2008/01/10 - 2008/01/10
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目黒警部さん
日本の三大恵比寿神社は、京都恵比寿神社・大阪今宮恵比寿神社・西宮恵比寿神社の事を言います。
室町時代以降大阪町人の活躍が始まり江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになりました。
十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期になりますと十日戎の祭礼を彩る宝恵籠の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となりました。
現在では1月9・10・11日の三日間の祭礼で約100万人の参詣者があり、大変な賑わいをみせてくれます。(今宮戎神社h・p抜粋)
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1月10日(木)朝10時頃にミナミの繁華街を出発して、いりいろな方が駕篭に乗り賑やかに行列をくりひろげます。
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元禄期になりますと十日戎の祭礼を彩る宝恵駕籠の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となりました。
宝恵駕籠も宝暦の頃には現在にみられる形式が整備されます。 -
この頃から数多くの図が残されており、紅白の布で飾られた駕籠に盛装した芸者が乗り込み、その周囲を幇間が取り囲み、「ホエカゴホエカゴ、エライヤッチャエライヤッチャ」の掛け声とともに参詣する状景がしのばれます。
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現在では宝恵駕籠も地元商店街の協力の下、昔の様式を残しつつ、なおかつ現状にあまり乖離しないよう、芸能人、野球選手、文楽の人形の参加を得て行列を華やかに盛り立てています。
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宝恵駕籠
とんぼりリバーウォーク(9:45)→大和屋→B1角座→松竹座(10:45)→戎橋橋詰(10:50)→千日前国際劇場→吉本会館→今宮戎神社(12:10頃)→なんばCITY(13:00)→高島屋前→大丸前→大和屋(14:30頃)
〈往路〉午前10時頃〜12時10分頃〈帰路〉12時40分〜14時20分 -
戎橋
戎橋の橋名の由来、そもそもこの橋が、今宮戎神社への参詣の道筋に架けられたことから、「戎橋」の名が付けられたものです。 -
江戸時代には、毎年の十日戎に、市中の人々は皆この橋を渡って、戎さんに詣り、往き帰りの群衆で橋上は大へん賑わいました。
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この戎舞台は、今宮戎神社と戎橋の、往昔からのこうした深いつながりに因んで、毎年一月十日の「十日戎」の祭日に、この場所に仮設される古例を復興したものです。
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南花街の綺麗どころ
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南花街といえば、今から130年前に創業した南地大和屋さんだが、現在南地大和屋は、2003年10月に閉鎖され、大和屋の店舗としては高島屋大阪店内「大和屋三玄」、そごう心斎橋店「大和屋」の他に東京横浜に3店舗が残るだけとなっている。
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大和屋3代目の阪口祐三郎は、南花街組合を結成し初代組合長となり、1953年には全国花街連盟の初代会長になっている。
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福娘のご奉仕
例年10月から募集いたしまして、11月の下旬に福娘が決まります。 -
奉仕内容は、まず十日戎前に約3日間、官公庁・各関係団体・報道関係の三班に分かれ挨拶回りを行います。(年によって、日にちは変更があります)また七日には、餅まき行事、八日には舞楽奉納式に参列します。
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十日戎では、九・十・十一日の3日間、朝九時から夜九時まで神社授与所で笹の授与を行います。また、十日は、宝恵駕籠行列にも参加していただくことになります。
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以上が、実質的に福娘が奉仕する内容です。この間、福娘がお揃いの着物の上に千早を着用し、頭には金の烏帽子を付けて奉仕していただくことになります。
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南地大和屋へは閉店の前年に一度訪問したことがあるが、南の一等地に能舞台もある広大な敷地の趣き深い料亭でした。
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今では大和屋に仕出しを届けていた吉兆のほうが有名になっていますが、明治から大正、昭和40年代まで大阪では超一流のお茶屋でした。
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