャーメ、街歩き】
D6 11/24(木) イスファハン【バザール巡り、ザーヤンデ川橋巡り】
D7 11/25(金) イスファハン【ザーヤンデ川橋巡り、イランイラク戦争殉教者墓地、アーシュラー祭】
D8 11/26(土) イスファハン【アルメニア人地区、アーシュラー祭】
D9 11/27(日) イスファハン【ユダヤ人地区、チャイ招待、メナーレ・ジョンバーン、ズールハーネ】
D10 11/28(月) トゥデシュクへ(車 1H) 【旧市街巡り、砂漠体験】
D11 11/29(火) ヤズドへ 【旧市街巡り】
D12 11/30(水) テヘランへ (夜行バス 9H)
D13 12/ 1(木) テヘラン 【街歩き】
D14 12/ 2(金) テヘラン0415-モスクワ0835(SU516)、モスクワ2100-成田1140(SU581) +1日
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
朝6時前に廊下に出ると、受付の方から何か静かに唱える声が聞こえる。
行ってみると、マネージャーのおじさんが小さな絨毯を敷いてその上で静かに礼拝をしていた。
朝食はテラスに誰もおらず、一人で済ます。
今日は宿前のチャハール・バーゲ通りからレストランSadyの南から東に真っすぐ伸びる路地のような道を通って、メナーレ・マスジェデ・アリー(11世紀のモスク)へ。
写真はチャハール・バーゲ通りからその路地に入る角。 -
このひと際目立つ瀟洒な建物は、通行人に聞くと個人宅だとか。
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上のお宅の前にて。
朝8:50。ナンを買って行く人。 -
同じお宅。
ここにも伝統的なドアノブが使われていた。
右が男性用、左が女性用。
ノックで来客が男性か女性か分かるようにし、来客が男性だとかつては家の女性は奥に行ってしまったとのこと。 -
そこを左折すると、ドームを持った20mほどの小さなアーケードが。
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右側には共用水道があり、
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奥には、殉教者アブール・ファズルのポスターが。
これはイランの水飲み場に良く張られているらしく、私も何回か見た。
以下サラさんのHP「イランという国で」
http://sarasaya.exblog.jp/2069033/ から引用。(サラさん、引用許可ありがとうございます!)
『(シーア派最大の宗教行事アーシュラーの)もう一つの山場は、ムハッラム8日目の夜のアブール・ファズルの死です。
カルバラーは水のない荒野です。この荒野に何日も閉じこめられたイマーム・フサイン(預言者ムハンマドの3代目後継者)一行は、渇きに苦しめられます。
イマーム・フサインを初めとする人々の渇きを癒すため、イマームの異母弟であるアブール・ファズルは、ヤズィード軍の包囲網をくぐり抜けて水を汲みに行きます。
川辺にたどり着き、彼は水を飲もうとしますが他の人々の渇きを思い出し、自分が先に水を飲むことはできないと思いとどまり、持ってきた革袋に水を詰めました。その時、ヤズィード軍に発見され、戦った末、片腕を切り落とされました。しかしそれでも彼は残った片腕で水を運ぼうとしましたが、その手も切り落とされ、殺されてしまいます。
アブール・ファズルのロウゼ(語り部)を聞きながら、人々はイマーム・フサインたちの渇きを思うのです。
こうした逸話から、イランの水飲み場の多くには、「ヤー・アブール・ファズル(アブール・ファズルよ!)」と書かれています。アブール・ファズルを思い、水のありがたさを肝に銘ずるのです。』
ちなみに今年のアーシュラーは12月6日にクライマックスを迎える。 -
その向かいからはトンテントンテンと交互に打つリズムカルな音が。
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お邪魔すると金属製の蝋燭立てや鳥、鈴などを親子で作っているようだ。
何か宗教的儀式で使われそうな感じ。 -
チャイと菓子まで頂いてしまった。
お邪魔しました。 -
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個人宅を少し大きくしたような観光案内所(I.C.H.H.T.O)本部前をしばらく行くと、少し大きめのKh.Hakim通りに出て、この道を横切る。
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またもとの路へ。
この辺りからすれ違う聖職者(ウラマー)が急に多くなってくる。 -
この辺りからぽつぽつ商店が。
バザールも近そうだ。
後から気付いたが、これはこれから行くマスジェデ(モスク)・ハキーム東側の出入り口らしい。レンガで造られた壁や柱に、漆喰だけで装飾するという独特の方式とのこと。 -
歩き方では見どころとされていないが地図には大きく表示されているマスジェデ・ハキーム(モスク)も近そうだと思っていた時、この立派な扉の前にいた男性が中に入っていけとのこと。
案内されるまま入ってみる。 -
改装したばかりのモスクかハンマーム跡か?と思っていると、
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それを模した豪華な内装のレストランのようだった。
まだドアや椅子、テーブルにはビニールが付いたまま。
内装工事関係者もまだ作業中だった。
近日中にオープンされそうだ。 -
天窓付きドームの並んだ屋上への入口には井戸跡まであった。
