2006/02/11 - 2006/02/11
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morino296さん
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毎年2月10、11日に愛知県豊橋市で行われる春を告げる奇祭「鬼祭」を紹介います。
この祭りは、約千年の歴史があり、国の重要無形文化財に指定(昭和55年)されています。
神話を田楽に取り入れて祭りの神事としたもので、農作物の豊穣を祈るものです。中でもクライマックスは、赤鬼が天狗に挑む「赤鬼と天狗のからかい」です。天狗に敗れた赤鬼は境内を飛び出し、町内をかけまわり、道行く人にタンキリ飴をふりまきます。飴といっしょに白い粉をまき散らすため見物人は真っ白になってしまうのですが、この粉をかぶると夏病みしないと伝えられています。
祭りは元来、毎年旧暦の正月(2月)13日・14日に行われていましたが、昭和42年から毎年2月10日・11日に行われています。
是非一度ご覧になってください。ただし、粉をかぶっても良い格好でお出掛けください。
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安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)
豊橋市八町通3-17(市電豊橋公園前から徒歩2分)
祭神:天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
神徳:無病息災、豊作
由緒によれば、
第61代朱雀天皇(在位930〜946)が平将門の乱の鎮定の報賽(ほうさい)として伊勢神宮に寄進された神領地に創立された古社で安久美神戸の総社です。 -
由来によれば、
このお祭りは日本建国神話の田楽の舞で豊年と厄除けの祭として約千年前から毎年行われた尊い神事です。
荒ぶる神の赤鬼が悪戯(いたずら)をするので武神天狗が懲らしめようと神の前で秘術を尽くし戦い最後に和解して赤鬼が罪の償いに厄除けのタンキリ飴を撒きながら嵐のごとく境外へ飛び去ります。この飴を食べると厄除けとなり健康になると古来伝えられます。
そこで国内が平和に治まったことを喜んで武神をはじめ神々が種々の神楽を舞う古式の田楽をそのまま伝承するものです。 -
10時、例祭、献上幣使参上に続き、浦安の舞が奉納されます。
曲尺手町(かねんでちょう)の朝倉さん(高2:右)、澤山さん(中1:左)が頑張りました。 -
続いて、八角台の上で豊橋市長をはじめ、地元の名士による厄除け飴まき行事が行われ、観衆はタンキリ飴を争って拾います。
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11:20頃から、供物、赤鬼・天狗・黒鬼修祓、司天師修祓が行われます。この祭りで神役の天狗、赤鬼を務める青年と面・装束などが、神前でお払いを受けます。
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天狗を務める飽海町の古田大敬さん
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赤鬼を務める中世古町の石居靖隆さん
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11:50、子鬼が登場します。
世話役が八角台の上から扇で入場を促します。 -
子鬼の後には町内の子供たちがタンキリ飴と白い粉(米の粉)を撒き散らしながら従います。
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子供たちも観客も、頭から粉をかぶり真っ白です。
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子鬼の所作は、赤鬼とほとんど同じで撞木(しゅもく)を振りながら境内をジグザグに進みます。
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子鬼は札木町が出すそうで、今回は125代目の山口くん(小5)が務めました。
一息いれた後、脱兎のごとく飛び出します。 -
タンキリ飴と粉を撒き散らし
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境外へ飛び出します。
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13:40、御的の神事が始まります。
一年12ヶ月の無事を祈念して、12本の矢が的を目掛けて放たれます。12本目の矢が放たれると同時に的の争奪戦が始まります。この的を取った者は家に飾り、無病息災が叶うと云われるそうです。 -
14:00、赤鬼が登場。
いよいよ、「天狗と赤鬼のからかい」が始まります。 -
この赤鬼の装束は約40Kg(上半身だけで約25Kg)、天狗の装束は約20Kgの重さだそうです。
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お面を付けられるのは本番だけなので、お面を付けた練習は出来ません。
お面をつけると視野が狭まり、ほとんど見えくなり非常に難しいそうです。そのため、前の年に務めた先輩が、天狗と赤鬼に寄り添い、声を掛けながら面倒を見るのだそうです。 -
荒ぶる神の赤鬼が、武神の鼻たか天狗をからかい、挑発します。
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前半は、赤鬼が攻勢で鼻たか天狗を追い込みます。
赤鬼が手にする撞木は、攻勢/守勢によって持ち方が違います。
攻勢の時は、片手で撞木を振りながら前進、守勢の時は、両手で撞木を持ちながら後退します。 -
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天狗と赤鬼の攻防が続き、水入りならぬ、風入りとなります。
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赤鬼は布団巻き状態で長い髪の装束のため、体温が上がり苦しくなります。
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また、天狗はお面が顔に密着し、息が苦しくなるのだそうです。
両者が水入りならぬ風入りで小休止をとります。
観客には暖かい方が良いですが、両者には気温が低い方が楽なんだそうです。 -
両者は呼吸を整え、戦いを再開します。
赤鬼は、鼻くそを丸めて、天狗に投げつけ、挑発を続けます。 -
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一度は、赤鬼が優勢で、天狗を鳥居の外まで追い詰めます。
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一転、天狗が反撃、赤鬼を八角台まで追い詰めます。
(左の写真は、赤鬼が守勢となり、撞木を両手で持ち、後退しています。) -
いよいよ、追い詰められた赤鬼は、逃げ出します。
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この後、罪の償いにタンキリ飴を社務所に供えタンキリ飴と白い粉を撒き散らしながら境外への飛び出して行きます。
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赤鬼を懲らしめて、平和が戻ったことを喜び誇らしげに天狗の舞が始まります。
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続いて、司天師田楽、ポンテンザラ、司天師神楽が奉納され、世の中が安泰になったことを現します。
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ポンテンザラは、二人の司天師と6人の笹良児(ささらご)が行う田楽です。
笹良児は、曲尺手町(かねんでちょう)の4〜5歳の男の子6名が務めます。ポンテンザラは、鼓と笹良の音、ポン・テン・ザラからつけられたもの。 -
天狗と赤鬼の戦いを見ていた黒鬼が、世の中が平和になったことを喜び現れます。
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15:40、御玉引の年占が行われ今年の豊作が占われます。
黒鬼と天狗が境内を進み、本祭も終わりとなりますが、赤鬼は氏子の15町内を駆け回り神社へ戻るのは夜中となるそうです。
これだけ朝から夕方まで通して祭りを見物したのは初めてですが、祭りを伝承している人達に頭が下がる思いです。
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