
1997/12/06 - 1997/12/07
3891位(同エリア4393件中)
リュックさん
ちょこっとプラハへ。
年も押し迫った1997年12月6日11時35分、
成田空港第二タミナルからオーストリア航空で
オーストリア・ウイーンへ。
ここで小型のローカル機に乗り換えチェコ・プラハに。
-
訪れた日と翌日とも氷雨混じりの寒い日で
灰色の雲が低く垂れ込め、
煤ボケたどす黒い旧市街の建物と相まって
一層暗い雰囲気のプラハであった。
チェコ・プラハを訪れるにあたり事前に
ビザを取得しておかねばならなかった。
東京広尾にあるチェコ大使館に行く。
申請用紙に必要事項を記入し、
写真と申請費用を添えて提出し申請を済ませる。
取得は後日で再度大使館まで足を運ばなければならなかった。
最近ではビザは不要になった。
・チェコ共和国とはどんな国?
チェコの西側は古くからケルト人が住み、
ボヘミヤと呼ばれていた。
その後、紀元前1世紀ごろゲルマン族、
ケルト人を押しのけるように侵攻し、
ゲルマン族の大移動後にスラブ人が住み着いた。
17世紀にハプスブルク帝国の支配下に入り、
1918年 第一次世界大戦後にチェコスロバキア共和国となった。
1938年 ドイツがオーストリアを併合し、
プラハなどボヘミア・モラビ地方は
ドイツの保護領になったが、
1945年 第二次世界大戦後、ドイツが敗れ、
代わってソ連が侵攻し、共産政権国家となった。
しかし、1968年共産主義 経済停滞がもとで
革命運動「プラハの春」が起きたが悲惨な結果で終った。 -
1991年 ソ連消滅により共産主義政権崩壊(ビロード革命)に伴い
1993年 チェコとスロバキアが分離・独立し現在に至っている。
ボヘミヤ王国誕生以来、近隣国から常に脅威にさらされ続けてきた。 -
・ルズィニェ国際空港
プラハ市街から北西20Kmのところにあるチェコ唯一の国際空港。
入国審査を無事通過して、空港内に入るとむき出しの拳銃を腰に、
肩には黒光りする自動小銃をかけ、
いかめしい兵隊?警官?が巡回している。
今まで訪れた国の雰囲気とまるで違う。
恐怖感さえ覚える。
チェコ唯一の国際空港にしては寂しい。
売店とレンタカー、バスなどの案内カウンターのみ。
商業広告は殆ど無い。
公園のベンチのような硬い金属製の長椅子。
暖房が無い。寒い出発・到着ロビー。
「まだここも共産主義時代の体制のままか!」が
チェコ入国後最初の強烈な印象であった。 -
・百塔の街、プラハ
ボヘミヤ地方の中心に位置するチェコの首都。
「黄金のプラハ」と称された美しい街であったらしい。
そして100以上の尖塔があったことから
「百塔の街」とも呼ばれていた。
ヴルタバ川が市内を分断して流れ、
右岸には中世からの建物が多い。
また、この街はスメタナ、ドヴォルザークが活躍し、
モーツアルトも愛した街であった。 -
・プラハ城
フラチャニの丘に聳える王宮。
かつて9世紀に貴族の館があり、
14世紀にボヘミヤ王カレル4世によりゴシック様式の城になる。
現在は広い城内に大統領官邸、教会、美術館等があり、
城の周囲は中世風の城壁で囲まれている。
・カレル橋からプラハ城を遠望する。 -
プラハ城
・プラハ城の上空写真。写真上にカレル橋が見える。 -
・大統領官邸
彫刻で飾られた豪壮な建物。門前には衛兵が立ち、
観光客は1歩も近づけない。 -
・聖ヴィート大聖堂
930年にロマネスク様式で建てられたが14世紀にゴシック様式に改築。 -
プラハ旧市街
・プラハ城からカレル橋
ごつごつした石を敷き詰めた道を下ってゆく。
民家街に入ると道端で観光客相手の露天が並ぶ。 -
・2本の尖塔を持つティーン教会
プラハ城、聖ヴィート大聖堂などを急ぎ見学してから、
小雨降る石畳を下り、カレル橋、旧市街地に行く。 -
・カレル橋
プラハを訪れた人はまずこの橋を渡るであろう。
最大の観光名所だ。
カレル4世によって造られた中欧最古の橋で
ヴルタバ川に架かる13の橋の中で最も有名。
もとは木造の橋であったが洪水で破壊された為に
14世紀に石造りの橋として再建された。
橋は全長約500メートル、巾10メートルのゴシック様式。
