
2023/03/19 - 2023/03/23
3位(同エリア281件中)
noelさん
この旅行記のスケジュール
2023/03/19
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飛行機での移動
羽田空港11:05発→秋田空港(JAL163便)12:10着
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秋田空港レストラン
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車での移動
秋田空港13:10→大曲駅14:05(エアポートライナータクシー)
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車での移動
大曲駅→実家(車)
2023/03/20
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実家→羽後町(車)
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道の駅うご 端縫いの郷 ランチ→買物
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今野商店土蔵拝見
2023/03/21
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大慈寺参拝
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今野商店の土蔵見学
2023/03/22
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(散歩)赤レンガ(KURA)→大森城址→大森神社→山下記念館
2023/03/23
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車での移動
実家→大曲駅(車)
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車での移動
大曲駅→秋田空港(エアポートライナー)
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飛行機での移動
秋田空港→羽田空港(JAL164便)
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この旅行記スケジュールを元に
令和5年3月のお彼岸、高齢の両親の元へ。
残念ながら、入院中の父には面会できませんでした。
ただ、偶然ご近所の土蔵を見せていただくことができました。
そして、まだ桜の開花には早い秋田を散策しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー JALグループ 自家用車 徒歩
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羽田空港から秋田空港へ向かいます。
ターミナル9番からの搭乗になりました。
時間に余裕があったため、パワーラウンジでゆっくりしていたのですが、北のラウンジにいたのが間違いでした。
気付いたらそろそろ搭乗時間、南のターミナル9番までは、ちょっと歩きます。
お恥かしながら、名前の呼び出しを受けてしまいました。(・_・;(・_・; -
秋田空港で横手焼きそばをいただきました。
空港内の「あきた茶房」です。
乗合タクシーのエアポートライナーの中仙タクシーさんが、到着を見計らって早めに来てくれてました。ただ、迎えの家族の都合もあり、予定通りランチしてから行くことにしました。あきた茶房 グルメ・レストラン
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3月20日
たまたま近くの今野商店さんで、昭和初期の町の写真を展示していました。
今野商店さんは、1867年(慶応2年)の江戸時代末期に万屋として創業しています。 -
今野商店さんの土蔵は、有形文化財に指定されています。
今野商店さんのWEBページはこちらです。
↓
https://imanoshoten.shopinfo.jp/
国指定文化財のWEBページはこちらです。
↓
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012466 -
こちらがお店入口です。
では、さっそく写真を拝見させていただきます。
こちらでは、写真をプロジェクターを使用して、スクリーンに大きく拡大して見せてくださいました。
一応、許可をいただいて撮影、及びアップロードさせていただいてます。 -
これは令和になってから、今野商店さんを撮った写真です。
雪の日の除雪作業の様子です。
この写真を撮ったのは私の弟です。 -
そしてこちらが昭和初期の様子です。
同じ冬ですが雪の量はだいぶ違います。 -
そしてこちらは、当時の雪下ろしの光景です。
2階部分まで雪に覆われてます。
そして、みんなで雪下ろしをしてます。
話によると、昭和48年の豪雪の折に、地元の小学校の雪下ろしをしている様子です。
当時は男の人は都会に出稼ぎに行っており、男手が足りずに、子どもの母親が手伝いに行ったそうです。
私の母も手伝ったそうです。
PTA会長と数人の方以外は、ほとんどが女性だったそうです。
