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ちょこっとプラハへ。<br />年も押し迫った1997年12月6日11時35分、<br />成田空港第二タミナルからオーストリア航空で<br />オーストリア・ウイーンへ。<br />ここで小型のローカル機に乗り換えチェコ・プラハに。

想い出の旅12(海外)               チェコ

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1997/12/06 - 1997/12/07

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リュック

リュックさん

ちょこっとプラハへ。
年も押し迫った1997年12月6日11時35分、
成田空港第二タミナルからオーストリア航空で
オーストリア・ウイーンへ。
ここで小型のローカル機に乗り換えチェコ・プラハに。

  • 訪れた日と翌日とも氷雨混じりの寒い日で<br />灰色の雲が低く垂れ込め、<br />煤ボケたどす黒い旧市街の建物と相まって<br />一層暗い雰囲気のプラハであった。<br /><br />チェコ・プラハを訪れるにあたり事前に<br />ビザを取得しておかねばならなかった。<br />東京広尾にあるチェコ大使館に行く。<br />申請用紙に必要事項を記入し、<br />写真と申請費用を添えて提出し申請を済ませる。<br />取得は後日で再度大使館まで足を運ばなければならなかった。<br />最近ではビザは不要になった。<br /><br />・チェコ共和国とはどんな国?<br />チェコの西側は古くからケルト人が住み、<br />ボヘミヤと呼ばれていた。<br />その後、紀元前1世紀ごろゲルマン族、<br />ケルト人を押しのけるように侵攻し、<br />ゲルマン族の大移動後にスラブ人が住み着いた。<br />17世紀にハプスブルク帝国の支配下に入り、<br />1918年 第一次世界大戦後にチェコスロバキア共和国となった。<br />1938年 ドイツがオーストリアを併合し、<br />プラハなどボヘミア・モラビ地方は<br />ドイツの保護領になったが、<br />1945年 第二次世界大戦後、ドイツが敗れ、<br />代わってソ連が侵攻し、共産政権国家となった。<br />しかし、1968年共産主義 経済停滞がもとで<br />革命運動「プラハの春」が起きたが悲惨な結果で終った。

    訪れた日と翌日とも氷雨混じりの寒い日で
    灰色の雲が低く垂れ込め、
    煤ボケたどす黒い旧市街の建物と相まって
    一層暗い雰囲気のプラハであった。

    チェコ・プラハを訪れるにあたり事前に
    ビザを取得しておかねばならなかった。
    東京広尾にあるチェコ大使館に行く。
    申請用紙に必要事項を記入し、
    写真と申請費用を添えて提出し申請を済ませる。
    取得は後日で再度大使館まで足を運ばなければならなかった。
    最近ではビザは不要になった。

    ・チェコ共和国とはどんな国?
    チェコの西側は古くからケルト人が住み、
    ボヘミヤと呼ばれていた。
    その後、紀元前1世紀ごろゲルマン族、
    ケルト人を押しのけるように侵攻し、
    ゲルマン族の大移動後にスラブ人が住み着いた。
    17世紀にハプスブルク帝国の支配下に入り、
    1918年 第一次世界大戦後にチェコスロバキア共和国となった。
    1938年 ドイツがオーストリアを併合し、
    プラハなどボヘミア・モラビ地方は
    ドイツの保護領になったが、
    1945年 第二次世界大戦後、ドイツが敗れ、
    代わってソ連が侵攻し、共産政権国家となった。
    しかし、1968年共産主義 経済停滞がもとで
    革命運動「プラハの春」が起きたが悲惨な結果で終った。

  • 1991年 ソ連消滅により共産主義政権崩壊(ビロード革命)に伴い<br />1993年 チェコとスロバキアが分離・独立し現在に至っている。<br />ボヘミヤ王国誕生以来、近隣国から常に脅威にさらされ続けてきた。

    1991年 ソ連消滅により共産主義政権崩壊(ビロード革命)に伴い
    1993年 チェコとスロバキアが分離・独立し現在に至っている。
    ボヘミヤ王国誕生以来、近隣国から常に脅威にさらされ続けてきた。

  • ・ルズィニェ国際空港<br />プラハ市街から北西20Kmのところにあるチェコ唯一の国際空港。<br />入国審査を無事通過して、空港内に入るとむき出しの拳銃を腰に、<br />肩には黒光りする自動小銃をかけ、<br />いかめしい兵隊?警官?が巡回している。<br />今まで訪れた国の雰囲気とまるで違う。<br />恐怖感さえ覚える。<br />チェコ唯一の国際空港にしては寂しい。<br />売店とレンタカー、バスなどの案内カウンターのみ。<br />商業広告は殆ど無い。<br />公園のベンチのような硬い金属製の長椅子。<br />暖房が無い。寒い出発・到着ロビー。<br />「まだここも共産主義時代の体制のままか!」が<br />チェコ入国後最初の強烈な印象であった。

