1989/09/11 - 1989/09/11
219位(同エリア984件中)
がおちんさん
沙坪の月曜マーケットにやって来ました。毎週月曜日に開かれる市で、近隣のペー族が集ってとても賑やかです。
じつは先週もここを訪れたのですが、帰りに立ち寄った「胡蝶泉」で撮り終えたフィルムを泉の中に落とすという失態を犯したため、今日はリベンジです。
大理では「砂鍋魚」などの郷土料理が有名ですが、ペー族は豚の生肉を食べる習慣があることでも知られています。日本人の感覚からすると寄生虫や肝炎などのウイルス感染、細菌感染などが心配なのですが、地元の人は平気で食べています。
豚が美味い雲南。危険を承知で私も食べてみることにしました。
でも、やっぱり平気じゃなかった~。
☆中和寺と周城の写真も載せてあります。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス ヒッチハイク
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1989年9月11日(月)
今日は沙坪のマーケットの日。
たまたま朝4時に目が覚めたので、大理の夜明けを見たいと思い、「中和寺」に向かった。
星がきれいだ。天の川も流れ星も、はっきり見てとれる。
マグライトで足元を照らしながらゆっくり歩く。中和寺への中間点ぐらいで夜が明けた。
写真は眼下にアルハイと、まだ目覚めぬ大理の町を望む。 -
道すがら、暗闇の中で3回ほど人に停められた。
2回は解放軍から、1回は農民(自警団)から。
解放軍はいきなり茂みからガサッと現れ、私の顔をライトで照らす。2度目の解放軍には小銃を構えられたのでビビッてしまう。
「下に戻れ」と言われたが、ここまで登って来たのに戻るのは嫌なので、少々下るふりをし、彼が去ったのを確認して再び登り始める。
近所に軍の駐屯地があるので警備が厳しいのだろう。
写真は白塔を見下ろすの図。 -
解放軍エリアを無事に抜けて登り続けるが、途中で道が分からなくなり、明るくなるまでじっとしていることにした。
この時、ヒトダマを3回も目撃する。火というよりも、オレンジ色の光球が森の上をふわふわと飛んでいった。初めての経験に少々コーフンする。
夜が明けるにつれ、寒さが増してきた。じっとしてるとブルブルふるえてしまうほどだ。
写真は早朝の大理を遠望するの図。 -
ここら辺り一帯はペー族の墓場になっている。
しばし写真を撮り、墓の横を一気に中和寺まで登る。
高度があるので息が切れるが、墓から1時間で寺に着く。 -
文革の傷あとが生々しい中和寺の山門。
大理でも、どれだけの寺院や仏像が破壊されたのか。
考えただけでもぞっとする。
ヒトダマや幽霊よりも、人間ほど恐いものはない。 -
外観は整えた中和寺だが、中の仏像は張りぼてだった。
しばし休憩して、山道を下りることにする。 -
途中で道を間違え、再び墓場地帯を一気に下りる。
牛を放牧している人がいた。
1時間半かかって古城に戻った。 -
公道上でバスを捕まえ、沙坪へ向かう。
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沙坪に着くと、地元のペー族も商売にやって来ていた。
野菜を担いだ娘さんたち。
後ろの解放型トラックが懐かしいなー。 -
野菜とペー族を積んだトラジも来了! かなり重そうだ。
トラジ(トラクター)こそ、僻地交通の主役。
ダッタッタッタタタタタ・・・と今日も悪路を走る。 -
まあ、沙坪には先週も来たので、サッサと奥へ進む。
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地元の人は乞食に対して知らんぷり。
お恵みするのは親切なドイツ人。 -
旅行者に必要そうなものは売っていないので、眺める対象は人間になる。
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買う人、売る人、運ぶ人。
市はかなりの賑わいになってきた。 -