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礼を言って別れて出口に出ると、そこにはマスジェデ・ハキームが。
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開いていたこの出入り口から入ってみると、
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広い広場が。
屋根には見張り台。かつて緊急時に鉦や太鼓を鳴らしたそうだ。
エマーム広場のマスジェデ・エマームでも同じものがあった。 -
マスジェデ・ハキーム:アッバース二世の命により、1656年から1663年にかけて建設されたエスファハーンで最も古いモスクの一つとのこと。
大きなテントが。 -
ここでもアーシュラーの準備に向けて旗や絨毯が山積みにされていた。
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出入り口でばったり聖職者と会う。
「フォト? オッケ〜イ♪」と気さくに応じてくれた。 -
しばらくするとまた再会し、今度は車に乗るところだった。
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聖職者がホントに多くなってくる。
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彼らも人の子。自家用車にも乗るし、ケータイメールもする。昨日もクレジットカードで買い物をしていた。
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あちこちからサローム(こんにちは)と声を掛けられる。
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だんだんバザールが近付いてきた。
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声を掛けてきた中で他のイラン人とどこか顔立ちの違う人が。
アフガニー?と聞くと、そうだとのこと。
「アッラーフ・アクバル」(神は偉大なり)と人差し指を上にして何度か言ってくる(写真右)。 -
吹き抜けになっている商業施設で地下1階から1階にいくつも柿(イランでは柿が良く売られていた)を放って渡していたのを見ていると、彼らがこっちに来いとジェスチャー。
下りて行くとチャイをご馳走になった。 -
そこの前のお店。
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この小さな道にもモスクが。
右のスピーカーからアザーンが流れるんだろうな。 -
さっきのアフガン人に再会。
運び屋さんをやっているようだ。
撮ってくれと元気良く言ってくる。
出稼ぎのアフガン人は多いとのこと。
言葉が出来ればいろいろなことを聞きたいのだが。
車輪が石畳に引っかかったので一緒に押してくれとジェスチャーするので少しお手伝い。
その後握手して別れる。
今も元気でやっていることを祈る。 -
ここからバザールに入った。
四方八方で聖職者が行きかう。
イランに到着した直後はこの姿に、ああ、イランだ〜〜〜と感激興奮したが、もう4日目、だんだん慣れてきた。 -
日本人に良く似た顔が。
冗談で「ジャポーニ?」と声を掛けると、「アフガニー」と返ってきた。
やりとりを聞いていた前の商店主によると、彼はアフガンからの学生とのことだ。 -
沢山の聖職者がゾロゾロ(♪)とバザールから外れたこの小道に入っていく。
後を付いていくと、 -
この小さな建物のドアから出たり入ったりしている。
階段を上がっていくと、 -
宗教関連の本屋だった。
皆靴を脱いで上がっている。
さっきのアフガンの学生聖職者さんも一番手前にいる。
握手して別れる。 -
またバザールに戻る。
このバザールにも沢山外に抜ける小道や水飲み場、小さな池を囲んだ中庭がある。 -
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この生地屋のおじさんが入ってごらんと指差すので行ってみると、
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ここにも中庭が。
こういうところが無数にあるようだ。 -
一軒ひなびた感じの店が。
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入ってみると何か金属を量り売りなのか、量り買いなのかしていた。
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チャドル屋
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この生地屋の隣りにも小道があって中庭に通じているようだ。
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天窓もあり明るい。
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ここでもチャイとピスタチオの入った美味しいギャズを頂いた。
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この後、沢山のギャズをこの箱ごと頂いてしまった。
道中も食べ切れなかったので、ビニールに入れてそのままお土産にし日本で食べた。
ヌガーに似た食感(しかし歯に付かない)で、甘すぎない。
ピスタチオが沢山入っていて片栗粉でまぶしてある。美味しい。 -
ここにも右にモスク。