橋の入り口には古塔が立ち、
両側の欄干には聖書に由来する30の聖像が並ぶ。
30体の聖像はバロック様式で17世紀から200年
かけそれぞれ異なる年代に作られている。
日本にキリスト教を伝道したフラシスコ・ザビエル像もある。
ドイツ・ヴェルツブルグのマイン川に架かるアルト・マイン橋も
同じように橋の欄干の両側にも聖人の像が立ち並ぶ。
同じような年代に建造された橋で当時の流行であったのか。
興味深い。
但し、アルト・マイン橋は戦争で破壊され、再建されたもの。 -
冬の寒空で雨模様の天候でも多くの人が橋を往来している。
どう見ても観光客や地元の人ではない人たちが
橋でウロウロしている。何をしているのだろうか?! -
カレル橋の下には運河がヴルタバ川と並行して流れる。
-
・旧市庁舎
カレル橋を旧市街に向かって渡り、
カルロヴァ通りを真っ直ぐ進むと広場に出る。
14世紀に建てられたゴシック様式の旧市庁舎の南面に
一年で一周する巨大な天文時計がある。
正午にキリスト12使徒が時報に合わせて現れる。
これを見るために多くの観光客が集まっていた。
この種の天文時計はヨーロッパ各地の都市で見られる。
当時の人たちはスケールの大きな宇宙観を持っていたのだろうか。 -
・火薬庫
もともとは旧市街を守るために建てられた13の城門のうちの
一つであった。
15世紀建造と言われているが、
その後19世紀にネオゴシック様式にて立て替えられたという。
17世紀に一時火薬庫として使用されたのがこの名の由来。
186段の石段を登って上から市街を見渡せる。
この石段を登り、市街を見渡し(あいにく雨でよく見えなかった)、
火薬庫を出るとき、カミサンのリュックの口が開いていた。
大勢の人が後から押すようにして石段を登った。
やけに後から押す女性が居たという。
多分、この女性がカミサンのリュックを開いたのだろう。
金目のものは入れていなかったので被害は無かった。 -
・ユダヤ人街
火薬庫であった事件で急に警戒心が強くなった。
ユダヤ人街の狭い道を大勢の人達が往来している。
目つきの鋭く鷲鼻の女性、
濃い口ひげを生やした男達。皆んな怪しい。
観光客に見えない。
「カモ」を物色しているようだ。
ホテルでこのことを話すと、
「本当のスリは身なりの立派な紳士・淑女然としたカップル」が
一番危ないとのこと。
その他は「こそ泥」の類とか。
いずれにしろ治安は良くない。 -
・路面電車
庶民の足であろう二両連結の路面電車が
市内を幾つも走っていた。
車体全面にカラフルな広告?が描かれてあった。
他の都市であれば特別な気もしないが、
空港の物々しさと余りにかけ離れている。
商業主義がまだ斑模様のような広がりになっている。 -
・夕刻の旧市庁舎前の広場
冬のヨーロッパは昼が短い。
4時過ぎるともう暗くなる。
旧市庁舎前の広場に戻った。
クリスマスシーズンをひかえたクリスマス一色の
飾りつけの屋台が広場一杯に出来ていた。
色とりどりのクリスマス用の品物がたくさん出店していた。
珍しいものもたくさんあった。
我々はただ見て歩きのウインドウショッピング。
一日中小雨混じりの中を歩きまわったので足元は濡れ、
冷たくなり、寒くもなった。
チェコのクリスタルグラスのカップを買い求め、
ホテルに戻る。 -
・地下鉄
旧市街からホテルがあるZelivskehoまで地下鉄を利用した。
切符を買い、改札ゲートで刻印、地下鉄に乗る。
10コルナ(約50円)夕刻の車内は満員。
我々は通路に立つ。
スラブ系の顔立ちの男がやたらに話しかけてくる。
カミサンも小生の完全に無視。
わずか正味一日のプラハであったが
目一杯動き回り、色々な体験もした。
土地替われば品替わる。人も変わる。
訪れた時はまだ共産圏時代の統制色がまだ色濃く残り、
治安もよくない。
宿泊したプラハ郊外のホテル ルネッサンスでは
気さくで親切はスタッフと
快適なホテルライフを楽しんだ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
プラハ(チェコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
19