    ・ルズィニェ国際空港
    プラハ市街から北西20Kmのところにあるチェコ唯一の国際空港。
    入国審査を無事通過して、空港内に入るとむき出しの拳銃を腰に、
    肩には黒光りする自動小銃をかけ、
    いかめしい兵隊?警官?が巡回している。
    今まで訪れた国の雰囲気とまるで違う。
    恐怖感さえ覚える。
    チェコ唯一の国際空港にしては寂しい。
    売店とレンタカー、バスなどの案内カウンターのみ。
    商業広告は殆ど無い。
    公園のベンチのような硬い金属製の長椅子。
    暖房が無い。寒い出発・到着ロビー。
    「まだここも共産主義時代の体制のままか!」が
    チェコ入国後最初の強烈な印象であった。

  • ・百塔の街、プラハ<br />ボヘミヤ地方の中心に位置するチェコの首都。<br />「黄金のプラハ」と称された美しい街であったらしい。<br />そして100以上の尖塔があったことから<br />「百塔の街」とも呼ばれていた。<br />ヴルタバ川が市内を分断して流れ、<br />右岸には中世からの建物が多い。<br />また、この街はスメタナ、ドヴォルザークが活躍し、<br />モーツアルトも愛した街であった。

    ・百塔の街、プラハ
    ボヘミヤ地方の中心に位置するチェコの首都。
    「黄金のプラハ」と称された美しい街であったらしい。
    そして100以上の尖塔があったことから
    「百塔の街」とも呼ばれていた。
    ヴルタバ川が市内を分断して流れ、
    右岸には中世からの建物が多い。
    また、この街はスメタナ、ドヴォルザークが活躍し、
    モーツアルトも愛した街であった。

  • ・プラハ城<br />フラチャニの丘に聳える王宮。<br />かつて9世紀に貴族の館があり、<br />14世紀にボヘミヤ王カレル4世によりゴシック様式の城になる。<br />現在は広い城内に大統領官邸、教会、美術館等があり、<br />城の周囲は中世風の城壁で囲まれている。<br />・カレル橋からプラハ城を遠望する。

    ・プラハ城
    フラチャニの丘に聳える王宮。
    かつて9世紀に貴族の館があり、
    14世紀にボヘミヤ王カレル4世によりゴシック様式の城になる。
    現在は広い城内に大統領官邸、教会、美術館等があり、
    城の周囲は中世風の城壁で囲まれている。
    ・カレル橋からプラハ城を遠望する。

  • プラハ城<br />・プラハ城の上空写真。写真上にカレル橋が見える。<br />

    プラハ城
    ・プラハ城の上空写真。写真上にカレル橋が見える。

  • ・大統領官邸<br />彫刻で飾られた豪壮な建物。門前には衛兵が立ち、<br />観光客は1歩も近づけない。<br />

    ・大統領官邸
    彫刻で飾られた豪壮な建物。門前には衛兵が立ち、
    観光客は1歩も近づけない。

  • ・聖ヴィート大聖堂<br />930年にロマネスク様式で建てられたが14世紀にゴシック様式に改築。<br /><br />

    ・聖ヴィート大聖堂
    930年にロマネスク様式で建てられたが14世紀にゴシック様式に改築。

  • プラハ旧市街<br />・プラハ城からカレル橋<br />ごつごつした石を敷き詰めた道を下ってゆく。<br />民家街に入ると道端で観光客相手の露天が並ぶ。<br /><br />

    プラハ旧市街
    ・プラハ城からカレル橋
    ごつごつした石を敷き詰めた道を下ってゆく。
    民家街に入ると道端で観光客相手の露天が並ぶ。

  • ・2本の尖塔を持つティーン教会<br />プラハ城、聖ヴィート大聖堂などを急ぎ見学してから、<br />小雨降る石畳を下り、カレル橋、旧市街地に行く。

    ・2本の尖塔を持つティーン教会
    プラハ城、聖ヴィート大聖堂などを急ぎ見学してから、
    小雨降る石畳を下り、カレル橋、旧市街地に行く。

  • ・カレル橋<br />プラハを訪れた人はまずこの橋を渡るであろう。<br />最大の観光名所だ。<br />カレル4世によって造られた中欧最古の橋で<br />ヴルタバ川に架かる13の橋の中で最も有名。<br />もとは木造の橋であったが洪水で破壊された為に<br />14世紀に石造りの橋として再建された。<br />橋は全長約500メートル、巾10メートルのゴシック様式。<br />橋の入り口には古塔が立ち、<br />両側の欄干には聖書に由来する30の聖像が並ぶ。<br />30体の聖像はバロック様式で17世紀から200年<br />かけそれぞれ異なる年代に作られている。<br />日本にキリスト教を伝道したフラシスコ・ザビエル像もある。<br />ドイツ・ヴェルツブルグのマイン川に架かるアルト・マイン橋も<br />同じように橋の欄干の両側にも聖人の像が立ち並ぶ。<br />同じような年代に建造された橋で当時の流行であったのか。<br />興味深い。<br />但し、アルト・マイン橋は戦争で破壊され、再建されたもの。