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靴屋さん
全て手作り。ここで作って売っていた。 -
店の前でここの後継ぎ息子(?)か徒弟さん。
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ここにも立派な門の付いた小道。
くぐってみる。 -
この店に入ってみると、
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沢山の同じズボンをアイロン掛けしていた。
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どうやら、これが「ひばり」らしい。
ほとんど絶え間なくずっと素晴らしい声で鳴き続けている。
うっとり聞き惚れるほど。
この鳴き声の鳥籠はあちこちの商店に掲げられてあった。
天然のバックミュージックという感じ。 -
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ここにも立派な門の付いた小道。
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この小道の入口にハンバーガー屋の看板が。
もう12時。入ってみる。 -
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ここは同じ中庭でも青空の中庭。
先客の子供達と同じものを指さして注文。 -
10,000R札出して1,000R2枚お釣り。
8,000R(48円)。
カレー味の細長いハンバーグとピクルス、野菜が入ったハンバーガーで美味しい。 -
子供達もいなくなり一人で食べていると、赤ちゃん連れの家族が。
先程もらったギャズを出すと、ノー、ノー、メルシーと言われてしまった。 -
再びバザールへ。
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商売っ気なしに、あちこちからハローやサロームと声掛けされる。
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右のカーテンの奥を覗いてみると、
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外への小道が続いていた。
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目が合い、昼一緒にどうだと食べていたスパゲティを見せてくれる。
撮ってもいい?とすると「俺達はテロリストだから」と笑って顔を隠してしまった。 -
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ただでさえ迷路のようなところを、あちこち寄り道したので、ここがどこだか分からなくなってしまった。
右端の人に聞くと、他の人に店番を頼み、わざわざメナーレ・マスジェデ・アリー(11世紀創建のモスク)が見えるところまで案内してくれた。 -
ここにもナン屋
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定番のチェロウ・キャバーブ(ライスと焼肉のセット)の定食屋。
路地に椅子とテーブルを出して営業。 -
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おお〜〜、エスファン一という高いメナーレ(塔)が見える。
案外近くまで来ていた。
彼にお礼を言う。 -
も一つよっこらしょ
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バイクで売りに来ていた魚屋さん
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ここでもあちこちからサローム!(こんにちは)やWelcome to Isfahan!の声が。
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石炭屋
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ここにもアーシュラーの垂れ幕
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昨日も前を通った自転車修理屋さん
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メナーレ・マスジェデ・アリーの隣りは古着市をやっているようだった。
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やっと着きました、メナーレ・マスジェデ・アリー。
地球の歩き方より:
「エスファンで最も高い塔(メナーレ)を持つマスジェデ(モスク)で、通常は礼拝の呼びかけに使われるものだが、かつては砂漠の道しるべとしての宅割を果たしていたという。ここの他に、特にエスファハーン東側にあるメナーレの多くは、周辺の砂漠を旅する隊商にとっての命綱だったのだ。
このメナーレは、狩りの最中に誤って子供を射ってしまったセルジューク朝スルタンのマレク・シャー(1055年〜)が、その慰霊の意味を込めて造ったともいわれている。」 -
通りに面した正門。
昨晩の葬式案内の神輿のような飾りがまだあった。 -
そこから反対側を見たところ。
このモスクは道で分断されていて、モスクのあるところは隣りの敷地になっていた。
イラン最後の王朝パフラヴィー朝(又はパーレビ朝。1925〜1979年)時代に、大規模な近代化、道路拡充をしたとあったので、その時に道路で分断されたのかもしれない。 -