我が家は自営業だったのですが、父は自宅の家の雪下ろしで手一杯だったそうです。
ちなみに、お手伝いできなかった人からは、お茶菓子の差し入れがあったそうです。
現在では、あまり考えられないような話です。 -
これは私も知らない昔の町の様子です。
まだ道が舗装されていません。
そして写真を通して、曽祖父の時代にはうちの店舗は洋館だったことがわかりました。びっくりでした。
この他にも、お祭り、田植えの写真等々ありました。
特にみんなで田植えをしている写真は、ミレーの絵を彷彿とさせる写真でした。 -
これは川で水泳している様子です。
私が子どもの時には、遊泳禁止になっていました。
ただ、父が子どもの頃には泳いでいたと聞いてました。
それが、この一枚でわかりました。
写真をコピーする時、反射して見えにくくなってしまいました。(・_・; -
こちらは今野商店さんの蔵の2階です。
古い箪笥です。
茶箱も懐かしいです。ーちょっとレトロな可愛いらしいバスケットもあります。
アラン・ドロンやカーペンターズ等々のモノクロ写真もありました。 -
古い素敵なランプです。
壊れた箇所は、店主の方が、桜をモチーフに手直しされたそうです。
とても優しい光に包まれていました。 -
可愛いお雛様も展示されてました。
後ろにある襖の絵がとても珍しく思いました。
花鳥風月などを描いた襖絵は、今までにもたくさん拝見しましたが、時代や土地柄もあってか、庶民的な絵です。 -
蔵の2階部分の天井の梁は、とてもしっかりしていて見事でした。
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2階部分から外を眺めた様子です。
この窓の扉は内開きの窓でした。 -
向かいも一部蔵になっています。
こちらのは外開きタイプの窓になっています。
また、斜め向いは、赤煉瓦蔵(KURA)があります。
こちらも有形文化財に指定されています。 -
今度は1階の蔵を拝見します。
入口はまるで茶室のにじりのように、天井がかなり低いです。 -
掛軸、茶道具、コーヒーサイフォン、ランプなどが飾られてました。
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古い足踏みミシンがありました。
その上には有形文化財の登録証が置かれてました。 -
立派な角が中央にあります。
また、昔の海外の広告もありました。
スコッチウイスキーのHaigや、ガソリンスタンドのユニークな物もあります。
今野商店さんは、ガソリンスタンドも営業してます。
1階の蔵にも窓がついてます。 -
3月21日午後
こちらは犬と散歩したコースです。
ちなみにこちらの「貞好」さんは 重要無形民俗文化財として登録されていました。
以前は古い料亭として、とても趣きのある建物でした。
私も家族とお邪魔したことがありますが、お料理も美味しくいただきました。
2階のお部屋でいただきました。急な昔風の階段が印象的でした。
残念ながら、火災が原因で古い建物はありません。
とても素敵な趣のある料亭だったのに残念です。
ただ、現在もすぐ側で営業されています。 -
菅江真澄の道
菅江真澄は江戸時代末期の旅行家です、
本草学者でもあります。薬草や今で言うハーブなどに精通していたようです。
元々は三河の生まれですが、特に信濃、越後、出羽、奥州、蝦夷等の北国を行脚しました。
その折に、ここにも立ち寄りました。 -
こちらも以前は木々に囲まれていましたが、火災の折に焼けてしまったようです。
神官の照井家(びっちゃの家)跡地です。
1824年(文政7年)照井家の由来を記しました。
歴代の祠官で祖先は、南部しはの佐伯家、慶長年中、小野寺平七綱次養子としましたが、故あって、母方の高橋を名乗りました。
ただ、後代になって照井家に改めました。 -
びっちゃの家の由来は、神の使者を蛙也言います。
その神の御手洗をびっちゃと言います。
照井家のわたりの小川をびっちゃ川と言うのも、このよし也と菅江真澄が書き遺しています。 -
大納川です。一級河川です。
あまり一級河川っぽくはありませんが、先ほどの話だと、これがびっちゃ川でしょう。 -
川の反対側を眺めた様子です。水門が見えます。
現在は大森公園に車で向かう橋と、徒歩で渡る橋の2つが架けられています。
歩行者用の橋は、そのまま大慈寺に繋がっています。 -
同じ川の反対側には「大森飯店」があります。
昔は石松食堂と呼ばれていました。(本店も近くにありました、)
町の人たちに愛され続けている中華料理店です。
数年前に水害があり、大森町も被害に遭いました。その際に床上浸水で大変でしたが、今もご覧のように町内外の皆さんの胃袋を満たしてくれてます。
私も何度もいただいてますが、美味しいです。 -
お地蔵様、猿田彦大神
サルタヒコは「古事記」や「日本書紀」に出てきます。
天照大御神に遣わされた邇邇芸命を道案内した国津神です。
伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされてます。
昨年、久しぶりに伊勢神宮に行き、五十鈴川にも行きました。
そして中世になると、庚申信仰や道祖神と結びついたものです。
他に色々な地方で、お見掛けしてます。 -
お地蔵様です。
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五日町地蔵尊菩薩
昔は屋根がかろうじてついているだけでしたが、今はしっかり建物内にあります。
これでお地蔵様も、豪雪地帯の横手市大森町でも、雪に埋まることもないでしょう。 -
大慈寺に向かう歩道です。