    ・カレル橋
    プラハを訪れた人はまずこの橋を渡るであろう。
    最大の観光名所だ。
    カレル4世によって造られた中欧最古の橋で
    ヴルタバ川に架かる13の橋の中で最も有名。
    もとは木造の橋であったが洪水で破壊された為に
    14世紀に石造りの橋として再建された。
    橋は全長約500メートル、巾10メートルのゴシック様式。
    橋の入り口には古塔が立ち、
    両側の欄干には聖書に由来する30の聖像が並ぶ。
    30体の聖像はバロック様式で17世紀から200年
    かけそれぞれ異なる年代に作られている。
    日本にキリスト教を伝道したフラシスコ・ザビエル像もある。
    ドイツ・ヴェルツブルグのマイン川に架かるアルト・マイン橋も
    同じように橋の欄干の両側にも聖人の像が立ち並ぶ。
    同じような年代に建造された橋で当時の流行であったのか。
    興味深い。
    但し、アルト・マイン橋は戦争で破壊され、再建されたもの。

  • 冬の寒空で雨模様の天候でも多くの人が橋を往来している。<br />どう見ても観光客や地元の人ではない人たちが<br />橋でウロウロしている。何をしているのだろうか?!

    冬の寒空で雨模様の天候でも多くの人が橋を往来している。
    どう見ても観光客や地元の人ではない人たちが
    橋でウロウロしている。何をしているのだろうか?!

  • カレル橋の下には運河がヴルタバ川と並行して流れる。

    カレル橋の下には運河がヴルタバ川と並行して流れる。

  • ・旧市庁舎<br />カレル橋を旧市街に向かって渡り、<br />カルロヴァ通りを真っ直ぐ進むと広場に出る。<br />14世紀に建てられたゴシック様式の旧市庁舎の南面に<br />一年で一周する巨大な天文時計がある。<br />正午にキリスト12使徒が時報に合わせて現れる。<br />これを見るために多くの観光客が集まっていた。<br />この種の天文時計はヨーロッパ各地の都市で見られる。<br />当時の人たちはスケールの大きな宇宙観を持っていたのだろうか。

    ・旧市庁舎
    カレル橋を旧市街に向かって渡り、
    カルロヴァ通りを真っ直ぐ進むと広場に出る。
    14世紀に建てられたゴシック様式の旧市庁舎の南面に
    一年で一周する巨大な天文時計がある。
    正午にキリスト12使徒が時報に合わせて現れる。
    これを見るために多くの観光客が集まっていた。
    この種の天文時計はヨーロッパ各地の都市で見られる。
    当時の人たちはスケールの大きな宇宙観を持っていたのだろうか。

  • ・火薬庫<br />もともとは旧市街を守るために建てられた13の城門のうちの<br />一つであった。<br />15世紀建造と言われているが、<br />その後19世紀にネオゴシック様式にて立て替えられたという。<br />17世紀に一時火薬庫として使用されたのがこの名の由来。<br />186段の石段を登って上から市街を見渡せる。<br />この石段を登り、市街を見渡し(あいにく雨でよく見えなかった)、<br />火薬庫を出るとき、カミサンのリュックの口が開いていた。<br />大勢の人が後から押すようにして石段を登った。<br />やけに後から押す女性が居たという。<br />多分、この女性がカミサンのリュックを開いたのだろう。<br />金目のものは入れていなかったので被害は無かった。

    ・火薬庫
    もともとは旧市街を守るために建てられた13の城門のうちの
    一つであった。
    15世紀建造と言われているが、
    その後19世紀にネオゴシック様式にて立て替えられたという。
    17世紀に一時火薬庫として使用されたのがこの名の由来。
    186段の石段を登って上から市街を見渡せる。
    この石段を登り、市街を見渡し(あいにく雨でよく見えなかった)、
    火薬庫を出るとき、カミサンのリュックの口が開いていた。
    大勢の人が後から押すようにして石段を登った。
    やけに後から押す女性が居たという。
    多分、この女性がカミサンのリュックを開いたのだろう。
    金目のものは入れていなかったので被害は無かった。