ここの中庭にも池(というか貯水池というか)があり、広々。
表の雑踏から離れて静か。 -
モスクのある敷地へは、少し道路を進まないと行けない。
写真はその先に見える入口。 -
途中にあった箒(ほうき)の倉庫というか問屋さん
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モスクのある敷地へ
左の2人は、左が1979年にパフラヴィー皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させたイラン革命指導者ホメイニ師(1902〜1989年)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%8B%E5%B8%AB、右がその後継者ハメネイ師(1939年〜)。
右のお二人は誰だろう。 -
その肖像画の左の入口に入ってみる。
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ここも手前で靴を脱いで入るようだ。
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右側のお顔ははっきりと描かれているの対し、奥の人面は塗りつぶされている。女性なのだろうか。
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くぐってみるとどなたかを祭った廟のようだ。
手前の男性(参拝者か管理人)が一生懸命シールをヘラを使って剥がしていた。
イランにも、日本で神社にお札を張って行くような人が、ここにもいるんだろうか。 -
廟の中。
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廟の奥。
二人が礼拝が済んだのか、横になってくつろぎ中だった。 -
ちょうど出て来たところで撮らせて頂いた。
やはり手にはしっかり数珠を持っている。 -
工事関係者も作業を中断し礼拝中。
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再び道に戻り、今度はもっと先にあるマスジェデ・ジャーメ(創建8世紀のモスク)へ。
この辺りは箒(ほうき)屋さんが並んでいる。 -
壁に沢山張られている額縁を見て行ってくれという感じで手招きされるのでお邪魔する(そうでなくてもお邪魔してしまうが)と、アーシュリーが近付いているためか聖人エマーム・ホセインの肖像画が。
しかも一つ一つ丁寧に電飾されている。 -
切り株のまな板の上で、箒の最終工程であろう小さな赤い実のついた箒の穂先をバッサバッサと次々とナタで裁断、形を整えていく。
その後は表で待つトラックにどんどん積み込んで行く。 -
この辺りは荷を積んだトラック、バイクなどでごった返すような賑わい。
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工事中で見晴らしが良くなり、バザールを横から見てきれいにドームが連なっている様子や、遠くにこれから行くマスジェデ・ジャーメが見える。
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ナンを器用に乗せて。
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学校帰りか子供達に写真をせがまれる。
近くの商店の人達が小石を軽く投げて追い払ってくれようとする。
奥の入口から再度バザールに入り、マスジェデ・ジャーメへ。 -
水たばこ器具専門店。
これをお土産に持って返る人もいるようだ。 -
この宗教道具専門店でもまじかに迫ったアーシュリー行事に使う様々な道具を陳列。
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殉教者の受難を追体験するためのザンジール(持ち手の付いた鎖の束)も。
当日は太鼓や旗を持った人の後に大勢の男たちが体に打ち付けながら行進するとのこと。
現在は形式的に体を軽く打ち付ける程度に使われるらしい。 -
撮っていると、何か困ったことは起こってないですか?と声を掛けてくれる人が。ツーリストポリスとのこと。
ちょうどこの小さな交差点に椅子を置いてパトロールしているようだ。
気軽に撮影に応じてくれた。
やはりアーシュリーは今年は12月始めに行われ、その日は街中でパレードが行われるらしい。
何か困ったことがあればエマーム・ホメイニー広場のツーリスト・ポリスに届けて欲しいと言ってくれる。
昨晩の帰り道といい、少し道に迷っているとどこからかスッと現れて助けてくれる。迷い易い場所を熟知していて、人混みの中に椅子を置いて観光客を見ているようだ。 -
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繁盛している食堂が。
2時半という中途半端な時間だったが入ってみる。 -
イスファハン名物ベルヤーニー専門店(イラン風ハンバーグを、蒸した軟らかいナンに包んで食べる)でメニューはこの一種類とのこと。
昨日エマーム広場絨毯店で私を見たというシベリアンハスキーのような顏をしたテヘランからの観光客がいろいろと説明してくれる。
左で焼いたハンバーグを、 -
軟らかく蒸したナンに包む。
ここはベルヤーニのイスファン一の老舗(ということはイラン一の老舗ということらしい)でHoj Mahmod(ホッジ・マハムッドゥと発音)という有名店で、彼もイスファハンに来る度、ここに食べに来ているとのこと。
創業180年の家族経営で代々経営者の写真が壁に飾られてあった。 -