こちらは車では通れません。
これが山門かと思ったのですが、この先の門に山門と書いてました。 -
白壁に囲まれています。
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曹洞宗大本山
山門には「龍淵山」の山号が掲げられています。
そして両脇には仁王像があります。
実は手前の門が山門かと思っていたのですが、こちらに山門と表記がありました。 -
仁王像の下の方、裏側からよく見えますが、仏様がたくさんいます。
木彫りのようでした。たぶん。(犬と散歩している最中で、犬が落ち着かなかったため、ちょっとはっきりしません。) -
鐘楼門です。
屋根は茅葺になっています。最近手入れされたようで綺麗です。
実はこの日はお彼岸で、朝早く弟とお参りに来ました。
そして午後になってから、犬の散歩で再びやって来ました。 -
奥に見えるのが御本堂です。
この道の方が歩きやすいので、みなさんこちらを歩いてます。
大慈寺は、秋田三十三観音霊場第11番霊場です。
(御詠歌:後の世も現世の苦難剣の難 経味を受けて今宿の里)
大慈寺は1013年(長和2年)の平安時代に密教寺院として創建されました。 -
お稲荷さんがあります。
雪のためかブルーシートで覆われていました。 -
まだ雪は残っているものの、少しずつ春の訪れを感じます。
ふきのとうが顔を出していました。 -
大慈寺横の大森公園に向かう坂道です。
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これは昭和初期の坂道の様子です。
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3月21日
この日は犬は連れずに、一人で散歩しました。
今野商店さんの斜め向かいにある「赤レンガ蔵」です。 -
赤レンガの蔵です。
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こちらの蔵も重要有形文化財に指定されています。
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少し雪が残っています。
お願いすれば中を見せてもらえたのですが、この日は他にも行きたい所があったので遠慮しました。
元々は倉庫として使用されていた米蔵でしたが、今は「KURA」として利用されています。
こちらでは現在も、蕎麦打ちやカラオケ講習会などが行われています。 -
田圃の様子です。
まだ雪が残っています。
空港から大曲まで車で来る間、雪はほとんど見ませんでした。
ただ、大森町に入ると、雪が結構残っていました。 -
こちらは山下太郎先生の記念碑があります。
又の名を「アラビア太郎」「満州太郎」と呼ばれています。
名前のとおり、サウジアラビアや、クウェートなどで油田開発をした先駆者です。
戦後の日本の復興のため、大活躍された地元が誇る実業家です。 -
銅像があります。
実は子どもの頃からありますが、1度も中に入ったことはありません。
以前はすぐ横に横手市立大森中学校がありましたが、現在は統廃合のため移転しました。(なお、昔は大森町立大森中学校でした。) -
鳥居です。この鳥居は大森神社の鳥居です。
そしてこの大森公園は、大森城址となっています。
この石段は避けて、坂道から大回りで向かいます。 -
公園の案内図です。
ところで、大森町は交通のアクセスがよくありません。
悪く言えば陸の孤島とも言えます。
ただ、昔は鉄道がありました。
横荘線の「羽後大森駅」がありました。
遠い記憶では「駅」のことを「停車場」と呼んでいたように思います。
幼少の頃のおぼろげな記憶ですが、母と乗った記憶もあります。
また私が子どもの頃には既になくなっていましたが、映画館もありました。
「大森映画劇場」として、1955年以降に開館して、1963年前には閉館になったようです。
ただ、私の記憶では建物だけが残っていました。
今回は古い昭和の写真を拝見して、昔のモノクロの映像が脳裏をよぎりました。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、そこには日本の美が確かにあったと思います。
今、フォトジェニックな写真がトレンドですが、遠い昔の生活には、それ以上の美を感じました。 -
こちらは二の丸付近の様子です。
二の丸までの道には、杉の木がそして桜の木が見られます。
桜にはまだまだ早いです。
また、池のそばには枝垂桜が植えられてます。
今はこれらの桜も老木となってしまったようですが、実はこの大森公園の桜はとても見事です。ほとんどが染井吉野です。
明治34年(1901年)、旧大森町に町制施行されたことを記念し、桜1000本が植えられ、「東北の吉野山」と称されるほどになりました。
またさくら荘の前には芝さくらが見られます。 -
大森城址(別名:岩淵城) 大森公園
本丸の様子です。
桜は固いつぼみをつけてました。
そして山下太郎先生の石碑があります。
小さな菖蒲池があります。
大森城は、1469-1487年(文明年間)沼館城主、小野寺中務大夫泰道の四男 長門守道高によって築かれたようです。
その後、1573-1592年(天正年間)小野寺輝道の三男 孫五郎康道が大森城に入城して「大森殿」と呼ばれました。
また1600年(慶長5年)「関ケ原」が勃発すると、小野寺氏は反最上の立場から上杉と結んで最上と対立しました。ただ「関ケ原」が東軍の勝利で終了すると、小野寺領に、最上・安東・戸沢・由利衆など出羽衆の侵攻を受けます。