  • ・ユダヤ人街<br />火薬庫であった事件で急に警戒心が強くなった。<br />ユダヤ人街の狭い道を大勢の人達が往来している。<br />目つきの鋭く鷲鼻の女性、<br />濃い口ひげを生やした男達。皆んな怪しい。<br />観光客に見えない。<br />「カモ」を物色しているようだ。<br />ホテルでこのことを話すと、<br />「本当のスリは身なりの立派な紳士・淑女然としたカップル」が<br />一番危ないとのこと。<br />その他は「こそ泥」の類とか。<br />いずれにしろ治安は良くない。

    ・ユダヤ人街
    火薬庫であった事件で急に警戒心が強くなった。
    ユダヤ人街の狭い道を大勢の人達が往来している。
    目つきの鋭く鷲鼻の女性、
    濃い口ひげを生やした男達。皆んな怪しい。
    観光客に見えない。
    「カモ」を物色しているようだ。
    ホテルでこのことを話すと、
    「本当のスリは身なりの立派な紳士・淑女然としたカップル」が
    一番危ないとのこと。
    その他は「こそ泥」の類とか。
    いずれにしろ治安は良くない。

  • ・路面電車<br />庶民の足であろう二両連結の路面電車が<br />市内を幾つも走っていた。<br />車体全面にカラフルな広告?が描かれてあった。<br />他の都市であれば特別な気もしないが、<br />空港の物々しさと余りにかけ離れている。<br />商業主義がまだ斑模様のような広がりになっている。

    ・路面電車
    庶民の足であろう二両連結の路面電車が
    市内を幾つも走っていた。
    車体全面にカラフルな広告?が描かれてあった。
    他の都市であれば特別な気もしないが、
    空港の物々しさと余りにかけ離れている。
    商業主義がまだ斑模様のような広がりになっている。

  • ・夕刻の旧市庁舎前の広場<br />冬のヨーロッパは昼が短い。<br />4時過ぎるともう暗くなる。<br />旧市庁舎前の広場に戻った。<br />クリスマスシーズンをひかえたクリスマス一色の<br />飾りつけの屋台が広場一杯に出来ていた。<br />色とりどりのクリスマス用の品物がたくさん出店していた。<br />珍しいものもたくさんあった。<br />我々はただ見て歩きのウインドウショッピング。<br />一日中小雨混じりの中を歩きまわったので足元は濡れ、<br />冷たくなり、寒くもなった。<br />チェコのクリスタルグラスのカップを買い求め、<br />ホテルに戻る。

    ・夕刻の旧市庁舎前の広場
    冬のヨーロッパは昼が短い。
    4時過ぎるともう暗くなる。
    旧市庁舎前の広場に戻った。
    クリスマスシーズンをひかえたクリスマス一色の
    飾りつけの屋台が広場一杯に出来ていた。
    色とりどりのクリスマス用の品物がたくさん出店していた。
    珍しいものもたくさんあった。
    我々はただ見て歩きのウインドウショッピング。
    一日中小雨混じりの中を歩きまわったので足元は濡れ、
    冷たくなり、寒くもなった。
    チェコのクリスタルグラスのカップを買い求め、
    ホテルに戻る。

  • ・地下鉄<br />旧市街からホテルがあるZelivskehoまで地下鉄を利用した。<br />切符を買い、改札ゲートで刻印、地下鉄に乗る。<br />10コルナ(約50円)夕刻の車内は満員。<br />我々は通路に立つ。<br />スラブ系の顔立ちの男がやたらに話しかけてくる。<br />カミサンも小生の完全に無視。<br /><br />わずか正味一日のプラハであったが<br />目一杯動き回り、色々な体験もした。<br /><br />土地替われば品替わる。人も変わる。<br />訪れた時はまだ共産圏時代の統制色がまだ色濃く残り、<br />治安もよくない。<br />宿泊したプラハ郊外のホテル ルネッサンスでは<br />気さくで親切はスタッフと<br />快適なホテルライフを楽しんだ。

    ・地下鉄
    旧市街からホテルがあるZelivskehoまで地下鉄を利用した。
    切符を買い、改札ゲートで刻印、地下鉄に乗る。
    10コルナ(約50円)夕刻の車内は満員。
    我々は通路に立つ。
    スラブ系の顔立ちの男がやたらに話しかけてくる。
    カミサンも小生の完全に無視。

    わずか正味一日のプラハであったが
    目一杯動き回り、色々な体験もした。

    土地替われば品替わる。人も変わる。
    訪れた時はまだ共産圏時代の統制色がまだ色濃く残り、
    治安もよくない。
    宿泊したプラハ郊外のホテル ルネッサンスでは
    気さくで親切はスタッフと
    快適なホテルライフを楽しんだ。

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