レモンと生玉ねぎ(臭みは抜かれていた)、大根のような食感の白い野菜(これも生)と塩味ヨーグルトのドゥーグ(Doogh)まで付いて、40,000R(240円)。
ナンの中身を開けてみるとハンバーグはすごく軟らかい。ぽろっと皿からこぼしてしまうと、それを見た店員さんが直ぐにまた新しく作り直して出してくれた。レモンを上にギュッと搾って食べる。美味しい。ドゥーグの塩味もそんなに違和感はない。
このお店はお勧め。 -
左はナンの蒸し器。会計係の右の男性は今の経営者の息子で、英語を話し、日本人だと知ると、クロサワ、オズ、ミゾグチ等と日本映画監督者を次々と挙げていく。彼らの映画はロマンがあって好きだとのこと。
経営者の父親もよろよろしながら、あちこち手伝っていた。
道中、どの食堂にもプッシュ式石鹸付きの洗面所があり、しっかり手を洗えるのがいい。見ていると、食前食後に手を洗っている人多い。 -
バザールに戻る。
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屋内でのパーティー等ではこういうのを着るのだろうか。
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チャドル屋
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通路の上にはとことどころ、ひばりと思われる鳥の鳥籠が取り付けられていた。ホントにいい声で良く鳴く。
しばし立ち止まって聞き惚れる。 -
小道に入ると、これまたイスファハン名物のフェレーニ(Fereni)らしきものをお菓子屋で発見。
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やはり大きなたらいの中はフェレーニとのこと。
一つ注文して奥で食べることに。
量り売りもしているようだ。 -
牛乳をフルーチェ状に固めたものに黒蜜のような味のナツメヤシの甘いシロップをかけたものらしい。あっさりしていて美味しい。何杯でもいけそうだ。
子供達が次々とお菓子等買いに来る。 -
彼の友人が来て、このカメラで撮ってみたいとのこと。
帰り際、お代を払おうとするといらないと言われてしまった。 -
そんなこんなであちこち寄り道しながら、マスジェデ・ジャーメ(創建8世紀のモスク)に到着。
バザールの商店の間に正門を見つける。
入口エイバーン(えぐれた門)はガージャール朝期(19世紀)のもので、このマスジェデで最も新しい建造物。 -
地球の歩き方より:
「暗くて狭い通路に足を踏み入れると、左側には低い天井を何本もの柱が支えている礼拝堂が広がる。ムザッファル朝期に建てられた部分で、ここには古くは創建されたブワイフ朝(10世紀)からサファヴィー朝期(16世紀)まで各時代に拡張された礼拝堂が現存しているが、そのほとんどは茶色のレンガで造られた小さなドーム型天井を、多数の列柱が支える様式。ドーム型天井には484もの異なった建築様式が用いられているという」 -
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説明を熱心に。
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テヘランからの高校の修学旅行とのこと。
先生が一緒に入って撮ろうと言ってくれて、全員で記念撮影。
ここでもWelcome to Iran!と口々に言われる。 -
ここの全体像
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「イランの寺院建築の様式通り、この中庭の四方に堂々たるエイヴァーンが構えている。北東は托鉢僧のテラス、南東は弟師のテラス、南西は主のテラス、北西は師のテラス。その心は、あらゆる人に開かれたマスジェド。つまり「このマスジェドは皆のもの」ということを表している」
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ここにもアーシュリー行事をまじかに控え、殉教者エマームホセインを偲ぶポスターが。
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ここにイランが誇る美術品としてのメフラーブ(メッカの方向を示す壁のくぼみ)があるらしい。
場所が分からず、わざわざ人が沢山の人に聞いてくれて連れて行ってくれた。
この入口にはさすがに番人がいて、写真を撮り易いようにとわざわざ電気を付けてくれた。
その礼拝堂の中。 -
この礼拝堂はイル・ハーン朝(13世紀)のスルタンのために造られたとのこと。
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漆喰造りのメフラーブとメンバル(階段状の説教壇)。
このクルアーン(コーラン)の文句や唐草模様をあしらった繊細なレリーフは、イスファハン随一の美術品とされているとのことだ。
歩き方には、扉に鍵がかかっていることが多く、もし頼んで開けてもらったら謝礼を忘れずにとある。始めから開いていたがと思いつつ、いくらが相場か分からず、とりあえず10,000〜20,000R(60〜120円)を渡せるよう準備しておいたら、出口を出ると、番人は「いい旅を!」と言って直ぐに別の人と話しだした。今回は渡さなくて良かったみたいだ。 -
ここにも廟(聖人の墓)があり、右のしきりの向こうは女性用。
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貸出し用数珠とナマース
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廟内
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廟内