人気の食材コーナーは大混雑。
日本のデパ地下と一緒だ。 -
こちらは大理チーズ。
そのままでも食べれるが、軽く焼くと香ばしくて「更好!」。 -
こちらはリンゴを売るおねえさん。
赤いの青いの、色々あるよ! -
よっぽど嬉しかったのだろう。
この娘さん、ずっと笑いながら歩いてた。 -
売り物が自ら歩いて市へ・・・・
哀愁。 -
そして、「ブキーッ」と助けを求めるブーちゃん。
カメラ目線だった。 -
市を歩き回って腹も空いた。
屋台に座ると、そこは豚の生肉レストラン。向かいに座った小姐は「美味しいよ」と言う。
細菌感染、寄生虫、未知のウイルス等々、不安がよぎるが、「地元の者が食ってんだから平気だろう」と勇気を出して食べる。 -
見事に生な豚サシ。これを激辛醤油で食べる。
好みにより、塩や唐辛子で食べてもいい、って、まるで焼豆腐みたいだ。
味は・・・まあ美味い。もし肉が冷えていたらもっとイケルのだろうけど、ちょっと生々しさが気になるなあ。皮の部分はコリコリしてひたすら硬い。 -
飯を食べ終わり、再び市を歩く。
タイムスリップしたような光景が続く。 -
市を見終わり、周城へと向かう。
先週はここから45分歩いて胡蝶泉に行ったのだが、信じられないことに撮影済みのコダクロームを水没してしまった。それから数ヵ月間、カビが生えた状態のまま持ち歩き、帰国後にプロラボに持っていくことにした。 -
これが憎き、胡蝶泉。(入場料5角)
水はきれいだけど、蝶はあまり飛んでいない。
映画「五朶金花」のほうが幻想的。 -
☆以下、帰国後にサルベージされたフィルムより、9月4日(月)の沙坪。
市に来た地元の人々。
レトロな雰囲気が漂っているなー。 -
交通マヒとなった沙坪の道路。
市が開かれる日の公道はトラックやトラクターで
渋滞する。バイパスが無いので、たとえば大理−麗江行きのバスも、ここで30分は足止めは食らう。
写真は排気ガスと埃まみれの米線屋。これじゃ商売にならないだろう。 -
前回(13)の本主祭りで、お供えの鶏の口に挟んでいたのがこれ。
祭礼用品として売っていたんだ。 -
10日前に麗江で初めて見た涼山彝族の民族衣装が沙坪でも見れた。
大きな帽子だ。 -
派手な民族服の後ろで、なぜか意気消沈するご婦人。
どうしたのかな? -
裸足の女の子の後ろでは豚の解体中。
中国人は強くなるわけだ。 -
週に一度の買い物をするため、いろんな村から人が集ってくる。
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ペー族の娘さん、ガッハッハと大笑い。
☆以上、胡蝶泉の水で清めたフィルムから9月4日の沙坪でした。 -
再び9月11日の写真に戻り、周城へ。
この村は最もペー族の情緒が残っているそうだ。
胡蝶泉と違って観光化されていない、ただの村。
良い雰囲気だ。 -
石畳の道を次々にペー族がやってくる。
そりゃ、彼らの村だからあたりまえだが、なんだか素敵な光景だ。 -
味のある周城の村。
古い歴史を持つ民族の村は、観光化せずに守って欲しい。 -
ペー族だらけだ。
民族服の赤が石造りの村に映える。 -
ペー族の民族服は、おばさんも若々しく、可愛く見える。
ちょっと得してると思う。 -
こんな村で育った子供が大人になったら、どこに行っても故郷が懐かしくなるんだろうな。
おんぶされてる君が羨ましいよ。 -
周城は山の傾斜に沿って家が並んでいるので、奥のほうからはアルハイが見える。
いやー、素敵な村でした。
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その夜、猛烈な吐き気が発生。何度もトイレに通い、ほとんど眠れなかった。やはり生肉に中ったようだ。苦しいよー!
雲南の旅 1989 (15) 麗江〜命懸けの虎跳峡トレッキング:前編 に続く
http://4travel.jp/travelogue/10502258
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