そして「大森城の戦」は和睦で終結しました。
その後は小野寺氏は所領を没収されました。そして石見国、津和野に配流となりました。そして大森城は廃城となりました。 -
女礫跡(おんなつぶてあと)
平成29年11月 大森郷土研究会 -
大森城があった跡地ですが、敵の雑兵が、この本丸まで攻め入ろうとしたところ、城中の女たち20-30人が、あらかじめ用意していた大小の石を投げて防戦を行いました。この時、福正院の弓を使った柴礫を使用したそうです。
雑兵20余名の死者と、多数の負傷者が出て、我先に柵の外へと逃げたそうです。今でも女礫跡と言われています。 -
大森神社です。
御祭神は、天照皇大神 誉田別尊 武甕槌命天御中主命太平山三吉神宇賀魂神です。 -
大森神社の様子
まだ、天皇陛下即位のお祝いの幕が掲げられていました。
なかなかゆっくり見ることがなかったので、写真に撮ってみました。
実は中学生時代に、美術の授業でこの神社を写生したことがありました。
その時に、私にしては珍しく銅賞をいただいたのを記憶しています。 -
今回は石段を避けて来ましたが、本来は石段を登ってくると、こちらに辿り着きます。
鳥居前では、狛犬が出迎えてくれます。
邪気を祓い、神前を守護してくれています。
右が阿形、左が吽形で「あ、うん」を表し、宇宙の最初と最後を意味してます。
左の吽形は葉で覆われてしまっています。(-_-;)
石段を下ります。
ちなみに右側の石段は、公園手前の大きな鳥居へと続く石段です。
ここを上り下りする人は少ないようです。
赤茶けた杉が石段を覆っていました。
滑って転ばないように注意して下りました。
そして、この杉の樹々の下を、暑くてマスクをとった状態で散歩していたためか・・・・この後、花粉症の症状が悪化して苦しむ結果になりました。
油断禁物です。 -
大森公民館と山下記念館です。
なかなか見学する機会がなく、実は今回初めて訪れます。 -
山下太郎先生の銅像です。
雪の多い地方ですから、ご覧のように囲われています。 -
庭園になっています。
-
山下太郎先生
明治22年4月9日誕生。
大森小学校に入学し、4年生まで大森町にいました。
実はサウジアラビアやクウェートとの油田開発だけではなく、お薬を飲む際に使うオブラートの特許を取り、会社を設立しました。
大森町やそれ以外にも奨学金を寄付してくださいました。
また、大森町に高校を建設する資金を寄付してくださいました。
大慈寺の梵鐘を寄進してくださいました。
昭和42年(1978年)心筋梗塞のためご逝去されました。
従三位 勲一等瑞宝章受章されました。
館内には数々の思い出の写真などが残されていました。
サウジアラビア国王から寄贈された礼装用の衣・冠・剣など
高松宮家より拝領された硯箱、政財界の方々との交流の写真、りやあど丸、楠木正成の子孫だったようでその家系図等
そして館内には蔵があり、その中には書棚、火鉢、香炉、掛け軸、屏風、陶器の数々などが展示されていました。 -
サロン・ド・エムズ
6月には恒例のオープンガーデンが行われるようです。
現在の庭の様子は、冬が終わったばかりで、かなり悲惨な状況ですが、少しずつ整えていくようです。 -
近くの雄物川の日帰り温泉に行きました。
-
「えがおの丘」です。
こちらにはジムや屋内温水プール、レストランもあります。
温泉にはサウナもありました。
露天風呂もあります。ただ、この時季は露天はとってもぬるいです。
誰も入ってませんでした。
私はサウナの後、水風呂の代わりに入ってみました。
それでちょうどよいくらいでした。
そして、温泉帰りに通りかかった田圃で、白鳥を見ました。10羽以上いました。
また、羽後町に行った時も、田圃で白鳥を見ました。
秋からこの位の時期まで飛来するようです。
残念ながら、車で通りすぎてしまったため、写真に撮ることはできませんでした。 -
3月23日
こちらはリニューアルした秋田空港のラウンジです。
以前のラウンジより、だいぶ広くなりました。
しかも滑走路が見えます。 -
お天気は悪いのですが、ラウンジから滑走路眺めた様子です。
カウンター席からは、特によく見えます。
‥‥‥ところが、実は秋田空港はこの前日から、停電になっていました。(・_・;
空港に到着すると薄暗く、節電かとも思ったものの、エレベーター、エスカレーターも停止していて停電であることがわかりました。
しかもレストランも営業してません。
せっかく稲庭饂飩を食べるつもりだったのに。
唯一営業していたコンビニでパンとパウンドケーキ1切れを買いました。
このような状況のため、ラウンジに持ち込みできました。
ただ、ドリンクもホットドリンクはなく、冷たいドリンクのみでした。
wifi、電源もアウトでした。
フォートラの編集をするつもりでいましたが、読書してました。
停電の原因は高圧ケーブルの不具合のようでしたが、飛行機の離発着には問題ありませんでした。
とは言ってもアンラッキーでした。
空港内で電気が消えたのは、インドネシアのジョグジャカルタの空港で、突然電気が消えた時以来です。
その時は、一時的で、すぐに復旧しました。
まあ、色々あります。
秋田はこんな状態ですが、関東は桜が満開です。
花見ができると良いのですが・・・。
WBC優勝の余韻で、最後の年度末を乗り切っていきたいです。 -
【令和5年6月9日追記】
令和5年6月10日から6月18日(10時~18時)
オープンガーデンの予定です。
お近くの方はどうぞ!
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