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17:25の礼拝時には上写真のエイヴァーン内でも礼拝する人が数人。
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17:30にはもう真っ暗
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同上
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18時頃礼拝室に入ると礼拝終えた人々が寛いでいた。
ここでも沢山のひとからサロームと挨拶される。 -
まだ礼拝中の人も。
カメラを全音無音にし、邪魔にならないようそっと撮らせてもらった。 -
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撮影後丁寧な握手をしてくれた。
礼拝室を出た後、高校生位の男の子2人が追いかけて来てくれて Welcome to Esfahan!と言ってくれる。一人は極真空手をイラン人先生について5年やっているとのこと。○○という日本人を知っているかと聞かれたが、分からなかった。 -
18:30にモスクを出て、表のバザールへ戻る。
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さすがモスク脇には宗教関連の道具屋さんが並んでいる。
礼拝用絨毯、数珠、ナマース(礼拝時に地面に額が当たるところに置く白い石)等と一緒にアーシュラー用の旗や鉢巻き、子供用礼装等も並べてある。 -
同上
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同上
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宿に帰ることにする。
ここからだと近くの大通りから宿近くのタフティー交差点まで一本道。
宗教関連の道具屋で道を聞くと30分以上かけて歩きバス停まで送ってくれることに。
彼も小さい頃一休さんを見ていたとのこと。 -
ギャーム広場に出る。
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ここにも葬式案内。
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しばらく行くとバス停に。お礼を言って別れる。
バス停では同じタフティー広場まで行く女性がいて一緒に行ってくれることに。いつものバスは前が男性、後ろが女性に分かれ、バーで仕切られているが、今回のはバーでしきられておらず、女性口から乗車し彼女に一番近い男性席に座る。 -
タフティー交差点に到着。
バスを降りると財布を発見。
中はお金は入っておらず、カード類が。それを見ていた運転手に渡してみろと言われ渡すと、他の乗客と一緒に中を確認している。
ポリスに渡しておくとのこと。
この先にポリスがあるので自分が渡しても良かったのだが。 -
交差点の果物屋で小さいバナナ5本を50円位で購入。
ここにも柿があった。 -
隣りの軽食屋で街中で時々見かけるコーンを食べてみる。
蒸かしたスイートコーンに注文後、5、6種類の香辛料と最後にマヨネーズを掛け混ぜたもの。 -
それとクリームパンで計20,000R(120円)。
今日の万歩計18,800歩。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- kskspiyoさん 2012/01/04 13:25:25
- 新作少しずつ読んでます
- captainfutureさん、こんにちは。
待望の新作を、少しずつ読んでます。期待にたがわぬ面白さ。
イスファハンの建築は、本当に美しいですね。それがとてもよくわかる写真をアップしてくださってありがとうございます。
イラン人が、黒澤や小津などの日本人映画監督を良く知っているということに、わたしも気づいたことがあります。
ウィーンで泊まったペンションがイラン人の経営で、そこで夜フロントでバイトをしていた映画の勉強をしていた女子学生の話だと、80年代に西欧の文物が禁止になっても、日本の映画は国内で上映されたそうなんです。だから彼女は黒澤の映画はすべて観ているといっていました。
思わぬところに、日本映画のファンが存在するんですね。
それではまた。
kskspiyo
- captainfutureさん からの返信 2012/01/04 19:19:05
- RE: 新作少しずつ読んでます
- kskspiyoさん、
明けましておめでとうございます。
>待望の新作を、少しずつ読んでます。期待にたがわぬ面白さ。
今回も懲りずに(^^;)ご覧頂き、ありがとうございます。そんなふうに仰って頂くと恐縮です。
今回も同じような写真をたくさん載せてしまいました。
ボリュームがあり過ぎてスクロールが大変だったと思いますが、ご容赦ください^^;。
そうなんです!
僕もこんなところで詳しい人に出会い驚きました。
もう一人監督を挙げていたのですが・・・、失念してしまいました。
>だから彼女は黒澤の映画はすべて観ているといっていました。
なるほど〜〜。そういういきさつがあったんですね。
ホントに思わぬところで、そういう人に出会うと嬉しくなってしまいますよね。
他には道中多くの人に、おしんや一休さん、見てたよと声を掛けられましたよ。
また気が向いた時にご覧いただけますと幸いです。
今年も宜しくお願い致します。
captainfuture
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